車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール~其の二 in 山口県山口市湯田温泉

2024年01月31日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

湯田温泉地区のマンホール・其の二は、山口市の中心街を東西に貫く旧山陰道の湯田温泉エリア。「維新街道」と名付けられたの通りのマンホールには、西洋式銃を構える鉄砲隊がデザインされています。

井上馨の生誕地跡に整備された「井上公園」の一画。「公園通り」のマンホールは、白狐が温泉を発見したという伝説にちなんで行われる「湯田温泉白狐まつり」。参加者は白狐の面をつけて踊ります。

「湯田温泉白狐まつり」に繰り出される白狐の神輿と、たいまつ行列。

公園通りの川面に揺れる、ゲンジボタルの光

「えびす通り」のマンホールは「湯田温泉白狐まつり」で神輿を担ぐ人々

神輿の前後を照らす、「湯田温泉白狐まつり」のたいまつ行列

揃いの浴衣で踊るのは、祭りに色を添える女子衆。大きな団扇は誰が持ってきたのかな?

「ほろよい通り」、祭りの後のお楽しみ。ほろ酔い気分で手にするマイク、ここはやっぱりデュエットでなくちゃ♪

温泉通りの酒場には、徳利にぐい飲みが良く似合う。「ほろほろ酔うて 木の葉ふる 山頭火」

「山頭火通り」は縄のれんと赤ちょうちん。「しぐれへ 三日月へ 酒買ひに行く 山頭火」

「ちん〇こも お〇そも 湧いてあふれる湯 山頭火」・・〇は自粛(笑)

「酔うて こほろぎと 寝てるだよ 山頭火」

湯の町通りと公園通りを結ぶ路地の一画、『中原中也(なかはらちゅうや)』記念館がある「中也通り」では、どんなに贔屓目に見ても太目の猫にしか見えない招き狐さんが要所要所の道案内兼:お店の紹介をしてくれます。

「中也通り」は、中也の帽子と、懐かしい故郷の山や川

中也の帽子と「詩集:在りし日の歌」

中也の帽子に降りしきるのは、雪?それとも花びら?

中也通りは仕切弁も、やっぱり帽子と詩集

『中原中也』の生家跡に建てられた「中原中也誕生の地」碑。

ラストはどこにでもある「温泉用の仕切弁」。

撮影日:2012年11月18日&2015年11月11日

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ご当地マンホール~其の一 in 山口県山口市湯田温泉

2024年01月30日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・山口県

膨大な数の山口市マンホール、今回は山口市湯田にある「湯田温泉」から。

湯田温泉街限定のマンホールは「おいでませ駅前通り」、「白狐とSL山口号」。時期が合えば駅に停車するSL山口号が見られたのですが・・残念。

同じように見えますが上は左に、こちらは右に目を配ってます。ついでにSL山口号も正面アップ。時期が合えば走るSL山口号が見られたのですが・・って、こればっかり(^^;)

「山口七夕ちょうちん祭り」のマンホールに出迎えられて、いざ湯田温泉街へ(^▽^)/

けがをした白狐が傷を癒していたという伝説が伝わることから「白狐の湯」とも呼ばれる「湯田温泉」。白狐が見つけた湯田温泉物語、「湯の町通り」。其の一から其の六まで、マンホールで辿る「湯田温泉物語」。

其の一:湯田の権現山の麓にあるお寺の側に、小さな池がありました。

其の二:ある晩、和尚さんはその池に傷ついた狐がやって来て、静に体を浸している姿を目撃します。

其の三:何をしているのかと不思議に思った和尚さんが池に手を浸してビックリ、ほんのりと温かいではありませんか!

其の四:そこで池を深く掘ってゆくと何とお湯が噴出し、しかも金色の「薬師如来像」が現われたのです。

其の五:驚き喜んだ和尚さんは池を屋根で覆い、傍らに仏堂を建てて薬師如来像を安置し、 湯田温泉をお守りいただく仏様としてお祀りしました。

其の六:気持ちよさそうに温泉に入って寛ぐ和尚さん。以来、沢山の人々が薬師如来を礼拝しては温泉に入るようになり、それによって不治の病はたちまちよくなり、みんな健康に暮らせるようになりましたとさ。目出度し、めでたし(^-^)

湯の町通りの仕切弁はお湯で温まる白狐

空気弁は、和尚さんにスキミングされてる入浴中の白狐

「元湯通り」、川下りのお客さん、これからどちらへ?

もちろん。湯田温泉まで一風呂浴びに~♪

仲良し親子の先客ありかぁ、仕方ない、空くまで待つとするかな。おっと、尻尾がはみ出しちまったぜ(-_-;)

「温泉通り」は、ほんわか温泉一人(一匹?)占めで寛ぐ、元祖温泉発見者のお狐様。今宵も良いお湯加減~🦊

いや~~~ええお湯どすなぁ~、色白お肌もすべすべどすぇ~♪

指しつ指されつ、ゆったりのんびり、久しぶりの水入らず。お前さん、もう一杯🍶如何?

いつの間にか家族が増えて、みんな揃って仲良し親子の温泉旅。

色んなことがあったけど、こうやって二人でゆっくりのんびり温泉が、わしらには最高だわな~。ほんにねぇ~。

まだまだ続く「湯田温泉街のマンホール」もう暫くお付き合いを(^^;)

撮影日:2012年11月18日&2015年11月11日

 

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旧野村酒造建物(まなび館) in 山口県山口市下竪小路

2024年01月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

萩往還道路、竪小路に面した木造2階建ての重厚な建物は「旧野村酒造建物」。伝統工芸常設展示施設「山口ふるさと伝承総合センター:まなび館」として広く一般公開されています。

「明治十九年に酒造商家として建築されたもので、木造二階建て建築面積は延べ四一八平方メートルです。母屋土蔵茶室裏に酒醸造場がありました。母屋は旧萩往還筋に面し、屋根は瓦葺き切妻造り、屋根は二段になっており高い方が主屋、低い方が土間になっています。材は松材を主とし、一部に欅材が使われ長押や梁には太い材が配してあり、重厚な建物となっています。この建物は、昭和五九年に野村益治氏から寄贈され平成二年度に山口市長寿社会対策事業の一環として改築整備したものです。」公式HPより

建物内のショーケースには萩焼や大内塗などがパネルと共に展示されており、いずれも興味深い内容。頭上の梁にあるのは「大内菱」。唐花菱紋が使われているのは、大内氏が渡来人の多々良氏を祖先としていることに由来しているから・・というのは、当時のご亭主殿の受け売り(笑)

山口市の伝統工芸品「大内人形」。行く先々、様々な媒体に登場し、もはや「山口市のスーパーキャラクター」と言っても過言では無いかも。

ちなみにJR山口駅前には巨大な大内人形「フシノのお殿様&お姫様」が仲良く並んで、観光客を出迎えてくれます。

定番の記念写真、大内人形になり切って如何ですか?

と、横道に逸れかけましたが(^^;) 山口の七夕を彩る「七夕ちょうちん祭り」

当然のことながら、公式HPに紹介されている様子とは随分と違っているかもしれませんが、でも多分二階から見る市街の景色は変わっていないはず。

案内をして下さる女性は、やはりとても優しく親切で、ここというポイントごとにシャッターを押してくださいます。風景写真は絵葉書でも充分。でも旅の記念は誰の為に残すのかと問われたなら、それは間違いなく私たち二人の為。12年前の二人はこんな風にいつも一緒・・そうして今に繋がっています。

中庭に面した長い廊下、ガラスに映る景色はその折々の色を添えて。

そして庭の角でひときわ目を引く「酒樽茶室」

戦後、大酒樽4樽分の良質材のみを使用して造られた酒樽茶室。内部は畳敷きで、中央に茶釜用の炉が切られています。大きな樽を伏せた形の茶室は大変珍しく、1999年に有形文化財として登録されました。

ご亭主殿・・・炉の部分が見えませぬ!(-_-;)

楽しい時間を共有して下さった案内の方、今更感が半端ない程の時間が流れ過ぎていきましたが、改めて心からお礼申し上げます。

訪問日:2012年11月18日

 

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河村写真館&十朋亭 in 山口県山口市

2024年01月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

山口市上竪小路にある擬洋風建築の「河村写真館」。白い下見板張りの外壁と赤い屋根、そして夢見る子供たちが憧れる小さな塔屋。

更に2階北側には3連続アーチのベランダ・・と、夢見る子供の年齢をはるかに超えた良いお年頃の女子の心も多いにくすぐってくれます。明治初期の居留地の洋風建築に通じる特色を持つ建物は、諸資料から明治20年(1887)前後に旧士族の松原繁が写真館として建築したと考えられ、地方における市民生活の近代化を象徴する貴重な建造物の一つとして有形文化財に指定されました。

通りの一画で見つけた洒落た造詣の「堅小路」案内

山口市後河原:琴水橋の側に建立されていた、旧制山口高校の寮歌「鴻南に寄する歌」碑。【柳桜をこきまぜて 春も錦となりくれば 後河原の枝並みに 若き思も寄する哉】

山口市下竪小路に位置する「十朋亭」

私たちが訪問してから12年・・マップ上に該当する佇まいの写真も、紹介されたHPも全く別物の感を否めません。改めて過ぎ去った歳月に驚くばかりです。

最新のHPには、明治維新への扉を開いた「明治維新策源の地 山口」の歴史にふれるミュージアムとして整備。幕末・明治維新期の長州藩と山口地域の歴史が、資料、映像、グラフィックパネルで紹介されているとありますが、当時は何枚かの写真が並んでいただけだったと記憶しています。

子供の頃、何故か大好きだった勤王の志士『高杉晋作』(^_^;)

ともあれ、当地で醤油の商いを営んだ萬代家の史跡・十朋亭。その佇まいは充分に私たちの好奇心を満足させてくれました。

案内の方はとても温かく親切で、部屋の説明なども細部にわたってお話しいただき、また、要所要所での記念写真・・思いがけず長居となったのも、忘れ難い思い出です。

中庭を背景に

昔の家は座敷に面して縁台があり、こんな風に腰かけて涼んだり、また訪問客は気軽にここに腰かけて主との会話を楽しんでいたのでしょう。

訪問日:2012年11月18日

 

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山口市春日町界隈そぞろ歩き in 山口県山口市

2024年01月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

県政資料館を後にして次に向かったのは、「旧山口藩庁門(県重要文化財)」

切妻造り、平入り、本瓦葺きの脇門付薬医門は、元治元年(1864)、萩から山口への藩庁移転の際に「山口政事堂」の正門として竣工。門の周囲は、当時としては最新となる西洋式城郭で固められており、その一部を構成したお堀もそのまま残されています。

山口市春日町の一画に建つ「山口県春日山庁舎(旧県立山口図書館)」。大正15年、当時の皇太子であった昭和天皇の山口行啓を記念して、防長先賢堂と共に春日山に建設。正面の垂直感あるデザイン、外壁にはめ込まれたテラコッタ、車寄せ柱頭の幾何学的意匠や渦を巻く植物模様などから、全体としてジャーマン・セセッション風と言われています。

「防長先賢堂」「郷土の先人を崇敬追慕することにより、忠君愛国の精神を導くことを目的とした建物である。内部には祭壇があり、「防長先賢之霊」の六文字の書かれた題額が安置されている。」公式HPより

山口県立博物館の敷地内に見かけた「D60形式1号機関車」。昭和41年(1966)に廃車となり、昭和43年に展示保存された旨の案内がありました。

何故か男子というものは、総じて機関車が好きらしい😄

同敷地内に展示されていた「白石茶臼山石棺墓群」「遺跡は山口盆地中央部に延びる鴻ノ峰山麓南支丘の末端部、標高約35mに立地していました。昭和43年(1968)の宅地造成中に総数9基の箱式石棺が発見されました。弥生時代終末期~古墳時代前期における墳墓形態と時代変遷が気軽に見学できます。」公式HPより

山口博物館開館100周年を記念して誕生したマスコットキャラクター『なっとくん』。ミュージアムキャラクターアワード2012で、堂々三位になったそうです(笑)

訪問日:2012年11月18日

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山口市天花に店を構える「山口市菜香亭」

「明治10年頃、上竪小路に料亭として創業し、名付け親である井上馨など、山口県出身の政治家や文人らに親しまれた「菜香亭」。山口市天花の地に移築され、2004年10月2日にオープンしました。移築前の木材などをできるかぎり使用した建物で、大広間には井上馨や佐藤栄作など著名人の扁額29枚とゆかりの所蔵品が展示されおり、当時の面影を今に伝えています。」公式HPより

訪問日:2015年11月11日

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旧山口県会議事堂(山口県政資料館) in 山口県山口市滝町

2024年01月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

山口市滝町にある「山口県政資料館」、大正2年(1913)に起工し、大正5年(1916)に完工した「旧山口県会議事堂」。

旧県会議事堂は中央屋根に、先端が半球形、下部を直方体とした塔屋が配されているところが特徴的。

玄関ホールは、全体的にアーチで構成され、華やかな印象を与える空間となっています。

「旧県庁舎に東南面して並置され、横長の正面棟の中央前面に車寄せを突出させ、背面に議場を張り出して配置。煉瓦造2階建で、要所に花崗岩を用いる他は、横目地を入れたモルタル塗である。。屋根は正面中央を一段高い寄棟造とし、その上に頂部をドームとした方形平面の塔屋をのせる。要所にドーマーウィンドウを設けている。」公式HPより

正面棟1階に用意された議員控室、公衆控室・・控室なのに豪華すぎる😅

漆喰のランプ掛けに鈴のようなデザインのシャンデリアが・・なんか良い!!😍

窓に掛けられたカーテンの重厚かつロマンチックさに思わず目が~💗

議場は1階南側中央壇上に議長席と演壇を設け、左右に説明員席、その前方に扇形に議員席が配されています。

挙手をし議長に質問する、(自称)妙齢のtibineko議員(^_^;)\(・_・) オイ

「自衛隊をきちんと憲法に位置づけ、「自衛隊違憲論」は解消すべきと思いますが議長はどのようにお考えでしょうか!!」・・おや、tibineko議員の鋭い質問に議長はどうやら雲隠れ😄。

二階には議長・副議長室、知事室、参事会場などを置き、周囲三方は新聞記者席、公衆傍聴席のギャラリー。

柱間ごとに取り付けられた美しいひだ飾り

ランプ掛けが無いだけで、ガラリと表情を変えるシャンデリア・・これはどこにあったかな・・?画像に残したすべての情景と場所をちゃんと覚えていた筈なのに、いつの間にか思い出せない場所が増えている・・

記憶というものはよほど確かな裏付けがない限り、日を追って朧になっていくもの。悔しいけれどそれは人間の自然の摂理なのかもしれません。きっと忘れて行く事で、老いていく今を生きていけるのかもしれない・・

「旧山口県庁舎&旧山口県会議事堂」。西洋の近代的な建築様式と伝統的な和様式が融合した大正建築の粋を集めた貴重な建築物として、昭和59年12月28日、国重要文化財に指定されました。

訪問日:2012年11月11日

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旧山口県庁舎(山口県政資料館) in 山口県山口市滝町

2024年01月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

山口市滝町にある「山口県政資料館」、大正2年(1913)に起工し、大正5年(1916)に完工した「旧山口県庁舎」。

設計者は、大蔵省臨時建築部長であった『妻木頼黄(つまきよりなか)博士』指導のもと、後に国会議事堂の設計スタッフとなった『大熊喜邦(おおくまよしくに)武田五一』ら。

「玄関口の車寄せはスロープになっており、馬車で乗り付けられるように設計。中央部の屋根に施されている半円形の飾り窓、その後部の突起物の装飾は、庁舎正面のアクセントになっている。」公式HPより

「また、細部意匠には日本及び東洋の伝統と欧米最新のデザインが大胆に採用され、特に、主要室に見られる天井中心飾り、曲線・局面を用いた彫塑、出入口枠や天井回りの木工技術は、工芸品的な趣きがあり、安定的、静的な感覚を表わしています。」公式HPより

豪華なシャンデリアをはじめ、古典的なモチーフの意匠が随所にみられる正庁会議室。

もう少し芸術的に、それが無理なら写実的にカメラを駆使できれば良いのですが・・才能の有る無しは如何ともし難く・・(-"-) という事で雰囲気だけ、後は想像で補ってください💦

木製腰壁を廻し、洋風と和風のデザインが融合した旧知事室。天井も木製格縁にし、シャンデリアはシックで落ち着きのあるデザインに。

磨き込まれた床に映る窓の明かり。そこに立っている自分の存在が不思議に思えるような空間。

不可思議にも見える直線で区切られた格天井に、控えめに揺れる小ぶりのシャンデリア。

スッキリとしたデザインの、漆喰のランプ掛け。

旧県庁舎の天井に用いられた木製格縁は、部屋ごとに異なったデザインになっており、シャンデリアもそれに合わせたものが使われています。そして何度も同じことを繰り返しますが・・とにかくどれもが只素直に美しい。

身だしなみを整えられるように、姿見の付いたコート掛け

かって建物に風格と威厳を添えていたモノたちは、今、県庁舎の一等席で来庁舎の好奇に満ちた視線に応えています。

廊下でさえも立ち去りがたい空間を生み出し、このまま外に出るのが惜しいような・・

明日は「山口県政資料館:旧山口県会議事堂」の紹介です。

訪問日:2012年11月18日

 

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瑠璃光寺五重塔 in 山口県山口市香山町

2024年01月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

2015年11月、初めて訪れた瑠璃光寺の五重塔、その言葉にし難い美しさに魅せられ、2017年11月、友人Jさんのリクエストも有って二度目の参拝となった瑠璃光寺。

観光山口のシンボル的存在として知られ、大内文化の最高傑作といわれる「国宝 :瑠璃光寺五重塔」。全国に現存する五重塔のうちで10番目に古く、奈良の法隆寺、京都の醍醐寺と共に、その美しさは日本三名塔の一つに数えられ、室町中期における最も秀でた建造物と評されています。

檜皮葺の屋根と上層部に向かって細くなるシルエットの美しい塔は、室町時代中期における優れた建築の一つとして評価され、昭和27年(1952)11月22日に国宝に指定。こうした檜皮葺屋根造りのものは瑠璃光寺の他に、奈良県の室生寺・長谷寺、広島県の厳島神社にも現存します。

本堂の参拝を終え、境内のあれこれを拝観し、香山墓地の参拝、公園散策を終えて、再び目指す瑠璃光寺五重塔。枯れ芒の向こうに見える塔の「相輪」。ただそれだけなのに、何故だか不意に涙ぐみたくなる。

大内家第九代当主「大内弘世公」騎馬像。

応永6年(1399)足利義満と泉州で戦い戦死した大内義弘の菩提を弔うため、弟・盛見は香積寺に五重塔を造営。しかし完成を見る事なく、九州の少貳(しょうに)勢と戦って戦死。五重塔はその後、嘉吉2年(1442)頃落慶しました。兄である大内義弘の菩提を弔う為に建立された五重塔。馬上の貴方の目にはどのように映っているのでしょう。

「相輪」の下に「空(宝珠)」・「風(請花)」・「火(笠)」・・近づくにつれ塔はその美しい姿をあらわにしていきます。

「水(塔身)」が姿を現し

そして「地(基礎)」。柱間:三間四方(5.11m)、高さは31.2m、桧皮葺き。各重の軒の出が深く、屋根勾配はゆるく、各重の屋根は上にいくに連れ小さくなっていき、安定した美しい姿を見せます。

春の雨にけぶる薄もやの向こうに鎮まる美しい互層の塔・・木々の彩に抱かれた景色の中、水に映る姿の美しさに人は何を見るのだろう。特別な宗派を持たない私たちですが、そんなものとは全く別の感覚で「思わず手を合わせて頭を垂れてしまう」。それは宗派にでも、偉いお坊さんにでもなく、連綿と受け継がれ護り通してきたこの地の人々への敬意なのだと思う。

もうすぐ師走12月 雪に備えて雪吊りの準備が着々と進められています。一面の雪景色の中に浮かび上がる瑠璃光寺五重塔・・その姿を見る事は叶わないでしょうが、きっとこの上なく神秘的で美しい景色でしょう。

「画聖 雪舟」。晩年の雪舟は瑠璃光寺の五重塔が見える山口のこの地に住み、筆をとり作品の製作を続けていたと云います。

室町時代、25代の大内義弘が建立した「香積寺」。江戸時代になり毛利家によって香積寺は萩に引寺。その跡地に引寺されたのは、大内家の家臣であった陶7代当主陶弘房の夫人が夫の菩提を弔う為に建立した瑠璃光寺。陶氏といえば大内義隆への謀反で大内家を滅亡を招いたのは10代当主陶隆房(晴賢)。後に毛利元就との戦いにより陶氏は滅亡。維新後の毛利家三代の墓所と隣り合わせにある瑠璃光寺・・・不思議な縁の糸は絡み合いもつれ合って、歴史を紡ぎ、今は静かに山口市を代表する名勝となって鎮まっています。

参拝日:2012年11月11日&2013年4月17日&2015年11月11日

 

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瑠璃光寺:香山(こうざん)公園 in 山口県山口市香山町

2024年01月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

瑠璃光寺本殿への参拝を終え、そのまま史跡:萩藩主毛利家墓所へ向かいます。

「「香山墓地」は萩藩主(毛利本家)の墓所で、13代毛利敬親が居城を萩から山口に移して、以降の墓地として使用するために造成されたものです。明治4年(1871)に敬親公が山口で亡くなってこの地に葬られ、14代毛利元徳夫妻、15代元昭夫妻等、七基の墓があります。」

「大江朝臣敬親卿御墓」長州藩13代藩主毛利敬親の墓

一応、七基の画像はあるのですが、13代藩主の墓と「毛利本家歴代諸霊之墓」以外は確信がなく、紹介は二基のみ💦

「勅撰銅碑(山口市指定有形文化財)、明治天皇が毛利敬親の偉業を伝える為に明治29年に建立。篆額:『彰仁親王』。書:『野村素介』

「瑠璃光寺:香山公園のサルスベリ」。案内には「このサルスベリの木をご覧ください。途中から松が生育しています。サルスベリの木は滑りますが、松の木が生えた事で滑らない・・」という事で各種メディアにも取り上げられ、受験生に人気のパワースポットとして一躍有名になりました。

萩藩主:毛利敬親が藩庁を萩から山口に移した際、政事堂の近く一露山の麓に建てた茶室。一露山の一の字を省いて「露山堂」と名付けられました。

「敬親は、茶の湯を楽しむふりをして身分に関係なく家来らをこの一室に集め、実際は幕府に対する謀り事の議論を重ねていました。露山堂は、廃藩の後は他の場所に移築され、持ち主も数人かわり、使用されることもなく崩れ落ちていきました。これを知った、敬親の側近を長く務めた品川弥二郎は、その由緒ある建物が朽ち果てるのを惜しんで志を同じくする人と相談し、資金を集めてその建物を買収。明治24年(1891)4月、現在の場所に移しました。」現地案内より

着物の袖に形が似ていることから名がついた「誰が袖の手水鉢」

移築の際に造られた庭園

【 露山堂の ふかきひさしの 羽も秋 】

旧安部家の離れ「枕流亭(ちんりゅうてい)」。もと一の坂川河畔にあったのが由来で、内部の見学も可能😊

この建物の階上において薩長連合が密議をかさね、連合討幕軍の結成を誓いあった・・・まさしく明治維新の曙をつくった記念すべき建物として「明治維新史跡」に指定されています。

「紙本栄一先生之像:「居合道範士」「剣道範士」として全日本剣道連盟居合の制定に尽力した人物。」とのこと。

香山公園内には沢山の碑が建立されています。まずは(長州はいい塔を持っている)で始まる、「司馬遼太郎「街道をゆく(一)」長州路より

「若山牧水歌碑(二十一歳の時、五重塔を見て詠んだ歌)
【はつ夏の 山のなかなる ふる寺の 古塔のもとに 立てる旅人】

『友廣保一』歌碑【在り慣れて 散歩のところ池の辺に  五重塔に心はよりて】

「正月の ゆきのしろいろ 瑠璃光寺」「田を植ゑて ほたるをまつや 水の上」・・と読んだのですが

瑠璃光寺を読んだ句が登場したところで、明日は「国宝:瑠璃光寺五重塔」の紹介です。

参拝日:2013年4月17日&2015年11月11日

 

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瑠璃光寺(るりこうじ) in 山口県山口市香山町

2024年01月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

山口市香山町に門を構える曹洞宗寺院「保寧山:瑠璃光寺」『薬師如来』を本尊とします。開山:『大庵須益』、開基:『 陶弘房夫人』

「大内氏前期全盛の頃、25代大内義弘は現:香山公園に、石屏子介禅師を迎え香積寺を建立。応永6年(1399)、義弘は足利義満と泉州で戦い戦死。26代弟・盛見は兄の菩提を弔うため、香積寺に五重塔を造営中、九州の少貳(しょうに)勢と戦って戦死。関ヶ原の合戦の後、萩入りした毛利輝元は、香積寺を萩に引寺。跡地に仁保から瑠璃光寺を移築。五重塔はその後嘉吉2年(1442)頃に完成。また、後の天文9年(1540)に建てられた仏殿は広島市の不動院に移築され、国宝に指定されています。」山口市観光情報サイトより

現在の仏殿は、陶氏の七代当主陶弘房の死後、弘房の夫人が夫を弔うために文明3年(1471)に仁保高野に建立。当初は「安養寺」とし、明応元年(1492)に瑠璃光寺と改名。仁保に所在した事から「仁保瑠璃光寺」と呼ばれました。江戸幕府成立後、毛利輝元が香積寺を萩に引寺したため、元禄3年(1690)に跡地に移転されたのが現在の瑠璃光寺です。

本堂前に立て掛けられた大きな「杓子(しゃくし)」には【人間の生老病死の苦しみを 御救い給う瑠璃光如来】、「檑木(すりこぎ)」には【己が身を 摩り減らしても施しを お与え給う薬師如来】の文字。

目の病気を治すご利益があると伝えられる、出雲の「一畑薬師:山口分院」にもお参りさせて頂きます。

山門の右手に祀られる「瑠璃光寺 鎮守石殿」「瑠璃光寺は古く吉敷郡仁保の地にありましたが、江戸時代元禄3年(1690)にこの地へ移ってきました。この石殿は瑠璃光寺が仁保にあった頃、当山16世の重堂専宗大和尚が、寺の鎮守として慶安3年(1650)に造立したもので、そのことは刻銘によってわかります。今まで仁保の旧地に残っていましたが、このたび瑠璃光寺の鎮守として此処に移し祀った次第です。」現地案内より

山門と繋がる鐘楼入口。納められた梵鐘は天文元年(1532)に藤原之國によって二保大畑村の瑠璃光寺末寺:光明禅寺の梵鐘として鋳造。光明禅寺が廃寺と成った時、当時二保にあった瑠璃光寺に移された事、また山口市指定文化財で永久保存の為、日頃は打つ事が出来ない旨の案内が入り口に明記されています。

回廊の右手にスッキリと美しい袴腰鐘楼。中央後方に国宝:五重塔の相輪が僅かに。

回廊の屋根は、鐘楼の腰袴に吸い込まれるように繋がっています。

回廊の外から見る鐘楼と石造り五重塔

参道石段脇に祀られる「身代わり地蔵」「300年以上前から悪い因縁、病気、縁談、不幸などに見切りをつけたいと願う人々のために、身代わりになってくださるお地蔵様。外目では分かりませんがお身体が2か所、横に切ってあります。身を切ってお救いくださることから「見切り地蔵様」と呼ばれています。」公式HPより

石造五重塔と向かい合うように、幼い嬰児を抱く慈母観音像」。傍らには観音真言と「わらべ地蔵様」

不思議と背筋がピンと伸びるような、心地よい緊張感

回廊から見る境内。息が磨かれていく感覚が更に心地よさを倍増させます。

明日は13代以降の毛利家当主が眠る「香山墓地」一帯を含む「香山(こうざん)公園」の紹介です。

参拝日:2012年11月11日&2013年4月17日&2015年11月11日

 

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