車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 山口県旧大畠町(柳井市)

2024年06月30日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・山口県

旧玖珂郡大畠町(おおばたけちょう)は山口県の南東部、周防灘と安芸灘を結ぶ大畠瀬戸に面していた町です。柳井市、由宇町、周防大島町に隣接。瀬戸内海国立公園の一部である自然景観を有し、海上交通の要所としても知られていました。大畠瀬戸を挟んで対岸には屋代島(周防大島)が迫り、同島へは大島大橋が架橋されています。「町の木:モクセイ」「町の花:ツツジ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により玖珂郡鳴門村・神代村が発足。

1955年、鳴門村と、神代村本谷東・本谷西・神代浦・石神浦地区が合併、玖珂郡大畠村が発足。

1971年、大畠村が町制を施行、玖珂郡大畠町となる。

2005年、柳井市と合併し、柳井市大畠になりました。

マンホールには、「大島大橋」と「大畠瀬戸の海で跳ねる2匹の鯛」がデザインされています。

「大島大橋」

「大島大橋」と「日本三大潮流の一つ:瀬戸のうず潮に跳ねる鯛」がデザインされています。

「大島大橋」と「瀬戸のうず潮」

穏やかな大畠瀬戸と、特産の「ミカン」がデザインされています。

大畠遠崎地区のマンホールには、銀杏を中心に「町の花:ツツジ」がデザインされています。

大畠神代殿畑地区のマンホールには、「岩尾の滝」がデザインされています。

「岩尾の滝」

特産のミカンがデザインされた消火栓。

特産のミカンがデザインされた仕切弁。

昭和39年(1964)10月6日制定の町章は「「大」を図案化したもので、昭和30年(1955)に大畠村章として制定され、町制施行後に継承されました」

町章付きの量水器

撮影日:2013年4月19日&2015年11月17日&2017年11月28日

🍀明日は、幕末に海防論を説いた勤王僧「月性」の紹介です

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柳井散策~あちこちウォッチ in 山口県柳井市

2024年06月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

白壁の町並みと金魚提灯で語られる柳井の重伝建地区ですが、実はそれだけではありません。柳井市内で見かけた素敵な建物、気になる名所、例によって例の如くの???🤔な珍名所。でもってトップは、恒例の「ご当地郵便ポスト in 巨大金魚提灯」

柳井駅前広場にある「金魚提灯オブジェの時計台」。二度目の訪問ではちゃんと正面から(笑)

柳井駅南の児童公園に静態保存されている「C50-125号機」

国産初の大型旅客車 8620形の後継機として昭和4年(1929)に登場。動輪の軸数によってアルファベットの表記「C50形」と呼ばれました。

麗都路(れとろ)通りに設置された「レトロギャラリー:有田焼の懐かしい風景」。こんな素敵な建物もあったんだね。

麗都路(れとろ)通りの交差点に建つ「煉瓦造りのオルゴールの館:グリム」。

日本初の50弁のオルゴールからは、日本でただ1人のオルゴール作曲家『橋本勇夫氏』のオリジナル曲が、15分毎に美しい音色を響かせています。

麗都路ポシェットパークには、金魚ちょうちんのモニュメントが。初めて見た時は「えらい可愛い顔のタコやなぁ~ ほんでも足が5本しかないわ?💦」。「普通に考えたら「金魚」ってわかるやろ?!、何でタコやねん!!」と、ご亭主殿より定番のツッコミも頂きました😆😆

巨大金魚と・・青い支柱は柳のつもりかな?

そんなこんなで、金魚の番頭さん、今日のお店の一押しは何ですか?

柳井市姫田の一画に残る「国木田独歩旧宅」。国木田独歩は、20歳から22歳の間をこの旧宅で過ごしました。ここには独歩が愛用していた机や月琴などが納められ、周囲の閑静な佇まいが今も当時の雰囲気を残しています。

独歩旧宅からほど近くの高台に建つ「光台寺」。中国明朝様式で造られたちょっと変わった風貌の楼門です。この楼門の下で手をたたくと、ワンワン・・・と反響するので、別名「ワンワン寺」とも言われ、人々に親しまれています。と・・これもHPの受け売り。

かつて光台寺周辺は国木田独歩の散歩道だったことから、楼門右手側に「国木田独歩曽遊の地」碑が建っています。

楼門から見る柳井の甍の波。

余田地区の一画に見つけた「租税完納塔」「余田村は、大正3年から37年間、国税と地方税を併せて完納し続けてきた村で、それが評価され、昭和25年度に大蔵大臣と国税庁長官から同時に納税表彰されました。この受彰を報じた当時の大蔵省機関紙によれば、当時の村長は《大正2年だけ完納が途絶えたが、これがなければ明治22年から62年間完納だった》と述べています。」国税庁HPより

訪問日:2013年4月19日&2017年11月28日

 

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旧周防銀行本店(町並み資料館) in 山口県柳井市柳井津

2024年06月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

今日は少し趣向を変えて、白壁通りから柳井駅に向かう途中、柳井市柳井津金屋地区に建つ「町並み資料館」😀 

木造2階建、鉄板葺。壁は石造風に目地を切ったモルタル塗り。旧周防銀行本店として明治40年(1907)に建築された山口県内では最古の銀行建築。原設計は日本銀行技師の『長野宇平治』、実施設計『佐藤節雄』によって建築。当時の銀行の重厚な姿を今日に伝える、日本でも数少ない建物の一として、2000年12月4日:登録有形文化財(建造物)に指定されました。

明治31年、地元有力者らの出資により設立された周防銀行。一時は第百十(だいひゃくじゅう)国立銀行(現山口銀行)を抜き、明治末期には山口県下最大の銀行となりましたが、その後に経営が傾き、大正3年に倒産。その後は百十銀行や山口銀行の店舗として使われました。

1階は、町並み資料館として町並み保存地区の町家模型や市内の観光スポットのパネルなどを展示。

2階は、柳井市出身の歌手で昭和の日本歌謡界に多くの足跡を残された『故松島詩子氏』を記念し、氏が生前愛用・所蔵されていた遺品の一部を展示しています。

で・・『松島詩子さん』がどのような方なのか・・実は全く存じません。懐メロ好きの母の影響で、年齢詐称疑惑まで持たれる私ですが・・代表曲と言われる「マロニアの木陰」も帰宅後にユーチューブで聴いてみましたが、やっぱり初耳でした。「松島詩子さん」、無知な私でごめんなさい🙇

かけ足っぽい訪問でしたが、色々と貴重なお話を聞かせて下さった係りの方には、心からお礼申し上げます。11年を経ての「ありがとうございました」🙏。4年後の再訪ではお会いできず、残念でした。

最後に、上の画像右後ろにある銀行の大金庫。その前にとてもユニークな「お鐘金魚」が鎮座しています😲。ここにコインを入れると数秒間、部屋に金属系の澄んだ音が響くのですが、コインの重さによって音の鳴り方、響き方が変わるのです。

「硬貨を上から入れてみて下さい。いい音が聞こえたら綺麗なお金が巡ってくるかもしれません。お鐘金魚の中を通ったお金は「お守り」 お金を呼んで願いが叶うかも」
ご亭主殿は100円を。私は50円と10円で・・確かに金額が高くなる程、高く澄んだ音になります。

4年後に同行したJ🐣さん、100円玉を入れてお守りにすると申しております。😍

4年後の私は、この時の為に用意しておいた500円玉で。音色を楽しんだお金は取り出し、横に用意されている袋に入れて持ち帰れます。

建物を辞して、私はあるものを探してウロウロ(笑)。それは2013年にお見掛けした『国木田独歩』氏の胸像の、反対側の角に・・・

「読書の戒」の碑。「書を読むは多きを 貧るにあらず 唯章句熟読を要す静思すること久しければ 義理自然に貫通す 独歩」昭和39年11月3日に建立。

訪問日:2013年4月19日&2017年11月28日

 

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柳井街歩き~其の三 in 山口県柳井市

2024年06月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

「佐川醤油」さんにお邪魔した後は、すぐ近くにある「やない西蔵」へ。こちらで、あの幻の「伝統工芸品:柳井縞」の機織り現場を見せて頂けるとの事で楽しみにしていたのです。

「柳井縞」は木綿糸をつかった縦じま模様の織物で、江戸時代から高い品質で定評がありました。大正時代、国内の織物業が衰退したことで、柳井縞も途絶えてしまい、以後「幻の織物」と言われていました。1994年にその再復興をめざす「柳井縞の会」が発足し、以来、織の技術の習得や研究をすすめています。その現場を拝見できるなんて、着物好きには至福の一時。🙏

ちなみに明治時代に作詞された鉄道唱歌に「風に糸よる柳井津の、港にひびく産物は、甘露醤油に柳井縞、からき浮世の塩の味」と歌われた二つの名物。両方とも見せて頂き、心から感謝です😀。

さて、西蔵から少し戻ると、江戸時代にこの突き当たりにあった豪商「かけ屋」の名が付けられた「掛屋小路(かけやしょうじ)」があります。左の建物の横にある看板は「カニ横断注意」

路地の裏通りは柳井川の水路に面している関係からか、カニが路上を横切ることが良くあるそうで、同じような看板を随所で目にしました。

路地を入って柳井川の岸辺に。川沿いには荷物の上げ下ろしに使用されていた「雁木(がんぎ)」と呼ばれる石段がいくつか設けられています。

干潟で遊ぶ白鷺たち・・実に長閑な風景です。

寛文3年(1663)に干拓された古開作と、柳井津側を結ぶ唯一の橋として架けられた「宝来橋」。かっては「古市橋」や「善元橋」とも呼ばれていましたが、明治15年(1882)に「商品は宝物で、その荷が来ることによって町が富む」という事から「宝来橋」と名付けられました。

橋のたもとには、船が入港する時に目印とした「沖見石灯篭」や、当時火災が頻発した柳井に、人々が火よけを祈願して建立した「愛宕地蔵(火伏地蔵)」が祀られ、今も静かに町並みを見守り続けています。

お地蔵様に出会えた幸せに手を合わせ、「きじや」さんの店先に祀られるお地蔵様に、旅の無事を願って手を合わせます🙏。

柳井と言えば「金魚ちょうちん」が真っ先に思い浮かぶほど、すでに景色の一つにもなった「金魚ちょうちん」。立ち並ぶ白壁土蔵のお店では、さまざまに形を変えた金魚提灯が販売されており、それを見て歩くだけでも一日がつぶせます😅

町の顔とも言える「金魚ちょうちんの誕生」はおよそ150年前。まだ白壁の町が現役だった頃、柳井の染色職人が青森のねぶたをヒントに作ったと言われています。先祖の迎え火として、親が作り与えた金魚ちょうちんを、子どもたちが片手に下げて白壁の町を練りあるく。そんな光景が夏の風物詩でした。

この伝統はいったん途絶えたものの戦後になって復活。その立役者が『河村信男』さん。と書きだすと長くなるので興味のある方は、二つのリンクを参照してください。

訪問日:2013年4月19日&2017年11月28日

 

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柳井街歩き~其の二「甘露醤油」 in 山口県柳井市

2024年06月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

柳井白壁重伝建地区の街歩き、二日目の今日は、2017年の二度目の訪問で、j🐣さんが一緒。観光案内所の方が写して下さった一緒の写真から。

広場の片隅に建立された文学碑には、松本清張「花実のない森」の一節が刻まれています。「柳井市は降りただけで旧い町だと知れた。珍しい町の風景だ。近年、こういう古めかしい場所がだんだん少なくなっている。世に有名なのは、伊豆の下田と備中の倉敷だが、ここにもそれに負けないような土蔵造りの家が並んでいる・・・」

トップは18世紀後半に建てられた土蔵造、二階建、妻入りの「国森家住宅」


油の製造、販売を営んでいた商家で、建物内は、細部まで往時のままに保存されており、内部見学も可能。当時の商人の暮らしぶりを、垣間見ることができます。

金魚提灯と犬矢来が不思議なコントラストを見せる「国森家住宅」。江戸時代中期の豪商の家造りの典型として、1974年2月5日、国重要文化財に指定されました。

白壁の町並みに揺れる赤と白の金魚提灯。まるで祭りの雪洞のようにも見えて、形容しがたい不思議な雰囲気を作り上げています。

昨日のブログで紹介した「重枝醸造の甘露醤油」。柳井には二軒の醸造所があると紹介しましたが、もう一軒がこちらの「佐川醤油店」

入口前には「醤油醸造にかかせない仕込水」。地下70mより汲み上げる地下水は、当地の琴石山系の伏流水。醤油の仕込みに使用されています。という事でお水はご自由にご利用くださいと、とても有難い案内ですが・・流石に街歩きにペットボトル持参は重すぎて😭

美味しいお水は諦めて、こちらの醤油蔵は「甘露醤油資料館」として一般に公開されており見学も可能。

公式HPには「創業以来、杉の三十石桶で醸造する伝統の製法を今尚頑なに守り続け、通常の手造り醤油の二倍の歳月と手間をかけて造られる、芳醇な香りと風味の絶品の再仕込み醤油。その深くまろやかな味わいを、どうぞご家庭でごゆっくりお楽しみください。」

四年の歳月を経ても、ちっとも変わらないひんやりとした空気。蔵の歴史を刻む大きな杉桶、ほのかに甘い醤油のかおり・・ああ、なんて懐かしい。

カウンターにズラリと並んだ銘品の数々。最初の訪問では既に甘露醤油を買った後だったので、醤油を使った「うめ風味ごまふりかけ」。絶品の美味しさだったので田舎の実家用と義姉と近所の仲良しさんと、友人j🐣さんの分に、自分用の予備も合わせてのお買い上げ。荷物持ちさん、ちょっと大きな袋になりましたが、よろしく😆

二度目の2017年は、あの美味しい甘露醤油の味が忘れ難く、こちらにて自分用と義姉へのお土産用に甘露醤油300mlを。j🐣さん、どれもこれも捨てがたく悩みまくってます😅

「天明年間、時の岩国藩主吉川公は、柳井津に美味なる醤油有りとの報に、これを所望。そこで、特に醸造の秘技を凝らした再仕込醤油を献上したところ、その芳醇な味と香りに思わず「甘露、甘露」と歓声を洩らされたと伝えられています。」と、これは公式HPよりの受け売り😊

優しいしつらえの庭。柔らかな景色に心癒されて、佐川醤油店を後にします。

真っ直ぐに続く石畳の道。軒をそろえて並ぶ白壁土蔵の建物。塵一つない往来は、この町を愛して守る人たちの心意気。

ほんわかと温かい心を更に癒してくれる気持ちよさそうな眠り猫。こんな風に旅先で出会う猫さんを見ると決まって思う事は・・「きちんとお家で飼われている飼い猫さんでありますように🙏」

訪問日:2013年4月19日&2017年11月28日

 

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柳井街歩き~其の一 in 山口県柳井市

2024年06月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

白壁の町並みに赤い金魚がふ~わりと泳ぐ・・。ずっと、ず~っと昔、旅のパンフレットの中に見たその光景の中に、現実の私が立っている😍。

2013年4月、春の日差しは時に汗ばむほどの陽気で、私たちを出迎えてくれました。笹の葉に吊るされた金魚提灯の可愛い事💕 長旅の中の一日、お天気に文句は言えないけれど、やっぱりお日様の下は何もかもキラキラと輝いて見えます。

「柳井市古市金屋伝統的建造物群保存地区」、昭和59年に全国で20番目の重要伝統的建造物群保存地区として選定され た、古市金屋地区の白壁の町並み。こんな素敵なシチュエーションにも拘らず、愛妻の為にマンホールを探して歩くご亭主殿。 とりあえず予定の物はGetしたので、もう大丈夫ですよ~😊

という事で、無料開放されていた「しらかべ学遊館」。興味深い民俗資料の展示に、金魚提灯。その場に居られた地元の方が、巨大金魚提灯を持たせてくれて、記念撮影までして下さいました😍。

お話を伺うと丁度町屋を修理中で一服していたとか。話の流れで「四階楼」の保存修理工事をされた聞き、しばらく四階楼の素晴らしさに話が弾みました。棟梁の話に興味津々の二人に、工事の様子を見ていくかとお声掛けを頂き、恐縮しつつも厚かましく、棟梁の後に😀

この竹組は、何と床の間の裏側。人目に触れない場所でありながら、職人の拘りがこんなにも見事な仕上げになったと話してくれる棟梁。

微妙に曲線を描く天井の梁。こんなに丁寧に内部を見学できるなんて、恵まれすぎて心配になる、根っから小心者の二人😅 11年も昔の事なのに、今でも思い出すと心が温かくなります。

二階からの眺めも見せて頂きました。

このあと柳井の名産「甘露醤油」の話になり、そこから、醸造元の「重枝醸」に出向いて建物内部の見学迄させて頂き、もう何とお礼を言って良いのやら🙏

調味料でさえも苦手が多く、好き嫌いの激しい私ですが、お醤油の良い香りは嗅ぎ分けられるくらい好き(笑)

甘露しょうゆは、一度出来上がった醤油に、もう一度こうじを加えて再仕込みしたもので「とろみと濃厚な旨味」が特徴。時の藩主吉川公にも愛されたそうで、その伝統の味は市内に残る2軒の醤油蔵で今も守られています。そんなこんなで、「甘露醤油菰包み300ml¥750」。お刺身大好きなご亭主殿には最高のお土産になりました。

さぁ、予定外の幸運で思いがけなく時間が過ぎてしまいましたが、重伝建地区の街歩き、再開です。

柳井市が作成した保存地区の概要には「本町通りに面してたつ町家は妻入、本瓦葺、二階建で、漆喰壁の大壁造を基本とする。中に平入りのものが混じるが、前面の庇の軒線はそろい、町並みに統一感をあたえ、また2階壁面に開く窓は、建ちの高い建物の正面の意匠を調和よいものにし、漆喰壁の白壁に深い陰影をつけ、大壁造の重厚な町家をひきたたせている。」

昔の「引き札」が沢山展示されているお店がありました。ガラス越しなのでまともに見られるのはこれくらいかな? 酒類特約販売の青井商店さん。酒屋さんの引き札なのに可愛い坊ちゃん&嬢ちゃんにペットの仔犬。今なら三角メガネのヒステリックおば様に絶対に糾弾されそう💦

「初日の出に和船、遠方に汽船が見える」と説明付き

呉服太物・小袖を商うお店の引き札は、恵比須:大国様。滅茶苦茶繁盛してそう感が凄~く縁起良さげ😆😆

どこのお店にも、どの建物にも欠かせない金魚提灯、おや?あの金魚君。壁にくっついている・・・?!

と目を凝らして見れば、なんと!ご亭主の大好きな鏝絵の金魚😲

これでも結構端折っている柳井の白壁重伝建地区。まだまだ終わりません💦

訪問日:2013年4月19日

 

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ご当地マンホール in 山口県旧柳井市(柳井市)

2024年06月24日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・山口県

旧柳井市(やないし)は山口県東部、瀬戸内海の室津半島のつけ根に位置した町です。上関町、平生町、田布施町、光市、由宇町、周東町、周防大島町、大畠町に隣接。古くから海上交通の要衝として栄え、古墳時代、源平時代、江戸、幕末と多くの先達がここを往来し、特に江戸時代には、岩国藩のお納戸と呼ばれるほどの商都として賑わってきました。「市の木:柳」「市の花:ツツジ」を制定。

柳井市柳井新町、「湘江庵」の境内にある「柳と井戸」。「今から1400年前、豊後の国の娘である般若姫が橘豊日皇子に召されて海上を上京の途中、この柳井の地に上陸して水を求められました。姫はこの時飲んだ清水が大変美味しかったので、そのお礼に大事に持っておられた不老長寿の楊枝を井戸の側に刺されると、不思議にもそれが一夜にして芽を吹き、やがて大きな柳の木になったと伝えられています。「柳井」の地名はこの柳と井戸の伝説によってつけられたそうです。」現地案内より

現在の柳は五代目だそうで、四代目の柳の切り株が保存展示されています。

明治22年(1889)、町村制の施行により玖珂郡柳井津町・柳井村・古開作村・日積村・新庄村・余田村・伊陸村、大島郡平郡村、熊毛郡伊保庄村・伊保庄南村が発足。

1901年、伊保庄南村が改称し、熊毛郡阿月村となる。

1905年、柳井村・柳井津町・古開作村が合併し、玖珂郡柳井町が発足。

1954年、玖珂郡柳井町・日積村・新庄村・余田村・伊陸村が合併し、柳井市(第1次)が発足。

1954年、大島郡平郡村を編入。

1956年、熊毛郡阿月村、伊保庄村を編入。

柳井市余田北地区の農業集落排水マンホールには、赤子山の北麓斜面にある野生ので、昭和8年に国の天然記念物として指定された「余田臥龍梅」がデザインされています。

柳井市余田中央地区の農業集落排水マンホール。梅の木のデザインが異なっています。

柳井市役所旧余田出張所玄関前の展示蓋

遠崎地区のマンホールには、中央にイチョウの葉、周囲に市の花ツツジが描かれています。

盛大に水を吐く金魚の、ナンバー枠付き消火栓。

昭和29年(1954)9月6日制定の市章は「全体で「ヤナ」を図案化したもの」

「柳井市」「量水器」の記載

「電気」「柳井市」の記載

撮影日:2015年11月14日&2017年11月30日

🌸明日は柳井市古市金屋伝統的建造物群保存地区の紹介です

 

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ご当地マンホール in 山口県柳井市

2024年06月23日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・山口県

柳井市(やないし)は山口県の南東部、室津半島の東岸から付け根に位置し、総面積の半分以上が山地丘陵地で占められています。2005年2月21日、玖珂郡大畠町と合併し、改めて柳井市(第2次)が発足しました。上関町、平生町、田布施町、光市、岩国市、周防大島町に、また海上を隔てて愛媛県:大洲市に隣接。日本でも有数の日照時間の長さを誇る地域で、おだやかな気候と、自然豊かな風土に恵まれています。「市の木:やなぎ、もくせい」「市の花:ツツジ、サルビア」を制定。

キャッチフレーズは「人が輝く・夢が生まれる 瀬戸内のふれあい元気都市」

マンホールには、古市金屋伝統的建造物群保存地区「白かべの町並み」が、カラーでデザインされています。

「白かべの町並み」

柳井市役所内展示マンホールと消火栓

盛大に水を吐く金魚の消火栓

伝統工芸品の金魚提灯がデザインされたカラー消火栓

伝統工芸品の金魚提灯がデザインされた仕切弁

「伝統工芸品・金魚提灯」

柳井地域広域水道企業団のマンホール。「柳井地域 広域水道 送水管空気弁」の文字。柳井市・岩国市由宇町・周防大島町・上関町・田布施町・平生町をカバー。

排水弁

2005年10月1日制定の市章は「柳井のY、柳の葉、豊かな自然、さわやかに流れる風と波。円で表した井戸と大きく包み込む人、そして海。しなやかに飛躍する柳井市。」公式HPより

2013年に誕生した、柳井市観光マスコットキャラクター『ハレマル』。お日様のたまごから生まれた、金魚ちょうちんが大好きな王子様。太陽の王冠と地下足袋がチャームポイントだそうです。

金魚帽子をかぶったJ🐣さんを真ん中に、観光案内の方がシャッターを担当して下さいました😅

撮影日:2015年11月14日&2017年11月30日

🌸明日は旧柳井市の紹介です

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上関町あちこちウォッチ in 山口県上関町

2024年06月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

昔から防長の三海関の一つに数えられた室津~上関間-170mの上関海峡。今も1日約千隻の船が通過しており、偶然その近くにいた私たちでさえ、こんな光景を見る事が出来ます。

この海峡を結ぶ上関大橋は、昭和44年(1969)6月に完成。付近は、旧砲台跡や毛利水軍本陣跡などの史跡がある景勝地として知られています。

手前は「室津灯台」。橋の向こうが「長島」で町役場などの公的機関は長島地区に集約されています。長島の横に見えるのが多分「横島」。後方にかすんで見えるのが多分「天田島」・・何というあやふやな説明😓

上関大橋・本土側の右手緑地に立つ「吉田松陰詩碑」

明治維新の原動力となった吉田松陰は、嘉永6年(1853)2月2日に江戸遊学の途上、室津に立ち寄り、室津の日和山を見学しました。同年10月、ロシアの軍艦に乗り込むために江戸から長崎に向かう途中、再び室津に立ち寄り、その時に詠んだ詩が刻まれています。

鳩子の湯駐車場の一画に「室津小学校跡地」の碑。室津小学校は明治七年に開校し平成十八年に上関小学校に統合になり廃校になりました。「朝鮮館」の碑には、朝鮮に渡った室津の人が、故郷の小学校に講堂を寄付した事が記されています。

在りし日の室津小学校

「室津渡船場」。知る人ぞ知る「猫の島:祝島」にはここから定期船で約40分だそうです🐈

県道23号線を一歩山側に入った道筋には、江戸時代に漁港として繁栄した往時の名残を残す建物があり、独特の懐かしい雰囲気を伝えています。

位置的に言うと丁度「四階楼」の裏手にあたる高台に門を構える「常満寺」。開祖は平氏の武将『佐原十郎盛光』と伝えられ、享保12年(1727)に寺堂が火災に遭い、元文4年(1739)にこの地に移転。天然記念物の大銀杏を見たくて参拝しました。

寺の移転の際、境内にあった銀杏の木を伐採しようという話が出たそうですが、銀杏は火災の際、水を噴いて火難から守ってくれると言い伝えられていた為、保存することになったと言われています。

根元周囲約10m、幹周り6m、樹高約30mの雌樹。昔は、火難(家難)を免れるためにこの木を廻る風習があったとか。遠く離れた土地の者ですが、見事な巨木に家難の無き事を願いましょう🙏

上関町を後に・・、別れを惜しんで見上げた「四階楼」「常満寺の大銀杏」

訪問日:2013年4月18日&2015年11月16日&2017年11月28日

 

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四階楼(しかいろう) in 山口県上関町室津

2024年06月21日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

上関町室津築出町に残る、擬洋風建築「四階楼(しかいろう)」

文化遺産オンラインに「寄棟造、桟瓦葺の木造四階建で正面に玄関庇を付け、背面南北両端にはヴェランダ付きの切妻造、桟瓦葺で二階建の角屋を突き出す。外部は大壁造漆喰塗で蛇腹を廻し、軒庇に垂れ壁を付け隅にコーナーストーン型を漆喰でつくる。」

四階四隅の丸柱には「昇り龍」の鏝絵

二階軒庇垂れ壁には「牡丹」の鏝絵。

日本間で言うところの床の間にあたる壁には鏝絵の「菊水紋」。1999年の保存修理前には崩落寸前でしたが、修理の際、鏝絵に和紙を貼るなどの補強をして一旦取り外し、後補(こうほ)で塗られていたペンキを落としてから、壁に再び取り付けられました。

三階北の六畳間にある「唐獅子牡丹」の鏝絵。

同じく三階四畳半の天井四隅には「椿」の鏝絵。

四階の四方の壁に嵌めこまれた「フランスのステンドグラス」。その不思議な明かりが作り出す色の中に座っていると、全てが現実離れして思えるのです。

ご亭主殿!!上!!上~~~!!😲上に巨大な蜘蛛が!!

本当は漆喰鏝絵の「鳳凰」・・・なのですが、画像で見ると巨大な羽を持つ蜘蛛・・😱。いやこれはもう完全に私が蜘蛛が苦手なのと、尾羽が・・足のように見えて・・!鳳凰さ~ん!!ごめんなさい😅

という事で「四階楼」の案内をして下さった係りの方とツーショット💕

擬洋風建築の四階楼が完成したのは明治12年(1879)の事。施工主は幕末に第二騎兵隊の参謀を勤め、明治維新後に故郷に戻り回漕業や汽船宿を営んだ『小方謙九郎(おがたけんくろう)』。取引先の人々や船主らを商売上もてなすために建てたものです。擬洋風建築とは日本の大工が自分達の技術で西洋の外観などを模した和洋折衷の建物をいいます。棟梁は地元室津の『吉﨑治兵衛(よしざき じひょうえ)』

2017年、友人のJ🐣さんが加わって三人での四階楼。

目に入る景色は4年前と変わっていない筈なのに、春から秋に移り変わった季節は、室内に差し込む光さえも模様替えをして二度目の私たちを楽しませてくれるのです。

ガラスを通して差し込む夕日の柱に向かって、ひたすらに突き進む一対の唐獅子。

両開きの玄関ドア

1999年に保存修理工事が行われた「四階楼」は、西日本に遺された数少ない漆喰塗系擬洋風建築として、2005年に国の重要文化財に指定されました。

ライトアップされた四階楼(2015年)

訪問日:2013年4月18日&2017年11月28日

 

コメント (4)
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