車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 三重県旧小俣町(伊勢市)

2021年04月17日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・三重県

旧度会郡小俣町(おばたちょう)は伊勢平野の南部に位置した町です。伊勢市、度会郡玉城町・御薗村、多気郡明和町に隣接。宮川左岸に位置し、参宮街道「宮川の渡」の渡河集落として発達。南東部は宮川の沖積地で水田が広がり、古代には伊勢神宮の小俣御厨として位置づけられていました。北部は明野ヶ原台地で江戸末期に開拓。町の西端部に標高40m前後の丘陵地(大仏山)が僅かに存在するが、殆どは標高20m未満の平地で、米作を中心にイチゴなどの施設園芸が行われています。「町の木:サクラ」「町の花:キク」を制定

明治22年(1889)、町村制の施行により、度会郡小俣村・北浜村・有田村が発足。

1928年、小俣村が町制を施行、度会郡小俣町が発足。

1953年、度会郡北浜村明野開拓地を編入。

1955年、度会郡有田村湯田・新村・井倉字妻ヶ広を編入。

2005年、旧伊勢市・二見町・御薗村と合併、新伊勢市が発足。伊勢市小俣町となりました。

マンホールには、町章と、「町の木:桜」が美しくデザインされています。浄水場の塀の向こうに見えていたマンホールの為、これが精一杯。

昭和33年(1958)10月20日制定の町章は「「小俣町の「小」を図 案化。円で和を、翼型で発展を 表し、明るく伸びゆく小俣町を 象徴したものです。」合併協議会資料より

撮影日:2010年4月3日

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ご当地マンホール in 三重県旧御薗村(伊勢市)

2021年04月15日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・三重県

旧度会郡御薗村(みそのむら)は伊勢平野の南端部に位置した村です。伊勢市、渡会郡小俣町に隣接。村域の大半は宮川下流(河口付近)の東岸にあり、著しい高台や丘陵は無く、緩やかに海岸方向へ向けて傾斜する低坦地状となっていますが、海(伊勢湾)には面していません。背後に丘陵を負った河岸段丘上の集落で、南方中ノ川の両岸にかけて広大な水田が広がっています。「村の木:ウメ」「村の花:キク」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、度会郡御薗村が発足。

2005年、旧伊勢市・二見町・小俣町と合併、新伊勢市が発足。伊勢市御薗町となりました。

マンホールには村章を中心に、自治体名の頭文字「み」が、全体にデザインされています。

昭和55年(1980)9月8日 制定の村章は「村名の頭文字である「み」を 図案化し、飛躍発展を表徴しま した。」合併協議会資料より

「御薗神社」境内に設置されていた独自の鉄蓋、用途は今一つ不明。

撮影日:2010年4月3日

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ご当地マンホールとマンホールカード第12弾 in 三重県旧二見町(伊勢市)

2021年04月12日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・三重県

旧度会郡二見町(ふたみちょう)は三重県の南東部に位置した町です。西と西南部は五十鈴川を隔てて、他は地続きで伊勢市に隣接。伊勢平野の東南端、志摩半島の北縁にあり北は伊勢湾に面します。町域の西部は宮川と五十鈴川で流出してきた砂が伊勢湾流によって堆積した砂堆が発達。伊勢志摩国立公園に属し、国の名勝に指定された二見浦の東端の立石崎には、二見を代表する景観「夫婦岩」があり、縁結びを願う多くの人々が訪れます。「町の木:黒松」「町の花:ヒマワリ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、度会郡東二見村・西二見村が発足。

1908年、東二見村、西二見村が合併、町制を施行し度会郡二見町が発足。

2005年、旧伊勢市・御薗村・小俣町と合併、新伊勢市が発足。伊勢市二見町となりました。

マンホールには、「二見浦の夫婦岩から見る旭日」と、周囲に「町の花:ひまわり」がデザインされています。

昭和41年(1966)11月15日制定の町章は「外側の上下の半円は二見町 の「二」を表しています。内側 の円は太陽で、日の出の名所と して知られた二見浦の「日の 出」を表しています。このしる しは、二見町が昇る太陽のよう に限りなく発展していく様子 や願いを表したものです。」合併協議会資料より

久居市越境蓋

撮影日:2010年4月3日

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マンホールカード、頂きました。

2020年7月1日、第12弾として全国53自治体で62種類(累計535自治体667種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「伊勢市B」のマンホールカードは、「二見生涯学習センター内 二見浦観光案内所」でいただけます。

2020年に設置開始されたマンホールには「夫婦岩と月の出」と「旧町の花:ひまわり」がデザインされています。

「古来より二見浦は参宮の禊の地として知られ、多くの人々がここで禊をして伊勢神宮を目指しました。 中心に描かれた二見輿玉神社の「夫婦岩」は、猿田彦大神ゆかりの輿玉神石を拝する鳥居の役割を担っており、開運招福・家内安全・交通安全・夫婦円満・縁結びの祈願に、多くの人々が訪れます。 夫婦岩の間からは、夏至の頃には日の出を、10月から1月の満月の頃には月の出を拝むことができます。 また運が良ければ、夏至の頃に昇る朝日に富士の山影を望むことができ、一見の価値ありです。 周囲に配された「向日葵」は、平成17年の4市町村合併で新伊勢市が誕生する前の旧二見町の花です。」

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ご当地マンホール in 三重県旧伊勢市(伊勢市)

2021年04月03日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・三重県

旧伊勢市(いせし)は三重県南東部に位置した市です。鳥羽市、志摩市、度会郡二見町・小俣町・御薗村・玉城町・度会町・南伊勢町・多気郡明和町に隣接。伊勢神宮の鳥居前町であり、「伊勢国風土記」逸文に「伊勢の国度会の郡の宇治の村五十鈴の河上に、宮社を造りて太神を斎き奉りき」と記され、山田は「止由気宮儀式帳」に「度会乃山田乃原、下石根爾宮柱太知立」とあり、山田の原と称された。内宮の鳥居前の宇治と外宮の鳥居前の山田を中心に発達。江戸時代には江戸幕府が伊勢神宮の管理を目的とする山田奉行所を設置。明治から昭和にかけて参宮鉄道線・参宮急行電鉄本線・伊勢電気鉄道本線など鉄道が次々と開通したことにより参詣客が増加し更なる発展を見ました。

明治23年(1890)、町村制の施行により、度会郡宇治山田町・神社町・大湊町・宮本村・浜郷村・豊浜村・北浜村・城田村・四郷村・沼木村が発足。

1906年、度会郡宇治山田町が市制を施行、宇治山田市が発足。

1941年、度会郡神社町を編入。

1943年、度会郡大湊町・宮本村・浜郷村を編入。

1955年、度会郡豊浜村・北浜村・城田村・四郷村を編入、即日改称し、伊勢市が発足。同年、度会郡沼木村を編入。

1957年、度会郡玉城町大字粟野を編入。

2005年、度会郡二見町・小俣町・御薗村と合併し、新・伊勢市となりました。

マンホールには、江戸時代に一般化した伊勢神宮の「おかげまいり」の様子がデザインされています。

明治40年4月1日に制定された市章は「中央に田の字を置き、4周に3弁の桜花を配して、宇治と山田を象徴化したもので、宇治山田市章として制定され、伊勢市改称後に継承されました。」公式HPより

中央に「井」のマークがあるマンホールは、伊勢の老舗みそ製造会社「糀屋」の敷地内路地で見かけたもの。

宇治山田駅で見つけた、伊勢市観光PRキャラクター『はなてらすちゃん』。アマテラスとはなてらす・・・・安易と言えば安易ですが、らしいと言えばらしい命名です😊

撮影日:2010年4月4日

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ご当地マンホールとマンホールカード第7弾 in 三重県伊勢市

2021年04月02日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・三重県

伊勢市(いせし)は三重県中東部、伊勢平野の南端部に位置する市です。2005年11月1日 、度会郡二見町・小俣町・御薗村と合併、新たに伊勢市が発足しました。鳥羽市、志摩市、度会郡南伊勢町、度会町、玉城町、多気郡明和町に隣接。北は伊勢湾に面し、中央には宮川や五十鈴川、勢田川が流れ、また、東から南にかけては朝熊岳、神路山、前山、鷲嶺が連なり、西には大仏山丘陵が広がる緑豊かな都市。海岸部は各河川の若いデルタと単調な砂浜海岸からなり、市街地は低く、市の中心でも標高四メートル未満。伊勢志摩国立公園の玄関口として、豊かな自然と美味しい食材に恵まれ、歴史と文化に富んだ名所・旧跡も多く、魅力ある地域資源があふれています。

また、古くから「お伊勢さん」「日本人の心のふるさと」と呼び親しまれてきた伊勢神宮を擁し、神宮御鎮座「神都」の異名を持つ町として栄えてきました。「市の木:オヤネザクラ 」「市の花:ジングウツツジ」「市の鳥:イソヒヨドリ」を制定。

キャッチフレーズは 「美(うま)し風起(た)つ 回帰新生都市」

2006年、度会郡玉城町大字長更の一部を編入、現在に至っています。

2005年11月1日制定の市章は「「ISE」の文字をモチーフに、神宮の森や伊勢平野を包むように広がる青空と清流、そして、豊潤な伊勢湾を緑色と青色で表現。中央の「S」で勢いを表すとともに、循環型のまちづくりを基本理念とした都市を象徴しています。」公式HPより

撮影日:2010年4月3日

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マンホールカード、頂きました

2018年4月28日、第7弾として全国49自治体で49種類(計301自治体342種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「伊勢市A」のマンホールカードは、「伊勢市駅観光案内所」でいただけます。

1993年に設置開始されたマンホールには「おかげ参り」の様子がデザインされています。

「江戸時代、ほぼ60年に1度の周期で、人びとが参宮に熱狂する現象がありました。 原因は定かでありませんが、例えば「皇太神宮のお札が降ってきた」などの伊勢神宮の噂が流れると、それを聞きつけた民衆が白衣に菅笠を身につけて杓を持ち、集団で伊勢神宮をめざしたのです。 沿道の方々もその旅を支援し、おかげで無一文でも参宮が叶えられたことから、神様のおかげという意味で「おかげ参り」と呼ばれるようになりました。 本デザイン蓋は、「おかげ参り」から伊勢を発信するために制作したものです。 今も昔も変わらない日本人の心の故郷・伊勢神宮をはじめとするお伊勢さんを、感じてください。」

カードと同デザインのマンホール

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ご当地マンホール in 三重県明和町

2021年04月01日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・三重県

多気郡明和町(めいわちょう)は三重県のほぼ中央、伊勢平野の南部に位置する町です。東は伊勢市、西は松阪市、南は多気郡多気町、度会郡玉城町に隣接。町名は、斎明村から「明」を、三和町から「和」をとり「明和」と名付けられました。地形は平野が多く祓川、笹笛川、大堀川の三つの川が伊勢湾へと流れ込み、良質米の生産地域となっています。また伊勢湾岸の遠浅で砂質の地盤を活かし、のり養殖業やあさり、バカ貝などの採貝漁業が行なわれています。伊勢街道沿いに位置し、古代には天皇の名代として伊勢神宮に奉仕した斎王の住んだ斎宮(斎宮寮)があった事でも知られています。「町の木:槇」「町の花:のはなしょうぶ(どんど花)」を制定。

キャッチフレーズは 「活力と緑豊かな文化のかおり高い町づくり」

明治22年(1889)、町村制の施行により、多気郡大淀村、上御糸村、下御糸村、斎宮村、明星村が発足。

1924年、大淀村が町制を施行、多気郡大淀町が発足。

1955年、多気郡大淀町・上御糸村・下御糸村が合併、多気郡三和町が発足。斎宮村・明星村が合併、多気郡斎明村が発足。

1958年、多気郡三和町・斎明村が合併、神郷町(しんごうちょう)が発足。即日改称して明和町となる。

マンホールには、町の花である「野花しょうぶ」と、町の木「槙」がデザインされています。

「町の花:花しょうぶ」は、「どんど」と呼ばれる取水口付近に咲いていた事から「どんど花」とも呼ばれています。明和町斎宮字蛭ノ沢には、国天然記念物に指定された「斎宮のハナショウブ群落」があります。

昭和35年(1960)8月26日制定の町章は「明和の頭文字の「明」を解体して日 と月で表し、日は「威厳」、月は「慈愛」 を意味し、天体のごとく丸く高く発展 と向上を表している。」公式HPより

ご当地キャラでは有りませんが、斎宮跡公衆トイレにあった男女マーク。古代(天武朝)から南北朝時代まで続いた斎王の町らしいデザインです。

最後は、斎宮跡敷地の芝生一面を覆っていた「つくし」の大群生。桜ばかりが春の使者ではないとでも言いたげに、しっかりと頭をもたげ、大地の春を主張しています。

訪問日:2010年4月3日

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初めての車中泊は「明和町から旧伊勢市・旧二見町・旧御園町・旧小俣町」と回りました。当時は存在しなかったマンホールカードも、訪問先のマンホールと合わせて紹介しています。

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ご当地マンホール in 三重県

2021年03月31日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・三重県

三重県(みえけん)は日本の近畿地方に位置する県です。北は養老山地と木曽三川を境に岐阜県・愛知県に。西は 鈴鹿山脈・信楽山地・台高山脈・紀伊山地を隔てて滋賀県・京都府・奈良県に。南は熊野川を境に和歌山県に隣接。県内には14市7郡15町の自治体が属しており「町」の読み方は全て「ちょう」で県庁所在地は津市。南北の長さは約170km、東西の幅は80kmと、細長い形。伊勢平野をはじめとする平野部から、鈴鹿山脈などの山脈、青山高原などの高地、盆地、低地など様々な地形を有し、県域は北勢、伊賀、中勢、南勢(伊勢志摩)、東紀州の5地域に区分。海、山の豊富な自然に恵まれ、農業・漁業が盛んな一方、伊勢神宮や伊賀上野、二見浦、世界遺産の熊野古道などの観光地やナガシマスパーランド、なばなの里、志摩スペイン村、鈴鹿サーキットなどのテーマパークがあり、観光を産業として成り立たせています。「県の木:神宮杉」「県の花:花菖蒲」「県の鳥:シロチドリ」「県の魚:伊勢海老」「県の獣:カモシカを制定。

キャッチフレーズは「つづきは三重で」

明治4年(1871)、 廃藩置県により桑名県・亀山県・長島県・神戸県・菰野県・津県・久居県・鳥羽県が設置。

1872年、第1次府県統合により桑名県・亀山県・長島県・神戸県・菰野県・津県が安濃津県に。久居県・鳥羽県・度会県が度会県に統合。

1872年、安濃津県が四日市陣屋に県庁を移設、三重県に改称。

明治9年(1876)、第2次府県統合により三重県と度会県が合併、現在の三重県が発足しました。

マンホールは県章が表記された規格蓋のみ、同じく空気弁等や側溝蓋なども全て規格タイプです。

昭和39年4月20日制定の県章は「三重県の「み」を力強く雄飛的にデザインしたもので、世界的に有名な真珠養殖も象徴しています。また、右上がりになっている字は、県が飛躍することを表しています。」公式HPより

北勢水道 空気弁

北工水 空気弁

防蝕 北工水

側溝蓋

電線共同溝

三重県警察シンボルマスコット『ミーポくん』。県の鳥「シロチドリ」をモデルにデザインされました。

「お伊勢さん菓子博2017」のキャラクターとして生まれた『いせわんこ』。お菓子とふるさと三重県が大好きで「もっと三重のお菓子を知ってほしいかし~!!」と旅に出ました。おいしいお菓子とみんなの笑顔に会いたくて今日も旅を続けているそうです。

撮影日:2010年4月3日&2015年9月7日&2017年3月25日

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尾鷲市・名張市・熊野市・志摩市・鳥羽市、度会郡南伊勢町・渡海町・玉城町・大紀町、南牟婁郡御浜町・紀宝町、北牟婁郡紀北町、多気郡多気町・大台町の5市9町は現時点で未訪問のため、マンホール画像はありません。

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ご当地マンホールとマンホールカード in 三重県鈴鹿市

2018年03月12日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・三重県

鈴鹿市(すずかし)は三重県の北部に位置し、東に伊勢湾、西に鈴鹿山脈と恵まれた自然環境の中にあります。江戸時代には東海道「石薬師宿」「庄野宿」を擁し、また白子は伊勢参宮街道の宿場町として栄えてきました。

紀州藩の保護を受け、型を彫る職人と染める職人の協同で、発展をしていったといわれる「伊勢型紙」。白子地区には現代に通用する「伊勢型紙」を用いた工房を何店も見る事が出来ます。「市の木:ケヤキ」「市の花:サツキ」を制定。

鈴鹿市稲生町には、世界的にも有名な日本有数のレーシングコースである「鈴鹿サーキット」があり、近年では日本のモータースポーツの聖地とも言われています。

キャッチフレーズは「さぁ、きっともっと鈴鹿。海あり、山あり、匠の技あり」

1889年(明治22年)、町村制の施行により、鈴鹿郡国府村・庄野村・高津瀬村・牧田村・石薬師村・河芸郡白子町・神戸町・稲生村・飯野村・河曲村・一ノ宮村・箕田村・玉垣村・若松村が発足。河芸郡栄村・天名村・合川村が発足。

1942年、鈴鹿郡国府村・庄野村・高津瀬村・牧田村・石薬師村・河芸郡白子町・神戸町・稲生村・飯野村・河曲村・一ノ宮村・箕田村・玉垣村・若松村が合併して鈴鹿市が発足。

1954年、河芸郡栄村・天名村・合川村。亀山市小田町・和泉町・西富田町・中富田町を編入。

1957年、鈴鹿郡三鈴村大字下大久保・岸田・山本・小社・小岐須・大久保を編入。

1957年、鈴鹿市小社町・小岐須町を鈴鹿郡鈴峰村に編入。鈴峰村大字深溝・三畑町・追分を編入。

1967年、鈴鹿郡鈴峰村を編入、現在に至っています。

マンホールには「鈴鹿山脈」「鈴鹿川から伊勢湾に注ぐ川の流れ」が絵画風にデザインされています。(カラー蓋は白子駅前に設置)

鈴鹿山脈

鈴鹿市上下水道局展示マンホール

「小川を泳ぐメダカ」がデザインされたマンホール。下水道の普及によって美しい川を取り戻そうとの願いが込められています。

昭和19年1月1日に制定された市章は「円満な市政を願い「鈴」の丸い形をデザイン化。」公式HPより

制水弁

鈴鹿市マスコットキャラクター『ベルディ』「「鈴鹿」の地名の由来を表現し、だれもが身近に感じ、だれからも親しまれ、愛されるイメージを表現する「鹿と鈴」をモチーフに制作されました。」公式HPより

撮影日:2017年12月14日

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2017年12月9日、第6弾として全国64自治体で66種類(計252自治体293種類)のマンホールカードが配布されました。カードは「平日:鈴鹿市上下水道局」、「休日:鈴鹿市観光協会」で頂けます。

1990年に設置されたマンホールには「鈴鹿の峰々から湧き出た清水が川となって緑の野を流れ、白砂青松の伊勢湾まで注ぐ様を表しています。」 (下水道公社HPより

【自動車産業やモータースポーツのまちとして全国的にも知られている鈴鹿市は、三重県の北中部に位置し、海・山・川などの自然に恵まれています。 一次産業は、お茶やサツキに代表される農業、イワシ・コウナゴなどの漁業が昔から盛んで、まちは多くの魅力と個性にあふれています。 本市のマンホール蓋は、鈴鹿の峰々から湧き出た清水が川となって緑の野を流れ、白砂青松の伊勢湾に注ぐ様を描いたもの。 鈴鹿の美しい自然を守りたいという想いを込め、市の伝統的工芸品である伊勢型紙をイメージした温かみのある色合いに仕上げました。 鈴鹿の豊かな自然を感じながら、ご鑑賞ください。】

巨大マンホールカードと、頂いたマンホールカードを手に

白子駅前の座標軸マンホール。上下水道局の方がとても丁寧に設置場所を教えてくれました。

訪問日:2017年12月13日

 

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ご当地マンホール in 三重県木曽岬町

2018年03月11日 10時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・三重県

桑名郡木曽岬町(きそさきちょう)は三重県の北東端に位置し、桑名郡に属する唯一の自治体です。木曽川下流にあって、東は愛知県海部郡弥富町に、西は木曽川を隔てて桑名市に接し、南は伊勢湾に面しています。「町の花:水仙」「町の木:桜」を制定。

キャッチフレーズは「木曽川、そして先人が拓いた大地-豊かな自然の恵みと共に。」

明治22年(1889)、町村制の施行により、25の新田の区域をもって、桑名郡木曽岬村が発足。

1989年、木曽岬村が町制を施行、桑名郡木曽岬町となりました。

マンホールは、町章のみの規格蓋を一種類見つけられただけ。

昭和53年4月1日制定の町章は「「き」を飛鳥と波のイメージでデザイン化し、町の融和・団結・産業 ・文化の発展を表現し、町の将来を力強く象徴。」公式HPより

中央に「水資源開発公団(現:水資源機構)」の知章。空気弁

中央に「農」。改良区・制水弁

三重県一の生産量を誇る特産品のトマト。総出荷量は県全体の約6割を占めています。 特に水分や肥料を調整した高糖度トマトは、「とまリッチ」の名称で販売。そんなトマトをモチーフに誕生した『トマッピー』。木曽岬町の公式マスコットキャラクターです。

町内循環バスの車体に描かれた『トマッピー』と「シンボルマーク」。

1999年3月21日決定のシンボルマークは「人の和がつくりだした豊かな大地を楕円であらわし、木曽岬町のイニシャル「K」をモチーフに水を治め、豊かな実りをつくりだそうという力強いイメージの形態で表現しました。中の円は、昇る太陽で木曽岬町の明るい未来を表現しています。」公式HPより

撮影日:2011年4月9日&2017年3月27日

 
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ご当地マンホール in 三重県川越町

2018年03月09日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・三重県

三重郡川越町(かわごえちょう)は三重県北部・北勢地域に位置し、北は員弁川を境に桑名市に隣接、南は四日市市、西は朝日町に接し、東は伊勢湾に臨んでいます。鈴鹿山脈を源とする朝明・員弁両河川の流出土砂により形成された起伏のない沖積層地帯で、標高約0m~5mの平坦地です。町名は朝明川北部の村々と南部の豊田、高松の両村が合併することになり、「川を越えて」一つの村になった事から「川越村」と名づけられました。「町の花:水仙」「町の木:クロガネモチ」「町の鳥:ツバメ」を制定。

キャッチフレーズは「活力とうるおいに満ちた快適な生活のまち」

明治22年(1889)、町村制の施行により、朝明郡川越村が発足。

1896年、所属郡が三重郡に変更。三重郡川越村となる。

1961年、川越村が町制を施行、三重郡川越町となりました。

マンホールには員弁川の流れと「町の花:水仙」が、色鮮やかにデザインされています。

雨水用マンホール

昭和40年制定の町章は【川越の「川」は、各住民が肩を組んだ姿を想定して、大きく草書し、その周囲の「エ」は町の基本構想の工業を表すとともに、片仮名の「エ」に通じるので、「越」にもじって5字で「ゴエ」を図案化。町の発展と町民の融和を表徴した。】HPより

仕切弁

庁舎で見かけた寄贈車「ゆたか号」。町の花と鳥が鮮やかにデザインされています。

庁舎の植え込みに見つけた春の訪れ

撮影日:2011年4月9日&2017年3月26日

 

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