9月29日(金)
小学2年生の国語科の題材に、『うれしくなる言葉』という学習がある。
お友達から言われてうれしかった言葉は、いつ、どんな時言われたどういう言葉か、その言葉を言われた時、どんな気持ちになったかを、カードに書いて発表し合うというものだ。
まず、どんな言葉が「うれしくなる言葉』なのかを聞いたところ、ほとんどの子が褒める言葉を選んだ。
「上手だね。」
「頭いいね。」
「すごいね。」
など。だから、一人ずつ聞いて行ったところ、半分ぐらいの子が『うれしくなる言葉』を言われたことがないと言った。
ところが、一人だけ、
「お母さんに、『いつも食器の後片付けをしてくれてありがとう』」と言われたこと。」
と紹介してくれた子がいた。
褒められるだけではなく、感謝の気持ちを言われたり、挨拶をされるのも、うれしくなるということに気がついた子どもたちは、
「ありがとう。」
「さっきは、ごめんね。」
「ともだちになろう」
「ひとりじゃないよ」
「ずっとなかよしでいてね」
「がんばって!」
「どんまい!」
「がんばったね」
「大きくなったね」
「お洋服似合うね」
「髪型かわいいね」
出てくる出てくる、さっき、うれしくなる言葉は「ない」と言い切った子たちも、それこそ、うれしそうに、自分の体験を語りだした。
黒板の半分に、いっぱい書きだした後、
「では、反対に、言われてうれしくない、傷つく、嫌な言葉は?」
と聞いたら、これもまたたくさん出てきた。
黒板一杯に書かれたそれらの言葉は、目で読むだけでも、いやな言葉たちだった。
それを、私は、あえて、声に出して読んでみせた。
すると、子どもたちは、なんとも言えない表情で、傷ついたような眼をして私を見、中には、
「うぜぇ・・・」
と吐き捨てるように言った子もいた。
今度は、最初に出たうれしくなる言葉達を、ちょっと大げさに、身振り手振りや、表情や、声、言い方に、気持ちを込めて言って見せた。
たちまち子どもたちの顔は、生き生き、ニコニコ、ちょっと照れくさそうに、でも、誇らしげに、本当にうれしそうな顔になった。
『言霊』という文字を黒板に書き、言葉には『魂』が宿ることを話した。
たった一言で、人を元気にすることも、生きる目標を持たせることもできるが、
たった一言が、その人を傷つけ、時には死に至らしめることもある。
更に、思っても口に出してはいけない言葉や、『放送禁止用語』についても触れた。
差別や、嘘、陰口、噂、・・・。
子どもたちは、真剣に聞いていた。
次の時間、班のお友達一人一人と、私にに向けてのメッセージカードを書かいてもらった。
その次の時間は、それらをそれぞれの子どもに渡し、誰に書いてもらったどんな言葉が、どううれしかったのかを書いてもらった。
そして、今日、そのカードを書き手の名前を伏せて私が読み上げた。
すると、書かれた本人、読まれた本人もうれしそうだったが、聞いているみんなの顔も興味津々で、なおかつ、自分が書いたのが読まれるのでは?という照れくささと期待で、眼はキラキラだった。
子どもたちからのメッセージの中には、
「『いつもやさしくしてくれてありがとう』と言われて、これからはもっとやさしくなろうと思った」
とか、
「『いつも注意してくれてありがとう』といわれて、びっくりした」
「『ねんど、じょうずだね』と言われて、がんばったところをちゃんと見てくれたんだと思ってうれしかった。」
「『正直なところがいいね』と言われたのははじめてで、そう思ってくれていたなんてうれしかった」
など、まさに煌めく言葉がたくさん書かれてあった。
最後に、みんなが私に書いてくれた『うれしくなる言葉』を紹介した。
いろいろ照れくさくなるような言葉があった中で、
「先生は、おこるとこわいけど、だめなことはだめって、ちゃんとしかってくれる」
とか、
「ぼくたちが、いけないことをしておこる時、地しんの話とかしてくれて、よくなくところ」
「まだならっていないかん字の意味や、せかいの国や、むかしのことなど、むずかしいことでも分かりやすく教えてくれる。」
「いろんなことを教えてくれる、あたまがいい人」
「読み聞かせがじょうずで、おもしろい。もっといっぱいご本を読んで」
というのもあった。
中には、いつも怒られてばかりいる子と私について、「○○くんとラブラブなところ」と書いてあるメッセージを読んだところ、クラス中が大騒ぎになった。
一番興奮していたのは、書かれていた○○君だった。
みんなは、私がその子のことを厳しく叱っていても、けしてその子のことを嫌いで怒っているのではないということを、みんなも、その子自身も、ちゃんとわかっていてくているのだと言うことを教えてくれた。
それは何より、私をうれしくさせ、2年3組の担任として教師という職業に、自信を持たせてくれる言葉だった。
さて、今は通信簿つけに毎日深夜まで学校に残って仕事をしている。
一番大変なのが『所見』だ。
通信簿は、子どもの粗探しでも、現実を突き付けるものでもない。
その子どもを更に伸ばすためのものでなければならない。
通信簿は、印刷物として一生『残るもの』であり、家族みんなで見るものだ。
言葉はよくよく吟味し、慎重に書かなくてはならない。
読んだ本人も保護者も、うれしくなって
「もっと頑張ろう!」
「こういう所をちゃんと認めてもらっているんだ」
と思ってもらえるように。
ちなみに、私が最近言われてうれしかった言葉をいくつか書き記しておこう。
「一番尊敬する人はお母さん。私たち3人をここまで育ててくれた人だから」
「ママは、お世辞を言わないから、たまに褒められると照れる。」
「ママが教えてくれることは、言われている時はうるさいけど、後で必ず役に立つ」
「先生に言われた言葉、教わったこと、一緒に勉強できたこと、一生忘れません」
「あなたの元気が、みんなを元気にする」
「おまえのいいところは、明るくて、前向きで、笑った顔がめんこいところだ」
「あなたとの出逢いを、神に感謝している」
みんなからもらった『元気玉』に応えられるように、これからも頑張ろう!
小学2年生の国語科の題材に、『うれしくなる言葉』という学習がある。
お友達から言われてうれしかった言葉は、いつ、どんな時言われたどういう言葉か、その言葉を言われた時、どんな気持ちになったかを、カードに書いて発表し合うというものだ。
まず、どんな言葉が「うれしくなる言葉』なのかを聞いたところ、ほとんどの子が褒める言葉を選んだ。
「上手だね。」
「頭いいね。」
「すごいね。」
など。だから、一人ずつ聞いて行ったところ、半分ぐらいの子が『うれしくなる言葉』を言われたことがないと言った。
ところが、一人だけ、
「お母さんに、『いつも食器の後片付けをしてくれてありがとう』」と言われたこと。」
と紹介してくれた子がいた。
褒められるだけではなく、感謝の気持ちを言われたり、挨拶をされるのも、うれしくなるということに気がついた子どもたちは、
「ありがとう。」
「さっきは、ごめんね。」
「ともだちになろう」
「ひとりじゃないよ」
「ずっとなかよしでいてね」
「がんばって!」
「どんまい!」
「がんばったね」
「大きくなったね」
「お洋服似合うね」
「髪型かわいいね」
出てくる出てくる、さっき、うれしくなる言葉は「ない」と言い切った子たちも、それこそ、うれしそうに、自分の体験を語りだした。
黒板の半分に、いっぱい書きだした後、
「では、反対に、言われてうれしくない、傷つく、嫌な言葉は?」
と聞いたら、これもまたたくさん出てきた。
黒板一杯に書かれたそれらの言葉は、目で読むだけでも、いやな言葉たちだった。
それを、私は、あえて、声に出して読んでみせた。
すると、子どもたちは、なんとも言えない表情で、傷ついたような眼をして私を見、中には、
「うぜぇ・・・」
と吐き捨てるように言った子もいた。
今度は、最初に出たうれしくなる言葉達を、ちょっと大げさに、身振り手振りや、表情や、声、言い方に、気持ちを込めて言って見せた。
たちまち子どもたちの顔は、生き生き、ニコニコ、ちょっと照れくさそうに、でも、誇らしげに、本当にうれしそうな顔になった。
『言霊』という文字を黒板に書き、言葉には『魂』が宿ることを話した。
たった一言で、人を元気にすることも、生きる目標を持たせることもできるが、
たった一言が、その人を傷つけ、時には死に至らしめることもある。
更に、思っても口に出してはいけない言葉や、『放送禁止用語』についても触れた。
差別や、嘘、陰口、噂、・・・。
子どもたちは、真剣に聞いていた。
次の時間、班のお友達一人一人と、私にに向けてのメッセージカードを書かいてもらった。
その次の時間は、それらをそれぞれの子どもに渡し、誰に書いてもらったどんな言葉が、どううれしかったのかを書いてもらった。
そして、今日、そのカードを書き手の名前を伏せて私が読み上げた。
すると、書かれた本人、読まれた本人もうれしそうだったが、聞いているみんなの顔も興味津々で、なおかつ、自分が書いたのが読まれるのでは?という照れくささと期待で、眼はキラキラだった。
子どもたちからのメッセージの中には、
「『いつもやさしくしてくれてありがとう』と言われて、これからはもっとやさしくなろうと思った」
とか、
「『いつも注意してくれてありがとう』といわれて、びっくりした」
「『ねんど、じょうずだね』と言われて、がんばったところをちゃんと見てくれたんだと思ってうれしかった。」
「『正直なところがいいね』と言われたのははじめてで、そう思ってくれていたなんてうれしかった」
など、まさに煌めく言葉がたくさん書かれてあった。
最後に、みんなが私に書いてくれた『うれしくなる言葉』を紹介した。
いろいろ照れくさくなるような言葉があった中で、
「先生は、おこるとこわいけど、だめなことはだめって、ちゃんとしかってくれる」
とか、
「ぼくたちが、いけないことをしておこる時、地しんの話とかしてくれて、よくなくところ」
「まだならっていないかん字の意味や、せかいの国や、むかしのことなど、むずかしいことでも分かりやすく教えてくれる。」
「いろんなことを教えてくれる、あたまがいい人」
「読み聞かせがじょうずで、おもしろい。もっといっぱいご本を読んで」
というのもあった。
中には、いつも怒られてばかりいる子と私について、「○○くんとラブラブなところ」と書いてあるメッセージを読んだところ、クラス中が大騒ぎになった。
一番興奮していたのは、書かれていた○○君だった。
みんなは、私がその子のことを厳しく叱っていても、けしてその子のことを嫌いで怒っているのではないということを、みんなも、その子自身も、ちゃんとわかっていてくているのだと言うことを教えてくれた。
それは何より、私をうれしくさせ、2年3組の担任として教師という職業に、自信を持たせてくれる言葉だった。
さて、今は通信簿つけに毎日深夜まで学校に残って仕事をしている。
一番大変なのが『所見』だ。
通信簿は、子どもの粗探しでも、現実を突き付けるものでもない。
その子どもを更に伸ばすためのものでなければならない。
通信簿は、印刷物として一生『残るもの』であり、家族みんなで見るものだ。
言葉はよくよく吟味し、慎重に書かなくてはならない。
読んだ本人も保護者も、うれしくなって
「もっと頑張ろう!」
「こういう所をちゃんと認めてもらっているんだ」
と思ってもらえるように。
ちなみに、私が最近言われてうれしかった言葉をいくつか書き記しておこう。
「一番尊敬する人はお母さん。私たち3人をここまで育ててくれた人だから」
「ママは、お世辞を言わないから、たまに褒められると照れる。」
「ママが教えてくれることは、言われている時はうるさいけど、後で必ず役に立つ」
「先生に言われた言葉、教わったこと、一緒に勉強できたこと、一生忘れません」
「あなたの元気が、みんなを元気にする」
「おまえのいいところは、明るくて、前向きで、笑った顔がめんこいところだ」
「あなたとの出逢いを、神に感謝している」
みんなからもらった『元気玉』に応えられるように、これからも頑張ろう!