一見の価値あり。ベンツビーエムアウディワーゲンくらいしか知らない方、是非読んでみてください。斎藤浩之さんの文章です。@フォードのメルマガから。
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フォードのクルマについて知ったいくつかのこと。
僕が自動車雑誌の世界で働き始めて最初に体験したフォードは、北米フォードのトーラスだった。1980年代後半のことだ。空力の申し子のようなつるりと滑らかなボディ・ラインをまとって誕生したその中型サルーンは、インテリアも負けず劣らず最先端デザインで仕立てられて、まるでヨーロッパ生まれのクルマと見まがうほどに斬新だった。前輪駆動だったから、室内はそれこそ広々としていた。それでいて、アメリカ車ならではの嬉しさもあった。前席に3人掛けが可能なスプリット式のベンチ・シートが選べた。自動変速機付きなのだから、ギア・セレクターはコラム・レバーで十分でしょ、というアメリカ流の合理的考え方が時代の先端をいく欧州調デザインのなかにあっけらかんと放り込まれていて、とても新鮮だった。走らせてはアメリカ車でありながらヨーロッパ車のようでもあり、これまた印象深かった。フワフワ、ブカブカとの決別がそこにあった。
トーラスは北米で空前のヒット作となって、アメリカの自動車風景を変えるほどの影響を及ぼすことになる。そして、欧州フォードにも多大な影響を及ぼしてゆく。
1990年代初め、ドイツへ出張した時にレンタカーを現地で借りることがあった。まだ卸したてのフォード・エスコートのワゴンだった。エンジンは1.6リッター。僕にとってはそれが初めて触れる欧州フォードのクルマだった。エスコートは前輪駆動に転じてからすでに何年も経っていて、とりわけそこに新しさはなかったけれど、運転のしやすい、温かみのあるクルマだった。靴底の厚い、とでもいえばいいのか、安心感のある身のこなしが印象的だった。
けれど、ヨーロッパ、とくに英国の自動車ジャーナリズムは、そうした欧州フォードのクルマの運動特性の仕立て方を、年金生活者のための冴えないものだと揶揄していたりもしていた。安心、安定、寛容がわるいわけではないけれど、そこにフレッシュな感触が織り込めないのか。英国の自動車雑誌の世界ではそういう論調が支配的だった。
そんな欧州フォードに新風が吹き込んだ。北米フォードのトーラス大ヒットに勇気づけられたかのように登場したモンデオである。シエラの後を継ぐ意欲作だった。横置きエンジンによる前輪駆動、トーラス用と基を一にする形式のサスペンション・システム、落ち着いた印象の、それでいてフレッシュなスタイリング。何もかもが新しかった。
モンデオは日本へも輸入されるということで、プレス向けの国際試乗会が開かれ、それに参加する幸運に恵まれた。まだ寒い時期にスコットランドで行われたその試乗会の技術説明の場で陣頭に立ったのが、当時はシャシー開発の現場のトップだったリチャード・パリー・ジョーンズという人だった。プレゼンテーションに続いて行われた質疑応答で、シャシー開発の方向性を問われると、彼はこう答えた。「このセグメントでベンチマークとなるライバルは2台ある。プジョー405のハンドリング性能は楽しく素晴らしいが、高速安定性は十分に高いとはいえない。日産プリメーラの高速安定性は素晴らしいとしかいいようがないが、あの脚は硬すぎる。フォードはドイツのアウトバーンでの日常的な高速走行を前提に脚を仕立てなければならない。だから405のような道は選べない。しかし、だからといってプリメーラのような脚はフォードとしては許容できない。モンデオで目指したのは、その2車の間のどこかに高い折衷点を見つけることだった」と。その率直な物言いにひどく驚くとともに、この人は世界を広く見ているなぁ、と感心したのを昨日のことのように覚��┐討い襦�
果たして試乗してみると、モンデオはまさにそういうクルマに仕立てられていた。そこには405やプリメーラのもたらした衝撃はなかったけれど、話を聞いた後だけに、滋味豊かな仕立てと納得がいった。試乗プログラムには趣向が凝らされていて、ジャッキー・スチュアートが運転するモンデオに同乗する機会も設けられていた。1970年代に3度の世界チャンピオンに輝いた経歴をもつスコットランド出身の元F1ドライバー、スチュアート氏そのひとである。彼は当時、リチャード・パリー・ジョーンズに請われて、欧州フォードの走行開発実験部を手伝っていた。
ジャッキー・スチュアートが語った“いいクルマ”。
彼が運転するモンデオは、僕らを乗せてスコットランドの田舎道を走る。4名乗車。丘陵地帯のなかをくねくねと走る簡易舗装の狭い道。羊の放牧場が道沿いのいたるところにある。その間を隔てるのは緑の生垣。そのせいで、見通しはわるく、注意していないと不意に対向車が現れたりして肝を冷やすことになる。そういう道をスチュアート氏はこともなげにスイスイと走る。地元のひとたちと同じようなペースなのだろう。決して飛ばしているわけではない。すると、僕らがスピードを出さないことを不思議に思っていることを察知したのか、こう話し始めた。
「私が元F1ドライバーだから、200km/hとか300km/hの速度でテストするのが役目だと思っていたりしませんか。それは違います。私が担当しているのは80km/h、出してもせいぜい100km/hまでの世界なんです。フォードには優秀なテスト・ドライバーがたくさんいます。正しい方向性を示すことのできるリーダーがいて、優秀な実験開発部隊がいれば、基本的なセッティングの開発に何も心配要りません。超高速域や限界的なハンドリング特性を私が試す必要などどこにもないのです。腕っこきに任せておけばいい。私に期待されているのは、それとは正反対のことです。エンジンをかけた時、停めた時にブルルンっと揺れが出たりせずにスッとかかり、停まるか。ブレーキは減速度を自在にコントロールできるものになっているか。停止直前にングッと揺れたりせず、いつ停まったかわからないように扱えるものになっているか。ステアリングは横Gの変化カーブを滑らかに描けるものになっているか。唐突にGが立ち上がったりしないか。あえて意識的に努めなくても、普通に運転していて、そういう動きに自然になるものに仕上が�っているかどうか。そうした諸々の細部のチェックを託されているのです。このクルマはファミリー・カーです。年老いたお婆さんが後席に乗ることもあるでしょう。腰も、頚も弱っているかもしれない。もし、唐突に横Gが立ち上がるステアリングだったり、カックンと大きなGを残して停まるブレーキだったらどうなってしまうか、想像してみてください。そういうものであってはならないのです。そして、特別に神経質にならずに運転しても、そういう動き方をするクルマこそが、良いクルマなのです。もし、あなたが家族を乗せて運転するときは、後ろにあなたのお爺さんやお婆さんが乗っていると思って運転してください。あらゆる動きがスムーズに優しく紡がれる運転が上手な運転なのです。ダイナミックに飛ばしたければ、そういう操作をすればいいだけの話です。クルマが勝手にそういう動きへ誘導するようなものである必要などどこにもありません。あってはいけないのです。私自身も、もちろん、フォードもそう考えています」。
話す間も生垣の間を縫うように走るモンデオのなかで、僕はほとんどGの変化を感じなかった。すべての変化が滑らか至極。まるで停まっているクルマのなかで話を聞いているような錯覚を覚えるほどだった。
ジャッキー・スチュアート氏はF1ドライバーだった時代、最もスムーズなドライビングをする達人として有名だった。後で知ったことだけれど、彼はスムーズなドライビングこそが最も速いという信念を持ち、そして、それを証明し続けた人なのである。
フォードの静かなハンドリング革命はやがて大きな花を咲かせることになる。こうした明確な目標を見定めた開発陣のもとで突き進んだフォードは、1990年代半ばにフィエスタのマイナーチェンジ・モデルでひとつの高みに達して英国の口うるさい自動車ジャーナリストを黙らせると、その後、エスコートの後継機種として投入したフォーカスで絶賛を博すのである。このセグメントの商業的なリーダーは当時、VWゴルフIVやオペル・アストラだったが、それらを足もとにも寄せ付けない優れたハンドリング性能と高い高速安定性、そして、円満な乗り心地と扱いやすさをことごとく両立してみせた初代フォーカスは、誰もが認める文句なしのベンチ・マークとなって、西欧自動車世界の認識を覆したのである。前輪駆動時代になってからのフォードが“ハンドリングのフォード”と呼ばれるようになったのは、その頃からである。
蛇足ながら、リチャード・パリー・ジョーンズ氏は功績が認められて、その後、フォードの副社長になった。
僕はフィエスタに乗ることになった。
初代フォーカスはそれはそれは鮮やかなクルマだった。誰にでも滑らかに運転できて、しかも懐が異様なほどに深い。ヴィークル・ダイナミクスの領域で、これほどまでに1車が他を出し抜いた時代というのはそうそうあるものではない。その方面では専門家から一目置かれる存在だった当時のルノーのクルマでさえも、シャシー性能を総合的に見ると、フォーカスには敵わなかったのである。
フォードのそうしたシャシーの仕立て方は、その後ずっと一貫している。それはパッと乗って特別な印象を残すものではない。どちらかといえば穏やかな、過敏な動きを封じ込んだ動き方をするものだ。とりわけ乗り心地が柔らかくて身体がとろけてしまいそうな印象を残すこともない。特徴がないといえばない、地味な印象を与えるものかもしれない。けれど、腕に覚えのある人間が、クルマの持てる能力を根こそぎ引き出すような走らせ方をすれば、その総合的な性能の高さに舌を巻くことになる。そういう種類の高性能だ。これ見よがしなところがないのである。誰が運転しても、どこを運転しても、無用なストレスを覚えさせることなく走る。ちょっと試乗しただけでは気づかない、懐の深さが、フォードのクルマの真骨頂なのだと、僕は思う。
僕がいま在籍している自動車雑誌の『ENGINE』では、国内外の自動車メーカーにお願いして、これはと思うクルマを半年とか1年の長期でお借りして、短い試乗ではわからないようなことを随時報告していくページを続けている。縁あって、フォードの現行フィエスタ1.0エコブーストに1年ほど乗るチャンスが巡ってきて、ともに暮らし、改めて、フォードの良さを認識しなおすことになった。
1Lのターボ過給エンジンの出来栄えが何より印象的で、エンジンのダウンサイジングの潮流をリードする優れたユニットというしかない。デュアルクラッチ式の6段自動MTの完成度も高い。けれど、このフィエスタが内外を問わずクラス・ベストの1台だと思うのは、やはり、それがフォードならではのクルマだからだ。身体に無理をかけない運転環境の素晴らしさは、上のクラスのクルマでもなかなか見つからないようなものだ。両の脚を左右対称にゆったりと置くスペースが確保され、ステアリングホイールもドライバーの真正面にくる。シートもしっかりしている。
走らせてもそれはフォードだ。余裕綽々の動力性能を支えるべく、脚は相応に少し締めてあり、けっして柔らかくはない。でも、全体の動きは大らかで、長時間、長距離を走らせても、身体がさほど疲れない。ステアリングはいつものように適切なギア比が選ばれていて、自由にクルマの動きを司ることができるものに仕立てられている。ステアリングのパワーアシストは電子制御の電動式だが、油圧式と変わらぬ自然な感触が得られるし、油圧式ではできないような、横風対応の補正プログラムまで組み込まれていたりする。ボディ形状が優れていることもあるだろうが、そうした細やかな配慮まで忍ばせてあるからこそ、ちょっとやそっとの横風にはビクともしない安定性の高さが実現できているのだろう。なりは小さくても、その高速安定性の高さは、はるかに大きなクルマに匹敵する。
そんなフィエスタに、後ろ髪を引かれるような思いで別れを告げた後に乗ることになったのが、フォーカスだ。フィエスタがあまりにデキがよかったところへ、マイナーチェンジして心臓を刷新したフォーカスがこれまたデキがいいと知って、ふたたびフォード・ジャパンにお願いして、借用させていただくことになった。長期借用車がなくても僕は生活に困らないし、仕事にも困らない。家には乗用車が2台、僕専用の1台と家族用の1台がある。たとえそれがなくても、毎月毎月何台も新型車を借り出して取材することの連続だから、結局は3台クルマがあるのと同じようなもので、しまいには自分専用の個人所有車は乗る暇もなくなって、駐車場で惰眠を貪ることになったりする。それでも手放さないのは、買って所有することをやめてしまったら、買う人の気持ちを忘れてしまうからだ。
それはそうと、編集部へやってきた新型フォーカスは、期待どおりの素晴らしいクルマだった。それが証拠にやってくるなりひっぱりだこになって、あっと言う間に数千kmを走ってしまう人気者となった。長距離を走らせて疲れないのである。
フォーカスを買うことにした。
そこへ晴天の霹靂。フォードが日本市場から撤退することになったというではないか。広報用車両もすべて任を解かれることになるという。そういうことなら、長期使用報告もそこでやめてしまえばいい、という考え方もある。導入から半年しか経っていなくても、短時間での試乗ではわからないことを知りえて報告できたのだから。でも、何か釈然としない気持ちが胸にわだかまった。今年12月末をもって撤退完了というのなら、せめてそこまで、状況の推移を追って報告を続けるべきではないのか。そういう思いが消えなかった。
僕は、縁というものを無視できない性分なのか、これもまた何かの縁ではないかと思うようになった。家人に相談したら、思うようにしていいという。これまでも、そうやって生きてきたのだからと。つまり、自分で自家用に引き取ってしまうということだ。いま持っている自分専用の1台は放出しなければならないけれど、それもまた縁。僕は買ったクルマは10年以上保持する。これまでに自家用として持ったクルマは、13年、13年、11年、そしていま手元にある2台がともに13年。ということは、いまここでフォーカスを引き取ると、自分が70歳近くになるまで保有し続けることになる可能性が高い。ひょっとしたら、人生最後のクルマになるかもしれない。それでもいいのか? と自問しても、答えは変わらなかった。フォーカスを引き取ってともに暮らそう。そうすれば、12月のフォード撤退のその日まで、誌面での報告も続けられる。
いま、クルマのある生活を送っているほとんど総ての人が、フォードの成した偉業の恩恵に与っている。それまでごくごく一部の特権富裕層のものでしかなかった自動車を、誰もが買えて誰もが運転できるものにしたのは、T型フォードを送り出して世界を変えたフォードである。以来長きにわたって分け隔てなく人のパーソナル・モビリティを請け負い、保証してきたのがフォードである。フォードがなければ、“自動車のある生活”は、いま在るようなものにはならなかったかもしれない。フォードのクルマに乗っていなくとも、フォードの作った世界に生きているのである。
そのフォードが100年を超える長きにわたって足場を絶やさなかったこの国から去っていく。寂しくないといえば嘘になる。でも、フォードがなくなるわけではないし、フォードのクルマが目の前からなくなるわけでもない。日本から撤退しても、フォードはこれからも変わらずにずっと、人のモビリティを請け負い続けていくことだろう。いまこの時期に、フォードのクルマを手にすることに、不思議なほど不安を覚えないのは、フォードがそういう会社だと思えるからだろうか。
イタリア車と日本車を乗りついだ僕のところへ、フォードがやってくる。
齋藤 浩之(さいとう ひろゆき)
ENGINE 編集部 副編集長。仙台で大学を卒業後、上京。自動車専門誌『カーグラフィック』の編集部に職を得る。以後、自動車雑誌編集部を渡り歩き、『ナビ』、『カーマガジン』、『オートエクスプレス』、『オートカー・ジャパン』などを経ていまにいたる。現在は『エンジン』編集部在籍。まもなく54歳。
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フォードのクルマについて知ったいくつかのこと。
僕が自動車雑誌の世界で働き始めて最初に体験したフォードは、北米フォードのトーラスだった。1980年代後半のことだ。空力の申し子のようなつるりと滑らかなボディ・ラインをまとって誕生したその中型サルーンは、インテリアも負けず劣らず最先端デザインで仕立てられて、まるでヨーロッパ生まれのクルマと見まがうほどに斬新だった。前輪駆動だったから、室内はそれこそ広々としていた。それでいて、アメリカ車ならではの嬉しさもあった。前席に3人掛けが可能なスプリット式のベンチ・シートが選べた。自動変速機付きなのだから、ギア・セレクターはコラム・レバーで十分でしょ、というアメリカ流の合理的考え方が時代の先端をいく欧州調デザインのなかにあっけらかんと放り込まれていて、とても新鮮だった。走らせてはアメリカ車でありながらヨーロッパ車のようでもあり、これまた印象深かった。フワフワ、ブカブカとの決別がそこにあった。
トーラスは北米で空前のヒット作となって、アメリカの自動車風景を変えるほどの影響を及ぼすことになる。そして、欧州フォードにも多大な影響を及ぼしてゆく。
1990年代初め、ドイツへ出張した時にレンタカーを現地で借りることがあった。まだ卸したてのフォード・エスコートのワゴンだった。エンジンは1.6リッター。僕にとってはそれが初めて触れる欧州フォードのクルマだった。エスコートは前輪駆動に転じてからすでに何年も経っていて、とりわけそこに新しさはなかったけれど、運転のしやすい、温かみのあるクルマだった。靴底の厚い、とでもいえばいいのか、安心感のある身のこなしが印象的だった。
けれど、ヨーロッパ、とくに英国の自動車ジャーナリズムは、そうした欧州フォードのクルマの運動特性の仕立て方を、年金生活者のための冴えないものだと揶揄していたりもしていた。安心、安定、寛容がわるいわけではないけれど、そこにフレッシュな感触が織り込めないのか。英国の自動車雑誌の世界ではそういう論調が支配的だった。
そんな欧州フォードに新風が吹き込んだ。北米フォードのトーラス大ヒットに勇気づけられたかのように登場したモンデオである。シエラの後を継ぐ意欲作だった。横置きエンジンによる前輪駆動、トーラス用と基を一にする形式のサスペンション・システム、落ち着いた印象の、それでいてフレッシュなスタイリング。何もかもが新しかった。
モンデオは日本へも輸入されるということで、プレス向けの国際試乗会が開かれ、それに参加する幸運に恵まれた。まだ寒い時期にスコットランドで行われたその試乗会の技術説明の場で陣頭に立ったのが、当時はシャシー開発の現場のトップだったリチャード・パリー・ジョーンズという人だった。プレゼンテーションに続いて行われた質疑応答で、シャシー開発の方向性を問われると、彼はこう答えた。「このセグメントでベンチマークとなるライバルは2台ある。プジョー405のハンドリング性能は楽しく素晴らしいが、高速安定性は十分に高いとはいえない。日産プリメーラの高速安定性は素晴らしいとしかいいようがないが、あの脚は硬すぎる。フォードはドイツのアウトバーンでの日常的な高速走行を前提に脚を仕立てなければならない。だから405のような道は選べない。しかし、だからといってプリメーラのような脚はフォードとしては許容できない。モンデオで目指したのは、その2車の間のどこかに高い折衷点を見つけることだった」と。その率直な物言いにひどく驚くとともに、この人は世界を広く見ているなぁ、と感心したのを昨日のことのように覚��┐討い襦�
果たして試乗してみると、モンデオはまさにそういうクルマに仕立てられていた。そこには405やプリメーラのもたらした衝撃はなかったけれど、話を聞いた後だけに、滋味豊かな仕立てと納得がいった。試乗プログラムには趣向が凝らされていて、ジャッキー・スチュアートが運転するモンデオに同乗する機会も設けられていた。1970年代に3度の世界チャンピオンに輝いた経歴をもつスコットランド出身の元F1ドライバー、スチュアート氏そのひとである。彼は当時、リチャード・パリー・ジョーンズに請われて、欧州フォードの走行開発実験部を手伝っていた。
ジャッキー・スチュアートが語った“いいクルマ”。
彼が運転するモンデオは、僕らを乗せてスコットランドの田舎道を走る。4名乗車。丘陵地帯のなかをくねくねと走る簡易舗装の狭い道。羊の放牧場が道沿いのいたるところにある。その間を隔てるのは緑の生垣。そのせいで、見通しはわるく、注意していないと不意に対向車が現れたりして肝を冷やすことになる。そういう道をスチュアート氏はこともなげにスイスイと走る。地元のひとたちと同じようなペースなのだろう。決して飛ばしているわけではない。すると、僕らがスピードを出さないことを不思議に思っていることを察知したのか、こう話し始めた。
「私が元F1ドライバーだから、200km/hとか300km/hの速度でテストするのが役目だと思っていたりしませんか。それは違います。私が担当しているのは80km/h、出してもせいぜい100km/hまでの世界なんです。フォードには優秀なテスト・ドライバーがたくさんいます。正しい方向性を示すことのできるリーダーがいて、優秀な実験開発部隊がいれば、基本的なセッティングの開発に何も心配要りません。超高速域や限界的なハンドリング特性を私が試す必要などどこにもないのです。腕っこきに任せておけばいい。私に期待されているのは、それとは正反対のことです。エンジンをかけた時、停めた時にブルルンっと揺れが出たりせずにスッとかかり、停まるか。ブレーキは減速度を自在にコントロールできるものになっているか。停止直前にングッと揺れたりせず、いつ停まったかわからないように扱えるものになっているか。ステアリングは横Gの変化カーブを滑らかに描けるものになっているか。唐突にGが立ち上がったりしないか。あえて意識的に努めなくても、普通に運転していて、そういう動きに自然になるものに仕上が�っているかどうか。そうした諸々の細部のチェックを託されているのです。このクルマはファミリー・カーです。年老いたお婆さんが後席に乗ることもあるでしょう。腰も、頚も弱っているかもしれない。もし、唐突に横Gが立ち上がるステアリングだったり、カックンと大きなGを残して停まるブレーキだったらどうなってしまうか、想像してみてください。そういうものであってはならないのです。そして、特別に神経質にならずに運転しても、そういう動き方をするクルマこそが、良いクルマなのです。もし、あなたが家族を乗せて運転するときは、後ろにあなたのお爺さんやお婆さんが乗っていると思って運転してください。あらゆる動きがスムーズに優しく紡がれる運転が上手な運転なのです。ダイナミックに飛ばしたければ、そういう操作をすればいいだけの話です。クルマが勝手にそういう動きへ誘導するようなものである必要などどこにもありません。あってはいけないのです。私自身も、もちろん、フォードもそう考えています」。
話す間も生垣の間を縫うように走るモンデオのなかで、僕はほとんどGの変化を感じなかった。すべての変化が滑らか至極。まるで停まっているクルマのなかで話を聞いているような錯覚を覚えるほどだった。
ジャッキー・スチュアート氏はF1ドライバーだった時代、最もスムーズなドライビングをする達人として有名だった。後で知ったことだけれど、彼はスムーズなドライビングこそが最も速いという信念を持ち、そして、それを証明し続けた人なのである。
フォードの静かなハンドリング革命はやがて大きな花を咲かせることになる。こうした明確な目標を見定めた開発陣のもとで突き進んだフォードは、1990年代半ばにフィエスタのマイナーチェンジ・モデルでひとつの高みに達して英国の口うるさい自動車ジャーナリストを黙らせると、その後、エスコートの後継機種として投入したフォーカスで絶賛を博すのである。このセグメントの商業的なリーダーは当時、VWゴルフIVやオペル・アストラだったが、それらを足もとにも寄せ付けない優れたハンドリング性能と高い高速安定性、そして、円満な乗り心地と扱いやすさをことごとく両立してみせた初代フォーカスは、誰もが認める文句なしのベンチ・マークとなって、西欧自動車世界の認識を覆したのである。前輪駆動時代になってからのフォードが“ハンドリングのフォード”と呼ばれるようになったのは、その頃からである。
蛇足ながら、リチャード・パリー・ジョーンズ氏は功績が認められて、その後、フォードの副社長になった。
僕はフィエスタに乗ることになった。
初代フォーカスはそれはそれは鮮やかなクルマだった。誰にでも滑らかに運転できて、しかも懐が異様なほどに深い。ヴィークル・ダイナミクスの領域で、これほどまでに1車が他を出し抜いた時代というのはそうそうあるものではない。その方面では専門家から一目置かれる存在だった当時のルノーのクルマでさえも、シャシー性能を総合的に見ると、フォーカスには敵わなかったのである。
フォードのそうしたシャシーの仕立て方は、その後ずっと一貫している。それはパッと乗って特別な印象を残すものではない。どちらかといえば穏やかな、過敏な動きを封じ込んだ動き方をするものだ。とりわけ乗り心地が柔らかくて身体がとろけてしまいそうな印象を残すこともない。特徴がないといえばない、地味な印象を与えるものかもしれない。けれど、腕に覚えのある人間が、クルマの持てる能力を根こそぎ引き出すような走らせ方をすれば、その総合的な性能の高さに舌を巻くことになる。そういう種類の高性能だ。これ見よがしなところがないのである。誰が運転しても、どこを運転しても、無用なストレスを覚えさせることなく走る。ちょっと試乗しただけでは気づかない、懐の深さが、フォードのクルマの真骨頂なのだと、僕は思う。
僕がいま在籍している自動車雑誌の『ENGINE』では、国内外の自動車メーカーにお願いして、これはと思うクルマを半年とか1年の長期でお借りして、短い試乗ではわからないようなことを随時報告していくページを続けている。縁あって、フォードの現行フィエスタ1.0エコブーストに1年ほど乗るチャンスが巡ってきて、ともに暮らし、改めて、フォードの良さを認識しなおすことになった。
1Lのターボ過給エンジンの出来栄えが何より印象的で、エンジンのダウンサイジングの潮流をリードする優れたユニットというしかない。デュアルクラッチ式の6段自動MTの完成度も高い。けれど、このフィエスタが内外を問わずクラス・ベストの1台だと思うのは、やはり、それがフォードならではのクルマだからだ。身体に無理をかけない運転環境の素晴らしさは、上のクラスのクルマでもなかなか見つからないようなものだ。両の脚を左右対称にゆったりと置くスペースが確保され、ステアリングホイールもドライバーの真正面にくる。シートもしっかりしている。
走らせてもそれはフォードだ。余裕綽々の動力性能を支えるべく、脚は相応に少し締めてあり、けっして柔らかくはない。でも、全体の動きは大らかで、長時間、長距離を走らせても、身体がさほど疲れない。ステアリングはいつものように適切なギア比が選ばれていて、自由にクルマの動きを司ることができるものに仕立てられている。ステアリングのパワーアシストは電子制御の電動式だが、油圧式と変わらぬ自然な感触が得られるし、油圧式ではできないような、横風対応の補正プログラムまで組み込まれていたりする。ボディ形状が優れていることもあるだろうが、そうした細やかな配慮まで忍ばせてあるからこそ、ちょっとやそっとの横風にはビクともしない安定性の高さが実現できているのだろう。なりは小さくても、その高速安定性の高さは、はるかに大きなクルマに匹敵する。
そんなフィエスタに、後ろ髪を引かれるような思いで別れを告げた後に乗ることになったのが、フォーカスだ。フィエスタがあまりにデキがよかったところへ、マイナーチェンジして心臓を刷新したフォーカスがこれまたデキがいいと知って、ふたたびフォード・ジャパンにお願いして、借用させていただくことになった。長期借用車がなくても僕は生活に困らないし、仕事にも困らない。家には乗用車が2台、僕専用の1台と家族用の1台がある。たとえそれがなくても、毎月毎月何台も新型車を借り出して取材することの連続だから、結局は3台クルマがあるのと同じようなもので、しまいには自分専用の個人所有車は乗る暇もなくなって、駐車場で惰眠を貪ることになったりする。それでも手放さないのは、買って所有することをやめてしまったら、買う人の気持ちを忘れてしまうからだ。
それはそうと、編集部へやってきた新型フォーカスは、期待どおりの素晴らしいクルマだった。それが証拠にやってくるなりひっぱりだこになって、あっと言う間に数千kmを走ってしまう人気者となった。長距離を走らせて疲れないのである。
フォーカスを買うことにした。
そこへ晴天の霹靂。フォードが日本市場から撤退することになったというではないか。広報用車両もすべて任を解かれることになるという。そういうことなら、長期使用報告もそこでやめてしまえばいい、という考え方もある。導入から半年しか経っていなくても、短時間での試乗ではわからないことを知りえて報告できたのだから。でも、何か釈然としない気持ちが胸にわだかまった。今年12月末をもって撤退完了というのなら、せめてそこまで、状況の推移を追って報告を続けるべきではないのか。そういう思いが消えなかった。
僕は、縁というものを無視できない性分なのか、これもまた何かの縁ではないかと思うようになった。家人に相談したら、思うようにしていいという。これまでも、そうやって生きてきたのだからと。つまり、自分で自家用に引き取ってしまうということだ。いま持っている自分専用の1台は放出しなければならないけれど、それもまた縁。僕は買ったクルマは10年以上保持する。これまでに自家用として持ったクルマは、13年、13年、11年、そしていま手元にある2台がともに13年。ということは、いまここでフォーカスを引き取ると、自分が70歳近くになるまで保有し続けることになる可能性が高い。ひょっとしたら、人生最後のクルマになるかもしれない。それでもいいのか? と自問しても、答えは変わらなかった。フォーカスを引き取ってともに暮らそう。そうすれば、12月のフォード撤退のその日まで、誌面での報告も続けられる。
いま、クルマのある生活を送っているほとんど総ての人が、フォードの成した偉業の恩恵に与っている。それまでごくごく一部の特権富裕層のものでしかなかった自動車を、誰もが買えて誰もが運転できるものにしたのは、T型フォードを送り出して世界を変えたフォードである。以来長きにわたって分け隔てなく人のパーソナル・モビリティを請け負い、保証してきたのがフォードである。フォードがなければ、“自動車のある生活”は、いま在るようなものにはならなかったかもしれない。フォードのクルマに乗っていなくとも、フォードの作った世界に生きているのである。
そのフォードが100年を超える長きにわたって足場を絶やさなかったこの国から去っていく。寂しくないといえば嘘になる。でも、フォードがなくなるわけではないし、フォードのクルマが目の前からなくなるわけでもない。日本から撤退しても、フォードはこれからも変わらずにずっと、人のモビリティを請け負い続けていくことだろう。いまこの時期に、フォードのクルマを手にすることに、不思議なほど不安を覚えないのは、フォードがそういう会社だと思えるからだろうか。
イタリア車と日本車を乗りついだ僕のところへ、フォードがやってくる。
齋藤 浩之(さいとう ひろゆき)
ENGINE 編集部 副編集長。仙台で大学を卒業後、上京。自動車専門誌『カーグラフィック』の編集部に職を得る。以後、自動車雑誌編集部を渡り歩き、『ナビ』、『カーマガジン』、『オートエクスプレス』、『オートカー・ジャパン』などを経ていまにいたる。現在は『エンジン』編集部在籍。まもなく54歳。