車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

高倉神社 in 福島県下郷町

2025年01月31日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・宮城県

下郷町大内山本に鎮座される「高倉神社」。御祭神は後白河天皇・第三皇子『高倉宮似仁王(たかくらのみやもちひとおう)』。大内宿を含む近隣七郷の総鎮守とされます。

「治承四年(1180)5月、平家追討のため源頼政と共に挙兵した高倉宮以仁王は、宇治川の戦いに敗れ、奈良へ敗走途中流れ矢に当り薨ぜられています。しかし大内集落には、以仁王は無事都を脱出して大内に辿りつき、数日間滞在したあと再び越後国を目指して旅立って行ったという伝説が残っています。 当時山本村と呼ばれていた大内集落は、宮中の大内裏にちなんで宮が「大内」と名付けられたと伝えられ、「春は花 秋は紅葉の錦山 東の都 大内の里」という一首も残されています。王子を高倉大明神として観請、明治3年(1870)5月18日、高倉神社と改め、村の鎮守として祀られています。」大内宿観光協会より

二の鳥居

注連縄が掛けられた「御神池」。柄杓が置かれているのを見ると、手水として用いられているのかもしれません。

三の鳥居と拝殿。根性無しの二人は、石段下からの拝礼🙏🙏

境内から見る二の鳥居、神域でもある参道は一面が緑の匂い。吸い込む息も、清々しく洗われていきます。

宿場を歩いていてふと目に留まる浅葱の袴姿の神職さん・・もしかしてお祭りに行き当たった??!!旅の途中ではそんな幸運にまれに出くわすことが有り、私たちはそれを「呼んでいただいた」と言っているのですが・・

高倉神社の社務所を見かけてお声を掛けさせて頂いた所、昨日、祭りが挙行されたとの事。今日はお役を果たされた方々の慰労と、その後の片づけの為に集まっておられたご様子。 

祭りに行き会えたのではなく、祭りの後・・・・・・・ショックを押し隠し神職の方のお姿が有ったので御朱印をお願いしました。待っている間に思いもかけないお接待を頂き、今度は感動でウルウル😭

後で調べた所、以前は、高倉宮を敬い5月に祭礼を行っていましたが、田植えの時期と重なる事から、一年の半分である「半夏生」に祭りが移され、現在の「半夏祭り」となりました。この辺りでは雪が多いため田植えの時期が遅く、「半夏祭り」までには田植えを済ませる様になったそうです。

私たちが大内宿を訪れたのは祭りの翌日・・・😭 知っていれば日程を調整したのにと、自分の調査不足を嘆いても、時は巻き戻せません。色とりどりの幡や幟も無事にお役を務めあげて、今は収納されるのを待つだけ。大内宿唯一のマンホールもこの時ばかりは慰めにならない(マンホール君、ゴメン)😭

それでも・・そのお陰で、関係者の方が集う社務所に行き着き、昨日であれば到底お願いできなかった御朱印を頂く事が出来ました。わざわざ大宮司様にお電話で書式を御尋ねになられ、お書き頂いた御朱印の美しさ。大内宿の美しさと共に今も心に大切に残っています🙏🙏。

参拝日:2015年7月3日

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憧れの大内宿へ in 福島県下郷町

2025年01月30日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

下郷町大内、会津若松から今市に至る会津西街道(下野街道、南山通り)の宿場として栄えた「半農半宿」の宿場「大内宿」

江戸時代に会津若松市と日光今市を結ぶ重要な道の宿場町として栄えた宿場町は、今も往時の面影そのままに、茅葺屋根の民家が街道沿いに建ち並びます。

私たちは県道131号線から薬水の駐車場に車を置き、おおよそ観光地らしからぬ道を辿って宿場内に向かいます。

生憎の雨予報で右手には傘、左手に自作の街道町歩き図。七月初めと言うのに七分丈のジーンズが寒そう😥

そうして見えて来た集落の佇まい。生憎のというより、雨模様の下だからこそ見られる、しっとりと水を含む茅葺屋根はまた格別の風情。

大内宿の入り口ともいえる場所に建てられた鳥居は『弁財天』が祀られる「厳島神社」。申し訳なくも、鳥居下からの拝礼で失礼いたします🙏🙏

石段の横、山際に沿って建立されていた幾つもの石碑。読み取れたものは「辨財天」「白湯山」・・・

宿場に入った二人を迎えてくれた茅葺の大きな建物は「扇屋分家:浅沼食堂」さん。庭先左手には「湯殿山」の碑。

弁財天への石段よりも更に急な石段の先は「子安観音堂」「大内宿見晴台」に至ると言う事で、ご亭主殿の他にも沢山の人が石段を上っていきます。

ところが茅葺の御堂に参拝者の姿は皆無。その分、ゆっくり二人分のお参りが出来たと、これはご亭主殿の弁。

私の為にとご亭主殿が写してきてくれた境内の写真、どれも静謐に満ちて感動でした。

では、先ほど石段を登っていた方達は何処へ?。もちろん、見晴らし台から見るこの景色がお目当て。

福島県の車泊旅最終日、感動と根性で頑張ってはいるものの、流石に処方された痛み止めも「無理」を押し通すには力不足。いや、薬の所為じゃないのは十分承知しております😣 そんな訳で、私は指をくわえ、否、傘をさし、碑と並んで下界で待機・・😭

感動に満ちた大内宿・宿場歩きはこれからですが、続きは明日のブログで

訪問日:2015年7月3日

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湯野上温泉駅 in 福島県下郷町

2025年01月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・宮城県

深い山並みを背景に穏やかな姿を見せる茅葺屋根の建物は、下郷町湯野上大島乙にある会津鉄道:会津線の「湯野上温泉駅」

まるで昔々のお伽噺の世界から抜け出したような茅葺の駅舎。こんな風景がまるで当たり前のように見られるなんて、正直チョット羨ましい😄

駅舎内は、これまた旅情を誘うには十分すぎるシュチエーション。何を見つけたのか屋根の方を見上げる御亭主殿。後で見返した画像は、まるで古い絵ハガキのようなワンシーンになっていました。

待合室には囲炉裏が有って、ちょっと乾いた喉を潤せる茶器が用意され、小説や雑誌などが綺麗に並べられていて・・・

キオスクの本では無く、有志の方々が寄贈されたと思われる本。電車の到着を待つ間、囲炉裏端に座って、自由に手に取って読むことが出来ます。

居心地が良すぎる駅舎からホームに出れば、ほんのりと湯気の香り。

5つの源泉が存在する「湯野上温泉」を擁する駅と言う事で「足湯」の設備が併設されているという、何という至れり尽くせり。季節が良ければ向かいのホームは満開の桜並木ですが、流石にそこまでの贅沢は言いません😅

お湯に足を浸していた御亭主殿・・あまりの気持ち良さに思わず寝転んでしまいました😓 もちろん、外の方の失礼にならないように、即、叩き起こして差し上げました。と言っても私たち以外は誰もいない貸し切り状態😄。

この後、本日メインの「大内宿」宿場歩きが待っています。ポカポカの温泉に名残をしむ気持ちはとっても良く分かりますが、そろそろ愛車に戻りましょうか。

訪問日:2015年7月3日

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塔の岪(へつり) in 福島県下郷町弥五島

2025年01月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

下郷町弥五島下タ林、南会津東部を流れる阿賀川が形成する渓谷で、大川羽鳥県立自然公園の一角を占める「塔の岪(へつり) 」

Wikipediaによれば「一帯は第三系凝灰岩、凝灰角礫岩、頁岩などが互い違いになっており、その軟岩部が長年の歳月による侵食と風化の作用によって形成された柱状の断崖」と紹介されています。会津地方の方言で「険しい断崖」を意味する「へつり」。太古百万年の歴史が創り出した「へつり」。岩壁が浸食され、その岩壁が塔のように並んでいることから「塔のへつり」と呼ばれるようになりました。

全長200メートルにわたって、大規模な奇岩が整列し、主なものには屏風岩、烏帽子岩、護摩塔岩、九輪塔岩、櫓塔岩、獅子塔岩、鷲塔岩などがあり、これらの岩を巡るように通路が彫られています。しかし経年による崩落等のため、吊橋を渡している舞台岩周辺以外は立ち入り禁止となっています。

総体的に橋は苦手で、中でも吊り橋は泣くほど怖い私ですが、一期一会のこの絶景の為なら、ありったけの根性を振り絞る値打ちは充分にあります。

藤見橋を渡って左の階段を下がり、岩肌に沿って歩くと石段があり、その石段を登った先の岩穴に「虚空蔵菩薩」が祀られています。

岩屋の奥には沢山の積み石が並べられています。誰がどんな願いで・・どのような想いを抱いて小さな石を積み上げたのか、その向こうにある人の願いを思う時、私もまた手を合わせずにはいられない気持ちになるのです。

赤い幟の先にある石段を上ると、大同2年(807)、坂上田村麻呂による創建と伝えられる虚空蔵堂があり、運慶が一刀三礼にて彫ったといわれる『虚空蔵菩薩』が祀られています。「智恵を授かる仏さま」・・さて、私たちが望む知恵とは何でしょう。

お堂を後にして再びへつりの下に立って見上げる。どれほどの力がこれほどの世界を作り上げたのか、気の遠くなる歳月などという、そんな生易しいものでは無い。そんな人知を超えた世界の中に立つ自分の存在を改めて確信するのです。

まるで巨大な獣の横顔、何と優しく何と雄々しい。それは例えばこの世とあの世とを行き来できるという伝説の聖なる獣。

鎌首を緑の水に預けてまどろむのは長首の竜。夢の中の竜は、きっと空高くを飛んでいるに違いない。それとも水底深くを駆け巡っているのか?

悠久の時が作り上げた不思議な道は、もう既に人の通る道では無くなった。けれどその道は、濃い緑の木々に包まれて確かに存在し、昔なじみの風だけが何のためらいもなく吹き抜けていく。

崩落の為に立ち入り禁止となった場所。この岩が何と呼ばれていたのか分からないけれど、きっと勇ましい名前が付けられていたのでしょう😊。

名残惜しさはどんな場所にだって付きまとうもの。そうして名残惜しさの分だけ、二人の思い出は膨らんでいく。この日の光景をきっと忘れない。私にカメラを向けるあなたの笑顔を、絶対に忘れない。

藤見橋を渡り終えたら、この不思議な世界ともお別れ。こんなに素敵な場所に連れてきてくれて有難う。立ち去りがたい想いは何時だってついて回るもの、ここだけが特別じゃない。それでもやっぱり、とびっきり特別な場所になったのは確か。

訪問日:2015年7月3日

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塔のへつり駅 in 福島県下郷町弥五島

2025年01月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

下郷町弥五島下タ林にある国指定天然記念物「塔の岪(へつり)」。目的地からさほど遠くない場所にあるという事で、スタートは会津鉄道:会津線の「塔のへつり駅」から。茅葺屋根が良い雰囲気の入り口には「塔のへつり駅」の文字。ちゃんとここで間違いないですと、その存在を主張しています。

右手に見える石碑にも「天然記念物塔」・・そこから下は、どうやら埋もれてしまったみたいですね😅

時刻表によれば、電車が入ってくるまでにはまだ間がある様子。特にこれと言って特別な何かがある訳ではないけれど、この鄙びた独特の雰囲気がたまりません😄

ホームにいるのは私と大きな「こけし」だけ・・こけし~??何故にこけし!!。で、調べたら、手前の弥五郎駅前には「奥会津こけし」などを製作販売する工房があるとか。でも暗闇で見るとちょっと嫌かも😱

電車が近づく気配に駅舎に戻れば、可愛くラッピングされた電車が。流石に午前8時前と有って乗降客の姿はありません。

駅舎の外から見送るラッピング電車。向かう先が深い緑の中だからなのか、それとも遠く離れた見知らぬ土地だからなのか、去ってゆく電車は何故か郷愁を呼び起こす気がする・・

線路の先は「湯野上温泉駅」・・温泉かぁ~、たまにはスケジュールに追われないでのんびりと温泉三昧もしてみたいね。・・多分無理だろうけど😓

駅から「搭のへつり」までは、この林のような道を突っ切ればすぐ・・の筈。私たちは車なので、へつりの大駐車場へ。

新観光名所福島三十景にも登録され、大切な会津のお友達が絶対に外せない名所として紹介してくれた「搭のへつり」。

明日のブログは、思わず息をのむ絶景「搭の岪(へつり)」です。

訪問日:2015年7月3日

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ご当地マンホール in 福島県下郷町

2025年01月26日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

南会津郡下郷町(しもごうまち)は福島県会津地方の南部に位置し、面積の約87%は森林に覆われる緑豊かな町です。南会津郡南会津町、会津若松市、大沼郡会津美里町、昭和村、西白河郡西郷村、岩瀬郡天栄村、さらに県を跨いで栃木県那須塩原市に隣接。町名は、古くから旧田島町を中心とした地域を上郷と呼んだのに対して、当地域が下郷と呼ばれていたことに由来します。「町の木:白樺」「町の花:藤」「町の鳥:ウグイス」を制定。

町内各地からは縄文、弥生式土器が出土しており、数千年前から人の営みがあったものと推測。鎌倉時代には長沼家の所領となり戦国時代まで約500年間その支配下にありました。寛永20年(1643)に保科氏が会津に入ると、当町を含む地域は南山御蔵入と呼ばれ、幕府の直轄領へと編入。江戸時代初期には下野街道(会津西街道)が、元禄年間には松川街道が開かれ、街道沿いには「大内宿」などの宿場が新たに整備されました。

那須山系などの山々に囲まれた町域の約87%は森林に覆われており、町のほぼ中央を南西から北東に阿賀川が貫流し、国指定天然記念物「塔のへつり」に代表される雄大な渓谷が形成されています。

キャッチフレーズは「いで湯と渓谷の里 下郷町」 

明治22年(1889)、町村制の施行により、南会津郡長江村・二川村・楢原村・旭田村が発足。

1928年、長江村、二川村が合併、南会津郡江川村となる。
1946年、楢原村が町制を施行、南会津郡楢原町となる。

1955年、楢原町、旭田村、江川村が合併、南会津郡下郷町となる。

残念ながら下郷町にはデザインマンホールは存在しません。代りと言うのも変ですが、阿賀川の旭橋で見かけた「町の花:藤」「町の鳥:鶯」のレリーフ。

昭和55年4月29日制定の村章は「下郷町の「しも」の字を図案化したもので、町民の融和と団結を表し、町勢の着実な前進を象徴したものです。」公式HPより

町の木でも、町の花でも無い「桜」がデザインされた側溝蓋。もしかしたら越境の側溝蓋かもしれません。

福島県旧船引町(現田村市)町章入り制水弁の越境蓋。

撮影日:2015年7月3日

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下郷町の旅では、標高861、41mにある「道の駅:下郷」で車中泊をさせて頂きました。お友達お薦めの「とち蜜」を、自分用とお土産用に購入。閉店ぎりぎりだったので、間に合って良かった!!

高台から見る南会津の雄大な山並みは深い緑、その向こうにさらに連なる山々。あの右に見える高い山は・・あれは何という山なのだろう?

やがて沈み始めた夕日が最後の輝きを増した時、空はまるで燃えるように不思議な赤と、オレンジと、紫のない混ざった色に染まり、木々や山の緑までも同じ色に染め上げていました。

車で旅をする者にとってこの様な道の駅は本当に有難く大切な場所です。改めて、その折には本当に有難うございました。🙏🙏

 

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奥会津博物館:南郷館 in 福島県南会津町(旧南郷村)

2025年01月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

南会津町界川久保にある「奥会津博物館 南郷館」。館内には伊南川の漁撈用具、奥会津の燈火用具、麻織用具と麻製品、屋根葺用具と火伏せの呪具、南郷の歌舞伎衣装が展示されているそうですが・・毎度のことながら、時間が足りません😅。

今回のお目当ては、博物館の敷地内に保存展示されている二軒の民家の見学。小さな水車小屋を横目に見ながら奥に・・

夏だというのに肌寒い雨の所為で辺りは薄暗く、やはりこの辺りは山深いのだと再認識。積み上げられた萱は屋根の吹き替え用に用意されたものでしょうか?。

保存されている曲家は町指定文化財の「旧斎藤家住宅」。天明年間(1780~)建築で、桁行7間半、梁間4間の母屋に下手土間前方に間口3間、奥行き3間半の角屋を突き出しています。

続いては県指定重要文化財の「旧名主家住宅:山内家」。宝暦3年(1753)の建築で桁行7間半、梁間4間の母屋に下手土間前方に間口3間、奥行き3間半の角屋が・・・とは言え、この状態では何が何やら😱

残念な結果に終わってしまった「奥会津博物館」の茅葺住宅見学。まぁ長旅の予定の中では・・・ままある事です😭

訪問日:2015年7月1日

 

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ご当地マンホール in 福島県旧南郷村(南会津町)

2025年01月24日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

旧南会津郡南郷村(なんごうむら)は福島県南会津西部地方の、ほぼ中央に位置した村です。田島町、伊南村、只見町、昭和村、檜枝岐村に隣接。標高は村中心部で529メートルと高冷地で、村の中央には「日本一遅い鮎の解禁」で有名な伊南川が貫通。伊南川の両岸に集落が形成されています。

界長池沢口にある高清水自然公園はひめさゆりの群生地として知られており、開花の時期には、毎年1万人以上の観光客が県内外より訪れます。「村の木:ブナ」「村の花:ひめさゆり」「村の鳥:ウグイス」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、南会津郡大宮村、富田村が発足。

1955年、大宮村、富田村が合併、南会津郡南郷村が発足。

1968年、旧富田村大字和泉田の一部が只見町へ編入。

2006年、田島町、舘岩村、伊南村と合併、南会津郡南会津町が発足。

マンホールには「村の花:ひめさゆり」と「ひめさゆりの里」の文字がデザインされています。

昭和48年3月制定の村章は「この村章は南郷村の「ナ」の字を図案化したもので、全体的に躍動と躍進を表しており、上下の角は〝山〟を、横の曲線は〝
伊南川〟をそれぞれ表し、美しい自然を意味する。」合併協議会資料より

撮影日:2015年7月1日

 

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ご当地マンホール in 福島県旧舘岩村(南会津町)

2025年01月23日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

旧南会津郡舘岩村(たていわむら)は福島県会津地方の南西部に位置した村です。伊南村、田島町、檜枝岐村、また県を跨いで栃木県 : 藤原町、栗山村に隣接。16世紀の終盤に横田城主・山内氏勝の家臣『小勝入道沢西』が移り住んだことから始まった曲り家の前沢集落や、標高795メートルに位置し、古くより“会津の隠れ湯”と呼ばれ、平安時代から続く秘湯「木賊(とくさ)温泉」など、一足余分に足を延ばしたい観光名所が多く残されています。
「村の木:シラカバ」「村の花:シャクナゲ」「村の鳥:ウグイス」を制定。

また標高500m以上の高冷地と、朝晩の寒暖差が大きい地域性を活かし「会津在来種そば」の栽培も盛んにおこなわれています。さらに地区内を流れる舘岩川の一部を特別漁区として、たのせ集落と南会津西部非出資漁業協同組合が共同で管理する特別漁区「たのせヤマメの里」も人気のスポットです。

明治22年(1889)、町村制の施行により、塩ノ原村・八総村・熨斗戸(のしと)村・湯ノ花村・宮里村・中ノ井村・森戸村が合併、南会津郡舘岩村が発足。

2006年、田島町、伊南村、南郷村と合併、南会津郡南会津町となりました。

マンホールには「村の花:シャクナゲ」と「村の鳥:ウグイス」、上に「村の木・シラカバ。 下に「自然健康村」「たていわ」の文字がデザインされています。

昭和44年4月制定の村章は「「たてい」を円形に構成し「い」を輪形にデザインして「いわ」とした。円形は村民の和を、中央の向い円は村民の大らかなこころを表し、「た」と「て」で構成する矢羽根で、村の限りない発展に志向する村民の意気を表現したものである。」合併協議会資料より

南会津そば振興協議会マスコットキャラクター『南会津蕎麦之介』。頭にはそばの花を咲かせ、右手にはそば切り包丁、左手には麺棒を持ち、背中にはのし板を背負う、全身からSOBAのオーラがあふれています。

前沢曲家集落のある南会津町舘岩地区は、蕎麦の名産地として知られる南会津全域の中でも、とりわけ蕎麦の栽培に適した気候とされます。舘岩産のそば粉を使った手打ち蕎麦が味わえる「そば処・曲家」。御亭主殿、後ろ髪引かれまくり😆

撮影日:2015年7月2日

 

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伊南川の屏風岩 in 福島県南会津町(旧伊南村)

2025年01月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

南会津町大桃平沢山地内、国道352号からでも一際目を惹く「屏風岩」

何千年もの長い年月をかけて、伊南川の急流が作り上げた景観。むきだしの岩肌に彫りあげられた奇岩や怪岩がそそり立ち、その様はまさしく人知の及ばぬ神の造形。

岩肌を走る水は、気の遠くなる程の歳月をかけ、やがて幾筋もの道を作り上げ、白く色を変えて下流へと向かう。

そうして別れた筈の幾筋もの水は、互いを恋しがってまた一つになろうとする。出会いの瞬間、透明であるべき筈の水は真っ白に渦巻き、歓喜にしぶきを上げる。

ここは、流れゆく水が自らの休息の場として作り上げた一画。木々を映し、青い空を映し、どこまでも神秘で、どこまでも静謐に満ちた場所。

水の底にも都の有りましょうほどに・・ふと、滅びゆく貴人の言葉を思い出す。覗き込む事がはばかられるような・・そう、多分それ以上近づいてはいけない。何故だかそう思う。

名残惜しくはあるけれど、長居をしては先に進めない。

紅葉の名所としても有名で、遊歩道も整備されている「屏風岩」。お弁当など持参していれば少し早いお昼に出来たのにね。それにしても・・・今だにお店らしきものに出会え無い😓

訪問日:2015年7月2日

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