車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

鳩谷(はとたに)八幡神社 in 岐阜県白川村

2020年04月30日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

白川村鳩谷に鎮座される「鳩谷(はとたに)八幡神社」。御祭神は『応神天皇』。鳩谷区の産土神として崇敬されています。

 

「勧請年代は不詳であるが盤座(神馬の尻もち岩)をもつ事から、古い形の産土神でもある。文亀年中より永正年間(1504~1520)にかけて社殿を再興したと伝えられており、社殿に向かい右手脇にはハラエドや、社殿前には大杉が連立する神を迎える依り代があり、その手前には木製鳥居をたてて神域を現わしている。」白川村役場公式HPより 

参道途中より神域を守護されるのは関西系を思わせる狛犬さん一対。建立年は不明ですが、ふっくらとした体つき、大口を開けて笑っているような阿形さんの顔立ち、いずれもとても穏やかでなごみます。

 

拝殿貫彫刻は、かなり毛色の変わった象・・・だと思うのですが

耳の穴が見えれば「獏」、穴が見えなければ「象」となっているのですが・・そもそも、耳は何処??

古代信仰の名残ともされる盤座「神馬の尻もち岩」。案内に「神代の昔、天空を翔けた神馬がたまたまこの地に飛来し、風光明媚な様子に見とれて休もうとした際誤って尻もちをついたのがこの岩であるという。岩の左手に馬の頸跡中央の四ヶ所に踏んばった蹄の跡が見られる。」

境内の奥に「麝香(じゃこう)杉の湧水」。説明に飛鳥時代の頃より神社正殿真下より湧き出た清水であったが、室町時代に境内の麝香の大杉を伐り倒したとき、根本から更に大量の水が湧き出した。」

 

同神社で10月16日17日に行われる「どぶろく祭り」のどぶろくは、毎年1月末の寒のとき、麝香杉の名水を使って酒に造り込むそうです。

参拝日:2012年5月19日

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白川郷:合掌造り集落~其の三 in 岐阜県白川村

2020年04月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

白川郷の絶景スポットと言われる「荻町城址展望台」。ここからの景色を見ずして「白川郷に行ってきました」なんて、口が裂けても言えません。彼方に見える白山の力を借り、ついでに御亭主殿の手を借りて、山道の遊歩道をひたすら歩く事20分・・・

荻町を見下ろす山上展望台からの白川郷は、まさしくポスターで見た世界そのまま。

田植え前の水田、深い緑の山懐に抱かれた合掌造りの集落、手前に見えるあの大きな家屋が「和田家」、こうしてみるとその規模の大きさが一際目立つ・・はぁ~~~~byため息💗💛

「荻町城址展望台」「天守閣展望台」は、どの観光案内でも「白川郷随一の撮影ポイント」として紹介されています。それが決して誇大表現でない事は、この場所に立てば納得の一目瞭然。

天守閣展望台では有料の記念撮影もあり、それとは別に自前のカメラで記念撮影もしてくれます。シャッター時の合言葉は「しらかわごぉ~」😄

遠くに雪を抱いた白山を望むロケーションは、内外問わず観光客に絶大な人気のスポット。カメラマンを担当してくれたご亭主殿のおかげで、忘れ難い記念の一枚となりました。

折角此処まで来たのだからと、城址らしき遺構を探索。とは言え本当に「らしいもの」は何もありません。唯一見つけた「荻町城址の空濠跡」をカメラに収めて、さて、再び下界を目指しますか。

登りに比べれば多少はましな筈!!と我が身を慰めつつ・・もと来た道を引き返します。やっとこさ平地について振り向けば、展望台が遠くに。そして目の前には、何度見ても見飽きない茅葺合掌集落の佇まい~💗

何といっても、今日は丸ごと一日、白川郷を楽しんでもいいと言われているので、名残惜しさに足が動かないなんて言い訳も必要なし!。目に入るもの全てが特別で、素晴らしくて!ああ、形容詞のボキャの少なさが恨めしい・・・・

 

足の向くままに歩いていると不思議なほど人気のない場所に出たりします。そこにはごく普通の日常があるだけなのに、やっぱり私には特別な一場面。そうして目の前に広がる、緑に包まれた穏やかな風景に見とれ、いつの間にか時の流れを忘れてしまうのです。

水田に映る合掌造りは「逆さ合掌造り」と呼ばれ、それはもう何も知らなくてもカメラを向けたくなる情景。

水が張られた田では「代掻き」をしている場面があちこちで見られました。世界遺産に登録され、世界に知られた「白川郷」ですが、そこには普通に人の営みが行われている日常があるのです。

目に入る風景の一つ一つがどれほど素晴らしくとも、そこに暮らす人たちの存在を忘れてはいけません。時折見かけてしまう心無い行為は、通り過ぎてしまう旅人の私さえも、眉をしかめ、胸を痛めるものです。

誰もが心惹かれる景色は、そこに暮らす人たちによって守られている事を、ここに訪れる誰もが心して欲しい・・・そう願わずにはいられません。

 「合掌造り」とは、木の梁を山形に組み合わせて建てられた日本独自の建築様式です。外から見たその形が、まるで掌を合わせたように見えることから「合掌」造りと呼ぶようになった等、諸説あるようです。白川郷の合掌造りは「切妻合掌造り」といわれ、屋根の両端が本を開いて立てたように三角形になっているのが特徴です。積雪が多く雪質が重いという白川郷の自然条件に適合した構造になっています。」白川郷観光協会公式ページ

 

 訪問日:2012年5月19日

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白川郷:合掌造り集落~其の二 in 岐阜県白川村

2020年04月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

古くより人々の暮らしが営まれる土地には、必ず神や仏が存在し人々の敬いを受けて来ました。人智の及ばぬ様々な現象をもたらすものを神として奉り、敬い、恐れ、そして恐れの向こうにある救いを仏に求めてきました。

村の入り口に鎮座される「秋葉神社」。拝殿前の説明には「江戸時代、度重なる火災と、特に天明三~七年の大飢饉ので悪病が流行し多くの犠牲者を出した。この苦境を乗り超えようと「小神堂」を建立、大正時代に神殿を改修し「秋葉神社」と改めた。」白川郷の散策では一番最初に出会う村の鎮守様。

古くより続く家には、屋敷神と呼ばれる神様が奉られています。その昔、神田家の先祖の夢枕に水神の化身である白蛇が現れ「この湧き水を汚すことなく守り暮らすように」とお告げされました。敷地内には、その証として建立された社に「水神」が奉られています。

茅葺屋根の建物の前に建立されていた三基の碑。日露戦争に出征して戦死された人たちの慰霊碑だそうです。神仏の括りとして相応しいかどうかと問われれば、やはりこの項が相応しい気がします。

由来やご祭神がわかるものもあれば、きちんと奉られているにも拘らず神社名が全く不明な社もあります。この社殿は「荻町城址展望台」に祀られていたものですが、社号を現すものも見当たらず、したがってご祭神も不明。

観光案内のページなどに必ず登場する「明善寺鐘楼門」。屋根は茅葺きですが、1階に板庇(ひさし)をつけた珍しい建築様式で、亨和2年(1801)に『加藤定七』以下、延べ人数1425人を要して建てたと伝えられています。

初代の梵鐘(ぼんしょう)は太平洋戦争の際に供出。現在の梵鐘は、高岡市の鋳金工芸作家『中村義一氏』によって戦後に作成されました。季節ごとにその装いをかえる優美で素朴な鐘楼門は、国の重要文化財に指定されています。

 真宗大谷派寺院「松原山:明善寺」。合掌造りの本堂は、文化3年(1806)より欅材の伐採に着手し、20年近い歳月を経て、文政10年(1827)に高山の大工『水間宇助』他、延べ9191人を要して建築されたといわれています。

本堂横、合掌造りの庫裏は、江戸時代末(1817年頃)に高山の大工副棟梁『与四郎』によって建てられたもので、県・重要文化財の指定。階上は郷土の民具や資料などが展示され「明善寺郷土館」として公開されています。

白川村荻町、「明善寺」の手前に鎮座される「白川八幡神社」。御祭神は『応神天皇』。毎年10月14・15の両日に「どぶろく祭り」が開催される事でも知られており、白川郷一帯の鎮守様ですが・・・・・鳥居の向こうには無粋な重機がデ~~~~ン😱!・・・工事中😭

案内に「和銅年間(708~714)創建と伝えられている。寛永12年(1636)に社殿を再建。延享5年(1748)、別当寺として内ヶ戸から明善寺を移す。」

鳥居の左右から神域を守護される狛犬さん、いわゆる岡崎型で普段ならあえて紹介はしないのですが・・・そこはまぁ白川郷なので😅

白川八幡神社の絵馬は、白山を背景に「どぶろく祭り」に奉納される獅子舞。

絵馬と言えば・・ここ「白川八幡神社」は同人ゲーム「ひぐらしのなく頃」に登場する「古手神社」のモデルだそうです。オタク好みの華やかなイラスト絵馬が奉納絵馬の大半を占めています。奉納の文言は「聖地巡礼なのです」・・・だそうです😅

 参拝日:2012年5月19日

まだまだ見所一杯の白川郷ウォッチ、~其の三に続きます

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白川郷:合掌造り集落~其の一 in 岐阜県白川村

2020年04月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

岐阜県白川村の荻町地区に残る、大小100棟余りの合掌造り集落。日本の原風景ともいうべき美しい景観をなすこの集落は、1976年に「白川郷・五箇山の合掌造り集落」として重要伝統的建造物群保存地区に、また1995年にはユネスコの世界文化遺産に登録されました。

 

岐阜の観光パンフレットとか、世界遺産の旅特集とか・・今まで本や写真でしか見たことがなかった「白川郷」。車中泊旅の目的地を「岐阜県」と決めたとき、真っ先にコースに入れたのが、ここ白川村の白川郷でした。ずっと憧れだった「白川郷」。それが、今、目の前に・・・駐車場に車を入れ、庄川に架けられた出会い橋を渡ったら・・・さぁ!白川郷へ😍

 最高に素敵な白川郷、どこから紹介しようか・・歩いた順?印象が深かった順?文化財の建物?有名な名所?・・・・・・とあれこれ考えても結論は出せず、何時のように思いついた場所から😅

まずは「お食事の庵 基太の庄」。築250年の合掌造りで頂く「岩魚の塩焼」、自家製の「朴葉味噌で頂く飛騨牛のステーキ」・・・フレーズは素敵ですが、実はわたし、岩魚も飛騨牛も全くダメなのです。いつも私に合わせてくれるご亭主殿、今更ながら、ごめんね~~~~~😣

おみやげ処「めめんこ」の店先。ここにしかない「白川郷:どぶろくきんつば」のフレーズに思わず立ち止まってしまいました。お酒は一滴も飲めない+きんつば大好き・・・悩みまくって購入しましたが、やっぱりというべきか見事に撃沈。ご亭主殿が美味しく私の分も頂いてくれました😄 そうそう、「めめんこ」って「ねこやなぎ」の事だって。

飲み物を買ったお店の方が記念にと写して下さった写真。こういうサービスって個人の旅行者にはとっても嬉しい。

大型バスが何台も並び、観光客が押し寄せる白川郷。お食事処やお土産のお店はいつも沢山の人だかり。でも折角この美しい集落を歩けるのです。もっと貪欲に、ただし余所者としての謙虚さを絶対に忘れずに、隅から隅まで記憶に残そうね。

五月の白川郷。水を張られた田圃がそこかしこにあり、例えば軒先の木々が、切妻の屋根が、水鏡にやわらかく影を落としています。

どの家も美しい佇まいですが、やはり文化財に指定された建物には、それなりの凄さも付いてくるようです。明治23年(1890)に建てられた「白川郷最大級の合掌家屋」「長瀬家住宅」国重要文化財に指定された建物ですが、普通に現役で人々の暮らしが営まれています。

同じく白川郷最大級の合掌造り民家は、江戸時代後期に建てられた「和田家」。当主は代々『弥右衛門』を名乗り、江戸時代には牛首口留番所役人や庄屋を務め、苗字帯刀を許された家柄です。

白川郷の合掌造民家として最大級規模であり、また式台玄関を備えるなど、質、格式ともに優れた建築であること。その他、附属建物や消雪用の石組溝など屋敷構えも良く残されているとして、1995年12月、和田家主屋、土蔵、便所(右手の小さな建物)の3棟ならびに土地を重要文化財に指定。

和田家住宅は、現在も住居として使われていますが、内部の見学が可能ということで、アジア方面の観光客の人たちが賑やかに出入りしていました。そのパワフルさに圧倒され外観を見ただけで退散・・あのけたたましさ・・さすがにしんどくて・・苦手😓

「神田家合掌造り民芸館」は、文政年間に和田家から分家した当主が、およそ10年の歳月をかけて建てたもの。木造4階建(中2階を含めると5層)の建物で、1階は居住空間、中2階は寝室、2・3階は養蚕の作業場、4階は物置になっています。当時、「白川八幡神社」の社領(神田)があった場所に屋敷を構えたことから、「神田」を苗字としました。

妙に人気の無いこちらの建物は、白川村指定文化財の「旧寺口家住宅」「安政の地震(1850年代)により以前の住宅は倒壊し、その後再建されたものである。建築当時とほとんど変わらない状態で保存されており、昭和62年からは日本ナショナルトラストにより保存、管理が行われている。」案内板より

 

合掌造りの家屋の傍らに頻繁に見かける小さな小屋には「放水銃」が格納されています。火事の恐怖は何時、何処にいても同じ・・とは言え、茅葺屋根の集落においては、その脅威はより深刻であろうと思われます。生命財産はむろん、大切な国の宝を守り続ける為に、ここ白川郷の集落では毎年11月上旬頃に一斉放水の訓練が行われるそうです。

訪問日:2012年5月19日

見所一杯の白川郷ウォッチ、「~其の二」に続きます

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ご当地マンホール in 岐阜県白川村

2020年04月26日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

大野郡白川村(しらかわむら)は岐阜県北部(飛騨地域)の北西部に位置する村です。高山市、飛騨市に。白山を主峰とする両白山地により石川県白山市に。北を人形山によって富山県南砺市に隣接。急峻な山々に囲まれ、村の96%が山林、農耕地は0.4%という典型的な山村で、山々の間を縫うように庄川が流れ、庄川沿いのわずかな平坦地に集落があります。

村域は日本有数の豪雪地帯であり、特別豪雪地帯に指定。このような風土から合掌造りという独特な家屋が生み出され、白川郷・五箇山の合掌造り集落はユネスコの世界遺産に登録されています。「村の木:ブナ」「村の花:白山しゃくなげ」を制定。

キャッチフレーズは「世界遺産  ひだ白川郷」

明治8年(1875)7月29日、芦倉村・有家ヶ原村・飯島村・牛首村・内ヶ戸村・大窪村・大牧村・尾神村・荻町村・加須良村・小白川村・木谷村・島村・椿原村・野谷村・鳩谷村・平瀬村・福島村・馬狩村・牧村・御母衣村をもって、白川村が立村。

マンホールには、「ひだ白川郷」の文字と「合掌造り住宅」が美しくデザインされています。

「合掌造り住宅」

昭和38年2月1日制定の村章は「白川村の頭文字「シ」を図案化したもので、円形は、円満充実を意味し、下部のピラミッドの形は、合掌造りを象徴し、さらに中央の空間は、住民のおおらかな気持ちを表現しています。」公式HPより

目を皿にしてやっと見つけた村章付きの蓋、小さなプラ汚水枡ですがバンザイ!😄

白川郷に向かう途中に見かけた「旧遠山家民俗館」。今から合掌集落に行くんだからと言われ、外観のみを画像に収めて通り過ぎてしまったのですが、後で確認したら「国指定重要文化財」との事・・・・・まぁでも、この先にもっと素敵な景色に出会える筈だし😔

「合掌造り」を模した街灯は「道の駅:白川郷」の近く。

「合掌造り家屋」のモニュメントは、庄川に架かる「萩町橋」の親柱。向こうに見えるトンネルを抜けた先に憧れの「白川郷」が・・😄 そう思うだけで、胸が弾みます。

 撮影日:2012年5月19日

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「三寺まいり」と「あゝ野麦峠」 in 岐阜県飛騨市古川

2020年04月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

浄土真宗本願寺派寺院「照耀山:円光寺」『阿弥陀如来』を本尊とし、.近隣の真宗寺や本光寺とともに「三寺まいり」の寺として知られています。創建は永正十一年(1514)。垣株堂という道場として開かれたのが始まりと伝えられ、山門は、天正年間(1573~1593)に築かれた「増島城」が廃城となった後に移築。飛騨市史跡 に指定されています。

本堂は寛文7年(1667)の建立。妻面に施された亀の彫刻は「水呼びの亀」と呼ばれ、明治37年(1904)の古川大火の際に、火災から本堂を守ったと云われています。

鐘楼と経蔵の後ろに見えているのは、瀬戸川用水沿いに見えていた洋風建築っぽい建物の一部。あれって、結局なんだったんだろう??

側の解説板に気付かなければ素通りしたかもしれない大石・・・「境内にある上町塔の腰塔心礎は上町廃寺の五重塔の塔心礎と推定されるもので飛騨国内に見つかっている塔心礎4基のうち柱穴が最大のものとされ飛騨市指定文化財に指定されています。」

荒城川河畔に建つ、浄土真宗本願寺派寺院「朝光山:真宗寺 」、同じく『阿弥陀如来』を本尊とします。 文亀2年(1502)に白川郷萩町に開創。天文11年(1542)に古川町に移転しましたが、金森氏が飛騨の領主になると、新しく作られた古川町三之町の現在地に移転しました。

本堂は明治37年(1904)に起きた古川大火によって「輪転蔵」だけを残し、他の伽藍と共に焼失。現在の本堂は明治45年(1912)に再建されたものです。

本堂脇に建つ輪転蔵経堂」は明和8年(1771)の建築で、飛騨市指定文化財。格子戸の小さな穴から見える仏の世界は、250年近い年月を経たとは思えないほど鮮やかで美しいものでした。

実は「三寺」の中で一番最初に立ち寄ったのは、荒城川に架かる「霞橋」を渡ってすぐ右手の「本光寺」。激しい雨の為に車内から山門を写し、目当ての銅像をデジカメに収めただけで、直ぐに車に戻ってしまいました。

激しい雨にも拘らず画像に収めたのは、『あゝ野麦峠』の文学碑と工女の像。
「二月もなかばを過ぎると 信州のキカヤ(製糸工場)に向かう娘たちがぞくぞくと古川の町へ集まって来ます。みんな髪は桃割れに、風呂敷包みをけさがけにして「トッツァマ、カカマ達者でナ」 それはまるで楽しい遠足にでも出掛けるように元気に出発して行ったのでございます」

お天気が回復したので本格的に町歩きをし、最後に立ち寄ったのは、国登録有形文化財で野麦峠にゆかりの老舗旅館「八ツ三館(はっさんかん)」。明治38年(1905)に建てられたもので、今も現役で営業されています。

「~そのころ、古川町の工女宿向町の八ッ三旅館の前は工女の荷物をとりに来た親たちで、毎日ごった返して、廊下や裏庭は足の踏み場もなかった。」あゝ野麦峠より

後で気がついたのですが、「八ツ三館」の川向こうに見えていたお寺って「本光寺」だったんですね😓   町歩きに思ったより時間を費やし、遠目で見ただけで確認さえしなかった・・・。これでは「三寺・・」ではなくて「二寺まいり」。でもってこちらの本堂、木造建築では飛騨地域で最も大きく、装飾も飛騨の匠の技巧をつくしたものだとか~~~~~💧💧

毎年1月15日に行われる「三寺まいり」。飛騨古川に200年以上も前から続く『親鸞聖人』のご恩を偲び、町内の3つの寺、円光寺・真宗寺・本光寺を詣でる独特の伝統風習として受け継がれてきました。

「その昔、野麦峠を越えて信州へ糸引きの出稼ぎに行った年頃の娘たちが着飾って瀬戸川の川べりを歩いて巡拝し、男女の出逢いが生まれたことから「嫁を見立ての三寺まいり…」と飛騨古川の小唄にも唄われ、縁結びが叶うおまいりとして全国に知られるようになりました。」飛騨市公式ウェブサイトより

「女工哀史」によって悲惨な面ばかりがクローズアップされてしまった飛騨の女工たち。ですが当時の日本には、過酷な出稼ぎの話はごく普通に転がっていました。家の為に身を売る事も決して珍しい事では無かった時代の女たちを、可哀そうだ、悲惨だ、残酷だと、現代人が賢しらに煽り立て、薄っぺらい正義感と同情をひけらかす。それは「驕り」以外の何物でもないと・・私は思います。

訪問日:2012年5月18日

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飛騨古川の町歩き in 岐阜県飛騨市古川

2020年04月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

古川町弐之町に酒蔵を構える「渡辺酒造店」。明治三年(1870)の創業で店舗は国登録有形文化財の指定。大きな杉玉の横に架けられた「蓬莱」の看板、飛騨の濁り酒(どぶろく)なら「蓬莱」と言うのが定番だそうです。

その「渡辺酒造」の倉庫の角に、「杜氏酛摺(もとす)り像」と題された像があり、下に『司馬遼太郎』の書による言葉が刻まれています。二人の杜氏の凛々しい顔立ちは、是非ともアップで堪能してください😊

【杜氏殿の 心澄みゆき魂きはる  いのちの酛は 生まれ初めけり】(酛は酒母の別名)

宝永元年(1704)創業の「有限会社蒲酒造場」。大きな杉玉の横に並ぶ「白真弓」の看板が歴史の重さを感じさせる建物は、国登録有形文化財の指定。

白真弓の名の由来は、万葉集の巻代十二の中にある「ひだ」の枕詞に由来するとも言われているとか・・「利は貪るべからず頂くべし」の家訓の元、「飛騨の銘酒:白真弓 大吟醸」を生み出しています。

弐之町の角に建つのは、「創業文化二年(1805):三伊呉服店」。店先でご亭主殿が熱心に見ているのは、額に納められた古い「染め型紙」。職種は違えど、かって共に着物の道に進んだ二人にとっては、これは必見のお宝。

和紙と灯芯と真綿で作った芯に、ハゼの実から出来た蝋を掛けながら形を整えて製作される『生掛和蝋燭』のお店、「三嶋和ろうそく店」。飛騨の風物詩「三寺まいり」のために、三嶋和ろうそく店では重さ13kgにも及ぶ大きな和ろうそくを作り、それぞれのお寺に奉納されています。

この和ろうそくはどこで見たんだったか・・・目に付くものを片っ端から写していると、つい関連付けを忘れてこういう結果になります😓

歴史とモダンが不思議なほど調和して、このシックな町並にすっぽりと溶け込んでみえるのも、古川の優しい雰囲気の魔法でしょうか?のんびりと見て歩けば、数え切れないほどの素敵に出会えて、いつの間にか時間を忘れている事に気づく。

水が美味しい飛騨ならではの、極上の珈琲を楽しませてくれるのが「壱之町珈琲店」。濃い珈琲の香りに歩き疲れた足もほぐれて幸せなひと時・・でも途中から漂ってきたカレーの香りは、私にはちょっと残念な思い出となりました。御亭主殿にはどっちも良い匂いだったようですが😅

訪問日:2012年5月18日

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瀬戸川と白壁土蔵群 in 岐阜県飛騨市古川

2020年04月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

高山の奥座敷と称され、飛騨に残るもう一つの古い町並みとして知られる飛騨古川。 白壁土蔵やお寺の石垣を背景に、1,000匹余りの鯉が泳ぐ瀬戸川の風情は、観光地:飛騨古川の象徴としてパンフレットなどに多く取り上げられています。

碁盤のような町割りや古い町家が今も残り、約500m続く白壁土蔵街。この時は生憎の雨模様でしたが、しっとりと濡れた石畳、幾つもの波紋を描き出す水路、舞い落ちる柳の葉に釣られて近づく鮮やかな鯉の群れ・・どれもが水彩画の世界のように優しく鮮やかに織り成されてゆきます。

そぞろ歩きの途中に見つけた『若山牧水』の歌碑。「大正10年10月白骨温泉より平湯峠を越えて飛弾に入り、20日福田夕咲と共に野口の簗に遊び、その夜当町一之町料亭杵寅で地元の歌人らと酒を酌みかわす。~後略」碑文より

【 ゆきくれて ひと夜を宿るひたのくにの 古川の町に 時雨ふるなり 】

まさしく、「古川の町に 時雨ふるなり」の情景が、歩を進めるごとに展開、これで彼のように歌の一つでも詠めれば、気分はすっかり「旅の歌人」

【 憧れて  たずねてきたるひたの国 影によりそう鯉のやさしき 】tibineko

やがて、石畳を濡らしていた雨も止み、薄日が指し始めた瀬戸川沿い。雨を避けるように隠れていた鯉たちが、水辺に映る人影を見つけて近寄ってき始めました。

瀬戸川の水辺には幾つもの黒い小箱が設置され、そこで「鯉のえさ」が販売されています。何でも食べる鯉ですが、水路を美しく保つ為にも、決められた「鯉のえさ」以外の投げ込みは、決して!してはなりません。

ふと見上げた先に、切り絵版画のような看板を発見。同じ場所を探してデジカメを向けてみましたが、実際と絵の世界では色々と障害物もあり😅、同じ構図にはなりません。(腕の悪さは勿論棚上げ)

さぁ、雨も止んだ事だし、古川の町並に溶け込んだ素敵なお店とか、楽しい看板とか、じっくり訪ねて歩きましょう。町歩きの醍醐味は、なんでもない日常の中にさり気なく存在する「素敵」を見つける事なのだから。

訪問日:2012年5月18日

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ご当地マンホールとマンホールカードA in 岐阜県旧古川町(飛騨市)

2020年04月22日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

旧吉城郡古川町(ふるかわちょう)は日本列島のほぼ中央、岐阜県北部に位置した町です。吉城郡河合村・宮川村・神岡町上宝村・国府町、大野郡清見村に隣接。飛騨山脈の比較的緩やかな西側傾斜面上に位置し、1000m級の山々がすぐ近くに迫り面積の8割を林野が占めています。気候は内陸性で年平均気温11℃前後。春夏秋冬の季節の変化がはっきりしており、岐阜県でも有数の積雪地であり、山間地特有の気候条件を生かし、ほうれんそう、トマトなどの高冷地野菜づくりが盛ん。飛騨牛の産地としても知られています。「町の木:イチイ」「町の花:花菖蒲」を制定。

町には縄文時代の遺跡が多く、1万年以上も前の人々の営みが確認されています。室町時代、京都の公卿・姉小路家によって治められた川盆地は、天正13年(1585)、羽柴秀吉の命によって飛騨を平定した金森長近によって城下町として発展。元禄年間には天領となり町民文化が栄えました。市街地中心部は、鯉の泳ぐ瀬戸川をはさんで殿町、壱之町、弐之町、三之町が碁盤割に配され、出格子の商家や白壁土蔵の造り酒屋が続くしっとりと落ち着いた雰囲気の町です。

旧キャッチフレーズは「朝霧たつ都 飛騨古川」

明治8年(1875)、古川町が成立。

明治22年(1889)、町村制の施行により吉城郡古川町、細江村、小鷹利(こたかり)村が発足。

1956年、古川町、細江村、小鷹利村が合併、改めて吉城郡古川町が発足。

2004年、吉城郡神岡町・宮川村・河合村と合併、飛騨市古川町となりました。

マンホールには、市の花:水芭蕉と瀬戸川の鯉、古川の文字がデザインされています。

昭和31年(1956)4月制定の町章は「「古川」の文字を図案化したものです。」

瀬戸川沿いの一角に設置されていた消雪用の大型マンホールですが、特に自治体を示すものはありません。

飛驒古川の瀬戸川と白壁土蔵街にのみ設置された、カラー版の「鯉」のデザイン側溝蓋。

方位版には、気多若宮神社の例祭「古川祭」で、櫓の上に乗って起し太鼓を打つ様子が描かれています。下はその「気多若宮神社」の拝殿でしょうか?

撮影日:2012年5月18日

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マンホールカード、頂きました。

2018年12月14日、第9弾として全国60自治体で60種類(累計407自治体478種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「飛騨市A」のマンホールカードは、「飛騨古川まつり会館」でいただけます。

1992年に設置開始されたマンホールには「花菖蒲」と「鯉」、「古川の文字」がデザインされています。

「飛騨市は、古川町、神岡町、河合村、宮川村の2町2村が合併して平成16年に誕生しました。 このマンホール蓋は旧古川町地域の公共下水道で採用されたもので、古川町の代表的な観光地である「瀬戸川と白壁土蔵」の 景観イメージから、当時の町の花「花菖蒲」と瀬戸川に泳ぐ鯉を図形化して4つずつ配置しています。また中央には「下水」の文字を、周囲には「古川」の文字をそれぞれ図形化して配置しています。 この蓋は公募によりデザインが決定された平成4年当時のもので、現在は中央の下水の文字部分に飛騨市の市章を配置したものが使用されています。」

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ご当地マンホールとマンホールカードB in 岐阜県飛騨市

2020年04月21日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

飛驒市(ひだし)は岐阜県の最北端、飛騨高地の北部に位置する市です。2004年2月1日 、吉城郡古川町・神岡町・河合村・宮川村が合併して誕生しました。南は高山市、西は大野郡白川村に。更に県を跨いで北は富山県富山市、南砺市に隣接。周囲は3000mを越える飛騨山脈などの山々に囲まれ、総面積の約93%を森林が占めています。市役所は旧古川町役場におかれました。瀬戸川用水沿いの白壁土蔵の町並は、古川の名所として観光客の人気を集めています。「市の木:ブナ」「市の花:水芭蕉」を制定。

キャッチフレーズは「市民が いつまでも 安心して暮らせるまち 飛騨市」

2004年2月1日制定の市章は「水と木の文化薫る四町村が響き合い、市民や他の地域、そして世界へ発信する様子(活力)」を表しています。古川町の朝霧、河合村の雪、宮川村の豊かな水、そして 神岡町の最新技術を支える水など、四町村をつなげる「水」 に着目し、波紋や年輪をモチーフとして、彫刻的(立体的) で現代的なシンボルとしました。全体的な造形として、現代の生活にふさわしい表情をもちながら、古い町並みにも調和する日本的な表情にも配慮しています。それは歴史ある飛騨の文化を守りながら、現代に発展させる人々の姿を表しています。また、シンボルカラーであるおちついた水色は、水や空など飛騨市の豊かな自然と、人々のやすらぎを表現したものです。」公式HPより

撮影日:2012年5月18日

(※)飛騨市・旧神岡町・旧河合村・旧宮川村は未訪問の為、マンホール画像はありません。

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マンホールカード、頂きました。

2019年8月7日、第10弾として全国61自治体で61種類(累計455自治体539種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「飛騨市B」のマンホールカードは、「スカイドーム神岡」でいただけます。

2018年に設置開始されたマンホールには「清流・高原川」と「ちんかぶ」がデザインされています。

「飛騨市は、古川町、神岡町、河合村、宮川村の2町2村が合併して平成16年に誕生しました。 このマンホール蓋のデザインは、平成6年に当時の神岡町民の皆さんからの公募により製作されました。 当時の神岡町地域のイメージキャラクター「ちんかぶ」が、美しい緑の山々に囲まれた、清流・高原川で楽しくのびのびと泳いでいる様子が表現されています。 「ちんかぶ」とは清流に住む淡水魚・カジカのことで、神岡町地域での呼び名です。 この「ちんかぶ」が生息している清流・高原川は、町のシンボルとして市民から愛され、釣りのメッカとして釣りファンの間では全国的に知られています。」

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