車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

大歩危~小歩危あちこちウォッチ in 徳島県三好市

2020年10月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・徳島県

「大股で歩いても、小股で歩いても危険」といわれていたことからその地名がついた「大歩危(おおぼけ)・小歩危(こぼけ)」。 2億年の時を経て四国山地を横切る吉野川の激流によって創られた約8kmにわたる渓谷は、まさに見るものを圧倒させる質感と共に、見事な景観を生み出しています。

「大歩危」とは、吉野川西岸の旧山城町西宇地区から高知県大豊町大久保地区の一部までと、その対岸となる旧西祖谷山村の一部を指す総称。剣山国定公園の一画を成しており、2014年には「小歩危」と共に国の天然記念物に指定されました。

西宇地区の一画、「レストラン大歩危峡まんなか」敷地内に建立されているのは、時の逓信(ていしん)大臣『後藤新平』が、明治42年(1909)秋にこの地を訪れた折に詠んだ【岩に題す  天下第一  歩危の秋】。大歩危を代表するとも言われるこの句によって、それまで秘境とされていた「大歩危・小歩危の」景勝が広く国内に認知されるようになったと言われています。 

句碑の右前に展示されているのは「県指定天然記念物」の「三名含礫片岩」。ちなみに大歩危の「礫質片岩(れきしつへんがん)」は、含礫片岩として、国の天然記念物に指定されているのですよ。・・あれ?県じゃなくて国??と思われた方、何と!😲!私たちがこれを見る一週間前に国指定に変更されたのです。

いやもうね、どんだけ天然記念物が好きやねん!とついつい突込みがはいるのですが。だってね、日本国が認めるほどの記念物ですよ、やっぱり興味は惹かれるじゃないですか。 で、往々にして「なんちゃ~?ようわからん?」となるのですが、今回はモノが見えて触れる分、分りやすかったし😅

句碑のある「レストラン大歩危峡まんなか」から見る大歩危峡は、紅葉の赤が無くとも十二分に美しく、特に岩肌の白とエメラルドの水とのコントラストは、言葉にし難いほど。ですが・・瑠璃より深い川面を真下に泳ぐ鯉のぼりの爽やかさ、これは子供よりも大人の方が感激します。

自然の姿をあるがままにと言うのは勿論ですが、こうした人の匂いが感じられる装いもまた格段に美しいと思えます。ここから遊覧船に乗って大歩危峡観光ができると言う事で、下には何艘かの船も見えています。

ちなみに、この美しい景観を写真に収める為にはある程度の高さが必要となりますが、大丈夫、こんな展望台まで用意されて、まさに至れり尽くせり。

対岸の緑を縫うように電車が通り過ぎていきます。あんな狭い場所に線路があったことも驚きですが、運よく電車に遭遇できたことも驚き😲

電車も見たからという訳では有りませんが「大歩危駅」まで行ってみる事に。ところが駅のロータリーは予想外の狭さ、車を置くスペースもままなりません。とりあえず電車はまだみたいだし、ロータリーの隅に停車し、駆け足で構内に。

改札口の向こうでは藁沓を履き、蓑を着けた『児啼爺(こなきじじい)』の駅長さんが笑顔で出迎えてくれます。秒を惜しんでの記念写真😄、実に思い出に残るよい記念になりました。

国道から駅に入る為の高架橋にマイクロバスが見えたので速攻で車を出し、次に向ったのは妖怪屋敷と石の博物館が併設された「道の駅・大歩危」

昨夜はここで車泊させていただきました事、本当にありがたく感謝しています🙏🙏

この「大歩危」ですが、さすがは「児啼爺伝説:発祥地(水木先生・談)」だけあって、妖怪の姿も見覚えのあるものばかり。でもご亭主殿に頼んで参加してもらった顔出しは、誰もその存在に気がついて貰えませんでした😅

岩石・鉱物が展示された石の博物館「ラピス大歩危 」。マスコットキャラクターはラテン語で『石』『宝石』を意味する名前の『ラピスちゃん』

「大歩危駅」に寄ったのだから「小歩危駅」もと言うことで、急遽の寄り道。道路の隅に作られた結構な数の急な石段を登った先が「小歩危駅」です。

駅からだと、さっき走ってきた道がこんな風に見えます😲。 毎日の足となる最寄の駅がこんな高い位置にあるなんて、ただ、驚きでした。

訪問日:2014年3月24日~25日

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「大歩危駅」の所在地、旧三好郡西祖谷山村(にしいややまそん)は、徳島県の北西部、吉野川の中流域東岸に位置した村です。北は三好郡三加茂町・井川町・池田町、西は三好郡山城町、東は三好郡東祖谷山村、南は長岡郡大豊町に隣接。屋島の戦いに敗れた平家の落人伝説や阿波山岳武士の伝説が残り、切り立った岩肌が広がる吉野川流域「大歩危」や祖谷川の渓谷に架かる「かずら橋で知られています。

明治22年(1889)、町村制の施行により、美馬郡東祖谷山村、美馬郡西祖谷山村が発足。

1950年、東祖谷山村、西祖谷山村が三好郡に編入。

昭和43年(1968)12月28日制定の村章は「「にい」を図案化したものです。」

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「小歩危駅」の所在地、旧三好郡山城町(やましろちょう)は、徳島県の北部最西端、吉野川の中流域西岸に位置した町です。北は三好郡池田町、南には三好郡西祖谷山村、西は愛媛県四国中央市、南は高知県長岡郡大豊町に隣接。高知県いの町を水源とする吉野川が町東端を南北に貫き、愛媛県新居浜市を水源とする銅山川が町北部を東西に貫いて、吉野川に合流。三傍示山が町南西部と愛媛県四国中央市と高知県長岡郡大豊町に跨り、山間へき地で平坦な個所が極めて少なく、総面積に占める森林面積の割合は 85% にものぼります。「町の木:杉」「町の花:アンズ」「町の鳥:メジロ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、三好郡山城谷村・三名村が発足。

1956年、山城谷村と三名村が合併、町制を施行し改称して、三好郡山城町が発足。

昭和41年(1966)10月1日制定の町章は「頭文字の「山」を図案化したものです。」

訪問日:2014年3月25日

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比較的快適に走れていた県道32号線から、国道319号線に入り、高知自動車道新宮ICに向かったのですが・・・まさかこんな酷道とは😱。
見通しは悪いわ、一車線だわ、たまにハイスピードで地元車らしい対向車は来るわ😭 国道だからと油断した!次回は絶対に遠回りする!!

合併した旧自治体は別にして、「上勝町」「那賀町」「神山町」「石井町」「佐那河内村」が未訪問。これらの地を再度訪れる事が出来るかどうかは神のみぞ知るですが・・多分無理だろうな。

徳島県のご当地マンホールは、2014年3月25日の三好市をもって終了。明日からは愛媛県のマンホール・神社仏閣・名所に旧跡&迷所の紹介です。

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池田うだつの町並み in 徳島県三好市池田

2020年10月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・徳島県

三好市池田町の観光メインは、100年以上前のたばこ業者の住まいを利用した「池田うだつの家・たばこ資料館」。ところが「資料館」は工事中、入館は可能だったのですが、目当ては建物だったので諦めて退散😔。

貞光・脇町と続いての「池田うだつの町並み」。期待していた分、少々アテが外れてしまった感は否めません。それでも折角来たのだからと旧街道に残る古いたたずまいの家を探しながら町歩き🚶🚶

何だろう・・・この無理やり感一杯のそぞろ歩き😔❓ なんか違う!絶対に間違ってる!

それでも転んでもタダではおきない関西人😅 来たからには何かしら面白い発見が無くては! という事で、とあるお屋敷の軒先の装飾瓦。さして珍しくも無いものと言われそうですが、この大黒様・・・👀がね・・ちゃんとあるんです。

屋根を見上げて「恵比寿様」にデジカメを向けていると、地元の方に「何がおるん?」と聞かれ、理由を話すと「地元に何十年も住んでいるけど、こんな瓦があったなんて始めて知ったわ!」と、感心しているのか、もしかしたら呆れられていたのかも😅

期待が大きかった分、外れた時はガッカリ感が半端無いのですが、それはこちらサイドの勝手な想い込み。

訪問日:2013年3月29日

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川島城&川島神社 in 徳島県吉野川市川島町

2020年10月20日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・徳島県

川島町のマンホールデザインに描かれた川島城。元亀3年(1572)、三好氏の家臣であった篠原長房が滅ぼされた後、その功績によりこの地を与えられた『川島兵衛之進(川島惟忠)』が長房の上桜城に代わって築いた城です。寛永15年(1638)の一国一城令により廃城。昭和56年(1981)、勤労者野外活動施設として模擬天守閣(レストハウス川島城)が建設されました。

天守閣は模擬ですが、曲輪跡は比較的よく残されており、市指定の史跡になっています。で・・・私たちの旅では頻繁に遭遇する「本日休館」😣。決して計画性が無い訳ではないのですが、長い旅の間ではどうしても起こり得ることです。

川島公園の一画に「♪阿波の川島 良いところ 昔床しい歴史の町よ~♪」で始まる「川島小唄」の歌詞碑。

川島城址に鎮座される「川島神社」。御祭神は『誉田別天皇・天日鷲命(あめのひわしのみこと)・菅原道真』

創建年は不詳。大正4年(1915)に行われた吉野川の改修により、善入寺島(ぜんにゅうじとう)の浮島八幡宮を中心に、一帯の神社43社と合祀。大正5年(1916)に新たに川島神社として創建されました。

御神域を守護されるのは、くりくり目玉が愛嬌のある狛犬さん一対。吽形さんは立派な角を、阿形さんは飛びっきりの笑顔で参拝者を迎えてくれます。

木鼻から参拝者を見下ろす獅子と龍。ビックリしたように飛び出した目が特徴的ですが、もしかして玉が入れられていたのかもしれません。

拝殿の屋根、唐獅子と牡丹の花に守られるように置かれた御神紋、これがとても珍しい形。 下り藤に右三巴、下は覗き菊菱?? 単体なのか、幾つかの紋を組み合わせたものなのか、いずれにしても初めて目にしたもので神紋・家紋等で調べてみましたが、該当するものはありません。御亭主殿曰、幾つかの神社を合祀していると言う事なので、合わせて創られた紋かもしれないと・・

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入場券が受験生を中心に大人気となったことで知られる「学(がく)駅」。存在は知っていましたが、こんな所で遭遇するとは思ってもいませんでした😃。ちなみに今でも硬券の入場券を発売しており、特に五枚セットは「5入学=御入学に繋がるとして受験生関係の方達に人気だそうです。

ちなみにこの入場券を五枚まとめこ購入されると「赤・紫・水色」いずれかのお守り袋が無料で貰えます。成すべきことをした後は、ゲン担ぎだって、神頼みだってアリ!!受験生の皆さん、頑張って!!

訪問日:2014年3月24日

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ふらり鴨島~町歩きi in 徳島県吉野川市鴨島町

2020年10月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・徳島県

主にマンホール探しが目的の町歩き、スタートは旧鴨島町の中心部にある鴨島駅。駅前には大正時代の浅草で「喜劇王」として名を売った「初代:曾我廼家五九郎」の碑が建立されています。

近くにあった石灯籠には【五九郎の 風刺眼鏡の 枠にあり】作者不明。

彼の当たり役となった「ノンキナトウサンの碑」もありますが、碑と言うよりも、台座と言う感じ😅

この『曾我廼家五九郎』さんですが、なんと「かもじま駅前まちづくり会議」の役員になって、「ごくろうさんのまちづくり」を推進しています。

次に訪ねたのは鴨島町西麻植。吉野川遊園地の跡地に位置する「江川湧水源」。環境省選定全国名水百選に選定されており、県の天然記念物にも指定されています。

夏季は10度前後に下がり、冬季は20度前後に上昇。異常水温と呼ばれる現象だそうですが、そのメカニズムは解明されていません。湧水池の表面をじっと見てると、何箇所かで水が湧き出しているのが見えます。

駐車場近くで見つけた句碑【オアシスと いふは知らねど 草清水】作者不明

訪問日:2014年3月24日

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阿波の土柱 in 徳島県阿波市

2020年10月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・徳島県

その存在を知ったのは、次の目的地に向かう途中の「徳島自動車道上り線:阿波パーキングエリア」。道の駅同様、SA・PAだってその気になれば面白発見が一杯ある筈。期待は敵中で、とても気になる観光案内を見つけました。

「悠久の時の流れが生み出した大地の芸術「阿波の土柱」。 この地は、100万年程前に土砂が堆積した扇状地が地震活動により隆起した場所。この隆起した山の一部が、豪雨や地震によって崩壊し、その後、雨水によって土が削られ、長い年月をかけて形づくられました。~中略~周辺には5ヶ所の土柱が点在しています。中でも、一番大きな波濤嶽は昭和9年5月1日に国の天然記念物に指定されました。」阿波市HPより

大体に置いて地質学とか植物学とかには全く造詣のない二人😅。これまで「天然記念物」なるものを見ても、ほぼ7割がたは「・・なんかようわからんけど、きっと専門的には凄いものなんだよね・・」と、全くといって良いほど無知をさらけ出してきました😔
が、これだけの煽り文句にこの写真、これは貴重な3割に該当するかもしれない!。しかもPAを降りなくても歩いて行けるとあれば、もう行くしかない!!きっともの凄いチャンスなんですよ!! 折からの陽気に満開のサクラ。その上に見える不思議なヒダを見せる山肌・・これはもしかしなくても「当たり!!」の天然記念物😄!

遊歩道沿いを登っていくと、早速、大好きな句碑や歌碑に出迎えられて、テンションは上がりっぱなし😍

【阿波の名所の波濤嶽は 土のはしらの あるところ 野口雨情】

【黄せきれい  来ては  土柱の 襞濃くす  高井北杜】

眼前に広がるのは阿波市HPに記載されていた一番大きな「波濤嶽」。昔「波濤万里洋々と~」という歌詞の唱歌があったのですが、実際にこんな風に波が立ったら、もう恐怖以外の何者でもない😱

今私達が目にしている「波濤嶽」の説明では、高さ10m前後の柱が南北約90m、東西約50mの範囲にわたっているとか。規模の大きさ、今まで目にした事も無いその情景は「流石!天然記念物」と、おバカな二人を充分に納得させる凄さ。

自然界が生み出した奇跡の景観「阿波の土柱」は、四国八十八景、とくしま八十八景に選定。さらにアメリカのロッキー山脈、イタリアのチロル地方の土柱と並んで「世界三大奇勝」と称されています。

訪問日:2013年3月30日

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脇町:うだつの町並み~其の二 in 徳島県美馬町脇町

2020年10月14日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・徳島県

歴史的景観を見事に残した「脇町:卯建の町並」。これほどの規模になると周囲の景観にも十分に気を使わなければなりません。 たとえそれが公共施設であっても・・否、公共施設だからこそ町並みに相応しい佇まいが求められるのです。真っ白の漆喰壁に「虫籠(むしこ)窓」、装飾瓦が見事な「卯建」が施された建物は「美馬市立図書館」。

こんな図書館なら一日中でも引き篭もっていられそう・・と言うのは、私がいわゆる「よそから来た者」だから😅。でも本当にステキ過ぎて、つい誰かに自慢したくなる施設であることは間違い有りません。

うだつの町並みのほぼ外れに近い場所に、いかにも歴史的な佇まいを思わせる「美馬市観光文化資料館」。明治時代の「旧徳島地方法務局脇町支局内税務署庁舎」と・・舌を噛みそうな、長い名前の建物写真を参考にして改装した建物には、うだつの町並みの資料などが展示されています。

町歩きの途中、木立の中から偶然垣間見たステキ洋風建築。上げ下げ窓の色合いや木目の壁などからそれなりに歴史を持つ建物と思われますが、こうしたものが普通に存在するのも、歴史を持つ町ならではの事。

町並から外れた一画に、漆喰と妙に相性の良い(と、私は思っている)煉瓦造りの裏門を見つけました。覗き込んでの確認は出来ませんが、何とも良い風情。

振り向いた目の先に見えた大屋根は、鎌倉時代の開創といわれる「最明寺」のものでしょうか? 鬼瓦も良いのですが、今回は懸魚(げぎょ)の海亀さんが、何ともいえぬ味わい深さを醸しています。

川向こうでひときわ目を引く建物は「脇町劇場(オデオン座)」。回り舞台や花道なども備えた劇場で、昭和9年(1934)に創建、1995年に閉館されるまで、主に映画館として利用されていました。

老朽化などの理由に寄り、閉館後に取り壊しが決まっていた「オデオン座」。それを救ったのは、西田敏行主演の「映画:虹をつかむ男」の舞台となった事。この映画のヒットによって知名度が上がった事を受け、市指定文化財として修復され一般公開されています。

藍の集散地として栄えた脇町。己の財力を誇示し、見事に「うだつ」をあげた商人たちの歴史が刻まれた町歩きも、そろそろ終わりに近づいて来ました。

「脇町:うだつの町並み」は「四国八十八景・とくしま八十八景・にし阿波お勧めビューポイント100選・都市景観100選・日本の道100選・美しい日本の歴史的風土100選・阿波歴史文化道」「国重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。

訪問日:2013年3月30日

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脇町:うだつの町並み~其の一 in 徳島県美馬町脇町

2020年10月13日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・徳島県

江戸時代、藍づくりが阿波の代表的産業として急速に広がると共に、陸上交通と水運に恵まれた脇町は藍の集散地として非常な繁栄を見せることとなりました。それと共に商いに成功した商人達は、自らの繁栄ぶりを顕示するかのように、豪勢な「卯建(うだつ)」をあげた町屋を建てました。脇町南町通り、400mにわたって連なる「うだつの町並み」が、今も往時の隆盛を伝えています。

前回のつるぎ町:貞光でも触れましたが、「卯建(うだつ)」とは簡単に言えば「隣家との境界に取り付けられた土造りの防火壁」。漆喰で塗りこめた壁は万が一の際の貰い火を防ぐものとして、古い商家の町並などでは特に多く見られます。

こちらのお宅は隣家がくっついておらず独立した状態の為、脇町では珍しい二層卯建を綺麗に見ることができます。

用途は同じでも地域によって様々な特徴を持つ「卯建」。岐阜県の美濃では、屋根に合わせて、起(むく)りの形状になった卯建が主流でした。

また長野県の海野宿では、防火の範囲を更に広くした「袖卯建」が多く見られました。

それらは観光地として有名な場所である事から、全国的によく知られています。ですが、そうでなくとも、古い町並みを歩けば大小の如何に関わらず様々な「卯建」を目にすることが出来ます。

話が逸れましたが、さすが財を成した商人達がその繁栄ぶりを顕示する手段とした「うだつの町並」。その規模と美しさはどれほど見ても見飽きることはありません。

初めての徳島県の訪問ではかなり重きを置いた「脇町の町歩き」。時間はたっぷり取ってもらいました😄 竹簾の美しさに思わず足を止めて早速の記念写真。店先には「阿波踊り竹人形の里・時代屋」の看板。

店先にいた私達の声が耳にはいったらしく、ご主人から中にどうぞと声をかけて頂き、厚かましくもお邪魔させていただくことに。作業台の上に所狭しと並べられた竹人形の数々。こんな間近に製作現場を見られるなんて、なんと言う有難い幸運!!

後から知ったのですが今にも踊りだしそうな竹人形の製作者は「阿波の名工・藤澤英文氏」。前もって調べてきたわけではないので、この出会いは本当に嬉しいものでした。個人の一ブログですが、改めて心よりお礼申し上げます🙏🙏

「枡に上」の文字が染め抜かれた太鼓暖簾のお宅は、「藍商佐直吉田家住宅」。寛政4年(1792)創業の藍商で、脇町では一、二を争う豪商であったといわれています。

正木酒店で見つけた【うだつのあがる酒】。これを飲めばご亭主殿の「うだつも更にあがる」かな? だからって買いませんからね!と念押ししたのに、いつの間にかご亭主殿の背中のバッグがポッコリ😅

次から次へと現れる美しいうだつの数々。上を向いてばかりなので気がつくとすっかり肩こり状態😓 、お年寄りの仕草よろしく肩をトントンしながら、それでもやっぱり目線は上😄

滑車のついた「つるべ式」の共同井戸は文化10年(1823)につくられたものだとか。きっと商家の女性陣にとっては格好の社交場になっていたのでしょうね。

一軒一軒、全ての家屋がこの美しい景観の中のピースとして隙間なく埋め尽くされている「脇町:うだつの町並」。今度はもう少し違った目線で見た景色をと言う事で・・・・明日に続きます。

訪問日:2013年3月30日

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ふらり~貞光の町歩き~其の二 in 徳島県つるぎ町貞光

2020年10月10日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・徳島県

昨日に続く貞光の町歩き、卯建の町並からほんの少し西に入った住宅地の中、土の色が目に優しい築地塀の中に「旧永井家庄屋屋敷」があるという事で、残り少ない時間を気にしながらも入ってみることに。

約550坪の広大な敷地の中には、寛政3年(1791)建築の茅葺き屋根の母屋や、蔵・ネドコ2棟等の建物群があり、また、井戸や鶴亀蓬莱園など、いずれも必見の価値あるものばかり。

当然の事ながら閉館時間ギリギリ。あれもこれも、あそこも此処も見るべき物はいくつもあったのですが、殆ど駆け足状態という勿体無い結果となりました。

せめてもう一時間早く立ち寄れればと思っても後の祭。次の目的地の予定もびっしりでは、どこかで線引きは必要。19946年2月18日、つるぎ町指定有形文化財となった「旧永井家庄屋屋敷」。剣山を思わせる茅葺屋根の三角形だけが記憶に残りました。

つるぎ町貞光字町に鎮座される「松尾神社」。御祭神は『大山咋神』。酒造の神として県内酒造家の尊信を受けています。

鳥居の内、拝殿近くより神域を守護されるのは体の割りに小顔の狛犬さん一対。憮然とした表情の吽形さん、それを見ていかにも楽しそうに笑う阿形さん😅

「境内社:天満宮」。小さな祠の左右には梅の木が植えられており、何故か撫で牛ではなく、一対の狸さんが奉納されています。

訪問日:2013年3月29日

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ふらり~貞光の町歩き~其の一 in 徳島県つるぎ町貞光

2020年10月09日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・徳島県

江戸時代から葉たばこの産地として繁栄し、商業の町として古くから栄えてきた貞光。商いによって富を成した商人たちは、その富を象徴させるかのように、「二層うだつ」と呼ばれる立派な「卯建(うだつ)」を造ったと言われています。

酒造業を営む商家として明治初期に再建され、隆盛を極めた町並みのさきがけとなった「織本屋」。2006年に国登録有形文化財の指定を受けています。

紺の暖簾の向こうから鼻腔を直撃する匂いを漂わせているのは「飯田食堂」。「卯建(うだつ)」には粋を凝らした美しい「鏝絵」が施されており、しばし釘付けの二人・・もちろん営業妨害にならないように離れた位置から😅

鏝絵の題材は「鯉の滝登り」。竜門を登ることのできた鯉は竜になるという故事から、立身出世の例えによく使われる図柄です。

元来防火用の袖壁として用をなしていた「うだつ」は、やがて富を誇る象徴として使われるようになり、それぞれに趣向を凝らしたものとなりました。

二層式の「卯建」というだけでもウハウハなのに😍、左官職人の技量が光る「鏝絵」が施されているとあっては、もう眼福の言葉しか出てきません。なんと言っても「鏝絵」見たさに、西は石見から、東は伊豆、富山まで出向いた程の好き物・・って、範囲狭っ!😆

鏝絵の題材は、寿福や防火を祈念するものが多く、それはこの貞光も特に変わりません。しかしながら、同じ題材を描いても、職人の腕一つで実に様々な表情が生まれるのです。

左の画像は遠すぎて不鮮明ですが、尾の形から見て「虎」でしょうか? 右の画像は岩を噛んで流れ落ちる滝のようですね。水しぶきの中にモミジが浮かんでいます。

「卯建」と鏝絵に主役の座を奪われがちな飾り瓦ですが、これが中々に侮れないものが多く、いつもの口癖の「もうちょっと良いデジカメを・・」の恨み節😔
高砂の松を背景に箒を持つ「尉と姥」。微妙な袖の流れや髪型、表情等々、いやもうどれをとっても最高!!

お隣の大屋根の上では、瓦芸術の代名詞といっても過言ではない「鬼瓦」が、何と「鍾馗」を従えて睨みを利かせています。

脇門屋根の留蓋にいるのは、これは多分「波兎」。火除けの呪いや子孫繁栄の象徴としてもよく使われる題材ですが、なんとも可愛らしい表情。

同じく水に関わりのある「海亀」、火除け、長寿の縁起物として多く使われています。この亀自体はそんなに古いものではないようですが、飛び出したように見える目が面白かったので😅

卯建の町並から一転、思わず目を見張る鮮やかな色彩の建物は、昭和7年(1932)に芝居小屋として建てられた「貞光劇場」。その後映画館に転じて営業を続けましたが、2011年に休館となりました。

珍しく時間をかけて歩いた「貞光の町歩き」、続きは明日。

訪問日:2013年3月29日

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医王山:薬王寺(やくおうじ) in 徳島県美波町

2020年09月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・徳島県

美波町奥河内に境内を構える「薬王寺(やくおうじ)」。高野山真言宗の寺院で、四国八十八箇所霊場の第二十三番札所。「医王山(いおうざん)無量寿院(むりょうじゅいん)」『薬師如来』を本尊とし、厄除けの寺として知られています。

これまで何度も四国八十八箇所の側まで行きながら、きちんと参拝した霊場が足摺岬の一ヶ寺のみと言うのは如何なものかと・・😔 そろそろ何かと不調を抱えるお年頃になった我々二人と友人j🐣さん、厄除の霊験あらたかな薬王寺にお参りする事にしました。

サクラの季節にはまだ少し早いけれど、ピンクの提灯がずっと奥まで誘ってくれる参道をひたすら歩く、歩く。こういうのって、進む先を見ながら歩くのは、先が長いって実感してしまうから余計疲れるんだそうです。😅

「聖武天皇(在位724〜49)の勅願によって行基菩薩が開創したとされる。弘仁6年(815)、弘法大師が42歳のとき自分と衆生の厄除けを祈願して一刀三礼し、厄除薬師如来坐像を彫造して本尊とし、厄除けの根本祈願寺とした。大師は、この厄除け本尊の功徳を平城天皇、嵯峨天皇、淳和天皇の3代に相次いで奏上したところ、各天皇は厚く帰依し、厄除けの勅使を下して官寺とされた。 文治四年(1188)、火災で諸堂を焼失。このとき厄除け本尊は、光を放ちながら飛び去り、奥の院・玉厨子山に自ら避難した。のちに後嵯峨天皇が伽藍を再建して新しい薬師如来像を開眼供養すると、避難していた本尊が再び光を放って戻り、後ろ向きに厨子に入られたと伝えられる。以来、「後ろ向き薬師」として秘仏にされている。」公式HPより

山の上だからね、階段が多いのは仕方ないんだよ・・・・病が癒える前に足が壊れそうな気もするけど😭  さぁ、この女厄坂を登り切ったら目指す本堂はもうすぐ!!

でもこれでも男厄坂に比べたらずっとマシ!上から見下ろした石段の恐怖と言ったら・・・😱 ご亭主殿!!頑張って!

本堂の前で神妙に手を合わせ、願うのはご亭主殿の息災、愛する我が子の息災、わが身の息災・・・おのれの厄も、心寄せる大切な人たちの厄も、お祓いくださいますように🙏🙏。

さて、無事にお参りも済ませることが出来ました😊。此処から先は恒例の「寺社建築に見る彫刻の美」。なんて大層に言ってますが、単に趣味に走ってるだけ。さすがに歴史ある薬王寺の本堂、手挟みの鳳凰の優雅で美しいことと言ったら!🌸!

手挟みも良いけど、この貫の龍なんてどうよ。クイッと曲がった爪の鋭さ、見返る体の柔らかさ、さすがは龍神様に祀られるのも頷ける貫禄だね🍀

それを言うんなら、木鼻の獅子だって、流石に定番だけあって安定のかっこ良さじゃないの!🐣!・・・と三者それぞれ、自分の一押し彫刻の自慢に余念がありません。

ひとしきり騒いだ後は最後にもう一度、厄災消除を願いつつ、真言を唱えながら数え年の数だけ「随求の鐘」を叩きます。

【おん ばらばら さんばら さんばら いんじりや びしゅだに うんうん ろろしゃれい そわか】

 
 ご詠歌【皆人の  病みぬる年の 薬王寺 瑠璃の薬を 与えましませ】

参拝日:2014年3月23日

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