EL&P図書室3号

2001本目の記事から2.5号から3号に変更

ベースマガジン 1992年7月号

2014-05-22 16:22:19 | Greg Lake関連
ベースマガジン 
1992年7月号




グレッグ・レイクに関する情報というのは、
エマーソン、レイク&パウエル崩壊以降、
まったくと言ってよいほど、無かったように思います。

あまたの洋楽関係の音楽誌を手にとってつぶさに観察していれば、
なにがしかの情報が載っていたかも知れませんが、
特にエマーソン、レイク&パウエル崩壊以降は、
キーボードマガジンでキースの情報を追っていただけでした。

本号では、ブラック・ムーンをリリースして間もない頃のグレッグへのインタビューが、
掲載されていますね。
まだ、ワールドツアーの予定も組まれていない時期のインタビューです。

このインタビューを読むまでは、
あまり考えた事がなかったのですが、
グレッグ・レイクとロバート・フリップは、旧知の間柄であるとはいえ、
親しいのか親しくないのかは、全く解りませんでした。

普通に考えれば、バンドを脱退するというのは、
かっこよく言えば、音楽的方向性とか音楽に対する見解の相違等がありますが、
世俗的な表現としては、意見の対立から始まった「不仲」が原因というのがあるだろうと、
漠然と思っていましたし、
ピート・シンフィールドがクリムゾンを辞めさせられた話を読んだりした事で、
ロバート・フリップに対する印象って、私の中ではあまり良いものではありませんでした。

グレッグもピートからクリムゾンを辞める時の経緯は聞いていたでしょうからね。

また、1977年、EL&P特集のラジオ番組の中で、
グレッグへのインタビューが放映された時に、
ロバート・フリップがEL&Pの1977年のコンサートを見に来ていたという話が語られた事がありました。
但し、ロバートは、見に来ていただけで、楽屋までやってきたという表現はしていなかったのです。

そんな感じなので、グレッグ・レイクとロバート・フリップは、
私の中では、あくまでも旧知の人みたいな認識でした。

本号では、グレッグの口から、先日、ロバート・フリップと、
お茶とケーキを一緒にしたという話が語られています。
(ちなみにどんな話をしたかまでは書かれていません。)

あまり仲が良くなかったのが、あるいは時間の経過が仲を修復したのかまでは、
解りかねますが、
1992年の時点で、普通に会ってお茶をするほどの仲である事は解り、
とても意外な感じを受けたのを覚えています。

(ま、それまで私が知らなかっただけの事ですね。)

EL&Pにまつわるインタビューに関しては、
ブラック・ムーンリリース後という事で、
グレッグは、当然、肯定的な事しか述べていなかったので
読んだ当時としては、

「よかった。
これから、何枚もEL&Pがアルバムを制作してくれて、
そのアルバムがまた聴けるのだな」

と楽観的な考えに浸っていた事は確かですね。

以上。

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