車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 三重県

2021年03月31日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・三重県

三重県(みえけん)は日本の近畿地方に位置する県です。北は養老山地と木曽三川を境に岐阜県・愛知県に。西は 鈴鹿山脈・信楽山地・台高山脈・紀伊山地を隔てて滋賀県・京都府・奈良県に。南は熊野川を境に和歌山県に隣接。県内には14市7郡15町の自治体が属しており「町」の読み方は全て「ちょう」で県庁所在地は津市。南北の長さは約170km、東西の幅は80kmと、細長い形。伊勢平野をはじめとする平野部から、鈴鹿山脈などの山脈、青山高原などの高地、盆地、低地など様々な地形を有し、県域は北勢、伊賀、中勢、南勢(伊勢志摩)、東紀州の5地域に区分。海、山の豊富な自然に恵まれ、農業・漁業が盛んな一方、伊勢神宮や伊賀上野、二見浦、世界遺産の熊野古道などの観光地やナガシマスパーランド、なばなの里、志摩スペイン村、鈴鹿サーキットなどのテーマパークがあり、観光を産業として成り立たせています。「県の木:神宮杉」「県の花:花菖蒲」「県の鳥:シロチドリ」「県の魚:伊勢海老」「県の獣:カモシカを制定。

キャッチフレーズは「つづきは三重で」

明治4年(1871)、 廃藩置県により桑名県・亀山県・長島県・神戸県・菰野県・津県・久居県・鳥羽県が設置。

1872年、第1次府県統合により桑名県・亀山県・長島県・神戸県・菰野県・津県が安濃津県に。久居県・鳥羽県・度会県が度会県に統合。

1872年、安濃津県が四日市陣屋に県庁を移設、三重県に改称。

明治9年(1876)、第2次府県統合により三重県と度会県が合併、現在の三重県が発足しました。

マンホールは県章が表記された規格蓋のみ、同じく空気弁等や側溝蓋なども全て規格タイプです。

昭和39年4月20日制定の県章は「三重県の「み」を力強く雄飛的にデザインしたもので、世界的に有名な真珠養殖も象徴しています。また、右上がりになっている字は、県が飛躍することを表しています。」公式HPより

北勢水道 空気弁

北工水 空気弁

防蝕 北工水

側溝蓋

電線共同溝

三重県警察シンボルマスコット『ミーポくん』。県の鳥「シロチドリ」をモデルにデザインされました。

「お伊勢さん菓子博2017」のキャラクターとして生まれた『いせわんこ』。お菓子とふるさと三重県が大好きで「もっと三重のお菓子を知ってほしいかし~!!」と旅に出ました。おいしいお菓子とみんなの笑顔に会いたくて今日も旅を続けているそうです。

撮影日:2010年4月3日&2015年9月7日&2017年3月25日

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尾鷲市・名張市・熊野市・志摩市・鳥羽市、度会郡南伊勢町・渡海町・玉城町・大紀町、南牟婁郡御浜町・紀宝町、北牟婁郡紀北町、多気郡多気町・大台町の5市9町は現時点で未訪問のため、マンホール画像はありません。

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初めての車中泊

2021年03月30日 08時00分00秒 | 車中泊の色々

車中泊って何?・・・今はそうでもありませんが、最初の頃は良く聞かれました。考えて見れば無理もないです。なんと言っても我が家の車は軽のワゴン車。それでどうやって車内で寝られるのか?しかも大人が二人!!

でもね、これが工夫次第で何とでもなるもので、充分に手足を伸ばして二人寝られるのです😄。で、その工夫を考えるのが又楽しいのです。と言っても初めての車中泊は決して今のように快適なものではありませんでした。でもとにかく楽しかった!

あれから11年・・・記憶の中の思い出がまだ確かなうちに、初めての車中泊にまつわるアレコレ・・時々の旅の思い出と一緒に書き残そうと思いたちました。

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2010年4月3日~4日の一泊二日、初日は伊勢市内~二見ヶ浦、翌日は伊勢神宮等々・・・・車泊が出来る場所をネットで検索、何度もビューで確認し、「音無山駐車場」に決定。朝からお弁当を作り、6時半に出発、高速に乗ったら、さぁいよいよ😄😊

第二名神から伊勢自動車道へ、松阪ICで一般道に降り、マンホール収集をしながら二見ヶ浦まで。初めて見るわけでもないのに、目に移る景色が新鮮で、何を見ても感激、感嘆😅 思わず鼻歌でも飛び出しそうなこのスカッと晴れた空の色、車泊デビューには最高の日和。

立ち寄った地域は、この後のご当地マンホールと合わせて紹介の予定なので、軽く流します。伊勢街道沿いに、まずは斎王宮跡が残る明和町、満開の桜が私たちを出迎えてくれます。

春だというのに、家の玄関に注連飾りを見つけてちょっとビックリしたり、それもこれも含めて、とにかく何でも素敵に見えるのが車中泊の魔法😊

小俣町、御薗村、伊勢市と順調にマンホールを見つけながら、狛犬さんに会う為に神社も参拝。伊勢市に残る歴史的建造物に感動し、行く先々の満開の桜に感動し、目に映る全部に感動し😊 その心の端には、「初めての車泊で来た特別な場所」という意識があったのは、確かです。

そんなこんなを詰め込んで、ついに!今夜の車泊地「音無山駐車場」に到着。驚いたことに、多分お仲間さんだろうと思われる車が、既に何台か居るではないですか!
何もかもが初めて尽くしの二人にとって、同じ目的の人が居ると言うのはそれだけで心強いもの。心配していたお手洗いも清潔、道路を挟んでコンビニもあり、車泊地選び、まずは成功です。

駐車場所を確保したら、心ゆくまで夕焼けに染まる夫婦岩を堪能。どんなに遅くなっても、歩いていける場所に今夜の寝床があるのですから😊

そして早朝、日の出に染まる夫婦岩を見に行くのも、近くに居るので、至極容易なのです。海から直接の日の出は雲に邪魔されましたが、それでもこんなに素晴らしい朝を迎えました。

内宮駐車場から内宮まではほんの数十分、駐車場が確保できたら、ゆっくりと参拝。この日は横綱の土俵入りの奉納があると言う事で、既にかなりの車が入っていました。
普通に家からなら、参拝を諦めるか、数時間待ちの列に並んでいたところ。なのに、思いもかけない神事を見ることが出来たりと、初めての車泊は、ラッキーが続きました。

車中泊という手段を知り、これなら私のペースに合わせて、好きなように旅が出来るのでは・・
そうと決まれば、まずは我が家の車で車泊が出来るように、あれこれ工夫が必要です。なるべくお金を掛けずに、ネットの情報から自分たちに合うものを探し出し、一から十まで手探りの手作り。今から思えば何ともお粗末な装備だったと思います。この夜も、予想外の車内の寒さに、車の幅に合わせた布団は、ご亭主殿が巻き込んでしまうし、仕方なく、わずかな着替えやタオルを体に掛けて寝る始末😥、それだって今なら笑い話。
そうそう、真夜中に多人数らしい車泊車が入ってきて、子供の大声で起こされてしまいました。眠い頭でぼんやりと、帰ったら近所の100均で「耳栓」を買いに行こう・・
アクシデントも有ったけれど、間違いないのは、この旅が本当に最高だったとい言う事。だって私たち、すっかり車中泊の虜になり、これ以降から今日まで、どれだけの場所を尋ねたか。

今回の不自由さは、次の改善点。あれをこうして、これをこうして・・楽しい悩みは尽きません。以来、我が家の死蔵品を引っ張り出してきては、これ車泊で使えるかな?が、定番になりました。回を重ねるごとに少しずつ改善された車泊装備、明日は一番最初の装備について書く予定です。
最後に、宿の豪華な食事には及びもつきませんが、初めての車泊で食べたお弁当😄 😊 4月の初めの車中、熱々だったポットのお湯はぬるくなり、お握りも固く冷たくなっていました。でも多分、私たちの記憶の中では、最高に美味しいお弁当だったと思います。

訪問日:2010年4月3日~4日

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金刀比羅詣り~其の三 in 香川県琴平町

2021年03月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

念願の本宮への参拝を果たした二人。名残はつきませんが、流石に長居が出来るような状況ではなく、金比羅宮参りもそろそろ引き上げ時。こんなお天気でなければもう少し美しい社殿や境内社なども見て周りたかった・・・なんて、思っていても今は口に出してはいけません。

旭社に下る途中に見かけた「皇廟(伊勢の神宮)、皇陵遙拝所」。その境内にて神域を守護されるのは出雲丹後型の狛犬さん一対。「石工・門兵衛 天明元年(1781)6月建立」とあり、建立年代が彫られた物では最古とされています。

下りの石段は別な意味で足元注意ですが、それでも上りよりは楽な気がします。おや・・こんな所に亀趺に乗った「百度石」が・・

かと思えば、どう見てもお寺の道標。それも当然の話で、元々は神仏習合「象頭山松尾寺金光院」と呼ばれた真言宗の寺院。御祭神も「象頭山金毘羅大権現」と呼ばれいたのです。
【こんぴら船々 追風(おいて)に帆かけて シュラシュシュシュ ~ まわれば 四国は 讃州那珂の郡 象頭山 金毘羅大権現  一度周って・・】とエンドレスな民謡、多分一度は耳にしたのではないでしょうか。

本宮から旭社まで帰って来ました。天保8年に竣工された社殿は、高さ約18メートル、銅板葺・二重入母屋造、総槻造り。そのあまりの豪華さに、森の石松はこの「旭社」を「本宮」と見誤ったと伝えられています。本来ならば華麗な彫刻を楽しみたい所ですが・・

回廊でもう一度息を整えて、さぁ後はひたすら下界を目指して。どうせこんな雨の中では景色も建物も写せやしないのですから。と言いつつ、境内社「火雷社」の灯籠笠の上で勢い良く跳ねる狛犬さんを発見!

阿形さん、高い灯篭傘の上からなにやら喚いておりますが・・・

阿吽の狛犬さんが乗った灯籠を支えているのは、亀趺ならぬ「象趺」。でもこうして横から見ると「獏」と言った方がしっくりきます。

帰り道は、下りと言うこともあるのでしょうが、予想以上に足がスムーズに動きます。ほんの申し訳程度ですが雨足も緩くなったようで、今日の参拝も無事に終了できそう。
桜馬場西詰銅鳥居に掛けられた「しあわせさん こんぴらさん。」の文字幕。こんな雨の中の参拝でしたが、ここまで帰ってくると、その言葉も満更悪くないと思えます。

漁師だった私の父は、一生に一度は金刀比羅さんに参らねばと、いつも言っていました。その願いが叶えられたのは私が車の免許を取得した年。父母と小さい姪を連れ、カーフェリーを利用しての金比羅参り・・・あれから随分と時が流れ、「やっと金刀比羅さんに来れた」と喜んだ父母も・・そして小さかった姪も・・若くして鬼籍にはいりました。

参拝日:2011年6月18日

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金刀比羅詣り~其の二 in 香川県琴平町

2021年03月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

昨日に続く金刀比羅宮。段数は半分を超えて477段。社務所門と、その奥に書院があり、『円山応挙』の襖絵などが公開されていますが、先を急ぎます。

社務所門で左折すると玉垣と石畳の広場、石段は丁度500段。木馬は、高松城主『松平讃岐守』から献納されたもので、京師田中環中斎弘教宗圓の作。

でもどんな名人の作でも、広場中央の楠木の大樹の奥で優しく外界を見守る神馬の「月琴号」の美しさには敵いません。漆黒の瞳を見ていると、雨の参拝で疲れた心が和みます。

神馬は神様がお乗りになる馬ですが、それとは別に、サラブレッドの黒馬「トウカイ・スタント号」も奉納されています。GⅠ優勝馬「ホリスキー」を父に、「トウカイ・ジュノー」を母に持つ、生粋のサラブレッドだそうです。

広場には「今治造船」から奉納された巨大な真鋳製のスクリュー(19.2t)が、薄暗い雨の下で輝きを発しています。傘も持たず、合羽も持たなかったご亭主殿、全身びしょ濡れのまま、もはや開き直って隅から隅まで歩き回っています😅

石段の数は628段、やっと「旭社」まで来ました。御祭神は『天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神・伊邪那岐神・伊邪那美神・天照大御神・天津神・国津神・八百万神』。天保8年(1837)に建立された銅瓦葺の二層入母屋造の建物は、金刀比羅宮最大の木造建築物で、神仏分離以前の松尾寺の金堂だったもの。

参拝順としては、本社のお参りを済ませて後に旭社への参拝となっているので、ここは休憩をかねて見るだけ😅 丁度「旭社」の正前に回廊が作られており、ここでたくさんの方が休憩をされています。ご亭主殿も流石にお疲れのよう・・・・

旭社を左手にみながら、廻廊に沿って北へ進み、唐銅の鳥居をくぐります。・・・自力で「本宮」までなんて、相談した医師からも、知人からも「絶対に!無理!」と言われましたが、ここまでの652段、あと少し😠 。

建速須佐之男尊・后の神:奇稲田姫尊』を奉る「真須賀神社」。神域を守護されるのは文化7年(1810)建立、尾の形状などが神殿狛犬を思わせる一対。

「旭社」から「本宮」へ・・・最後の石段「御前四段坂」は、四段階に分けて造られていることから名付けられた名称。それぞれ数十段の石段が続きます。そして・・・本宮に到着!!! 「大丈夫か?」のご亭主殿の声にVサインで応える私・・顔をぬらしているのが雨なのか、へたり込みそうな安堵の涙なのか、本人にもわかりません。

強い雨の中にもかかわらず多くの参拝者でごった返す本宮ですが、残念ながら展望台から見える下界は真っ白いモヤの中。その所為もあってか、長く留まる人は居ません。

本宮拝殿と北渡殿で繋がる「神饌殿」。入母屋造檜皮葺の美しい建物ですが、それも高覧の影から眺めるだけ・・。渡殿の庇に隠れるように座り込んで、もつれそうな足にしばしの安息を。

本宮近くで待機する私に代わって、ご亭主殿が境内社の狛犬さんを画像に収めて来ました。こちらは『大国玉之神』を奉る「境内社:睦魂神社」のご神域を守護される明和2年(1765)8月吉日建立のブロンズ製の狛犬さん一対。燃え盛る炎のような尾に、踏みしめた四肢の鋭い爪が、迫力満点。

ご亭主殿が帰ってきた所で、旭社に向って帰ることにします。さすがに奥宮まで行くのは、晴れていても無理だと言われていましたし、この雨では悩む余地すらありません😅、 続きは明日のブログで。

参拝日:2011年6月18日

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金刀比羅詣り~其の一 in 香川県琴平町

2021年03月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

名勝:象頭山中腹に鎮座される「金刀比羅宮」。御祭神は『大物主命』。
明治以前は金毘羅大権現と呼ばれ、全国に約600社ある金刀比羅神社・金比羅神社・琴平神社の総本宮、海上交通の守り神として漁師、船員など海事関係者の崇敬を集めています。

由緒は二説あり、「一説に、大物主命」が象頭山に行宮を営んだ跡を祭った琴平神社から始まり、中世以降に本地垂迹説により仏教の金毘羅と習合して金毘羅大権現と称したとするもの。また、もともと象頭山にあった松尾寺に金毘羅が守護神として祀られており、これが金毘羅大権現になったとする。」

ご亭主殿と二人の金刀比羅参り、公式HPの案内を真似てレッツ!スタート。表参道から始まった石段のぼり、113段を数えたところで、トップ画像の「一之坂鳥居」。鳥居の両脇より神域を守護されるのは重要有形民族文化財指定、天保15年(1844)建立の備前焼獅子狛犬さん一対。

鳥居から先は一ノ坂、石段は段々と急になっていき、168段を数えたところで、左側に注目👀。安政5年(1853)船の下梁を利用して建てられた、重要有形民俗文化財「灯明堂」があります。

更に120段をのぼり288段を数えた所で、右手の境内一画に建立されているのは「元金比羅宮宮司:琴陸宥常(ことおかひろつね)像」。明治中期に「日本水難救済舎」を設立した人物です。

石段の数は351段、一の坂の終点の境内左手には「鼓楼及清塚」と題された案内板。「平安朝 に令名を馳せた作家清少納言 は老後四回に渡り当宮にも参り終り此の地におわると言い伝し二百六十年程前宝永七年この鼓楼建築にあたり、その塚石をみいだしました。のち天保十五年今から百三十年程この碑を建つ鼓楼は朝夕時刻をしらせる時太鼓を備えた高閣である」悔しい事に、鼓楼の横にある清塚の碑は雨の為にボケボケ😩

参道の右手、金刀比羅本教総本部前に建立されている重要有形民族文化財の「青銅大燈籠」。案内に寄れば「山形県酒田」よりの奉納で、同型のものが山形県の山寺に一基、宮城県金華山の黄金山神社に一対奉納されています。

365段を数えた所で大門到着。本宮までは785段なので、約半分近く登ってきた事になります。「高松藩主:松平頼重」により寄進された二層入母屋造瓦葺の大門。その門前より神域を守護されるのは、享和元年(1801)建立の典型的な浪速狛犬さん一対。

境内の一画で商われる、こんぴら名物「加美代飴」。これは金刀比羅宮境内大門内にある5軒の飴屋のみが販売を許されており、この5軒の飴屋の通称を「五人百姓」と言います。この呼び名は、御宮の神事における役目であり、先祖による御祭神の供奉を行っていた功労が称えられ、特別に境内での営業を許された5軒の称号なのだそうです。

石段のぼりで疲れた足をゆっくり休めて、良い景色でも眺めたい所ですが、生憎の雨なのに、雨宿りの場所もありません。でも雨にも負けず、この桜馬場の玉垣内を守護されるのは、青銅の狛犬さん一対。吽形さんの頭の宝珠の重たそうな事・・。

このころから次第に雨脚が強くなり、安易にデジカメを向けることも出来なくなりました。少しピッチを上げなければ・・可愛らしくお座りの犬は「こんぴら狗」。首にかけた「こんぴら参り」の袋に、飼い主を記した木札、初穂料、道中の食費などを入れ、旅人や街道筋の人の世話を受けながら、飼い主に代わってこんぴら参りの代参をします。それと知ってお世話をする人・・古きよき時代の話に心がほっこり。

・・・の後は、なんでやねん?と突っ込みたくなる「アフリカ象の像」。これってもしかして「象頭山」に引っ掛けての奉納?

広大な神域を持つ金比羅宮・・まだまだ先は長い・・と言う事で続きは明日のブログで

参拝日:2011年6月18日

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琴平駅から金刀比羅さんへ in 香川県琴平町

2021年03月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

上等とはいえない怪しい雲行きの下、「こんぴらさんの駅」と親しまれている「琴平駅」にやってきました。ここは公共交通機関で参拝された方が最初に目にする神域。車寄せの上には正式な注連縄が張られています。

電車を降り立ち改札口から一歩足を踏み出せば、彼方には像頭山の姿。一般道に至るまでの道は奉納灯篭が立ち並び、まさしくそこは参道なのだと認識させられます。

道路の境界線上より神域を守護されるのは、優しい顔立ちの浪速タイプの狛犬さん一対。4段重ねの高い台座の上から遠く一帯を守っておられるのです。

駅前参道の途中に、金毘羅歌舞伎の発展を願って建立された『新歌舞伎十八番 鏡獅子像』が見事な見得を切っています。金刀比羅宮参道近くには、現存する日本最古の芝居小屋「金丸座」があり、今も「四国こんぴら歌舞伎大芝居」として毎年春に公演されているそうです。

1922年に竣工された洋風建築の「琴平駅:駅舎」は、2012年に国の登録有形文化財に登録されました。

これは4月20日に文化庁が発表した内容文で、何と私達が訪問した10ヵ月後の事。「南西方の金刀比羅宮を向いて建つ、木造平屋建ての駅舎である。正面中央に大きな切妻屋根を配して半円窓を開け、軒先には丸金印の軒飾りを飾るなど大らかな意匠になり、駅前の歴史的景観に寄与している。ホームの上屋など3件を併せて登録する。」

出来ればもう少し余裕を持って細部の画像を残したかったのですが、生憎と近場に駐車スペースが無く、ご亭主殿は車で待機。ついつい時間に急かされて駆け足状態での見学となりました。

ここから金比羅宮参拝のために近くまで車で移動。途中で見かけた屋根付きの橋は、御神事場西端にある「鞘橋」。明治2年(1869)に建てられ、明治38年に現在の場所に移築。例大祭などの神事のみに用いられているそうです。

金刀比羅宮参拝の前に「琴平海洋博物館(海の科学館)」に立ち寄りました。人と海との歴史や深海、船舶の機能等、海洋に関する情報が幅広く紹介されており、規模はそれほど大きくは有りませんが、戦艦大和や、幕末期の世界地図など、興味深い展示内容です。

特に日本髪の美人絵を使用した「大阪商船株式會社」のポスターは、私の一番のお勧め。また「石炭を焚かぬディーゼルエンジン装置:紅丸就航」のポスターを見て、頭で知っていた知識の可視化に改めて驚かされたりします。館内は撮影禁止の為紹介できる画像は殆どありませんが、ポスターの類は必見の価値あり!古いポスターが好きな人なら、何時間でも居座りたくなりますよ!

「琴平海洋博物館」のテラスから見える大屋根、その奥に見える建物が、ブログの半ばに登場した日本最古の芝居小屋「金丸座」。時間が有れば立ち寄りたい場所のひとつ。

退館後は、施設内駐車場に車を置かせて頂き、金刀比羅宮への参拝をしました。(無断駐車はくれぐれもしないように、受付で必ず許可を頂いてください!)

金刀比羅宮参拝、続きは明日のブログで

訪問日:2011年6月18日

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ご当地マンホール in 香川県琴平町

2021年03月25日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・香川県

仲多度郡琴平町(ことひらちょう)は香川県の南西部に位置する市です。北から北西に善通寺市、南西は三豊市、東及び南は仲多度郡まんのう町に隣接。町の南西部は大麻山から南東へ尾根続きの琴平山(象頭山)と、それに続く愛宕山の山地。金倉川と土器川の扇状地にあります。金刀比羅宮の鳥居前町として栄え、天明六年(1786)、象頭山のえのき谷から出土した平形銅剣三口の一口が金刀比羅宮博物館に所蔵。またニンニクの一大産地とし知られています。「町の木:オガタマ」「町の花:桜:美女桜」を制定。

キャッチフレーズは「門前町の風情漂う古のまち 心のまち・琴平町」

明治6年(1873)、諸官省布達により那珂郡金毘羅村を琴平村と改称。

明治23年(1890)、町村制の施行により、那珂郡琴平町(第一次)・榎井村が発足。

1955年、琴平町、榎井村が合併、那珂郡琴平町(第二次)が発足。

1956年、満濃町五條西地区一部。1957年、満濃町五條東地区一部を編入。

1958年、那珂郡象郷村を編入、現在に至っています。

マンホールには参拝客で賑わう「金刀比羅宮」と、周囲に「町の花:美女桜」がデザインされています。

大雨でも参拝客で賑わう金比羅宮

昭和47年(1972)12月18日制定の町章は「「コ」「ト」「ヒ」の三字を合体させて近代的にデザインし、全体として「ことひら」を表現した。 太い円はたくましさとゆたかさを、中央の円は融合と団結を象徴し、落ちつきと調和の中に限りなく雄飛する姿としたものである。また「ヒ」と「日」に共通点を求め、日本の歴史の中で繁栄した伝統と、全国津々浦々に知られた琴平町の未来を町章として表現するものである。」公式HPより

撮影日:2011年6月18日

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ふらり~善通寺の町歩き in 香川県善通寺市

2021年03月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

善通寺の玄関でもあり、弘法大師ゆかりの駅でもある「善通寺市駅」。明治22年(1889)の開業時に建てられた駅舎は、大正11年(1922)の陸軍大演習の際に車寄せ部分などを増築。開業当初切妻造だった屋根は、1991年の改修で寄棟造となりました。

明治22年3月30日と記された建物財産標が存在し、日本最古の現役駅舎とされる愛知県半田市の「武豊線:亀崎駅」。善通寺市駅はそれよりも古い可能性があるとされ、国の登録有形文化財に登録されています。

駅から続く表通りを行くと、ちょうど向かい側に黒漆喰土蔵造りの「瀬川酒店」の建物が見えてきました。中二階の壁部分には、薦かぶり「五岳」の鏝絵看板がその存在感を示しています。

大正6年(1917)に建てられた本瓦葺き入母屋造りの母屋は、国の登録有形文化財に、その後相次いで増築されたなまこ壁の東蔵も、母屋同様に登録有形文化財の指定を受けました。

急勾配の屋根と、ハーフティンバーを施した褄壁がモダンさを感じさせる建物は「大川家住宅」。昭和12年(1937)に建てられたもので、左に見える黒漆喰の大川酒店の建物と共に登録有形文化財に指定されています。

特に大川酒店の屋根の見事なむくりは、和と洋の絶妙なバランスを感じさせ、それだけでも見るべき値打ちがあります。

惜しむらくは・・・母屋が改装中だったこと😔 むろん人様のお宅を見せて頂くのですから不足はいえません。

真っ白の下見板貼りの外壁に、鮮やかなブルーの枠取りが印象的な建物は、「水尾写真館」。大正2年(1913)に建てられたもので、こちらも国登録有形文化財の指定を受けています。

レトロな建物群の中でも際立って特徴的なのは、この鮮やかな色使いのせいかもしれません。

赤レンガの倉庫群は、第11師団の兵器庫として終戦まで使用されていたもの。現在は、陸上自衛隊が同種の用途で引き継ぎ、駐屯地の中でも目立つ存在として活躍しています。

図書館の近くに建てられていた「騎兵連隊碑」。すぐ隣の四国学院大学の構内には「騎兵第11連隊本部」の建物が現存しているそうです。

「輜重隊(しちょうたい)跡」。輜重隊とは、あらゆる軍需品を前線に輸送する部隊の事を言います。

善通寺市の町歩き、ラストは陸軍第11師団将校の社交施設として明治36年(1903)に建てられた「旧善通寺偕行社」

外観意匠はルネサンス様式で、正面中央にドリス式角柱と三角ペディメントによる車寄せポーチ。正面ペディメントには陸軍のシンボルである星章が金色に輝いています。

竣工年の10月には皇太子:嘉仁親王殿下(大正天皇)が香川県行啓の休憩所として、また 大正11年(1922)には、陸軍軍事大演習参観のため皇太子裕仁親王殿下(昭和天皇)が宿泊されています。戦後は進駐軍の社交場となり、その後も公共機関の建物して使われてきました。2001年に国の重要文化財の指定を受けた後に保存修理工事を実施、創建当時の状態を基本に復元されました。

訪問日:2011年6月18日

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讃岐宮:香川県護国神社・乃木神社 in 香川県善通寺市

2021年03月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

善通寺市文京町に鎮座される「讃岐宮香川県護国神社」。明治維新以来、国の為に尊い命を捧げた香川県出身の御英霊が奉られます。

護国の英霊35700余柱が鎮まっておられる神域を守護されるのは、招魂社型と分類される狛犬さん一対。どうぞ、この宮が静かで安らげる地であるように、しっかりと守護をお願い致します。

「鎮魂予科練之碑」・・1930年、霞ヶ浦飛行場 (茨城県) に開設された「海軍飛行学校」。「海軍飛行予科練習生」・・純粋に国を守ろうと決意し、志願兵として戦に参加された、平均年齢15~17歳・・若き命の鎮魂碑です。

「工兵隊碑」・・・ 部隊の作戦行動(野戦)を容易にしたり、攻撃や防御、移動を支援したりする任務を専属とする兵科を工兵と言います。

戦場で戦うのは父や夫・息子。彼らを見送る母も妻も子も、やはり共に戦っていたのだと「母子像」は語りかけてきます。「傷痍の碑」の台座に刻まれた「祈祖国平和」。好き勝手なことを言って笑って暮らせる今が、どのような命の贖いによって得られたものか・・決して忘れてはならないと思います。

時に雄雄しく、時に重労働に耐えこの国に尽くしてくれた軍馬たち。今は緑の草原を軽やかに翔けていますか?  気休めであっても、そうであって欲しいと願います。

太平洋の底に眠る軍艦たち・・・この大きな碇がその一部であれば、船霊も共に祖国に帰れたのだと思えるのです。

奉納された神馬の腹掛けに輝くのは桜の紋章。御神紋であり、また軍の徽章としても用いられました。

静謐さの中に静かに在る神の社、そこに眠るのはただひたすらにこの国を守りたいと願った方々の御霊です。私たちはその事を決して忘れてはならないと、・・何よりもその存在を貶める愚者を許してはならないと思うのです。

最後の画像は、旧大日本帝国海軍兵学校において用いられた五つの訓戒「五省」の碑。いずれも簡潔明瞭に、人が生きていく上での大切な事を、きっぱりと説いており、現在は海上自衛隊幹部候補生学校で用いられていると聞きました。
一、至誠に悖るなかりしか(真心に反する点はなかったか)
一、言行に恥るなかりしか(言行不一致な点はなかったか)
一、気力に缺るなかりしか(精神力は十分であったか)
一、努力に憾みなかりしか(十分に努力したか)
一、不精に亘るなかりしか(最後まで十分に取り組んだか)

香川県護国神社に隣接して鎮座される「乃木神社」。御祭神は『乃木希典閣下』第10代学習院長に任じられ、迪宮裕仁親王殿下(昭和天皇)の教育係を務められた人物です。

明治天皇への忠義を自らの支えとし、ひたすら純粋に生き『明治天皇』に殉じて自ら命を絶った『乃木希典将軍』。

【神あがり あがりましぬる大君の  みあとはるかに をろがみまつる】

【うつ志世を 神去りましゝ大君乃 みあと志たひて 我はゆくなり】

その夫と共に、護身用の懐剣によって自らの胸を貫き、命を絶った静子夫人。

【出でまして かへります日のなしときく けふの御幸に 逢ふぞかなしき】

乃木夫妻の葬儀は、大喪の礼から5日後の大正元年(1912)9月18日に行われました。沿道を埋め尽くした人の数は推定20万人とも言われ、その様子は「権威の命令なくして行われたる国民葬」「人民として空前の盛儀」と表現されました。また外国人も多数参列したことから「世界葬」とも表現されました。

明治と言う時代は、日本の黎明期であり、また激動の時代でもありました。その時代の中で、凛として美しく生きたお二人だったからこそ、民は御二方を神としたのです。

参拝日:2011年6月18日

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真言宗十八本山一番札所:善通寺 in 香川県善通寺市

2021年03月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

「屏風浦五岳山誕生院」を号とし、「薬師如来」を本尊とする「真言宗善通寺派総本山:善通寺」
四国八十八箇所霊場の第七十五番、真言宗十八本山一番札所。和歌山県の高野山、京都府の東寺と共に弘法大師三大霊場に数えられます。

多度郡屏風浦善通寺之記によれば「善通寺は空海の父で地元の豪族であった佐伯直田公(法名善通)から土地の寄進を受け、大同2年(807)に建立し始め、弘仁4年(813)に落成したという。空海の入唐中の師であった恵果が住していた長安の青龍寺を模して建立したといわれ、創建当初は、金堂・大塔・講堂など15の堂宇であったという。寺号の善通寺は、父の名前である佐伯善通から採られ、山号の五岳山は、香色山・筆山・我拝師山・中山・火上山の5つの山の麓にあることから命名された。」

朱色であるがゆえ赤門と呼ばれる東門をくぐり、重要文化財の指定を受けている金堂への参拝。流石に「真言宗十八本山一番札所」であり、「空海生誕地」としての位置にある善通寺。老若男女、多くの方が引っ切り無しに訪れ、手を合わせていきます。

特定の宗派に属さない二人ですが、だからといって神仏を疎かに考えることはしません。特に私の生まれ育った地では、お大師さんの存在は非常に身近にあり、お墓でもお仏壇の前でも「南無大師遍照金剛(この世の一切を遍く照らす)」を普通に口にして育って来ました。

あれもこれもと詰め込んだ予定の中では、じっくりとお参りは出来ませんが、それでも出来うる限りを見て歩きたいと、半ば駆け足状態😄
金堂同様、重要文化財指定の「五重塔」は明治35年(1902)に完成した四代目。五智如来の内、四如来が一階に、中尊大日如来は五階に祀られています。

五重塔の近くには、仏教の開祖である釈迦如来と十大弟子を安置する「釈迦堂」があり、左右には知恵の輪灯篭が並びます。現在の建物は江戸時代・延宝年間(1673~1680)建立で、もとは西院(誕生院)の御影堂でしたが、天保2年(1831)の御影堂新築にあたり現在の場所へ移転されました。

「釈迦堂」と向かい合うように大きく枝を広げ、涼やかな影を大地に落として聳えるのは、樹齢千年を超える大楠。「善通寺境内の大グス」として香川県の天然記念物に指定されています。

江戸時代末期の再建とされる「鐘楼 」。梵鐘は昭和33年(1958)の作だそうですが、衝くことはできないそうです。

東院の南に位置する善通寺の正門「南大門」。日露戦争戦勝を記念して明治41年(1908)に再建された高麗門形式の平唐門で、国登録文化財の指定。

観光地には付き物の顔出し、とは言えまさかお大師様の聖地には・・・と思っていましたが、ちゃんとありました😅。お遍路さんの顔出しは、装束から察するに、ご夫婦かカップルでしょうか? 私の母も同じような装束一式をもっていました。

東院から東にのびる赤門筋商店街内にある「赤門七仏薬師」。薬師如来は、現世におけるすべての病苦をのぞくとされ、特に七仏薬師は安産の功徳を得るとされ、また、拝すると乳の出がよくなるといいます。手前の犬の像も「安産」にあやかったもののようです。

通称「乳薬師」と呼ばれる石造の薬師如来様。左手に薬壺を持ち右手を施無畏印(せむいいん)とする通形のお姿で、台座の部分には分身の六尊が浮彫で表されています。

奉納された絵馬を指差し、「乳の出だって~~、恥ずかしい~」と、可笑しそうに笑っていたお若い女性の参拝者がいました。でもね、母乳だけが赤子の命の糧だった時代があったのです。母乳が出るか出ないかは、即、赤子の生死に関わった重大事だったんですよ・・(と、これは私の心の声)

宝亀5年(774)、讃岐国多度郡屏風浦(現:香川県善通寺市)の地に、郡司:佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)、玉寄御前(たまよりごぜん)の子として生を受けた「真魚(まお)」。この善通寺の西院には「弘法大師御誕生所」や「稚児大師像」等々・・あれもこれも拝観したいものが沢山あったのですが、詰めすぎた予定をこなすにはこれ以上の長居は無理と言うことでタイムアウト😔。

参拝日:2011年6月18日

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