車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

七福神巡り第五番:宝生寺(ほうしょうじ) in 兵庫県淡路市里(旧津名町)

2021年06月30日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

淡路市里にある高野山真言宗「十輪山・宝生寺(ほうしょうじ)」『地蔵菩薩』を本尊とします。

由緒「天平13年(740)、聖武天皇の勅命をうけ、僧行基が淡路島に建立を祈念し、自ら刻まれた地蔵菩薩を安置したのが創まり。「日限地蔵尊」と崇められ、霊験あらたかな尊像として多くの人々に親しまれています。」

淡路島七福神巡りの第五番札所「寿老人様」。〜達者で長寿を授けるみ寺〜宝生寺 。長寿の神:寿老人様をお祀りしています。

「寿老人様は寿老神とも書き、長寿の神で老子の化身の神とも言われています。長命、富財、与宝、諸病平癒の神でもあります。人々の安全と健康を守ります。。手に持っている桃は若さのシンボル。「西遊記」に孫悟空が桃の木から長寿の実をとり、元気を取り戻したことは有名な逸話です。寿老人さまのもつ桃は、美しく歳をとり、美しく老いていくことの大切さを示しています。また、鶴と亀と鹿は長寿のシンボルとされています。美しく齢を重ねるには日常、鶴のごとく美しく、亀のように耐える勇気をもち、鹿のように注意深く、俊敏にということなのです。」

境内にある長寿橋を渡れば10年長生きができるとか。こういう時は速やかに御利益にあやかるのが二人のモットー。順番に「長寿橋」を渡らせていただきました。

御詠歌【玄鹿(げんろく)の 命長きにあやかれと 杖を引きつつ 世を救う神】

「修行大師像」

本堂飾瓦の獅子たち。一直線に跳ね上げた足をそろえて、何ともにこやかに境内を見守っています。

参拝日:2010年9月20日

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八幡寺(はちまんじ) in 兵庫県淡路市志筑(旧津名町)

2021年06月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

淡路市志筑に建つ高野山真言宗「竹林山:八幡寺(はちまんじ)」『不動明王』を本尊とし、また淡路島十三佛霊場第十三番の満願所として、『虚空蔵菩薩』を本尊とします。

鳥居に架かる額には「淡路 巡遷 辨財天」の文字があり、これはかってこの寺院が、巡遷弁財天基本地寺院であった事に由来すると思われます。

​由緒「当山の歴史は古く八幡信仰で栄えた志筑八幡神社の別当寺院として徳川五代将軍綱吉の時代、貞享年間(西暦1685年ごろ)に阿弥陀如来を本尊として建立され300年余り、ここ志筑西谷の地を中心に広く信仰を集つめています。詳細は不明ですが明治初年に本尊が不動明王にかえられて、鎮守堂には神仏分離の影響により志筑八幡神社に祭られていた八幡大菩薩並びに毘沙門天を遷座し、他の諸尊とともに一堂に合祀されています。  また、明治初年に神仏分離の影響をうけた淡路島の奇祭「淡路巡遷弁財天」通称「回り弁天さん」のご尊影を再び高野山より持ち帰られお祭りを復興した平田真源師の自坊として佐野八浄寺 (発祥の地)とともに巡遷弁財天基本地寺院とされています。昭和52年淡路十三佛霊場が開創され、第十三番満願札所として十三まいりのご本尊でもあります虚空蔵菩薩様を迎えることとなりました」公式HPより

境内の一画に作られた池、石橋の先には弁財天が祀られる祠が鎮座されます。

「厄除け修行大師」・「弘法大師一千年記念碑」

「不動明王像」、前垂れがちょっと場違いな・・😅

「南無地蔵尊像」・「地蔵菩薩石仏」

本堂を全焼した大正8年の火災で、焼失を免れた鐘楼堂。

本殿屋根の上より境内を見守る飾り瓦の獅子一対。向日葵のようなたてがみがユニーク。

参拝日:2010年9月20日

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志筑(しづき)八幡宮 in 兵庫県淡路市(旧津名町)

2021年06月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

淡路市志筑に鎮座される「志筑(しづき)八幡宮」。御祭神は『応神天皇』。『玉依比咩神 神功皇后』を配祀します。

由緒「文禄2年(1593)、石清水八幡宮御分霊として当地に鎮座創立。慶長17年(1612)、社殿を造修。明治6年(1873)、村社に列せられる。明治32年(1899)、社殿を改修、幣殿、中殿、神饌所、神楽殿、拝殿、社務所、氏子休憩所、宝蔵、神輿車庫、手水舎を新築等境内整備した。古来当社は志筑、中田、大町、多賀、尾崎等から三社詣りといいて志筑神社、志筑八幡神社、中田熊野神社の巡拝の一社で各地区の産土神である。」兵庫神社庁HPより 

〆鳥居から境内へ、まっすぐ先に明治32年に改修された拝殿。お目当ての狛犬さんと一緒に私たちを出迎えてくれます。

拝殿彫刻は荒波の間から高く顔を上げ、天上を見上げる龍。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、文政10年(1827)正月吉祥日建立の狛犬さん一対。ギャザーたっぷりの赤い前垂れが何ともチャーミング。吽形さん、誰に向かってのお得意顔? 阿形さん、今日も良い笑顔。

頭から背中にかけてのラインがとても滑らかだったので、追加。

恒例の飾り瓦の獅子さん、場所の位置が悪かったのか単に忘れていたのか、理由は不明ですが阿形さんだけ。

ほかにもいくつか摂社・末社があったと思うのですが、画像に残していたのは、境内の一角、神社公園の碑の後ろに建立されていた「忠魂碑」

参拝日:2010年9月20日

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七福神巡り第二番:八浄寺(はちじょうじ) in 兵庫県淡路市(旧津名町)

2021年06月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

淡路市津名町佐野にある高野山真言宗「蓮台山・八浄寺」。淡路四国八十八か所霊場第64番札所。『阿弥陀如来』を本尊とします。

歴史「応永年間(1394年~1427年)に開基心了法師による阿弥陀如来造立して創建されました。延宝年間(1673年~1681年)に盛奝上人が円融山浄満寺を中興されました。その後、八幡神社別当寺の平松山八幡寺と合併して、蓮台山八浄寺と改称されました。」

淡路島七福神巡りの第二番札所「大黒天様」。〜身・心の裕福を授けるみ寺〜八浄寺。裕福の神:大黒天をお祀りしています。

「大黒さまはインドの神様です。持っている「ふくろ」は、「福労」とも呼ばれています。苦労をいとわずかってでて、その積み重ねをためこむための「ふくろ」。この「ふくろ」から、身・心ともに裕福な人生が右手の打出の小槌をうち振ることによって溢れ出ます。大黒さまの「打出の小槌」は、“怠け心”、“よこしまな心”、“弱い心”など、“邪悪な心”を打ち振るって、人の迷いを晴らしてくれます。」

七福神霊場の総本院として、平成十一年十一月十一日午前十一時に完成した我国唯一の「瑜祇(ゆぎ)七福之塔」。宇宙の霊妙なるパワーが体験できるそうです。

七福神が揃う手水舎は、近づくと水が出るようになっており、私は弁才天様で手を清めさせて頂きました😊。

覆い屋の下に保存されているのは「寶塔心柱育ての根元(ねっこ)」説明には「大日如来の三摩耶形(さんまやぎょう)であり寶塔の揺れを吸収し安定を司る重要な役割を果たす心柱の根元です。気象条件の厳しい雪深き青森県北津軽郡の国有林の密林に小さな一粒のヒバの種子が三百八十余年の年月をかけて育てて下さった尊い根元です。手に触れて大気のパワーを頂いて下さい。」

「四国八十八ヶ所 お砂踏霊場」お堂の横には修行弘法大師像。堂内には金剛杵を手にする御大師様がおいでになられます。

お堂の蟇股に施された彫刻は、空海様の逸話「飛行三鈷杵」に由来する「松の枝に三鈷杵」。

「瑜祇七福之塔」の正面には、坂村真民氏による「母念の碑」「母念とは  母を思うことである。人はすべて母から生まれて来る。母がしっかりしていたらすべての人は幸せになる。母なる星地球よ平和であれ、幸せであれと淡路島に建つ。母念の碑よ、永遠(とわ)なれ、不滅であれ」

「母念の碑」に向かい合うように佇むのは、まばゆいほどに白く美しい「辨財尊天」。

「巡遷弁財天の祖 城喜代頌徳之碑」 「春海先生之碑」

恒例の屋根の上から境内を見守る飾り瓦の獅子さん。ミニュ~っと伸びた体がイタチを想像させて、ちょっと笑ってしまいました😅

ところでここの屋根、一般的には鬼が陣取る降棟に何と福の神がおいでになるのです。まずは唯一、日本固有の福の神である恵比須様と、紅一点の弁財天様。

寿老人様に毘沙門天様

布袋様に福禄寿様

大黒様がおいでにならないのは、ここが大黒様の霊場だからですが、実はちゃんとお印の打ち出の小槌があります。

御詠歌【打つ槌に 宝の雨をふらしつつ 無福の民を 救う御神】

参拝日:2010年9月20日

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ご当地マンホール in 兵庫県旧津名町(淡路市)

2021年06月26日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧津名郡津名町(つなちょう)は兵庫県南部、淡路島東部に位置した町です。洲本市、津名郡北淡町・一宮町・五色町・東浦町に隣接。東浦と西浦を結ぶ最短距離の郡家街道の要地で郡行政の中心地として発展してきました。淡路市塩田新島にある「淡路ワールドパークONOKORO(オノコロ)」は、家族連れに手ごろなテーマパークとして人気のスポットに。また淡路市中田にある「たこせんべいの里」は、試食ができる販売コーナー、ガラス越しに自由に見学できる見学工場、休憩コーナーなどがあり、手軽に立ち寄れるスポットとして人気です。「町の木:みかん」「町の花:カーネーション」「町の鳥:チドリ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、津名郡生穂村・佐野村・志筑村・大町村・塩田村・中田村が発足。

1928年、津名郡生穂村、志筑村が町制を施行し、それぞれ生穂町、志筑町となる。

1955年、津名郡生穂町・佐野町・志筑町・大町村・塩田村・中田村が合併、津名郡津名町が発足。

2005年、淡路町、一宮町、東浦町、北淡町と合併、淡路市となりました。

マンホールには「町の花:カーネーション」と周囲に「町の木:みかんの花」がデザインされています。

昭和30年(1955)10月2日制定の町章は「カタカナで「津名」を図案化し円満行政を目的としたもの」

撮影日:2010年9月20日

淡路市中田にある「たこせんべいの里」、「産直淡路島赤い屋根」。どちらも我が家の大のお気に入り。お土産選び必須の場所として今回の淡路島の旅は無論、それ以前の訪問でも立ち寄らせて頂きました。叶うならもう一度、行きたい!

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伊勢久留麻神社 in 兵庫県淡路市(旧東浦町)

2021年06月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

淡路市久留麻字神田に鎮座される「伊勢久留麻神社」。御祭神は『大日霊貴尊(おおひるめむちのみこと)=天照大神』

創祀年代不詳。社伝によると敏達天皇の御代に、伊勢国奄藝郡久留眞神社を勧請したという。往古「久留麻」は、来馬とも書かれたが、呉織の意味とも考えられている。」兵庫神社庁HPより

「伊勢久留麻神社は、遠く伊勢ノ国久留真より勧請せるものと言われ祭神は大日霊貴尊と称され敏達天皇の頃(五七二~五八五)と言われ、延喜式(九二七年完成)には淡路十三社の三番目に明記されているその為淡路イザナギ神宮を一の宮としこの神社は、三の宮とも言う。」

「昭和五十五年二月十一日建国の日にNHKテレビが特別番組として、「知られざる古代~謎の北緯三十四度三十二分を行く」で西のお伊勢さんとして紹介したので俄然全国的にも有名になったものである。境内由緒より

拝殿前左右より神域を守護されるのは文政12年(1829)『石工 七兵衛』建立の狛犬さん一対。真っ白の前垂れがお気に召したのか、阿形さんは飛び切りの笑顔。吽形さんは・・・柄ではないと嫌がっているのか、それとも照れてるだけなのか😅

9月も半ばを過ぎると日が落ちる時間はびっくりするほど早く、辺りはそろそろ夕方の気配が色濃くなり始めました。今日の神社参拝はこれで終了です。

参拝日:2019年9月19日

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釜口八幡神社と平和観音像 in 兵庫県淡路市(旧東浦町)

2021年06月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

淡路市町釜口に鎮座される「釜口八幡神社」。御祭神は『品陀別命』

「創立年代不詳。三立崎八幡と称し、また正八幡とも号した。明治6年(1873)、村社に列せられる。」兵庫神社庁HPより

拝殿の屋根には飾り瓦の龍がいますが、そのお顔が何ともひょうきんで、淡路の細工瓦に登場する龍は、総じて楽しげで優しい顔をされています。

細長い境内の端には、石の色も新しい忠魂碑が建立されています。以前何かで見た記録では本物の砲身が使われていたように記憶していたのですが、もしかしたら震災の影響で新しく建立されたのかもしれません。

残念ながらこちらの狛犬さんも真新しい大量生産の狛犬に代わっていました。ガッカリしたご亭主殿が何気なく目を上げた先に・・・あれは確か、平和観音像・・・の後姿😲

アップで見ると👀 こんな感じ・・・

神社参拝の帰路に改めて立ち寄ってみた「平和観音寺」ですが、扉は閉ざされたまま。コンクリートの割れ目から伸びた雑草が、寂れてしまったもの悲しさを誘います。

建造当時世界最大の像として話題になった高さ100mの「世界平和大観音像」を有した「平和観音寺」でしたが、2006年2月に閉館。・・・あの大震災にも耐えた観音像も渡る世間には勝てなかったようです。所有者の死亡によって国の所有となった観音像は、8億8千万円をかけて9月ごろから観音像本体を切り分けて撤去される事になりました。台座にあたるビルを撤去して工事が完了するのは、2023年2月ごろになるとか・・見知った迷所がまた一つ消えてゆきます。

参拝日:2010年9月19日

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ご当地マンホール in 兵庫県旧東浦町(淡路市)

2021年06月23日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧津名郡東浦町(ひがしうらちょう)は兵庫県南部、淡路島北東部に位置した町です。津名町・淡路町・北淡町に隣接。国府・国分寺のおかれた律令時代は淡路の政治・文化の中心として発展。南部の仮屋は東浦の漁業の中心地としてミカンや花卉栽培が盛んですが、不足がちの灌漑用水を補うための溜池が多く、1934年には島全体で2万3600余の溜池を有していました。東経135度の子午線が通る自治体としては最南端であり、東浦IC北側には「東経135度のモニュメント」が設置されています。高速上のフロントガラス越しにとらえたもので画像は今一つ。「町の木:ウバメガシ」「町の花:カーネーション」「町の鳥:千鳥」を制定。

旧キャッチフレーズは「花と魚と夢のあるまち HIGASHIURA」

山並みを背景に聳える二つの塔は緯度線の通過地に立っているラジオ局の送信アンテナ。ちょっとSFチックな景色です。

明治22年(1889)、町村制の施行により、津名郡岩屋町・仮屋町・浦村・釜口村が発足。

1956年、岩屋町・仮屋町・浦村・釜口村が合併、津名郡淡路町が発足。

1961年、 淡路町下田・河内・白山・浦・谷・中持・仮屋・久留麻・楠本・釜口の各一部が分立、津名郡東浦町が発足。(仮屋・久留麻・楠本・釜口の分町反対派世帯が淡路町に残留、飛地として散在。)

2005年、津名郡淡路町・一宮町・津名町・北淡町と合併、淡路市となりました。

デザインマンホールは旧淡路町と共同のデザインで、「明石海峡大橋」の下に「東浦町の花:カーネーション」「淡路町の花:ツツジ」がデザインされています。

昭和37年(1962)3月24日制定の町章は「「東浦の「ヒ」を図案化したものです。」

撮影日:2010年9月19日

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二日目の宿泊地「道の駅・東浦ターミナルパーク」は、海を背に立つ二つの塔屋が印象的な「サンシャインブリッジ」と、「淡路市立:中浜稔猫美術館」が目印。

美術館はとっくに閉館していましたが、近くにあった天平ロマン「淡路島、猫物語」の主人公「こまとチヨの像」の愛らしさにすっかり魅了されました。

とある失敗から😅空腹に悩まされ、蚊に悩まされた二日目の車泊。それでも最高に楽しい時間を過ごせました。車で旅をする私たちにとってこの様な施設は本当に有難く大切な場所です。

改めて、その節には本当にありがとうございました🙏🙏

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岩屋神社&岩屋八幡神社 in 兵庫県淡路市(旧淡路町)

2021年06月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

淡路市岩屋に鎮座される「岩屋神社」。御祭神は『国常立尊』『伊弉諾尊・伊弉冊尊』を配祀します。

国道に面して鳥居が建立されている為、対面側の道路向こうからでないと全体像を収めることはできません。

「創立年代不詳。崇神天皇の御代、三対山に鎮座せられ絵島明神といい、垂仁天皇の御代石屋明神と云う。神功皇后三韓征伐の際対岸明石郡垂水の浜より当浦に着船せられ三対山の頂上において戦勝を祈願せられ凱旋の時また参拝ありて報賽せられしという。延喜式の小社に列し、白河天皇承暦4年罪過や穢による当社の祟りがあることが占いによって分かったので祓いをさす為、使を当社に遣わすよう天皇に申し上げた。源平争覇の時岩屋浦戦火の巷と化したるにより、当社も多くの什宝古記録等は鳥有に帰してしまった。土御門天皇の御代大内義興が将軍義植を奉じて京に入らむとして当地に軍を進め、三対山に岩屋城を築きし時当社を海浜なる今の地に遷し奉ったという。池田氏淡路を領しておった時社殿を再興し、寛政8年(1796)、領主蜂須賀公親しく参拝し、文化14年(1817)にも直参せられた。明治6年(1873)、郷社に列せられた。」兵庫神社庁HPより

石段を上がった先に拝殿があり、拝殿の左右に神域を守護される狛犬さんがおいでになります。残念ながらこちらも阪神淡路大震災の被害を受け、貴重な狛犬さんは失われておりました。

「天地大明神」と書かれた社号額の下、拝殿には波間を蹴立てて振り返る龍の彫刻。

拝殿屋根には釣竿を振りあげて満面の笑みを浮かべる恵比寿様。

はて、こちらの恵比須様は何を手にしているのでしょうか? お皿・・でもない。盃・・違う。まさか巨大な釣り針?😲

岩屋漁港の産土神でもあったと思われる岩屋神社。奉納の絵馬にも立派な鯛を釣り上げて満面の笑みを浮かべる恵比須様が描かれています。

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「岩屋港」より北西へ500m、淡路市岩屋浦字八幡に鎮座される「八幡神社」。主祭神は『応神天皇』『仲哀天皇・神功皇后』を配祀します。

「創立年月不詳。戦国時代永禄年中(1558~1569)、安宅紀伊守康盛が創立したともいい、紀伊守守景入道の創建する所ともいう。 明治6年(1873)、村社に列せられる。」兵庫神社庁HPより

拝殿彫刻は胡粉の白が鮮やかな龍・・なのですが、何というかとても人懐こそうな顔立ち。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、昭和44年12月建立の狛犬さん一対。シデを下げた注連縄に真っ白な前垂れ姿が・・・結構いかつい顔なんですが、この前垂れのせいで迫力が半減しているかも😅

参拝日:2010年9月19日

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ご当地マンホール in 兵庫県旧淡路町(淡路市)

2021年06月21日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧津名郡淡路町(あわじちょう)は淡路島の最北端に位置した町です。津名郡北淡町・東浦町、明石海峡を挟んで神戸市、明石市と隣接。津名丘陵の一角にあり、町の東側は大阪湾、北側は明石海峡に面し、中心集落の岩屋は古くからの交通の要地として栄えてきました、また最北端の松帆崎周辺は万葉の昔から知られた大和島・絵島・松帆の浦などの景勝地が多く、一部は瀬戸内海国立公園に属し、古来からの潮待ち・風待ちの地として多くの歌人の歌に詠まれてきました。明石海峡大橋南東側に設置された「道の駅あわじ」からは、明石海峡を通る船舶などを眺めることができ、観光名所にもなっています。「町の木:ウバメガシ」「町の花:ツツジ」「町の魚:タイ」「町の鳥:カモメ」「町の色:ブルー」を制定。

明石海峡大橋の下を航行する「たこフェリー」。兵庫県の明石港と岩屋港(淡路島)を結ぶ明石淡路フェリーですが、この時からわずか二ヶ月後に廃止されました。

明治22年(1889)、町村制の施行により、津名郡岩屋町・来馬村・浦村・釜口村が発足。

1892年、岩屋町大字箙村が野島村の一部となる。

1912年、来馬村が町制を施行、改称して津名郡仮屋町となる。

1956年、岩屋町・仮屋町・浦村・釜口村が合併、津名郡淡路町が発足。

2005年、津名町・北淡町・一宮町・東浦町と合併して淡路市が発足。現在に至ります。

デザインマンホールは東浦町と共同のデザインで、「明石海峡大橋」の下に「淡路町の花:ツツジ」「東浦町の花:カーネーション」がデザインされています。

昭和32年(1957)1月制定の町章は「片仮名の「ア」を組み合せて図案化し、明石海峡に臨む海辺の町を表したものです。」合併協議会資料より

撮影日:2010年9月19日

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