7月15日(日)
久々のブログ更新。久々の休日。
前回から1カ月間、激動の毎日だった。
良かったことは、自分自身のスキルが少し上がったこと。
悪かったことは、声が枯れたまま、戻らなくなったこと。
連休が明けたら、あと三日で夏休み。
動静表(スケジュール表)を作ってみたら、結構過酷なスケジュールになってしまった。
子どもたちには夏休みでも、教師にとっては、出張や研修や教材研究、校務分掌、備品チェック、日直など、やることはたくさんある。中学校と違って、部活動がない分、楽は楽だが、担任としてのやるべきことは満載だ。
でも、この期間の私の最優先事項は、体調の回復だ。
明後日で1歳年齢が上がる。
去年の身体とも、5年前の身体とも、ましてや、10年前の身体とも全く違う身体になって来ている。
加齢のせいもあるのだろうが、本当に無理がきかない身体になって、そこを無理すると、弱いところに影響が出るという繰り返しだ。
土日に整体に通ってても、月曜日には元の黙阿弥、水曜日には傷みに耐えきれず、揉みほぐしに行くしかない。木金を耐え抜いて、土日にまた整体に行く・・・・。
お金がかかる。
でも、ぎっくり腰や、体調を崩してお休みしたり、入院するよりは、『未病』のうちに元気を取り戻し、維持する方がまだお金はかからない。
気持ちは、誰にも負けないぐらいの情熱も向上心もある。
でも、ストレスや疲れには弱い。ストレスには回避や発散の仕方にもっと工夫の余地がある。
疲れは、要領の悪さからも来ているので、効率よく、短時間で仕事を片付けること。ちゃんと休憩や早く帰って、身体を休めるのも仕事のうち。
なのに、なかなかそれができないでいる。
もうすぐ、私の51歳が終わろうとしている。去年の大震災に始まって、実に様々な出会いや事件があった1年間だった。失ったものの多かったが、得るものはそれ以上にたくさんあった。たくさんの人に感謝することの多い一年間だった。
52歳は過酷な運命と向き合うことになるスタートから始まる。
ある意味で、機は熟したのかもしれないし、今が潮時なのかもしれない。
過去は変えられないが、未来は変えることはできる。
壁は乗り越えられる人の前に現れる。きっと乗り越える。
かつて、中学生の教え子たちに教えてきたことを、身を持って実践する好機が来たのだ。
ピンチをチャンスに変える。
なりたい自分になるために。
子どもたちの未来を守るためにも。
変わることは怖い。変えることは面倒だ。
でも、恐れず、面倒くさがらず、まずは最初の一歩から、今できることから確実に進めていかなければ、壁は乗り越えられない。
ピンチをチャンスに変える。
失敗から学ばない者は成長しない。
自分の生きざまを子どもたちに見せるために。
52歳は、52年間頑張ってきた私と、支えて来てくれた家族や仲間、何より、私をこの世に送り出してくれた両親がいてこそ、今の私がある。本当に感謝している。
まだまだ未熟者だが、だてに人生経験豊かではない。
苦労した分、涙の数以上に、人には優しく、情け深い性格だと思う。
でも、時には、冷静に、冷徹に、取捨選択をしなけれねばならないと思っている。
それもまた、修行である。
5年後、10年後の自分は、今の自分をどう振り返るのだろう。
5年前の私は、辛い現状を直視せず、仕事に逃げ、心から笑った日が1日もないような追い詰められた毎日を送っていた。
あの時の私の支えは生徒たちとの美術の授業だった。充実した授業ができていたと思う。
でも、我が子たちには、申し訳ないほどいろいろな我慢をさせてしまっていた。
10年前の私は、暗中模索で、自信がなく、声まで失うほど心身ともに病んでいた。
あの時の私の支えは、ソーラン節だった。我が子たち、その友だち、地域の人たちとともに作ったソーラン隊の隊長として、各地のイベントに出演し、小中学校、公民館にソーランを指導しに行っていた。
自分の心の闇を引き飛ばそうと、みんなに元気な踊りを見せ、笑顔をふりまいていた。
思えば今はあの時よりはずっとましで、あの時の苦労が、いろいろな場面で少しずつ報われて行きているのを感じられるようになってきた。
だから、今立ちはだかっている壁も、きっと乗り越えられる。
乗り越えられたその先には、今の自分を『あの時逃げずに頑張ったおかげでこうなれた』と笑って懐かしんでいる私が必ずいるだろう。
難局だから“change”(変革)が必要だし、難局だからこそ“change”を実行できるとも言える。ピンチをチャンスに変えるために。
Yes. I can!
Yes. I Change!
未来の自分のために。
久々のブログ更新。久々の休日。
前回から1カ月間、激動の毎日だった。
良かったことは、自分自身のスキルが少し上がったこと。
悪かったことは、声が枯れたまま、戻らなくなったこと。
連休が明けたら、あと三日で夏休み。
動静表(スケジュール表)を作ってみたら、結構過酷なスケジュールになってしまった。
子どもたちには夏休みでも、教師にとっては、出張や研修や教材研究、校務分掌、備品チェック、日直など、やることはたくさんある。中学校と違って、部活動がない分、楽は楽だが、担任としてのやるべきことは満載だ。
でも、この期間の私の最優先事項は、体調の回復だ。
明後日で1歳年齢が上がる。
去年の身体とも、5年前の身体とも、ましてや、10年前の身体とも全く違う身体になって来ている。
加齢のせいもあるのだろうが、本当に無理がきかない身体になって、そこを無理すると、弱いところに影響が出るという繰り返しだ。
土日に整体に通ってても、月曜日には元の黙阿弥、水曜日には傷みに耐えきれず、揉みほぐしに行くしかない。木金を耐え抜いて、土日にまた整体に行く・・・・。
お金がかかる。
でも、ぎっくり腰や、体調を崩してお休みしたり、入院するよりは、『未病』のうちに元気を取り戻し、維持する方がまだお金はかからない。
気持ちは、誰にも負けないぐらいの情熱も向上心もある。
でも、ストレスや疲れには弱い。ストレスには回避や発散の仕方にもっと工夫の余地がある。
疲れは、要領の悪さからも来ているので、効率よく、短時間で仕事を片付けること。ちゃんと休憩や早く帰って、身体を休めるのも仕事のうち。
なのに、なかなかそれができないでいる。
もうすぐ、私の51歳が終わろうとしている。去年の大震災に始まって、実に様々な出会いや事件があった1年間だった。失ったものの多かったが、得るものはそれ以上にたくさんあった。たくさんの人に感謝することの多い一年間だった。
52歳は過酷な運命と向き合うことになるスタートから始まる。
ある意味で、機は熟したのかもしれないし、今が潮時なのかもしれない。
過去は変えられないが、未来は変えることはできる。
壁は乗り越えられる人の前に現れる。きっと乗り越える。
かつて、中学生の教え子たちに教えてきたことを、身を持って実践する好機が来たのだ。
ピンチをチャンスに変える。
なりたい自分になるために。
子どもたちの未来を守るためにも。
変わることは怖い。変えることは面倒だ。
でも、恐れず、面倒くさがらず、まずは最初の一歩から、今できることから確実に進めていかなければ、壁は乗り越えられない。
ピンチをチャンスに変える。
失敗から学ばない者は成長しない。
自分の生きざまを子どもたちに見せるために。
52歳は、52年間頑張ってきた私と、支えて来てくれた家族や仲間、何より、私をこの世に送り出してくれた両親がいてこそ、今の私がある。本当に感謝している。
まだまだ未熟者だが、だてに人生経験豊かではない。
苦労した分、涙の数以上に、人には優しく、情け深い性格だと思う。
でも、時には、冷静に、冷徹に、取捨選択をしなけれねばならないと思っている。
それもまた、修行である。
5年後、10年後の自分は、今の自分をどう振り返るのだろう。
5年前の私は、辛い現状を直視せず、仕事に逃げ、心から笑った日が1日もないような追い詰められた毎日を送っていた。
あの時の私の支えは生徒たちとの美術の授業だった。充実した授業ができていたと思う。
でも、我が子たちには、申し訳ないほどいろいろな我慢をさせてしまっていた。
10年前の私は、暗中模索で、自信がなく、声まで失うほど心身ともに病んでいた。
あの時の私の支えは、ソーラン節だった。我が子たち、その友だち、地域の人たちとともに作ったソーラン隊の隊長として、各地のイベントに出演し、小中学校、公民館にソーランを指導しに行っていた。
自分の心の闇を引き飛ばそうと、みんなに元気な踊りを見せ、笑顔をふりまいていた。
思えば今はあの時よりはずっとましで、あの時の苦労が、いろいろな場面で少しずつ報われて行きているのを感じられるようになってきた。
だから、今立ちはだかっている壁も、きっと乗り越えられる。
乗り越えられたその先には、今の自分を『あの時逃げずに頑張ったおかげでこうなれた』と笑って懐かしんでいる私が必ずいるだろう。
難局だから“change”(変革)が必要だし、難局だからこそ“change”を実行できるとも言える。ピンチをチャンスに変えるために。
Yes. I can!
Yes. I Change!
未来の自分のために。