9月23日(金)
台風一過、秋晴れの1日だった。
でも、身体は動かず、休日出勤も、陶板浴にも行かずに、1日じっとしていた。
起きた時間は、8時半。いつもなら1時間目が始まる時間だ。
身体が、ゴキブリホイホイの粘着シートに貼り付けられているみたいに金縛りにあったみたいに動かない。
枕元の携帯電話から、メールやら電話が入り、しゃべったり、返信しているうちにだんだん覚醒してきた。
昨日、校長先生に
「連休は身体を休めなさい。疲れていては、笑顔もなくなり、いい授業ができませんよ」
と言われた。
8月の末からピーンと張って、張り詰めてきた糸が昨夜、切れた。
切れた糸は今のところ1本で、それは、いい意味での決壊だった。
おかげで、体重の半分ぐらいいが軽くなった思いだった。
「一人で頑張らないで。気づいてあげられなくてごめんね。苦しい時は、頼っていいんだからね。あなたのせいではないんだからね。一緒に頑張ろう」
職員室で、そう声をかけてもらった時に、一気に涙があふれてきた。
今、これを書いていても、涙が止まらない。
大変な時には、大変なことが重なって起きるものだ。
これを試練と言うなら、
「神は乗り越えられる試練を与える」
という言葉を信じて、前に進むしかない。
今までも、そうしてきた。
でも、今回は、自分の力ではどうしようもない『困難』『試練』が津波のようにこれでもかと押し寄せてくる。
想定されたことでもあり、自分だけが困難を抱えているわけではないのはわかっているが、精神的にも、肉体的にも、かなりキツい。
でも、そんな時、暗闇に一筋の光のような『言葉』が、私を救ってくれる。
今日も、朝から友人たちからのそういう言葉に励まされた。
先日、運動会が終わったその晩の夜行*(バス)*で石巻に向かい、翌日参加した『無事だった人同期会』は、ボロボロの私に、喝を入れてくれ、16~18歳の頃の若さとパワーをよみがえらせてくれた。
370人の同期生のうち、74名の参加だった。
50歳~51歳という、参加したい気持ちはあっても、そうそう家を簡単には空けられない主婦や、責任ある仕事を持つ世代であり、あれだけの震災、津波の被災者で家も流された人たちが多い中で、幹事たちや先生方もこんなに集まってくれるとは思わなかったとおっしゃっていた。
現時点で亡くなったことが分かっている同期生は2名いらっしゃった。
その被災時の様子は、あまりにも壮絶で、痛ましかった。
心よりご冥福を祈ります。
亡くならないまでも、九死に一生を得た恩師・友人たちの話は、本当に想像を絶するものだった、本当に、よく生きていてくれたと、抱き合って泣いた。
1次会では、恩師の先生方が、被災したわけでもない私を励まし、いたわってくださり、恐縮した。
私が送った暑中見舞いに、石巻でボランティアをしたことを書き送ったからだろうか。
ありがたかった。
先生方のご無事を喜び、ますますのご活躍とご健康をお祈りいたします。
3次会では、みんなでカラオケで10代の娘になって若返り、盛り上がった。
最後に、友人が紹介してくれた、竹内まりやの「人生の扉」を聞き、今度の55歳の同窓会まで、みんなでこの歌を覚えて来て歌おうと誓った。
人生の扉
春がまた来るたび 一つ歳を重ね
目に映る景色も 少しずつ変わるよ
陽気にはしゃいでた 幼い日は遠く
気がつけば五十路を 超えた私がいる
信じられない速さで 時は過ぎ去ると 知ってしまったら
どんな小さなことも 覚えていたいと 心が言ったよ
I say it's fun to be 20
You say it's great to be 30
And they say it's lovely to be 40
But I feel it's nice to be 50
満開の桜や 色づく山の紅葉を
この先いったい何度 見ることになるだろう
ひとつひとつ 人生の扉を開けては 感じるその重さ
ひとりひとり 愛する人たちのために 生きてゆきたいよ
I say it's fine to be 60
You say it's alright to be 70
And they say still good to be 80
But I'll maybe live over 90
君のデニムの青が 褪せてゆくほど 味わい増すように
長い旅路の果てに 輝く何かが 誰にでもあるさ
I say sad to get weak
You say it's hard to get older
And they say that life has no meaning
But I still believe it's worth living
But I still believe it's worth living
http://www.youtube.com/watch?v=5pkgLhu3XAg&feature=related
この歌が使われているCMの映像です。
http://www.youtube.com/watch?v=DEqk08OGwD4
同窓会から帰って来て、今度は、敬老の日に石巻のじいちゃんばあちゃんに震災以来初めて会いに来た息子と、居酒屋に行った。
いろんな話をしながら、息子とこういう話をするようになったんだなあと、彼の成長ぶりを頼もしく、まぶしく思った。
我が家の今後について話しながら、
「あなたたち3人に出会えたこと、私の子どもに生まれて来てくれたこと、こんなにいい子に育ってくれたことをうれしく思うよ。感謝している。」
と言ったら、息子は目をしばたかせていたっけ。
「ママは、もう十分頑張ってきてくれたよ。これからは、自分の人生を生きて。」
これは、去年、50歳の誕生日の時に、長女にも言われた言葉だった。
*(音符)*But I feel it's nice to be 50
51歳になって2カ月。なんと濃い2カ月だっただろう。
まさにこれからのパワーの源になる出会いをたくさん経験した。
これから、もっともっと厳しい現実や過酷な運命が待っているだろう。
大変さ比べをしているわけではないけれど、みんなだって頑張っていることが私の励みであり、私の元気がみんなの元気の素になっているらしい。
『ピンチをチャンスに!』
「忙しい」とは、心を亡くすと書く。
「慌ただしい」とは、心が荒れると書く。
彼岸を過ぎて、寝苦しい夜も去り、日に日に長くなっていく夜には、心穏やかに過ごしたいものだ。
子どもたちの前で、いつも笑顔で、元気でいるために。
記憶に残るいい授業をするために。
28人全員が私のかわいい生徒たち。健気で愛しい私の宝物たち。
『心と体を休めることも仕事』ですね。
この連休に、しっかり睡眠と栄養を取り、診察も受けて、ちゃんと心身のメンテナンスをして充電しておかなくっちゃ!
長くなったので、翌日のボランティア活動報告は、別件で書くことにします。
台風一過、秋晴れの1日だった。
でも、身体は動かず、休日出勤も、陶板浴にも行かずに、1日じっとしていた。
起きた時間は、8時半。いつもなら1時間目が始まる時間だ。
身体が、ゴキブリホイホイの粘着シートに貼り付けられているみたいに金縛りにあったみたいに動かない。
枕元の携帯電話から、メールやら電話が入り、しゃべったり、返信しているうちにだんだん覚醒してきた。
昨日、校長先生に
「連休は身体を休めなさい。疲れていては、笑顔もなくなり、いい授業ができませんよ」
と言われた。
8月の末からピーンと張って、張り詰めてきた糸が昨夜、切れた。
切れた糸は今のところ1本で、それは、いい意味での決壊だった。
おかげで、体重の半分ぐらいいが軽くなった思いだった。
「一人で頑張らないで。気づいてあげられなくてごめんね。苦しい時は、頼っていいんだからね。あなたのせいではないんだからね。一緒に頑張ろう」
職員室で、そう声をかけてもらった時に、一気に涙があふれてきた。
今、これを書いていても、涙が止まらない。
大変な時には、大変なことが重なって起きるものだ。
これを試練と言うなら、
「神は乗り越えられる試練を与える」
という言葉を信じて、前に進むしかない。
今までも、そうしてきた。
でも、今回は、自分の力ではどうしようもない『困難』『試練』が津波のようにこれでもかと押し寄せてくる。
想定されたことでもあり、自分だけが困難を抱えているわけではないのはわかっているが、精神的にも、肉体的にも、かなりキツい。
でも、そんな時、暗闇に一筋の光のような『言葉』が、私を救ってくれる。
今日も、朝から友人たちからのそういう言葉に励まされた。
先日、運動会が終わったその晩の夜行*(バス)*で石巻に向かい、翌日参加した『無事だった人同期会』は、ボロボロの私に、喝を入れてくれ、16~18歳の頃の若さとパワーをよみがえらせてくれた。
370人の同期生のうち、74名の参加だった。
50歳~51歳という、参加したい気持ちはあっても、そうそう家を簡単には空けられない主婦や、責任ある仕事を持つ世代であり、あれだけの震災、津波の被災者で家も流された人たちが多い中で、幹事たちや先生方もこんなに集まってくれるとは思わなかったとおっしゃっていた。
現時点で亡くなったことが分かっている同期生は2名いらっしゃった。
その被災時の様子は、あまりにも壮絶で、痛ましかった。
心よりご冥福を祈ります。
亡くならないまでも、九死に一生を得た恩師・友人たちの話は、本当に想像を絶するものだった、本当に、よく生きていてくれたと、抱き合って泣いた。
1次会では、恩師の先生方が、被災したわけでもない私を励まし、いたわってくださり、恐縮した。
私が送った暑中見舞いに、石巻でボランティアをしたことを書き送ったからだろうか。
ありがたかった。
先生方のご無事を喜び、ますますのご活躍とご健康をお祈りいたします。
3次会では、みんなでカラオケで10代の娘になって若返り、盛り上がった。
最後に、友人が紹介してくれた、竹内まりやの「人生の扉」を聞き、今度の55歳の同窓会まで、みんなでこの歌を覚えて来て歌おうと誓った。
人生の扉
春がまた来るたび 一つ歳を重ね
目に映る景色も 少しずつ変わるよ
陽気にはしゃいでた 幼い日は遠く
気がつけば五十路を 超えた私がいる
信じられない速さで 時は過ぎ去ると 知ってしまったら
どんな小さなことも 覚えていたいと 心が言ったよ
I say it's fun to be 20
You say it's great to be 30
And they say it's lovely to be 40
But I feel it's nice to be 50
満開の桜や 色づく山の紅葉を
この先いったい何度 見ることになるだろう
ひとつひとつ 人生の扉を開けては 感じるその重さ
ひとりひとり 愛する人たちのために 生きてゆきたいよ
I say it's fine to be 60
You say it's alright to be 70
And they say still good to be 80
But I'll maybe live over 90
君のデニムの青が 褪せてゆくほど 味わい増すように
長い旅路の果てに 輝く何かが 誰にでもあるさ
I say sad to get weak
You say it's hard to get older
And they say that life has no meaning
But I still believe it's worth living
But I still believe it's worth living
http://www.youtube.com/watch?v=5pkgLhu3XAg&feature=related
この歌が使われているCMの映像です。
http://www.youtube.com/watch?v=DEqk08OGwD4
同窓会から帰って来て、今度は、敬老の日に石巻のじいちゃんばあちゃんに震災以来初めて会いに来た息子と、居酒屋に行った。
いろんな話をしながら、息子とこういう話をするようになったんだなあと、彼の成長ぶりを頼もしく、まぶしく思った。
我が家の今後について話しながら、
「あなたたち3人に出会えたこと、私の子どもに生まれて来てくれたこと、こんなにいい子に育ってくれたことをうれしく思うよ。感謝している。」
と言ったら、息子は目をしばたかせていたっけ。
「ママは、もう十分頑張ってきてくれたよ。これからは、自分の人生を生きて。」
これは、去年、50歳の誕生日の時に、長女にも言われた言葉だった。
*(音符)*But I feel it's nice to be 50
51歳になって2カ月。なんと濃い2カ月だっただろう。
まさにこれからのパワーの源になる出会いをたくさん経験した。
これから、もっともっと厳しい現実や過酷な運命が待っているだろう。
大変さ比べをしているわけではないけれど、みんなだって頑張っていることが私の励みであり、私の元気がみんなの元気の素になっているらしい。
『ピンチをチャンスに!』
「忙しい」とは、心を亡くすと書く。
「慌ただしい」とは、心が荒れると書く。
彼岸を過ぎて、寝苦しい夜も去り、日に日に長くなっていく夜には、心穏やかに過ごしたいものだ。
子どもたちの前で、いつも笑顔で、元気でいるために。
記憶に残るいい授業をするために。
28人全員が私のかわいい生徒たち。健気で愛しい私の宝物たち。
『心と体を休めることも仕事』ですね。
この連休に、しっかり睡眠と栄養を取り、診察も受けて、ちゃんと心身のメンテナンスをして充電しておかなくっちゃ!
長くなったので、翌日のボランティア活動報告は、別件で書くことにします。