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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホールとマンホールカード in 静岡県三島市

2018年09月30日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・静岡県

三島市(みしまし)は静岡県東部、伊豆半島の北端部に位置する町です。かつて伊豆国の国府が置かれた事から伊豆府中とも呼ばれ、江戸時代には東海道三島宿の宿場町となり、箱根峠越えの前後の休息地として賑わってきました。また三嶋大社の鳥居前町として発展、地名も大社に由来して「三島」と称されるようになりました。「市の木:銀杏」「市の花:三島桜」「市の鳥:カワセミ」を制定。

キャッチフレーズは「せせらぎと緑と元気あふれる協働のまち・三島 ~環境と食を大切に~」

明治22年(1889)、町村制の施行により、君沢郡三島町・錦田村・北上村・中郷村が発足。

1896年、郡制の施行のため、田方郡・君沢郡・賀茂郡の一部の区域をもって、改めて田方郡を設置。

1935年、田方郡北上村が田方郡三島町に編入。

1941年、田方郡三島町と錦田村が合併、市制を施行し三島市が発足。

1954年、田方郡中郷村を編入、現在に至ります。

マンホールには「市の花:三島桜」が色鮮やかに蓋全面を埋め尽くしています。(狩野川西部浄化センター展示マンホール。)

「三島桜」は、大島桜と江戸彼岸桜の交配種、大輪で一重の花が木を埋めつくして咲きます。(三島駅周辺のタイル舗道、源兵衛川周辺に設置)

源兵衛川に掛かる長さ数メートルの「源兵衛橋」高欄に、鮮やかな三島桜が満開。

昭和16年4月29日制定の市章は、「八角形の三嶋大社の紋章と富士山を組合わせ、また中央の三線は、漢数字の「三」と水の流れを組合わせて図案化した物です。」HPより

制水弁

仕切弁

消火栓

防火貯水槽

「市の花:三島桜」デザインの側溝蓋。

「市の木:イチョウ」デザイン側溝蓋

静岡ガス角蓋、中央に大きく「SHIZGUS」のロゴ。

同じくガス用バルブ。

路上に設置されたものという事で、「三島八小路(みしまやこうじ)」の案内プレート。「上の小路」

「竹林寺小路」

「阿闍梨小路」。マンホール探しの中で見つけた三枚。

市制70周年を記念して誕生したマスコットキャラクターは市の木銀杏の妖精『みしまるくん』と、市の花:三島桜の妖精『みしまるこちゃん』。おでこの「み」がインパクトありすぎ・・・・(^^;)

撮影日:2011年11月7日&2016年12月8日

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マンホールカード、頂きました

2019年12月14日、第11弾として全国63自治体で66種類(累計502自治体605種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「三島市」のマンホールカードは、「三島市役所都市基盤部下水道課」でいただけます。

2019年に設置開始されたマンホールには「富士山」と「三島大吊橋」がデザインされています。

「平成27年12月14日に三島市内に誕生した、歩行者専用としては日本一長い全長400mの「箱根西麓・三島大吊橋」と世界遺産「富士山」がデザインされています。 晴天時には日本一高い山「富士山」と日本一深い湾「駿河湾」の3つの「日本一」を見ることができ、また、愛称の「三島スカイウォーク」の名前のとおり、まるで空を歩いているような感覚が味わえます。 このマンホール蓋は、三島駅南口から三嶋大社に向かう、中心市街地を流れる桜川沿いの歩道に5ケ所設置され、富士山の伏流水が湧き出るせせらぎを眺めながら確認することができます。」

 

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鮎壺(あゆつぼ)の滝 in 静岡県長泉町

2018年09月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

沼津市と長泉町の境界を成す黄瀬川にかかる、落差約10mの「鮎壺(あゆつぼ)の滝」。2011年と2016年の二度に渡る訪問。画像は2011年に見てきた「鮎壺の滝」。

そして2016年に再訪した「鮎壺の滝」。

どっちも大して変わらないと思われた貴方、そうこの弱小ブログの貴重な読者様である「貴方」。 同じようなアングルで写した二枚の画像、物凄く決定的な違いがあるのですが・・・わかりますか?滝の上の、紅葉した木の左側の、マンションの上に・・そうなんです!!「富士山」が!!ついつい力説しましたが(笑)、事ほど左様に、私にとって富士山は永遠不滅のアイドル。

このごつごつとした岩は、およそ1万年前の富士山の噴火によって流れてきた三島溶岩流。

1万年とかさらっと書いていますが、日本では氷期が終わり、間氷期が始まった時代の話。 う~~~~ん、どんな風に書いても全く想像が膨らまない、遥か遠い遠い彼方の過去。

さらに溶岩流の下は「愛鷹ローム層」。「鮎壺」の名は、鮎がこの滝で止められ群れていたことに由来するといわれているそうですが、今も滝壺に鮎がいるかどうかは不明(^^;)

滝の右手には溶岩で出来た岸壁が広がり、運がよければこの下を潜って滝の裏に回れるそうです。でも足元が危なっかしい私には、そんなワクワクするような危険(笑)な冒険は、不許可なんだって(ーー゛);

ところで「鮎壺の滝」があるのは、沼津市と長泉町の境界を成す黄瀬川と冒頭に書きました。で、この滝を見られるように滝の正面に沼津市と長泉町を繋いで吊り橋が設置されています。下の画像はその吊橋から写したものですが、やはりお天気が良いとズームも映えます。

2011年、私たちは沼津側から「鮎壺の滝」を訪問しましたが、2016年は長泉側からの訪問。2011年では駐車場が見当たらず、空き地に車を停め、駆け足で見学して引き返した切ない思い出が・・・。でも今回は駐車場も確保でき、ゆっくりと「鮎壺公園」の紅葉を楽しみながらの、余裕の滝見(^-^)

滝と一緒ではどうしても無粋なマンションに邪魔されてしまった富士山も、アップで写せました。 それにしても・・2011年の静岡車泊旅では何日もお目にかかれなかった富士山、2016年は初日からしっかりクッキリ拝見できて、何と幸先の良いスタートでしょう。

訪問日:2011年11月7日&2016年12月8日

 

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ご当地マンホールとマンホールカード in 静岡県長泉町

2018年09月27日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・静岡県

駿東郡長泉町(ながいずみちょう)は静岡県東部、富士山の南東、伊豆半島の付け根に位置する町です。地名は長窪地区から長の字、小泉荘から泉の字を合わせた合成地名で、沼津市、三島市、裾野市、富士市、清水町に隣接。北西部は駿河平とよばれる高原で、クレマチスの丘・静岡サッカーミュージアムなどの観光施設が立地するほか、静岡がんセンターを中心としてファルマバレーとよばれる医療および医用工業の先進施設が集中した地区が形成されています。「町の木:モッコク」「町の花:サツキ」を制定。

キャッチフレーズは「自然と都市の共生 人とまちの健康創出 いきいき長泉」

明治22年(1889)、町村制の施行により駿東郡長泉村が発足。

1960年、長泉村が町制を施行、駿東郡長泉町となりました。

マンホールには「鮎壺の滝と富士」「町の花:木サツキ」「町の木:モッコク」と「松」がデザインされています。(狩野川西部浄化センター展示マンホール)

マンホールのデザインとは富士山の位置が逆ですが、長泉町側からだと、どうしてもこの位置になります。 河原に下りて写せば、マンホールに近いアングルで写せるようですが、危険なので自主規制(^^;)

昭和31年19561月制定の町章は、「長泉町の『長』の字を日本の古典芸能楽器である鼓の形に図案化したもので、町の発展する姿を象徴したものです。」HPより

消火栓

防火貯水槽

空気弁

仕切弁

制水弁

撮影日:2011年11月7日&2016年12月8日

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2018年8月11日、第8弾として全国76自治体76種類(計364自治体418種類)のマンホールカード配布されました。長泉町のマンホールカードは、長泉町役場・【閉庁日】日直室で頂けます。

1994年に設置されたマンホールには「鮎壺の滝と富士山」「町の花:サツキ」「町の木:モッコク」がデザインされています。

【このマンホール蓋は、町の花「サツキ」、町の木「モッコク」、そして「鮎壺の滝」越しに見える「富士山」とそこに自生している「松」をイメージし、図案化しました。 長泉町は静岡県東部に位置する町です。 静岡県なのに、東京まで小一時間。地方なのに財政が豊か。 緑が多いのになんだか都会。産業は充実しており、少子化の時代でも、子供が多い。 有名じゃないのに、すごく暮らしやすい。長泉町は、一長一短のないきわめてバランスに優れた都市です。 町のブランドシンボル「ちょうどいいが いちばんいいNagaizumi」を通して、町の魅力を広く発信しています。】 

訪問日:2018年11月14日

 

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五竜の滝と旧植松家住宅 in 静岡県裾野市

2018年09月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

裾野市千福の「裾野市中央公園」。ここに裾野市のマンホールのデザインになった「五竜の滝」があります。黄瀬川と佐野川との合流点付近に架かる高さ13mの滝は「五竜」の名の通り全部で五条。左側の三条の滝を雄滝とよび、左から「雪解(ゆきどけ)・富士見(ふじみ)・月見(つきみ)」の名が冠せられています。

私たち位置からでは見る事が出来ませんが、右側の二条の滝は雌滝で「銚子(ちょうし)・狭衣(さごろも)」の名があります。そういえば、マンホールの図柄も「雄滝」だけだったような・・。

滝の絶景ポイントは黄瀬川に架かる長さ63メートルの「吊り橋」・・・吊り橋なので当然!ゆれます。湖上や海上の長い橋が大の苦手で、高所も全く駄目な私に、これは何の罰ゲーム??(;_;) という事で二歩ほど進んで、すぐに河原に避難(-_-;)。一人、心穏やかに(笑)、別行動で吊橋の写真を撮ったりしながらご亭主殿と友人を待つ事に。

ご亭主殿の「恐くないよ」。友人の「弱虫~」の声は無視(笑)して滝の近くまで続く遊歩道に移動。丁度、遊歩道が切れたあたりに、裾野市教育委員会の「五竜の滝」の案内板。

【約一万年前の新富士火山三島溶岩流の末端に形成された滝で、玄武岩溶岩流の断面が観察できる貴重な学術資料です。滝の高さ十二メートルの間に、溶岩層が重層し、地下水が溶岩の間から出てくる様子が分かります。・・・・・・・中略・・・・・・・・・また、新田次郎・若山牧水もこの地を訪れ、新田次郎は小説「蒼氷」を執筆し、作品の中に舞台となった五竜の滝や愛鷹山があります。若山牧水は五竜館に宿泊し、歌集「麦の秋」・「野なかの滝」・「渓間の春」を創作しました。】

「五竜の滝」手前に『若山牧水』の歌碑。

【富士が嶺や  裾野に来たりて仰ぐとき  いよいよ親しき  やまにぞありける】

雄大な自然と文学の次は、裾野に残る歴史・・という事で「旧植松家住宅」の見学。【静岡県東部の代表的民家で平面、構造に隣接地方との関連が認められる。同系統の中では古く、保存も良く、土間まわりの梁組は力強く壮観である。】文化遺産オンラインより

土間周りの梁組・・・月並みでありきたり過ぎる表現だけど「凄い・・・」

国指定重要文化財の建物に、県天然記念物の「五竜の滝」。そして美しい紅葉に彩られた公園。二度目の静岡来県でやっと訪ねることができて、今回こそはのんびりと!と言いながら、振り返ってみれば僅か一時間の滞在(-_-;)  ホント!私たちって貧乏性

案内板に登場した『若山牧水』が宿泊し、数々の作品を創作した「五竜館」。ここ裾野市中央公園の敷地は、明治時代に「佐野瀑園五龍館佐野ホテル」があった場所。今その名残をとどめるのは、公園入り口の門柱に刻まれた「五龍館の印」だけとなりました。

訪問日:2016年12月8日

 

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ご当地マンホール in 静岡県裾野市

2018年09月25日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・静岡県

裾野市(すそのし)は静岡県の東、富士山のふもとに広がり、東には箱根外輪山、西には愛鷹連山と豊かな自然に囲まれた工業のまちです。三島市、御殿場市、富士市、駿東郡長泉町と境を接し、箱根外輪山を隔てて神奈川県箱根町と境を接しています。「市の木:杉」「市の花:アシタカツツジ」「市の鳥:ウグイス」を制定。

キャッチフレーズは「富士のすそのの健康文化都市-静岡県裾野市」「みんなの元気と調査でつくる暮らし満足都市」

明治22年(1889)、町村制の施行により、駿東郡須山村・富岡村・深浪村・小泉村が発足。

1891年、深浪村が深良村に改称。小泉村から泉村が分立。

1952年、駿東郡小泉村と泉村が合併、駿東郡裾野町が発足。

1956年、駿東郡深浪村が裾野町に編入。

1957年、駿東郡富岡村・須山村が裾野町に編入。

1971年、駿東郡裾野町が市制を施行。裾野市となりました。

マンホールには「富士山」と「五竜の滝」、両サイドに「市の花:アシタカツツジ」がデザインされています。(狩野川西部浄化センター展示マンホール。)

「五竜の滝」が見える場所からは、マンホールのような富士山は見えません。

消火栓には市章を中心に「富士山」と、「市の花:アシタカツツジ」が描かれています。

「五竜の滝」がある裾野市中央公園付近から見る「富士山」

昭和32年9月18日制定の市章は、「スソノの「ス」を星型に5つ組み合わせ、外側の結合部は日本の象徴でもある富士の麗峰を模っています。スを5つ組み合わせたのは、富士の裾野の旧5か村が固く団結することを表わし、中央の円は、平和に栄えることを表わしたものです。」HPより

裾野市マスコットキャラクター『すそのん』。富士山の帽子に裾野市民の大好きなギョーザの体。夢は富士山になることだそうです(^^;)・・・裾野市民の大好物の「ギョーザ」・・・、私は側で食べられるのも嫌なくらい苦手ですが、『すそのん』は普通に可愛いです』(笑)

「すその水ギョーザ」のマスコットキャラクター『すぅちゃん』。 体が緑なのは、「すその水ギョーザ」の皮に市特産の「モロヘイヤ」が練り込まれているから。「すその水ギョーザ」を日本一にする使命を背負って頑張っているらしい・・

撮影日:2011年11月7日&2016年12月8日

 

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二枚橋(にまいばし)浅間神社 in 静岡県御殿場市

2018年09月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

御殿場市二枚橋に鎮座される「二枚橋(にまいばし)浅間神社」。御祭神は『木之花咲耶毘売命(このはなさくやひめのみこと)』

社記に、大同元年(806)に『坂上田村麻呂』が社殿を造営したと記されています。 深い木立に囲まれた境内には、特に由緒などの詳細は無く、それ以上の事は不明。

拝殿は赤い亜鉛鉄板(トタン板)で葺かれており、深い緑の中で一際鮮やか。

二枚橋丘陵と呼ばれる境内の森は、旧・東京帝室博物館(現・東京国立博物館)の『後藤守一氏』によって「前方後円墳」と認定されており、今も杉・樫・欅・椿などの老木が美しい森を形成しています。

境内の一画にあった石棺を思わせる石造物の傍らに「二枚橋古墳」の立て札。 もしかしたら、古墳から出土した「何か」かもしれませんが、それ以上の事は不明です。

神社そのものは決して大きな規模ではありませんが、手入れの行き届いた清々しい場所でした。 入り口には「文字碑道祖神」「庚申仏」があり、この場所が人々の信仰の地である事を伝えています。横の招き猫が異彩を放っている以外は・・(笑)

参拝日:2011年11月7日

 

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新橋(にいはし)浅間神社in御殿場市

2018年09月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

御殿場市新橋、富士山東表口参道の宮とされる「新橋(にいはし)浅間神社」。御祭神は『木之花咲耶毘売命(このはなさくやひめのみこと)』。 合祀神に『瓊瓊杵命(ににぎのみこと)、天照大御神、誉田別命、菅原大神』

創建は不詳【建久4年(1193)に源頼朝が富士の巻狩りをしたときの創建とされています。富士山開山時は御殿場口の起点として開山式、大わらじを担いで練り歩く「わらじ祭り」が健脚と良縁を祈願し行われています。】公式HPより

神橋の先、二の鳥居の前より神域を守護されるのは、鬣(たてがみ)の流れが美しい江戸流れの狛犬さん一対。阿吽ともに、子狛を足元に遊ばせており、顔立ちはとても優しく穏やか。

仔狛のやんちゃそうな顔がとにかく可愛い。さり気なく背中を押さえつけた指の爪が中々にシュールで(^^;)

このスタイル・・仔猫や仔犬を飼われた方なら絶対に共感できる愛らしさ。

「新橋浅間神社・お宮さんの七不思議」に、美しい朱塗りの拝殿と奥殿を結ぶ延長線は、真っすぐに富士山頂に達していると伝えられています。この拝殿の真っ直ぐ向こうに富士山があるのか・・そう考えると物凄く厳粛な気持ちになる・・日本人ならではの感性かもしれません。

85mの地下から湧く『木の花名水』。残念な事に(笑)、手持ちの空き容器は富士小山で頂いた湧水で全部塞がっています(-_-;)。

神社の入口近くに奉納されていた「双体道祖神」。静岡県ではおそらく初めて。男神は笏のようなものを持っているようですが、女神は両掌に何を乗せているのでしょう?

氏子中の文字が刻まれた屋根付き「道祖神文字碑」。双体でも文字でも、大好きな道祖神に出会えると単純に嬉しい (〃∇〃)。

「大正六年八月:参明藤開山碑」と、正体不明の四重搭碑

参拝日:2011年11月7日

 

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ご当地マンホールとマンホールカード in 静岡県御殿場市

2018年09月22日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・静岡県

御殿場市(ごてんばし)は静岡県東部、霊峰富士の東麓に位置する緑豊かな高原都市です。富士山周辺・箱根観光への交通拠点となっている高原都市として知られています。地名は、徳川家康の遺体を移送する際に仮の御殿を建てて安置した事に由来。明治45年に陸軍の演習場が開設され、現在も陸上自衛隊の3つの駐屯地(板妻、駒門、滝ヶ原)と本州最大の東富士演習場を擁し、市域の3分の1が防衛関連で利用されています。「市の木:ケヤキ」「市の花:富士桜」「市の鳥:黒ツグミ」を制定。

キャッチフレーズは「緑きらきら、人いきいき、御殿場」

明治22年(1889)、町村制の施行により駿東郡御厨町、富士岡村、原里村、印野村、玉穂村、高根村が誕生。

1914年、駿東郡御厨町が、駿東郡御殿場町に改称。

1955年、駿東郡御殿場町、富士岡村、原里村、印野村、玉穂村が合併、御殿場市が発足。

1956年、駿東郡高根村を編入。

1957年、駿東郡小山町古沢地区を編入、現在に至っています。

マンホールには明治22年開通の東海道本線を走る「D51」と、「富士山」「市の花:富士桜」がデザインされています。

御殿場市庁舎内展示マンホール

駅前には昭和27年から昭和43年まで御殿場線で運用されていたSL「D5272」が静態保存されています。 富士山を背景に走るSL、乗り合わせる乗客の嬉しさは鉄道唱歌の15番目に。

【 ここぞ御殿場夏ならば  われも登山をこころみん
   高さは一万数千尺  十三州もただ一目  】

農業集落排水のマンホールには、富士の裾野に広がる田園風景と案山子の笠をつつくカラスがデザインされています。

デザイン仕切弁には、富士山を背景に二羽の「市の鳥:クロツグミ」が描かれています。

昭和32年9月20日制定の市章は、「GOTEMBAの頭文字Gを図案化。中央に富士山を、外枠に箱根外輪山を表現し、美しい自然に囲まれた御殿場の伸びゆく市勢と市民の協和を表現しています。 」公式HPより

展示SLの前には、富士と御殿場線を走るSLのモニュメント。

また御殿場駅前には「富士山噴火:火山弾」が二つ並べて展示されています。火山弾とはよくも名付けた物で、こんなものが噴火と共に飛んできたら・・想像するだけで恐怖に襲われます。

撮影日:2011年11月7日&2018年11月13日

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2018年12月14日、第9弾として全国60自治体で60種類(累計407自治体478種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「御殿場市」のマンホールカードは、「富士山交流センター 富士山樹空の森」でいただけます。

1989年に設置開始されたマンホールには「富士山」と「SL:D52」」と「フジザクラ」がデザインされています。

「富士の麓の高原都市 御殿場市では、周辺よりやや遅い4月上旬に、市の花 フジザクラをはじめとした桜が咲き誇り、まさにマンホールの図柄と同様の、富士山と桜の競演を市内各所で楽しむことができます。 また、富士山御殿場口からの富士登山は最長ルートではあるものの、毎年たくさん登山客が訪れます。 その登山客も利用するJR御殿場線では、1944年から25年間SL「D52」が活躍していました。 今では御殿場駅前ポッポ広場にて、行き交う人々を見守っています。 マンホールの中心には、1955年に誕生した御殿場市の幕開けの象徴として、このD52が描かれています。」

配布先で頂いたマンホールマップ

訪問日:2019年3月4日

 

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豊門(ほうもん)公園:西洋館 in 静岡県小山町

2018年09月21日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

小山町藤曲の小高い土地に位置する「豊門(ほうもん)公園」。ここに美しい西洋館があるという事でやって来たのですが・・・何と言う事・・駐車場が見つからない(T^T)  折角ここまで来て諦めるのも残念なので、ご亭主殿を車に残し、一人で手早く見て回ることに・・・・

案内によれば、敷地内には6箇所の登録有形文化財があるとか。真っ先に目についた「豊門会館(旧豊門青年学校)」は、明治40年頃に東京の向島にあった「富士紡績初代社長:和田豊治」の邸宅を、大正14年に移築したもの。

【豊門公園の北側に南面して建つ。木造2階建,スレート葺で,寄棟造,外装下見板張とし,欄間付縦長窓を四周に配す。正面中央に設けられた車寄付塔屋の左右で2階壁面を前後させ,西半は帯状の小壁を巡らして外観を引き締める等,変化に富んだ瀟洒な洋風建築。】文化遺産オンラインより

実のところ、お目当てはこの美しい西洋館。右から、左から、前から後からと、ぐるぐると建物の周囲を廻り、大急ぎでデジカメに納めて・・

建物とのツーショットはダメだったけど(笑)、これだけ見られたのだからこの状況としては上出来でしょう。

園内には他にも「豊門公園和田君遺悳碑・豊門公園噴水泉」等々、見所は沢山あったようです。でも車にご亭主殿を待たせたままでは、気になってこれ以上歩き回ることはできません。 またいつか・・・があるのなら、その時は公園内の隅から隅まで二人一緒に歩いてみようね。その時は開園時間もチェックしなきゃね(笑)

小山町須走、「富士山に一番近い:道の駅」のフレーズに惹かれてやって来たのですが・・・本来なら、この建物の後ろにど~~~~~んと、憧れの富士山が見えるはず・・・見えるはずなんですが・・・

初っ端の「道の駅:富士おやま」に続いて、ここでも富士山の雄大な姿は見られませんでした。 あの重い雲の向こうに間違いなく富士山はある筈なのに、近づきすぎて駄目なのかなぁ・・。ああ・・・愛しの富士山は何処に

訪問日:2011年11月7日

 

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金時(きんとき)神社 in 静岡県小山町

2018年09月20日 10時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

♪ま~さかりか~ついだ 金太郎~ ク~マにまたがり お馬のけいこ~♪
童謡に歌われる「足柄山の金太郎」。そのモデルとされたのが、平安時代後期の武将で源頼光に仕えた四天王の一人『坂田公時(さかたのきんとき)』

小山町中島、金時山山麓の生家の跡地には、『坂田公時公』を御祭神とする「金時神社」が鎮座されています。

由緒に【坂田金時の生家とされる「坂田屋敷」の跡にあった小祠を、昭和9年に町の有志が集い、社殿を造営したもので、地元中島の人々に温かく守られている。御利益は安産、子育て、健康などで、11月には観光協会による七五三の参拝も行われており、金太郎にあやかろうという親子が多数訪れる「こどもの神様」だ。】

私の好きな広島・石見の神楽では、この坂田の金時さんは「山姥」の子供として登場。で大概の場合、いわゆるイケメン君が金時さんの役をされるので、腐女子の方々に人気(笑) 余談はさて置き、御祭神が静まられるご本殿は、拝殿の奥から山頂に続く石段の上。

その石段の上、左右より神域を守護されるのは、姿かたちにどこかあどけなさを感じさせる狛犬さん一対。 体全体にこびりついた苔は湿り気をおびてしっとりと手に吸い付き、長い時間が過ぎた事を教えています。

境内社「第六天社」は、金太郎親子が深く信仰したと伝えられている「第六天魔王」を奉る社。三界における欲界の最高位、且つ天上界の最下部である六欲天に座すという大魔王・・・何と言うか・・どえらい神を信仰されていたんですね(ーー゛);。 その真偽はともかく、金太郎は母を真似て、沼子池からメダカを捕らえてきては器にいれて捧げたといわれています。その為、今でも子供の病気全快を祈願し、その御礼として生魚を供える風習が残っているとか・・・大魔王様、いつの間にか子供の「身体・堅固」の神様に変化されています(^^;)

境内の片隅にある「産湯の七滝(ちょろり七滝)」。金太郎の母『八重桐』はこの水を産湯に使ったと云われ、地元の人々は子供の健やかな成長を願い、金太郎に願いを込めつつ、この滝の水を産湯の水としたそうです。

金太郎さんのトレードマークと言えば、何と言っても「くま」「鉞(まさかり)」。 じつはその「まさかり」がここに・・・と言っても、昭和56年に三菱金属さんが奉納したもの。台座に並んだ私のサイズと比べていただくと、いかに大きな「まさかり」か一目瞭然。

金時神社のある一帯は「金時公園」として整備され、人々の憩いの場となっています。 毎年5月3日には「富士山金太郎春まつり」が開催され、子供達の相撲大会も奉納されるそうです。

昔々、熊にまたがり、森の獣たちを集めて相撲の稽古に励んだという足柄山の金太郎さん。 時によっては大姥と有明山の八面大王の子であったり、赤龍と山姥の子、もしくは父が雷神であったりと、その出生の話は様々。ここでは、母は彫り物師の娘『八重桐』。父は宮中に仕えていた『坂田蔵人』で早くに死別。どの生い立ちであっても、いずれも長じてのち『源頼光』に認められ、四天王の一人として活躍します。

ところで家族連れでピクニックに最適と言われている金時公園ですが・・流石にこれは・・・・ 金太郎さんのお膝元で熊に襲われたなんて、ホント!しゃれになりませんから(((((^_^;)

参拝日:2011年11月7日

 

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