阿修羅が来ている。
寺は、景観のひとつである。景観は、そのものが芸術性である。
東大寺、大仏殿から法華堂(三月堂)、戒壇院と回って下ってくると、さあっと開けたように興福寺の境内が見える。五重の塔は、細高いはずが、ゆったりと幅広く、落ち着いて建っているようすだ。東寺、薬師寺、法隆寺とも違う、それぞれの塔である。(興福寺)
一度は、東大寺のほうからではなく、近鉄奈良駅のほうから歩いて来た。また違う景色で、右手に緑に広がる公園を眺め、すがすがしい胸の動悸を感じたことがある。
その興福寺に阿修羅像がある。今、創建1300年記念、上野の東京国立博物館に来ている。
広く仏像といわれるものが男の性か、女の性か、分ける必要はない。菩薩や如来などは性別を超えた存在とされている。性器も不要なので、胎内に隠されている(陰蔵相 おんぞうそう)。
とはいえ、菩薩などには、明らかに女の性(あるいは母性)を映したものと思われる像がいくつもある。この阿修羅像もそのひとつである。よく、この像のたとえの表現として、「少年とも少女ともとれるみずみずしい表情」などと言われる。私には、この阿修羅像は女性にしか見えない。
阿修羅とは、もともとは釈迦に逆らう悪神であったのが、釈迦の教えに帰依して仏道修行を始めたとされる。ほかの阿修羅像は、かなり怖い表情のものがある。おそらく、帰依する前の阿修羅なのだろう。阿修羅は菩薩ではない。しかし、興福寺のこの像は、美しい。この像を見るたびに、私はある女優を思い出してしまう。日本の女優でも最も美しいと思う人を、この顔に反映してしまうのだ。
夏目雅子さん。一定の年齢以上の人なら、この女優のことを知らない人はいない。二十代にして白血病で逝ってしまった。あの美しい顔で、眉を困ったようにひそめて、おこった表情の演技をした時の顔が忘れられない。それが、あの阿修羅の顔なのだ。
ほぼ等身大の体つきは細い。三面六臂(三つの顔と6本の腕)の異形の形だが、不自然ではない。女性の豊満さはないが、繊細さがある。正面の顔についている両側面の顔は、これは男の顔だ。仏像を見るとき、信仰の対象としてより、まず美術品や芸術の対象として入るのはやむをえない。それも、方便(仏の道に導く方法)である。
菩薩以外では、これほど女性を思わせる像はない。
阿修羅。
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