車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

安産(あんざん)神社 in 千葉県香取市小見川

2019年10月31日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

香取市下小川に鎮座される「安産(あんざん)神社」。御祭神は『仲哀天皇、神功皇后、応神天皇』

「創建は応和2年(961)肥前国松浦郡・小川神功社より、神功皇后の三韓征伐の折携帯されていた、鎮懐石の模安産石を納め奉り、「白幡大明神」と称した。文政6年(1823)正月7日、弊拝殿新築の際、神祇管より「安産神社」の社号を賜り、その後、明治41年12月に「熊野大神」を合祀。」

拝殿前より神域を守護されるのは、阿吽共に子狛と玉を持つ、昭和15年(1940)建立の江戸流れ狛犬さん。 実はこの神社、道一本間違えて進入してしまって、たまたま鳥居の前にマンホールが有ったので停車してもらって・・

その結果、こんなに心惹かれる狛犬さんに出会えたのですから、これはもう奇跡の出会い。御亭主殿の嬉しそうな事と言ったら😊 親狛の手の下で無心に遊ぶ仔狛、顔よりも大きな鞠を掴んで噛み付く姿が、何とも愛おしい!

鞠を手にする吽形さん・・・・の手元には、小さな鞠にじゃれて遊ぶ仔狛の姿もあります。

仔狛さんは親狛の持つ鞠の隙間に潜り込んで、もっと小さな毬に噛みついて遊んでいるのです。だから最初は鞠が二つ?と思ったのですが、こんなに出来のよい狛犬さんに出会えるなんて、絶対に「呼ばれた!!」のです😍

「境内拡張ノ記」と題された板碑には、「安産神社」の創立由来に関する事が刻まれています。

「神武天皇遥拝所」と刻まれた碑。

「信行霊神」とは、末法思想からの救済を説いたと云われる僧の霊を神格化したものでしょうか? 色々とググって見ましたがどうも良く分かりません。

境内の一画には上記の碑以外にも、たくさんの「庚申塔」や「末社碑」が建立されています。 全ての碑に拝礼し、今回の僥倖を感謝しつつ、この先の旅の無事を、改めて願って来ました🙏🙏。

参拝日:2019年3月13日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご当地マンホール in 千葉県旧小見川町(香取市)

2019年10月30日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・千葉県

旧香取郡小見川町(おみがわまち)は千葉県の北東部、関東平野に位置した町です。佐原市、香取郡:栗源町、山田町、東庄町に隣接。利根川下流域に面する水郷地域内に位置し、西部と東部には丘陵が見られます。「町の木 :イブキ」「 町の花:ハナショウブ」「町の鳥:オオセッカ」「町の魚 :フナ」を制定。

古代において、小見川の大部分は海であり、陸地部には縄文人が住み着いていたため、現在でもその地域には貝塚が多数存在しています。町域には4~6世紀に作られた、三之分目大塚山古墳や、城山の古墳群など100基程が見つかっており、旧庁舎の敷地内には、城山第一号古墳出土品の「三角縁神獣鏡」などに関する案内がありました。

また「順天堂医院」の初代院長となった『佐藤尚中』の誕生地には、立派な記念碑などが残されています。

明治22年(1889)、町村制の施行により香取郡小見川町・豊浦村・神里村・森山村・良文村が発足。

1951年、小見川町、豊浦村、神里村、森山村が合併し、新たに小見川町が発足。

1955年、香取郡良文村と合併、小見川町が発足。

2006年、佐原市、香取郡栗源町、山田町と合併、香取市が発足となりました。

昭和36年4月7日制定の町章は「中の図形は洋々たる水をあらわし、水郷の邑小見川を意味し、円によって団結と和を表敬している。」合併協議会資料より 

小見川町は町章のある規格マンホールのみです。

上水道関連では町章付き「消火栓」

町章付き「小見川町外2町消防組合 平成3防火貯水槽」

「○」の中に小の文字の知章付き「仕切弁」「空気弁」「空気弁付き消火栓」。

こちらの「消火栓」の知章に関しては、調査不足で確実な情報が見つかりませんでした。

「小見川町外2町消防組合 平成11防火貯水槽」と書かれた防火貯水槽。この地域の管轄は「香取広域 市町村圏事務組合消防本部」。小見川町外2町とあるのは、香取郡山田町、東庄町を指します。

撮影日:2014年5月18日&2019年3月13日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横利根閘門(よことねこうもん) in 千葉県香取市

2019年10月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

関西人にとって「利根川」というのは、ああ、ずいぶん遠くまで来たんだなと思わせる名称。 もちろん、東北や北海道・九州のほうが遠いのですが、色んな媒体で耳にする回数からするととにかく多い。「利根の川風」とか「大利根の月夜」とか(これ・・分かる人っているんだろうか)とにかく、私には、馴染み深い名称😅

その馴染み深い「利根」に横がついた横利根川って??一体どんな川なのか、実は期待で一杯。 しかもその横利根に大正10年(1921)に作られた、重要文化財の煉瓦造りの閘門があると言うのですから、これはもう行かなきゃ!。

ちなみに横利根川で調べたところ、茨城県と千葉県の県境の一部をなす、延長約 6kmの水路・・  水路ぉ~!? 川じゃなくて?? もうこの時点でびっくりしすぎて言葉を失いましたが😲

ただし、水路とはいってもそこは利根の名前を持つ川だけに、幅約 100m、水深は3mもあります。 「横利根閘門(よことねこうもん)」は、その県境に位置する利根川改修工事の一部として着工されたとHPに記載がありました。

七年の歳月をかけて完成した閘門は、閘室と、閘室の両端にある閘扉室で構成されています。 専門的な知識は皆無なので、何がどうという説明は全く出来ませんが、兎にも角にもに美しい光景です。

今も現役なのかどうか・・もしかしたら展示として置かれているのか、巨大な歯車もあります。 多分これを使って閘室の扉を開閉したんだろうなと言う程度の知識ですが、迫力は満点。良い物を見せて頂きました。

訪問日:2014年5月17日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご当地マンホール in 千葉県香取市

2019年10月28日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・千葉県

香取市(かとりし)は千葉県の北東部に位置する市です。2006年3月27日に、佐原市と香取郡小見川町、山田町、栗源町が合併して発足しました。成田市、匝瑳市、旭市、香取郡:神崎町、多古町、東庄町に、また県を跨いで茨城県:稲敷市、潮来市、神栖市に隣接。「かとり」の語源については、「梶取」「神鳥」「鹿取」など諸説ありますが、「香取」の表記は万葉集・2436番「大船の香取の海に・・・」に見る事ができます。

小江戸三市の一つで市域は水の郷百選、水郷地帯は水郷筑波国定公園、佐原の町並みは重要伝統的建造物群保存地区、商家町の歴史的町並みは日本遺産に認定されています。「市の木:桜」「市の花:アヤメ」「市の鳥:ヨシキリ」を制定。

キャッチフレーズは「元気と笑顔があふれるまち 一人ひとりの市民が輝く 活力みなぎる やすらぎの郷 香取」

マンホールは旧佐原市のデザインに、自治体名を「かとり」に変更。「あやめが咲く水郷佐原の原風景、川の中まで入って鮒を釣る人」が絵画風に描かれています。

2006年9月3日制定の市章は「 美しい水辺の自然、広大な水田と里山の自然、未来に広がる青空を香取市(Katori)の頭文字「K」に重ね、鳥の羽ばたく形にシンボライズ。躍動感ある形は、香取市の美しく雄大な自然と未来への発展を象徴しています。」HPより

上水道関連は、市章付きの「消火栓」4種

撮影日:2014年5月18日&2019年3月15日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

月崎(つきざき)駅 in 千葉県市原市

2019年10月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

市原市月崎にある小湊鉄道線「月崎(つきざき)駅」。大正15年(1926)9月1日に開業した駅です。 立ち寄り地として全く予定していなかったのですが、たまたま通りがかりに見た景色に惹かれ、急遽、立ち寄る事に決定。

駅前の案内には、市原市田淵の地球磁場逆転地層、いわゆる「チバニアン」の最寄駅である旨が詳しく書かれています。 また、2017年5月2日に「本屋及びプラットホーム」が、国登録有形文化財になった旨も記載されています。立ち寄って正解みたい😄

なんとも良い雰囲気に気を良くして近くをうろついていると、電車が入ってくる様子。慌ててホームへ取って返し、デジカメの準備をしながら近づいてくる車体を待つ二人。

入ってきたのは「小湊鐵道」で運行する、養老渓谷駅行きの「機関車と里山トロッコ列車」。思わず「ラッキ~~~~!😍!😍」

後で色々調べたところ、この機関車は「小湊鐵道」で実際に走っていたものを再現したとか。いやぁ偶然ですが、良い物が見られました。これも日頃の行いが・・とご亭主殿😅

いつかこんな列車に乗ってみたいねと話しながら、去ってゆく「里山トロッコ列車」を見送ります。 線路の向こうに遠ざかる姿を見送る・・、それだけで小編の物語が書けそうな、そう私って実は中途半端な文学少女だったのです😉

折角なのでもう少しと辺りをうろついていると、小さなな通路のような隧道跡を発見。 もしかして上り線への通路として使われていたものでしょうか?なんだかよく分かりませんが、でもただ見過ごすには捨てがたい魅力があります。

蔦に覆われた建物は「旧保線員詰所」、建物を覆う苔は、実は人為的に壁面に貼り付けられたモノだそうです。旧詰所を利用した建物は、「いちはらアート×ミックス2014」の時に「森ラジオ」と名づけられ、この形になったと後で知りました。

「ここに行く」と決めた目的地も良いですが、偶然見つけた素敵な場所は又格別なもの。 本当はこんな風に余裕を持って、足の向くままに旅が出来れば・・きっと素敵なんでしょうがねぇ~、中々そこまで余裕が持てない貧乏性なんです。

訪問日:2019年3月7日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

郡本(こおりもと)八幡神社 in 千葉県市原市

2019年10月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

市原市郡本に鎮座される「郡本(こおりもと)八幡神社」。御祭神は『誉田別命』

創建時期等の詳細は不詳ですが、奈良時代の上総國「市原郡衙(ぐんが)」の地とされています。 本殿は異様なほど鮮やかな丹塗りで、一瞬「稲荷の社」を想像し、後で社額を見直した程。

拝殿はネットで見た時は本殿同様、丹塗りの真っ赤な建物でしたが、今は「丹」の片鱗すらなく、全く面影もありません。 いつから変わったのか調べてもよく分からず、ちょっと期待していただけに残念。

拝殿前から神域を守護されるのは、延享5年(1748)8月建立「江戸中狛犬」。「江戸の初め」の狛犬に続く年代だから「江戸中」だそうで、単純明快な分類。

それにしても立派な顎のお髭(狛犬さんだから顎鬚は変ですが)、丸っこい体に短目の脚・・ 顔の造作と体のバランスが、まるで別物を繋ぎ合わせたように見える、不思議な一対。

境内の一画に建立されていた「郡本青年団 団歌」の碑。この町の青年団は今でも活発な活動がされているようですね。 私が育った町にも「青年団」なるものがあり、子供会の世話や消防団のお手伝い等をしていて随分と良くしていただきました。とても懐かしい思い出です。

御神木の「郡本八幡神社のイチョウ」。その樹齢は200~300年と推定されています。

神社周辺は市原郡家の比定地とされ、参道付近には建物の礎石とされる石も安置されています。 この「石祠」が何を祀ったものかは不明ですが、遺跡発掘の経過上の「何か」かもしれません。

参拝日:2019年3月19日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飯香岡(いいがおか)八幡宮~其の三 in 千葉県市原市

2019年10月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

二日に渡った境内紹介、龍の口から御神水が流れ出ている「神龍泉」、とは言えお水取りが出来そうな量ではありません。 龍のお顔は何と言うか・・・真っ直ぐに立っているのは顎が疲れるのか、つっかい棒が必須ですね。

「飯香岡八幡宮」の境内には多くの文学碑や記念碑、銅像などが建立されており、どっちかというと「碑・像」マニアに近い私は境内を走り回っております😄 こちらの石碑は安政2年(1855)建立の「林文暁伝碑」【姓は岸本、名は信成、字祐助、文暁はその号なり。竹を愛して此君、林と称し、狂歌を嗜て有磯、浜人と号す。越中富山の城主佐々蔵助成政の胤なり。・・~中略~・・清貧に安んずること二十余年、天保十五季(年)甲辰の四月二日病を得て終に没す。八幡郷に住すること三十八年、齢八十二・・】

「林文暁伝碑」の隣には、享和三亥(1803)十二月吉日建立の石祠が奉祭された「道祖神」があります。

こちらの碑は明治40年(1907)建立で、元千葉県知事『月洲庵知雪』の句。

【名月や あさなき鳥も おきている】

拝殿近くには、二・二六事件を題材にした小説「叛乱」で直木賞を受賞した『立野信之』の文学碑。 ご亭主殿に聞いたところ、一応「叛乱」話題になった折に読んだそうです。

「日露戦役記念碑」と刻まれた石碑は、境内の裏手のほうにひっそりと建立されていました。

ここからは私の大好きな句碑・歌碑が続きますが、嬉しい事に碑の文字が全部解明されてます。安政二年乙卯(1855)正月建立『長四郎 一徳』

【御神楽の 拍子に昇る 初日かな】

安政二年乙卯(1855)四月建立の碑は【息災て 古稀の美空や はつ鴉】 

【ほととぎす 鳴き入る山の  月寂し】天名地鎮庵宗匠俳句碑

従一位源朝臣建通八十六齢 明治三十三年(1900)、飯香岡はかって御影山と称されていました。 【御影山  神のめてにし飯香岡  むかしをかけく 世に匂いけり】

万葉宗匠の句碑【見わたせば  花たたずむは さくらかな】

ここからは「銅像(胸像)」の紹介。トップは八幡の教育に貢献した『川上規矩(南洞)』先生。 明治31年(1898)、私財を投じて千葉県皇典講究所普通学郡を設立、子弟の教育に専念した人物です。

八幡町出身の『菅野儀作』像、参議院議員を3期勤め「県政界のドン」と評された人物だそうです。

『楠原三之助』像、神社に多大な貢献をされた人物ということですが、それ以外はよくわかりません。

『大岩幸男先生』は、潮干狩りで溺れた児童を助けようとして遭難、殉職した教師だそうです。 よく似た教師の殉職碑・・横芝光町の「成田山御本尊上陸の地」の近くでも見かけました。

参拝日:2019年3月19日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飯香岡(いいがおか)八幡宮~其の二 in 千葉県市原市

2019年10月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

昨日に続いての「飯香岡八幡宮」。御本殿の右奥には、香華もまだ瑞々しい「忠霊塔」が建立されています。「忠霊塔」の前には立派な歌碑が建立されており、碑文を読み進むうち目頭が熱くなりました。

【身をすてて いさををたてし人のなは  国の誉れと 共にのこさむ】明治天皇御製 日本国に存在しない「A級戦犯」を平気で口に出し、さかしらに平和を説く何処かのどなた!平和とはこうした方々の命によって贖(あがな)われたのです。

「忠霊塔」の手前に建立されている「凱旋碑」、「日清・日露」いずれかの記念碑と思われます。

「忠霊塔」に並ぶように、五つの境内社が本殿を見守るように、鎮座されています。 「ものがみの社」。御祭神は『八衢彦(やちまたひこ)命・八衢姫(やちまたひめ)命』

画像左・「金比羅神社」、御祭神は『大物主神』。古来より海の神様としての御神徳があります。画像右・「天神社」、御祭神は『菅原道真公』。古くより学問の神様として信仰を集めました。

画像左・「若宮神社」、若宮の名前の通り八幡神の御子神である『仁徳天皇』。画像右・「海辺神社」、御祭神は海上・海中・海底の神とされる『綿津見神三座』

上記の末社郡と対を成すような感じで、本殿と社務所の間に三つの末社が鎮座。「末社:大神宮」、伊勢神宮の外宮の神様で食を司るとされる『豊受毘売命』を祀ります。

画像左・「末社:飛鳥宮」には、勅命によって飯香岡八幡宮が鎮座した事に因み『天武天皇』を祀ります。 画像右・「摂社:高良大神」には『高良玉垂命』、相殿に『高御産霊神・神御産霊神』が祀られます。

本殿後方には、「羽黒山、月山、湯殿山」のそれぞれの神々を祀る「出羽三山神社」が鎮座。

「羽黒山」は『稲倉魂命』「月山」は『月読命』湯殿山は『大山祇命、大国主命、少彦名命』。 修験道を中心とした山岳信仰の場として有名で、ここに見られるように各地に勧請されています。

「出羽三山」の隣、鳥居の奥には、神格化された富士山が祀られる「浅間神社」が鎮座します。

そのすぐ近くには「富士塚」と呼ばれる小山があり、頂上には鳥居と祠が建立されています。 頂上までの途中には、富士山のお胎内を模した洞窟もあり、富士山好きには最高の眺め。

「飯香岡八幡宮」に隣接しているのか、敷地内なのか不明ですが、単独で祀られる「八坂神社」。御祭神は『須佐之男命』。他の摂・末社が並んで祀られているので、きっと境外社なのでしょう。

最期は、鳥居の奥に鎮座される「厳島神社」、周囲は水路のようですが、水は流れていません。 御祭神は『宗像三女神』とも、あるいは『弁財天』とも称される、水に縁の深い神様なのですが、何故水が無いのかは不明。

参拝日:2019年3月19日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飯香岡(いいがおか)八幡宮~其の一 in 千葉県市原市

2019年10月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

市原市八幡に鎮座される「飯香岡(いいがおか)八幡宮」。旧・上総國の国府總社に比定されます。

御祭神は中殿に『誉田別命』。左殿に『息長帯姫命』。右殿に『玉依姫命』。前殿に『猿田彦命』。左相殿に『日本武尊・足仲彦尊・経津主命』。 右相殿に『天穂日命・中筒男命・事代主命』

木製両部鳥居の扁額は天保12年(1841)の奉納、見事な登り龍と降り龍の彫刻が施されています。

境内由緒に【飯香岡八幡宮として鎮座する以前は六所御影神社と称したといわれ、白鳳年間(675年)、一国一社の八幡宮として勧請されたことに起源をもつという。天平宝字3年(759年)全国放生の地に鎮座する国府八幡宮と定められ、国府司祭の放生会を現在に伝える上総の国の古社の一つ。中世以降上総総社としての機能を持つ。その名残から、国府総社と尊称されている。 保元3年(1158)、山城国の石清水八幡宮『諸国荘園官符』に「上総国市原別宮」と記載され、石清水八幡宮別宮の市原八幡宮として中世以降、源氏・千葉氏・足利氏・徳川氏の崇敬を集めた。】

手水舎の前より神域を守護されるのは、大正六年(1917)九月吉日奉納の平ったいお顔の狛犬さん。頭の下にすぐ分厚い瞼が有って小さな鼻が有って大きな口が有って、何というか、とても機嫌よいお顔で参拝者を出迎えてくれます。

阿形さんと吽形さんの口の開きにはそんな差が無いように見えますが、でもちゃんと、微妙に違ってます。 厳つくも無く、猛々しくもない、顎の下を撫でられたら喉を鳴らしてくれそうな一対。

鳥居から真っ直ぐの拝殿は墨書銘によって元禄4年(1691)の建立とされます。正面5間、側面3間で、屋根は入母屋造、銅板葺。正面中央に千鳥破風をつけ、向拝中央は軒唐破風となった優美なつくりで、県指定有形文化財に選定。

拝殿後方には、室町時代中期(15世紀)と推定される、入母屋造、銅板葺の本殿が続きます。正面3間、側面2間の総丹塗り、屋根は銅板葺の入母屋造りの本殿は、国指定重要文化財に指定。本殿と拝殿は幣殿で繋がれ一体化した構造の権現造となっており、優美な姿を見せて鎮座されています。

飯香岡八幡宮本殿の右側には、千葉県指定天然記念物の「夫婦銀杏」が、枝を広げています。 社伝に、天武天皇4年の八幡宮勧請の際、「勅使:桜町中納言季満」によって植えられたと云われます。

夫婦銀杏の傍らには、中納言季満お手植えの際に詠んだ歌の碑が、明治24年に建立されています。
【君が為 けふ植そへし銀杏樹(ちちのみ)に  いく世経んとも 神やどるらん】 

もう一つの碑には【ちちの木の かみをたのまぬ  人なかりけり】『佐々木高行』

社殿の左側には、『源頼朝』が逆に植え根付いたとされる「倒いちょう」も高く聳えています。 どの木にも謂れがあり、それらを見て周るのもまた楽しみです。

境内の一画で存在感を主張する「神楽殿」。祭礼の時にはお神楽などで賑わうそうですが、今はただ静か。

「神楽殿」の近くには、いつのまにか住み着いてしまったという「鶏」が人懐こく近寄ってくれました。 こんなに人馴れしているんだから、神社で飼っている神鶏かと思ったのですが、実は違うそうです😅 ?? では何処から???

「放生池」は、仏教の戒律である「殺生戒」に基づいて、生物を放つ池を称した池の名称。 神仏習合によって神道にも取り入れられた儀式で、放生の地に鎮座する国府八幡宮ならではの景色。

もう一つ、境内に建立されていた「青面(しょうめん)金剛尊」の文字碑も、やはり仏教の庚申信仰から。「青面金剛明王」とも呼ばれ、「三尸(さんし)」を押さえる神とされています。

境内には、他にも多くの境内社や、興味深い歴史の一片を物語るものなどが沢山あります。 歌碑や句碑など、判読できるものもそうでない物も含めて、残りは明日・・・明後日まで続きます。

参拝日:2019年3月19日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご当地マンホールとマンホールカード in 千葉県市原市

2019年10月22日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・千葉県

市原市(いちはらし)は千葉県のほぼ中央に位置する市です。千葉市、茂原市、木更津市、君津市、袖ケ浦市、長生郡長柄町、長南町、夷隅郡大多喜町に隣接。県内では最も広い市域を有し、市北部には石油化学工業をはじめとする大手企業が多数進出し、コンビナート群を形成。市南部は養老渓谷に代表される水と緑豊かな里山の風景が広がります。さらに2020年1月、約77万年前の地磁気逆転現象が世界中で最もよく観察できる場所として、養老川流域田淵の地層が国際基準となったことにより、注目を集めています。「市の木:イチョウ」「市の花:コスモス」「市の鳥:鶯」を制定。

キャッチフレーズは「ともに輝く 元気なふるさと いちはら」

明治22年(1889)、町村制の施行により、市原郡鶴牧村・五井村・東海村・千種村・八幡町・菊間村・養老村・市西村・市東村・湿津村・海上村が発足。

1891年、五井村が町制を施行、市原郡五井町が発足。鶴牧村が町制を施行、改称し市原郡姉崎町が発足。

1954年、五井町と東海村が合併、二代目五井町が発足。

1955年、五井町と千種村が合併、第三次・五井町が発足。 市東村と湿津村が合併、市原郡市津村が発足。  八幡町と菊間村が合併、市原郡市原町が発足。  養老村と市西村が合併、市原郡三和町が発足。

1956年、市原郡市原町が海上村を編入。

1961年、市津村が町制を施行、市原郡市津町が発足。

1963年、市原町・姉崎町・五井町・市津町・三和町が合併、市原市が発足。

1967年、市原市が市原郡南総町・加茂村を編入

マンホールには「市の鳥:鶯」、上下に「市の木:銀杏、市の花:コスモス」がデザインされています。

中央に「銀杏、周囲に鶯とコスモス」がデザインされたマンホール。

農業集落排水のマンホールには、渓流を泳ぐ「アユ」、周囲に「稲穂」が描かれています

カラーデザインの防火水槽は中央に市章、三分割の中に鶯とコスモス、銀杏が描かれています。(五井駅西口駐輪場の建物の壁際に設置)

昭和38年9月27日制定の市章は「「市」をデザイン化し、和と団結を象徴し併せて産業と文化交通の飛躍発展を表します。」

市章が入った消火栓には、纏を片手に持ち、もう一方の手に消火栓の札を乗せて差し出す、可愛い火消し君がデザインされています。

上水道関連の蓋は「防火水槽・仕切弁・空気弁付き消火栓・消火栓」で、それぞれに市章があります。

他には、旧:千葉県水道局章付きの「仕切弁」と、古い字体の無印制水弁がありました。

市原市マスコットキャラクター『オッサくん』、市の鳥「ウグイス」がモチーフで、頭には市の花「コスモス」が満開。名前の「オッサ」とは、市原の方言で「そうだよ」という意味です。

撮影日:2014年5月21日&2019年3月19日

------------------------00----------------------

マンホールカード、頂きました。

2019年12月14日、第11弾として全国63自治体で66種類(累計502自治体605種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「市原市」のマンホールカードは、「上総更級公園 公園センター」でいただけます。

1997年に設置開始されたマンホールには「市の鳥:鶯」「市の木:銀杏、市の花:コスモス」がデザインされています。

「市原市のシンボル(木・花・鳥)として、たくましさと青葉が「緑と太陽のまちづくり」にふさわしい「イチョウ」、一本一本では目立たなくてもまとまれば美しく可憐で強い「コスモス」、一足先に春を告げ、市内全域でその美しい声が聞かれる「ウグイス」を定めています。 マンホール蓋のデザインはこれらのシンボルを用い、助け合いとふれあいを大切にするとともに活気に満ちた新しいまちづくりを表現しており、下水道のイメージを明るくクリーンな印象に変え、親しみを持ってもらうために製作しました。 JR五井駅周辺ほか、市内の一部に設置されていますので是非探索してください。」

------------------------00----------------------

2014年5月の車泊旅では市原町にある「道の駅:あずの里」にて車中泊をさせていただきました。 新鮮なお野菜が一杯の明るい店内は、ついつい居心地良くてお財布も顔も緩みっぱなし😄
車で旅をする私達にとって、こうした施設は、本当にありがたく大切な場所です。

改めて、その折は有難うございました 🙏🙏

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする