夏のスクーリングが終わった。
22日間に渡る、寝不足の『熱い日々』が終わった。
最終日、講堂で行われた『丘の終鈴』という閉校式で、『学生歌』の指揮をした。
我行く道は 遙けきかなた
手をとれ我友 腕組め我友
歌声高く 勇みて進め (三番)
この夏出会った友だけでなく、全国で頑張っている同志達に向かって、そして、また明日から新しいスタートをきる自分自身に対して、エールを送るつもりで指揮をした。
このスクーリングで得たものは、日が経つに連れ、自分の中で、大きく培養されているのを感じる。
短期集中型の講義は大変だったけど、熱意ある先生方の講義には、私の中にしっかりいろいろな種を植え付けてもらった。
普通の学生が半年かけて取る単位を、一週間で修得するということは、そんなに簡単でお手軽なものではない。
今回学んだことは『導入』であって、本当の勉強はこれからなのだ。学んだことを実践し、疑問に思ったことはとことん調べる、理解不十分だったことは再度見直すという作業があって、本当に学習したことが身に付くのだと思う。
中には、「学校で教わることは机上の空論。最低限のことを適当にやって(レポート提出)、早く単位をとり、資格をとって、現場で実地に学ぶことのほうが遙に大切。」という考えもある。私自身、一保護者として現場の現状を知っているだけに、スクーリングを受ける前まではそういう気持ちもあった。
でも、この22日間、「学ぶ」ということの意味と姿勢、教育者を目指すという志の原点を、先生方や、全国から集まった同志達に確かに教えてもらった。
現場で、自信を持って生徒や保護者、同僚の先生方の前に立つには、基本的な知識や教育者としての姿勢ができていなければいけないと思う。
私の勉強はようやくエンジンがかかったところ。43歳の「中古車」だからまたいつエンストするかわからないけど、自分のペースを探りながら、細く長く走り続けていきたい。
昨日、末娘を連れて多摩動物公園に行ってきた。
娘が、
「ママの通った大学を見てみたい」
と言ったので午前中、一緒に大学に行ってみた。
夏休みでほとんど人影はなく、あの22日間が夢だったのかと思われるようだった。
炎天下、起伏の激しい構内を一緒に歩きながら、娘は、
「ママは毎日ここを歩いたの?大変だったね。」
と言ってくれた。
守衛さんを始め、草むしりをしてくださっているおばさんや、剪定の仕事のお兄さん、工事現場の人にまで、娘は「こんにちは」「さようなら」と挨拶をしていた。
スクーリング中は、毎朝4時おきで、子ども達が寝ている間に家を出て、夜の9時近くに帰ると、玄関の扉を開けて、「ママー、お帰りなさーい!」と飛びついてきた娘だった。
どんなに淋しい思いをさせてきたのだろう。
冷蔵庫に、はちまきをしたウサギの絵が貼ってあり、
「まま、べんきょうがんばってねー!」
と書いてある。
「スクーリングが終わったら、大学の近くにある多摩動物公園の本物のコアラに会いに行こうね。」
そのお約束を楽しみに、お留守番を頑張ってくれていたのだ。
でも、そのコアラに会いに行く前に、大学が見たいと言った娘の気持ちが嬉しく、一方で、身を引き締めて1日も早く目標を達成しなければと思った。
「ママは、いつ私の学校に(教育実習に)来るの?」
と楽しみにしていてくれる娘のためにも!
今回は、母にも大変な苦労をかけ、お世話になった。
余震おさまらない故郷宮城の家の片付けを終え、父を一人残して応援に駆けつけてくれた。
帰宅するたび、見違えるように片付いている家の中と、お袋の味、子供達の世話など、本当にありがたく、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
暑さと、片付けの疲れ、慣れない子どもたち(世代間ギャップから来るストレス)とのことなど、言いたいことがいっぱいの母の話を、夜中のレポート書きや試験勉強で、あまり聞いて上げられなかった。
スクーリングが休みの日でも、ソーランの指導があったり、合唱指導の合宿に参加したりと、本当に母に何から何までおんぶに抱っこ状態だった。
その母や、田舎に一人残った父が、私が、通大祭や閉校式で指揮をすることになったことを話すと、しっかりやれと励ましてくれ、今日はこんな出会いがあった、こんなことを勉強したと報告すると、興味を持って聞いてくれるのが嬉しかった。
体調を壊した母に留守を頼んで登校するのはとても後ろ髪を惹かれる想いだったが、母の苦労を無駄にしないためにも、途中で投げ出すわけには行かなかった。
娘達が具合の悪い母を手伝ってくれたり、息子が「学校、頑張れよ」とメモを書いてくれたり、みんなの励ましと協力があってこそ、1日も休まず通い通せたと思う。心から感謝している。
みんなへのお礼は、これからの頑張りと私の生き様で返していこうと思う。
だって私には、心から励まし合える仲間や、親身になって応援してくださる先生方がいるのだから。
梅雨明けも遅く、寒い夏だったけど、『熱い夏』をどうもありがとう。
22日間に渡る、寝不足の『熱い日々』が終わった。
最終日、講堂で行われた『丘の終鈴』という閉校式で、『学生歌』の指揮をした。
我行く道は 遙けきかなた
手をとれ我友 腕組め我友
歌声高く 勇みて進め (三番)
この夏出会った友だけでなく、全国で頑張っている同志達に向かって、そして、また明日から新しいスタートをきる自分自身に対して、エールを送るつもりで指揮をした。
このスクーリングで得たものは、日が経つに連れ、自分の中で、大きく培養されているのを感じる。
短期集中型の講義は大変だったけど、熱意ある先生方の講義には、私の中にしっかりいろいろな種を植え付けてもらった。
普通の学生が半年かけて取る単位を、一週間で修得するということは、そんなに簡単でお手軽なものではない。
今回学んだことは『導入』であって、本当の勉強はこれからなのだ。学んだことを実践し、疑問に思ったことはとことん調べる、理解不十分だったことは再度見直すという作業があって、本当に学習したことが身に付くのだと思う。
中には、「学校で教わることは机上の空論。最低限のことを適当にやって(レポート提出)、早く単位をとり、資格をとって、現場で実地に学ぶことのほうが遙に大切。」という考えもある。私自身、一保護者として現場の現状を知っているだけに、スクーリングを受ける前まではそういう気持ちもあった。
でも、この22日間、「学ぶ」ということの意味と姿勢、教育者を目指すという志の原点を、先生方や、全国から集まった同志達に確かに教えてもらった。
現場で、自信を持って生徒や保護者、同僚の先生方の前に立つには、基本的な知識や教育者としての姿勢ができていなければいけないと思う。
私の勉強はようやくエンジンがかかったところ。43歳の「中古車」だからまたいつエンストするかわからないけど、自分のペースを探りながら、細く長く走り続けていきたい。
昨日、末娘を連れて多摩動物公園に行ってきた。
娘が、
「ママの通った大学を見てみたい」
と言ったので午前中、一緒に大学に行ってみた。
夏休みでほとんど人影はなく、あの22日間が夢だったのかと思われるようだった。
炎天下、起伏の激しい構内を一緒に歩きながら、娘は、
「ママは毎日ここを歩いたの?大変だったね。」
と言ってくれた。
守衛さんを始め、草むしりをしてくださっているおばさんや、剪定の仕事のお兄さん、工事現場の人にまで、娘は「こんにちは」「さようなら」と挨拶をしていた。
スクーリング中は、毎朝4時おきで、子ども達が寝ている間に家を出て、夜の9時近くに帰ると、玄関の扉を開けて、「ママー、お帰りなさーい!」と飛びついてきた娘だった。
どんなに淋しい思いをさせてきたのだろう。
冷蔵庫に、はちまきをしたウサギの絵が貼ってあり、
「まま、べんきょうがんばってねー!」
と書いてある。
「スクーリングが終わったら、大学の近くにある多摩動物公園の本物のコアラに会いに行こうね。」
そのお約束を楽しみに、お留守番を頑張ってくれていたのだ。
でも、そのコアラに会いに行く前に、大学が見たいと言った娘の気持ちが嬉しく、一方で、身を引き締めて1日も早く目標を達成しなければと思った。
「ママは、いつ私の学校に(教育実習に)来るの?」
と楽しみにしていてくれる娘のためにも!
今回は、母にも大変な苦労をかけ、お世話になった。
余震おさまらない故郷宮城の家の片付けを終え、父を一人残して応援に駆けつけてくれた。
帰宅するたび、見違えるように片付いている家の中と、お袋の味、子供達の世話など、本当にありがたく、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
暑さと、片付けの疲れ、慣れない子どもたち(世代間ギャップから来るストレス)とのことなど、言いたいことがいっぱいの母の話を、夜中のレポート書きや試験勉強で、あまり聞いて上げられなかった。
スクーリングが休みの日でも、ソーランの指導があったり、合唱指導の合宿に参加したりと、本当に母に何から何までおんぶに抱っこ状態だった。
その母や、田舎に一人残った父が、私が、通大祭や閉校式で指揮をすることになったことを話すと、しっかりやれと励ましてくれ、今日はこんな出会いがあった、こんなことを勉強したと報告すると、興味を持って聞いてくれるのが嬉しかった。
体調を壊した母に留守を頼んで登校するのはとても後ろ髪を惹かれる想いだったが、母の苦労を無駄にしないためにも、途中で投げ出すわけには行かなかった。
娘達が具合の悪い母を手伝ってくれたり、息子が「学校、頑張れよ」とメモを書いてくれたり、みんなの励ましと協力があってこそ、1日も休まず通い通せたと思う。心から感謝している。
みんなへのお礼は、これからの頑張りと私の生き様で返していこうと思う。
だって私には、心から励まし合える仲間や、親身になって応援してくださる先生方がいるのだから。
梅雨明けも遅く、寒い夏だったけど、『熱い夏』をどうもありがとう。