岐阜県白川村の荻町地区に残る、大小100棟余りの合掌造り集落。日本の原風景ともいうべき美しい景観をなすこの集落は、1976年に「白川郷・五箇山の合掌造り集落」として重要伝統的建造物群保存地区に、また1995年にはユネスコの世界文化遺産に登録されました。
岐阜の観光パンフレットとか、世界遺産の旅特集とか・・今まで本や写真でしか見たことがなかった「白川郷」。車中泊旅の目的地を「岐阜県」と決めたとき、真っ先にコースに入れたのが、ここ白川村の白川郷でした。ずっと憧れだった「白川郷」。それが、今、目の前に・・・駐車場に車を入れ、庄川に架けられた出会い橋を渡ったら・・・さぁ!白川郷へ😍
最高に素敵な白川郷、どこから紹介しようか・・歩いた順?印象が深かった順?文化財の建物?有名な名所?・・・・・・とあれこれ考えても結論は出せず、何時のように思いついた場所から😅
まずは「お食事の庵 基太の庄」。築250年の合掌造りで頂く「岩魚の塩焼」、自家製の「朴葉味噌で頂く飛騨牛のステーキ」・・・フレーズは素敵ですが、実はわたし、岩魚も飛騨牛も全くダメなのです。いつも私に合わせてくれるご亭主殿、今更ながら、ごめんね~~~~~😣
おみやげ処「めめんこ」の店先。ここにしかない「白川郷:どぶろくきんつば」のフレーズに思わず立ち止まってしまいました。お酒は一滴も飲めない+きんつば大好き・・・悩みまくって購入しましたが、やっぱりというべきか見事に撃沈。ご亭主殿が美味しく私の分も頂いてくれました😄 そうそう、「めめんこ」って「ねこやなぎ」の事だって。
飲み物を買ったお店の方が記念にと写して下さった写真。こういうサービスって個人の旅行者にはとっても嬉しい。
大型バスが何台も並び、観光客が押し寄せる白川郷。お食事処やお土産のお店はいつも沢山の人だかり。でも折角この美しい集落を歩けるのです。もっと貪欲に、ただし余所者としての謙虚さを絶対に忘れずに、隅から隅まで記憶に残そうね。
五月の白川郷。水を張られた田圃がそこかしこにあり、例えば軒先の木々が、切妻の屋根が、水鏡にやわらかく影を落としています。
どの家も美しい佇まいですが、やはり文化財に指定された建物には、それなりの凄さも付いてくるようです。明治23年(1890)に建てられた「白川郷最大級の合掌家屋」「長瀬家住宅」。国重要文化財に指定された建物ですが、普通に現役で人々の暮らしが営まれています。
同じく白川郷最大級の合掌造り民家は、江戸時代後期に建てられた「和田家」。当主は代々『弥右衛門』を名乗り、江戸時代には牛首口留番所役人や庄屋を務め、苗字帯刀を許された家柄です。
白川郷の合掌造民家として最大級規模であり、また式台玄関を備えるなど、質、格式ともに優れた建築であること。その他、附属建物や消雪用の石組溝など屋敷構えも良く残されているとして、1995年12月、和田家主屋、土蔵、便所(右手の小さな建物)の3棟ならびに土地を重要文化財に指定。
和田家住宅は、現在も住居として使われていますが、内部の見学が可能ということで、アジア方面の観光客の人たちが賑やかに出入りしていました。そのパワフルさに圧倒され外観を見ただけで退散・・あのけたたましさ・・さすがにしんどくて・・苦手😓
「神田家合掌造り民芸館」は、文政年間に和田家から分家した当主が、およそ10年の歳月をかけて建てたもの。木造4階建(中2階を含めると5層)の建物で、1階は居住空間、中2階は寝室、2・3階は養蚕の作業場、4階は物置になっています。当時、「白川八幡神社」の社領(神田)があった場所に屋敷を構えたことから、「神田」を苗字としました。
妙に人気の無いこちらの建物は、白川村指定文化財の「旧寺口家住宅」。「安政の地震(1850年代)により以前の住宅は倒壊し、その後再建されたものである。建築当時とほとんど変わらない状態で保存されており、昭和62年からは日本ナショナルトラストにより保存、管理が行われている。」案内板より
合掌造りの家屋の傍らに頻繁に見かける小さな小屋には「放水銃」が格納されています。火事の恐怖は何時、何処にいても同じ・・とは言え、茅葺屋根の集落においては、その脅威はより深刻であろうと思われます。生命財産はむろん、大切な国の宝を守り続ける為に、ここ白川郷の集落では毎年11月上旬頃に一斉放水の訓練が行われるそうです。
訪問日:2012年5月19日
見所一杯の白川郷ウォッチ、「~其の二」に続きます