FPと文学・エッセイ 〜是れ日々なり〜

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眩しかったアラン・ドロン ~ 『太陽がいっぱい』 

2010-05-15 14:18:03 | 芸能・映画・文化・スポーツ

最近公開された『ゼブラーマン2』に主演している哀川翔がテレビ番組で、今まで最も気に入った映画は? と問われて、『太陽がいっぱい』と答えていました。もう何十回も観たと言っています。私は失礼ながら、『ゼブラーマン』も哀川翔もあまり関心はないのですが、『太陽がいっぱい』という答えには、なるほどと頷きました。『太陽がいっぱい』は、前からもう一度観てみたい映画だったので、さっそくDVDを借りてきて観ました。

初めて観たのは高校生の頃、公開(1960年 仏・伊合作)されて十数年たってからテレビ放映されたものです。「ああ、太陽がいっぱいだ・・・」、と主人公のアラン・ドロンが海の浜でつぶやく。そのあと思いもかけない場面が急展開するのを予感させる最後のクライマックス。そして流れてくる、あのニーノ・ロータのちょっと気だるい、ゆったりした主題曲(映画音楽史上の名曲です)。このラストシーンのイメージと曲がずっと残っていたのです。

原題は“Plein Soleil”。「眩しい太陽」という意味になるのでしょうか。白黒の静止画がゆっくり動いていくような文学的な叙情ある光景(実際はカラー映画です)、哀しく歌うような主題曲、もちろん音も声も出ているのですが、サイレントのような場面が虚構ではなく現実の状況のように映し出されていく。ややアンニュイな時間の中、突如ヨット上で起こる殺人。そこからは急展開していきます。最近の映画のように、やたら大きな音響で心理を煽るようなことはなく、音の感じられない映像で迫真の光景が進んでいくのです。偽造パスポートの作成、偽サインの署名練習、重ねる殺人、嘘の遺言書、手に入れる財産、友から奪いとった恋人、殺人を犯したヨットの売り渡し、スクリューにからまる死体・・・。

どうしてここで終えてしまうのかと思えるようなところで終わる。観るものは心の中のフィルムを何度も巻き戻して、最後の場面までたどり着く。と同時にひとすじ流れる、あの主題曲。歌うように聞こえた曲が、今度は泣くように鳴り響いてくる―。

アラン・ドロンがいい。この映画はドロンのデビュー3作目、彼の大出世作となりました。この時25歳。男から見てもうっとりするような美貌で、ただ美しいというのではなく、はっとさせるほどの妖しさと色気がありました。最近のハリウッドでは、美貌俳優はあまり大物になれないようですが、ドロンはこの映画以来世界的スターとなり、美男の代表格で日本でも若い女性に圧倒的な人気を得るようになりました。

最近、SMAPの料理番組に出ましたが、アロン・ドロン(出演時70代半ば)の存在感に、SMAPの5人が束になってもかなわない感じでした。というか、SMAPファンには申し訳ないですが、『太陽がいっぱい』の頃のドロンにも、風格で及ばないかもしれません。

この映画では、ドロンが素足で靴を履いていました。これがいかにも自然でおしゃれなのです。フランス、イタリアの街と海が舞台で、「太陽」“Soleil”の下だからこそ素足が似合うのでしょう。どうでもいいかもしれませんが、日本のようなじめじめした気候の下で素足で靴を履いているタレントには、あんまり似合わないように思うのですが(これもファンにはすみません)。





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