車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

高塚(たかつか)熊野神社 in 静岡県浜松市可美町

2021年05月12日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

浜松市南区高塚町に鎮座される「高塚(たかつか)熊野神社」。主祭神は「伊佐奈伎命、事解之男命(ことさかのおのみこと)、速玉之男命

由緒「後三条天皇の延久年間(約940年前)に創建されたと口伝され、紀州和歌山の熊野本宮の神主が、諸国行脚の途中でこの地に足を留めて祭祀したと伝えられ、熊野三社権現と称えられました。ある時、神主が「高い丘を作って人々を救え」という不思議な夢を見たので、村人と図って神社の裏山に土をもりあげました。その後、「安政の大地震」が起こり、津波の為多くの死者が出ましたが、この里の人々はこの丘に避難して難を逃れたと伝えられます。」

「又一説には、大津波の犠牲者をこの地に葬り沢山の砂を浜から運んで(浜垢離の起源)、高い墓を築いたと・・・。大きな墓(つか)であったので大墓、後に高い墓(つか)、高塚と呼ぶようになり、地名になったと伝えられています。」HPより

境内入り口より神域を守護されるのは、皇紀2600年(1940)を記念して奉納された、岡崎型狛犬さん一対。両足から腰に掛けて巻かれた注連縄がちょっとアレな感じ😅

アングルが今一つなのと、腕の悪さの所為で、今一つ迫力が伝わらないのが残念な「雲龍椎」「樹齢500年位の椎で。当熊野神社の歴史をじっと見守って来たきたことが考えられます。丁度雲に座って昇天する龍の面影を留め骨と皮で尚神殿をお守りする様相が偲ばれる處から御神木として本年度より登記いたしました。」現地案内より

更にアングルの悪さで何を写したのか不明となりつつある「昇龍松」😅「樹齢400年くらいの黒松で真っすぐに天空に向かって伸びる姿は、当神社境内でも、その枝ぶりと共に一際立派で仰ぎ見る人達に崇高な感動を興えて呉れます。」案内より

参拝日:2010年4月18日

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春日神社 in 静岡県浜松市舞阪町

2021年05月10日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

浜松市西区馬郡町に鎮座される式内社「春日神社」。御祭神は『武甕槌命、經津主命、天兒屋根命、比賣神』。

由緒「往昔、永徳元年(1381)秋、甲州行脚の沙門律師・日朝が当地へ廻国の折、神仏深理と悟し民族挙って一社を建立を願うに拠りて、後小松天皇の御年應永二甲戌年(1395)8月15日、春日大明神の神札を奉祀勤請す。」神社案内より

神社入口近く、巌の上に立ち神域を守護されるのは、昭和8年(1933)10月建立・ブロンズ製の見目良き雌雄の神鹿さん。牡鹿の角の美しさと、雌鹿の柔らかく丸い曲線が見事な対比をなしています。

緑豊かな境内には周りの喧騒とは無縁の静かな時間が流れており、気持ちが安らぎます。もう少しゆとりがあれば「末社」もきちんと参拝できたのですが・・

参拝日:2010年4月18日

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細江(ほそえ)神社 in 静岡県浜松市細江

2021年05月08日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

浜松市北区細江町気賀に鎮座される「式内社・細江神社」。御祭神は『建速素盞嗚尊、奇稻田姫尊』
古くは「牛頭天王社」と呼ばれ、今も地元の人々に「気賀のお天王さま」と呼ばれる古社。

由緒に【浜名郡居町に鎮座されていた「角避比古(つのさくひこ)神社」は、浜名湖入口の守護神として厚く信仰されていたが、明応七年(1498)の大地震、大海嘯(かいしょう)により、神殿、建造物がことごとく流没。この時、奇跡的にご神体は、村櫛をへて、伊目の十三本松に漂着、里人は「隠岐大明神」の地に仮宮を建てて祀った。しかし十二年後再び地震による大津波のため、ご神体は気賀の赤池へと漂着された。気賀の里人はこの地に仮宮を建てて祀り、翌月に現在の地に社殿を建て「牛頭天王社」と称え祀ることとなり、以来気賀の総鎮守としてあがめられている】

この日は生憎と、御朱印を書いてくださる方がお留守。 晩秋とは思えない日差しの下、濃く影を落とす「社叢(しゃそう)」が境内を斑に染めます。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、大正五年(1916 )一月奉納の狛犬さん一対。岡崎型初期の狛犬さんは、かなり個性的なお顔です。

由緒に「二度の大地震のなかで奇跡的に流出を免れた御神体」とあるように、御利益は地震除け。 地震除け絵馬に描かれているのは、御神体を乗せて奥浜名湖を優雅に渡る神輿船。

本殿の向かって右手に鎮座される「藺草(いぐさ)神社」。御祭神は気賀の領主『近藤縫殿助用隨公』。案内には、数度の大地震によって生業の術を失った領民の為に尽力した、領主の話が記されています。

領主の尽力によって、細江の領民たちの新たな生業の術となった「琉球蘭(りゅうきゅうい)」の苗が境内の一画に栽培されています。大地震による高波で塩に浸かってしまった田畑に、塩害に強い蘭草(いぐさ)はまさに命の糧となり、多くの領民を救ったのです。

「藺草神社」前には、天を突くほどの大きさに育った一本のクスノキが濃い影を落としています。 下部に大きな空洞があり、そこにはずっとずっと昔に「大蛇」「大蝙蝠」が住んでいたと云います。

【昔・・昔、このクスノキの大穴の中で、大蛇と 大蝙蝠が「このクスノキの主はおれだ…」と互いに言いはっていました。そのために大蛇と大蝙蝠はしだいに仲が悪くなり、 ついに大喧嘩となってしまいました。この戦いは三日三晩も続き、大蛇も大蝙蝠も血だらけになり、ついに力尽きてしまいました。クスノキの空洞の中には、その時に流した血のあとがあります。】

怖いもの見たさで覗き込んだ「大蛇と大蝙蝠の穴」・・幸いにも血と思われる痕跡は・・多分無い。と言うか有ったとしても絶対に風化している😣

境内に祀られる摂社:末社。鳥居の奥に鎮座される「八幡神社」。御祭神は『応神天皇』と思われます。

「天王稲荷神社」。御祭神はいわゆる稲荷神とされる『宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)』

「四所神社」はその地域においての「四所」を祀るとされ、全国各地にその名を冠した神社が鎮座されます。鎮座地それぞれに異なったご祭神が祀られている為、こちらでの詳細は不明。

「八柱神社」。ご祭神は『天照大神・須佐之男命』の誓約によって生まれた『天穂日命、天忍穂耳命、天津彦根命、活津彦根命、多岐津主命、多岐津姫命、熊野樟日命、市杵島姫命』の五男三女神。

参拝日:2016年12月17日

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姫街道と気賀関所 in 静岡県浜松市細江 

2021年05月07日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

浜名湖の北側、本坂峠を経由して静岡県の東海道見附宿と愛知県の御油宿を結ぶ「姫街道」。道程約60キロメートル。古くは東海道の本道で、二見の道(ふたみのみち)とも呼ばれていました。
戦国時代に街道が整備され、江戸時代には東海道に付属する街道として宿も置かれていました。 姫街道の呼称が定着したのは幕末頃からとされ、今は新たな観光拠点として整備が進められています。井伊谷川に架かる362号線の欄干には、姫街道に相応しく「駕籠に乗った姫様」。

今回は姫街道の本陣跡に、ちょっとした公園が出来たというので行ってみることに・・・。 途中で見かけた「気賀駅」に立ち寄り、国有形文化財に登録された「上屋・プラットホーム」もついでに見学。

当初の目的地である「本陣前公園」。もう少し公園らしい雰囲気を想像していたのですが・・何か違う😅  きっと素敵な場所に違いないと勝手に思い込んで、ここで予定していた昼食も・・流石にお弁当を広げて食べられる雰囲気ではありません。

門の中には「お姫様」が一人ぽつんと・・・イベント時にはもっと賑やかなのかもしれませんが、今は季節柄で花もなく、寒々しい広場といった感じ。お姫様も心なしか寂しげなお顔で所在無さげに見えます。

続いて向かったのは「気賀関所」

と言っても、実際の「気賀関所跡」はここよりも600mほど離れた場所にあり、こちらは故郷創生事業の一環として1990年に復元されたもの。復元ですが、一応「毛賀関所」です😊

気賀関所は、慶長6年(1601)に本坂道の通行を取り締まるため、徳川幕府により創設されました。 全国53箇所に設置された関所のうちでも、特に「気賀関所」は、重要な関所と位置付けられていたそうです。

その厳重さは地元住人であっても手形が必要で、非常に面倒なものだったと言います。 その為、関所の裏にくぐり戸を設けてその下を潜って通る「犬くぐり道」が設けられました。 犬のようにくぐって通行する・・、人が勝手に通行するのは見過ごせないが犬ならば仕方ない・・・。ある意味、役人と民衆との暗黙の了解だったのでしょう。
復元された「犬くぐり道」は、この後に参拝した「細江神社」の裏手にあったもの。

往時の場所から随分離れて作られた「気賀関所」ですが、実際の関所は本当に厳しい施設だったんですね。 今は浜松の名産品やお土産が一杯並び、観光客や家族連れで賑わう「ちょっとした観光地」です。

「気賀関所」の近くにある「都田川堤防」の川原で、食べ損ねた遅めのお昼ご飯。 晩秋の日差しの下で鏡のように穏やかな浜名湖、右手に見える赤いアーチの橋は「みをつくし橋」。

ほんのさわりだけの姫街道でしたが、最期は都田川堤防に建立されていた『歌人・香川景樹』の歌碑。

【旅にして 誰に語らむ遠つあふみ 引佐細江の 春のあけぼの】

訪問日:2016年12月17日

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万松山・龍潭寺(りょうたんじ) in 静岡県浜松市引佐

2021年05月05日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

「井伊谷宮」に隣接した一画に門を構える臨済宗妙心寺派寺院「万松山・龍潭寺(りょうたんじ)」。遠州の古刹と称され、1300年にわたる当地の歴史と信仰を今日に伝え、「虚空蔵菩薩」を御本尊とします。

寺伝によれば「天平5年(733)、『行基』によって開かれたとされ、当初の寺号は「地蔵寺」であったが、寛治7年(1093)に『井伊共保』が葬られた際に、その法号から「自浄寺」と改められた。平安時代から井伊氏の菩提寺であったとされており、元中年間(1384~1392)に、『宗良親王』がこの寺を中興したとも云う。永正4年(1507)、『井伊直平』が『黙宗瑞淵』を招いて、「龍泰寺」と寺号が改められたが、永禄3年(1560)に『井伊直盛』が葬られると、直盛の法号から「龍潭寺」と改められた。」
『井伊直興公』の寄進により延宝4年(1676)に再建された、県指定文化財の本堂。

私たちは「井伊谷宮」から「龍潭寺」に廻ったので、参拝順路が逆になってしまいました。まだ新しい仁王門は、昭和62年(1987)の建立で。両側に迫力のある仁王像が安置されています。

仁王門の内側には、木製の獅子狛犬が境内を守護していますが、金網があって画像はいま一つ。 木肌の感じからして、おそらく仁王門と同時期に作られ奉納されたものと思われます。

仁王門を潜ると、右手に、昭和46年(1971)に再建されたという「鐘楼堂」

その奥に、東門と呼ばれる「旧鐘楼堂」があり、内には「観世音菩薩立像」を安置。 井伊氏の家老を務めた『松下 清景』の養子『松下一定』の寄進によるもので、「龍潭寺」では一番古く、約400年前の建物だと言う事です。

禅寺特有の大破風が美しい庫裡は、文化12年(1815)の建立で、県指定文化財。 堂内の拝観はこちらで受付ですが、折悪しく鉢合わせした強烈に賑やかな観光客の団体に怖気づいてパス😓  言葉は仕方ないとしても、集団で我が物顔に行動する方たちは、本当に!!勘弁です。

御朱印を貰うときにチラッと見えた、国指定名勝『小堀遠州』作の庭園。とても鮮やかで綺麗だったのが印象的でしたが、あの集団と一緒に鑑賞する根性は無い・・。

「龍潭寺」境内で一番の撮影スポットといわれる、二階建て楼閣造の「開山堂」。 元禄15年(1702)、龍潭寺歴代住職のお位牌を祀る為に建立されたお堂で、県指定の文化財。 ここからでは見えませんが、塔上には井伊氏の家紋「彦根橘、彦根井筒」(井桁)が見られるそうです。

ここには井伊家歴代の墓所があり、もちろん『井伊直親』や『井伊直虎』の墓もあります。 私たちが参拝したのは、某局のドラマ放映の前年でしたが、ドラマ放映後は一気に参拝する人が増えたそうです。
正面に見る二基の墓石は、右が井伊家初代・共保。左が直虎の父・『井伊直盛』。直盛の死後井伊家の当主となった『直親』と『直虎』の墓は右手の奥に並んで建てられています。

お寺の境内らしく、参道のそこかしこで参拝者をお迎えくださる地蔵様、名も知らぬ石仏たち。

唯一、お名前が分かる「一面六臂の青面金剛(しょうめんこんごう)」

踏みしめられた邪鬼の下で、我関せずの三猿😅。

初冬の境内にはまだ色づいた木々が葉を茂らせ、穏やかに時を刻んでいます。

参拝日:2016年12月17日

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井伊谷宮(いいのやぐう) in 静岡県浜松市引佐

2021年05月04日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

浜松市北区引佐町井伊谷に鎮座される、建武中興十五社の一社「井伊谷宮(いいのやぐう)」

御祭神は『後醍醐天皇』の第四皇子で南北朝時代に征東将軍として転戦した『宗良(むねよし)親王』。 二条派の代表的歌人で、南朝歌壇の中心であり、准勅撰和歌集『新葉和歌集』の撰者となるなど、非常に優れた歌道家であった人物です。

由緒に「明治維新の際、建武中興に尽力した人々を祀る神社が次々に作られた、当社はその中の一つである。はじめ「宗良親王御社」と称したが、明治5年(1872)に「井伊谷宮」と改称される。」

御神紋は「十六弁菊」と『宗良親王』の家集の題名にちなんだ「李花紋」。 皇室とのゆかりも深く、昭和58年には『昭和天皇・皇后両陛下』もご親拝なされました。

ここ井伊谷の地は「井伊氏発祥の地」としても知られ、近年の某ドラマにも取り上げられました。御祭神である『宗良親王』は今より約650余年前、朝廷が二つに分かれた南北朝時代に一品中務卿征東将軍(いっぽんなかつかさきょうせいとうしょうぐん)として、この地を本拠に50余年の間、吉野朝(南朝)のためにご活躍になられました。(御祭神絵馬はイラストレーター『大野舞』氏の奉納。)

御幼少の頃より和歌に秀で、終生和歌の道の聖と仰がれた『宗良親王』は、晩年に再びこの地を訪ねられ、元中二年(1385)八月十日、御歳七十三才を以ってこの地で薨去されたと伝えられています。深い緑に包まれた社殿の背後、『宗良親王』の墳墓は京都に向かって静かに・・ただ静かに。

井伊谷宮本殿横に鎮座される「摂社:井伊社」。ご祭神は『井伊道政公・高顕公』

境内の一画に立つ岩は「竜ヶ岩洞(りゅうがしどう)」の地主であった『戸田貞雄氏』より奉納。竜ヶ岩洞近くの小川に橋の替りに置かれていました。岩表に、慈母の胸に抱かれた赤子の姿がうかがえる事から「慈母観音石」として信仰されています。 

本殿近くに建立されていた『水原秋櫻子』の句碑
【水無月の 落ち葉とどめず 神います】

境内に掲示されていた『宗良親王』御製。

【なげかじな しのぶばかりの思ひ出は 身の昔にも 有りしものなり】

【我が齢 共にかたぶく月なれば 身をかくすべき 山のはもなし】
 

参拝日:2016年12月17日

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天竜二俣駅 in 静岡県浜松市天竜

2021年05月02日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

浜松市天竜区二俣町阿蔵にある「天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線・天竜二俣駅」

天竜浜名湖鉄道線の中心的な駅でありながら、駅舎は開業当時からの瓦葺き木造の建物。 駅前に立った時の、何ともいえない甘酸っぱい気持ちは、これがいつか見た風景に似ていたからか、それともかすかな記憶の中に刻み込まれた風景だからか・・。

もちろん、ここに来たのは生まれてこの方今日が初めて、それなのに何だろう?この不思議な懐かしさ。・・・ああ、それは多分、幼い頃に母に手を引かれて電車に乗った日の、あの手のぬくもりが蘇るから。 はるか昔の遠い遠い記憶の片隅に大切にしまいこまれた、思い出の情景と似ているからだろう。

プラットホームに立ってもう直ぐ来るはずの電車を待っている私に、母は「まだだいぶ間があるから」と笑う。 振り返った目の先に、すっかり日焼けしてしまったけれど可愛い母の笑い顔があった筈・・でも年老いてしまった母の顔しか思い出せない。

「ほら、電車が入ってきたよ」とご亭主殿の声で、ここが見知らぬ土地の見知らぬ駅だと思い出す。 記憶の中にあったオレンジと緑の車体とは似ても似つかぬ、洒落たオフグレーの電車。きっと町の中心駅なのだろう。見知らぬ人が次々と乗り込んでいく・・

国登録有形文化財に指定され「本屋」、「上り・下り上屋およびプラットホーム」。今回は外観のみでしたが、敷地内の「揚水機室」、「高架貯水槽」も同じく国登録有形文化財に。さらに、蒸気機関車時代から今も現役の「扇形庫と転車台」は近代化産業遺産に認定されています。

駅の北側の小さな公園に静態保存された蒸気機関車「C58形389号機」。 「製造銘版」によれば、昭和21年(1946)に「汽車會社」によって造られたものとあります。旧国鉄二俣線でも活躍した戦後型の機関車ですが、乗ったことも無いくせに、やっぱり奇妙に懐かしい😊

さらに「阿蔵駅前広場」には「キハ20形気動車」「ナハネ20形寝台客車」が展示。 蒸気機関車からディーゼル車へと推移した時期、旧国鉄二俣線の主役的存在として活躍した「キハ20」。
青い車体の「ナハネ20」は、ブルートレイン「あさかぜ号」として東海道線を走っていたそうです。
蒸気機関車もブルートレインも、一度も乗ったことが無い癖に、何故か保存されている古い電車を見るのが好き。でも間違っても「鉄オタ」では無いので、案内に書かかれた薄っぺらい知識しかありません😊

敷地内のとある壁に飾られていた三枚の絵、よく見ると大好きな「鏝(こて)絵」!! 三枚の鏝絵は、旧天竜市のシンボルであった「杉」・「山百合」・「キセキレイ」の意匠に、ちょっぴり得した気分😊

駅舎をバックに記念の一枚。いつかこの写真を見ながら旅のあれこれを思い出せたら・・きっと素敵な時間が過ごせるだろうね。

訪問日:2011年11月17日

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浜名湖ガーデンパーク in 静岡県浜松市

2021年04月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

浜松市の車泊旅、最後は湖畔の美しい自然と、 開放感あふれる景観が特徴の、静岡県営大規模公園「浜名湖ガーデンパーク」。2004年に、第21回全国都市緑化しずおかフェア「浜名湖花博」が開催。その跡地が浜名湖ガーデンパークとして無料開放されているとの情報で訪ねてみました。

ガーデンパークは、いくつかのエリアに分かれており、私たちが足を運んだのは「里のエリア」。花博と言えば、何といっても世界各地の庭園は最大の見所と言うことで、国際庭園を目指します。

イオニア風の白い円柱を彩るのは絶対に真紅のバラが良い!その向こうに佇んでいるのは、多分美の女神。

階段状になった円形の花壇を彩っていたのは、どんな花々だったのでしょうか・・・・映画のワンシーンのような舞台設定に心がときめきます。

イングランド中西部を中心に昔からあると言う「ガーデナーの小屋」。このような建物は今も実際に残されいるそうです。これは500年前の建築様式を元に造られたものですが・・さらっと500年前と言うのが凄くないですか?

これは「アメリカサンタフェスタイル」と呼ばれるもので、奥にかすかに見えるのがアドービ式住居。この地域は高山砂漠性で、全体に乾燥、温度変化が激しいのが特徴で、その感じが良くわかります。

いかにも東南アジア風の建物は「タイガーデン」。残念ながら花は一本もなく、立ち入りも禁止されていました。大阪の花博跡地でも同じ様な状態になり、美しい異国の建物が無残に朽ち果てています。

規模の大小を問わず。こうした催しには付き物のキャラクター、もちろん浜名湖花博にもいます。パークのキャラクターが勢ぞろいした案内看板には、6人のキャラクターが紹介されていました。

まずは主役の『のたね』、芽が出ている状態の植物の種で『キュウタン』と言うガールフレンドがいるそうです。

オレンジ色の花のキャラクターで「のたね」のお母さんの『ママフラ』。右に居るのは「のたね」の仲間で、頭に球根を載せている植木鉢の『ハッチー』

ブリキ製のじょうろの『ジョウロン』・・・名前の付け方が覚えやすいと言うか安易と言うか😅

花博の跡地に来て花画像が無いと言うのも如何なものかと言うことで、私の好きなガーデンから二点

訪問日:2010年4月18日

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中田島砂丘と浜松まつり会館in浜松市

2021年04月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

浜松市南部、遠州浜(遠州大砂丘)の一部を成す「中田島(なかたじま)砂丘」。某所で見かけた観光マップには「日本のどまんなか中田島砂丘」と紹介されていました。

南北約0.6km、東西約4kmに渡って広がる砂丘は、アカウミガメの産卵地としても知られており、産み落とされた卵は囲いに入れられて孵化の後、人によって放流されています。

鳥取砂丘しか知らなかった私には、中田島砂丘のこじんまりとした感じは少々驚きですが、それでもやっぱり初めての場所は新鮮さが加味されて充分に見応えがありました。

風と砂がおりなす「風紋」・・砂丘の見所の一つとして有名な現象も部分的にですが見ることができました。

これもまた砂丘によく見られる「海浜植物:コウボウムギ」。砂とのコントラストが綺麗で絵のようだったし・・と、おおむね満足😃

中田島砂丘と隣接する位置に「浜松まつり会館」があり、砂と戯れたあとはそちらに直行。

残念ながら既に開館時間は過ぎており、見られたのは外観とガラス越しの内部一部のみ😔 自然は逃げないのだから、見る順番が逆だろうとの指摘は、本人たちも十分に自覚しています。

館内には地域ごとに定められた図柄の凧を手に、法被をまとった小さな人形、他にも何体かあったようです。きっとお祭りの装束なんでしょうね。ああ・・・もう少し早い時間に此処にきていたら・・砂丘を後回しにしていたら

「浜松まつりの凧揚げ」は、毎年5月3日~5日のゴールデンウィークに開催されるそうで、その会場も砂丘の近くにあります。巨大な凧が一斉に空に舞う情景は、さぞ凄いんだろうと思います。マンホール探しの際に偶然目にしたものですが、下準備か予行演習の一幕だったのでしょうか。揃いの法被に巨大な凧・・カッコ良かったです😊

訪問日:2010年4月18日

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元城町(もとしろちょう)東照宮 in 静岡県浜松市中区

2021年04月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

浜松市中区元城町に鎮座する「元城町(もとしろちょう)東照宮」。御祭神は『徳川家康公、事代主命、大国主命』。通称「出世神社」とも呼び親しまれています。

由緒「明治維新後、浜松藩代であった旧幕臣・井上八郎が明治17年(1884)にこの曳馬城跡に家康公を祭神として東照宮を創建。元城町の氏神として村社に列せられましたが、昭和20年(1945)の空襲により焼失。昭和34年(1959)に社殿などが再建されました。」境内案内より

こちらの神社、非常に判りにくい場所にあり、また駐車場も有るのか無いのか不明だった為、国道152号線・最寄のパーキングに車を入れて徒歩での参拝となりました。坂道にゲンナリしたのも一瞬、手水舎の前に立った瞬間、ニンマリ😄 日光東照宮の眠り猫には及ばないかもしれませんが、この満足げな猫の表情。

手水舎の天井には、青雲の中を飛ぶ金彩色の翼竜。しかも何と!!鏝絵なんですよ😍

挙鼻には鋭い目つきであたりを睥睨する翼竜・・何と言うか・・予想外の出会いにテンションは上がりっぱなし。

手水舎でこれほどのものがあるのなら社殿は・・の期待は見事に的中。木鼻に絡みつく阿吽の龍、何と!これも見事な漆喰細工ではないですか!。

もうご亭主殿、大喜び😆。もちろん私もj🐣さんも、頑張って坂道を歩いた甲斐があったというもの。

ご本殿の画像をと横手に回ってまたしてもビックリ!。この拝殿の脇障子が鏝絵の細工付きなのです。神社に参拝してこんなに立派な鏝絵を幾つも見ることが出来るなんて、浜松・・東照宮・・とにかく侮れません😲

あまりの感動に忘れてしまうところでしたが、拝殿前より神域を守護されるのは紀元2600年を記念して建立された狛犬さん一対。昭和15年(1940)建立の吽形さんの顔立ちは、まるで孤高のライオンのような風格。阿形さんは体丸ごと能天気風😅

境内入ってすぐの場所にあった「権現道」と刻まれた碑。

鳥居の前に建立されていた「曳馬城址」の碑。「曳馬城(引間城)」は、浜松城の前身といわれ、かって浜松城の東:約300mに位置していたそうです。

 

参拝日:2010年4月18日

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