深大寺山門近くの龍(左)と鬼太郎茶屋
毎朝8時からNHKで『ゲゲゲの女房』をやっています。仕事があるので土曜日の朝くらいしか見られません。舞台は調布で、主人公の水木しげる氏は若い頃よく、近くの深大寺に散策に足を運んでいたそうです。(「竜虎と饅頭と美女と ― 深大寺の山門前で」)
深大寺はよく来るお寺です。『ゲゲゲの女房』がテレビで話題になる前、今年も正月に来ました。先日も妻の診察のために、杏林大学病院に行った帰りに寄ってきました。深大寺は周りの風景に溶け込んだお寺で、何となく落ち着きます。山門周辺の通りが、いかにも‘ここだけ’のためにあって、静かで古風で足を誘う、「気」のようなものを感じます。いくつもある蕎麦屋にもよく入ります。そのうちすべての蕎麦屋を征服しようなんて考えたりしましたが、今のペースではいつまでかかることやら・・・。
テレビの影響からか「鬼太郎茶屋」ではかわいい鬼太郎グッズを売っていて、若い男女が何組か入っていました。店の脇にある茂みの塀には、ネズミ男やぬりかべ、一反もめんにぬらリひょん、とおなじみの妖怪のつくりものが立っています。屋根には鬼太郎の大下駄がのっかっていたり。おすすめに「目玉おやじの栗ぜんざい」とかがあって、さすがこれは食べる気にはなれませんでした(目玉おやじがぜんざいの中に入っている? でも人気なのかも)。路の並びのどこにも、「ゲゲゲの女房 テレビ放映中」「水木しげるの第2のふるさと」というノボリが立っていました。番組はこれからも半年くらい続くので、しばらく「ゲゲゲ」でにぎわうかもしれません。
私が小学校の頃だと思いますが、初めて「鬼太郎」を週刊漫画で見た時は、何とも不思議な感じにとらわれました。当時は『河童の三平』とか『墓場の鬼太郎』というタイトルだったと思います。少年の頃というのは、地獄や墓場、幽霊や妖怪、あの世など異形世界というものを怖いとか不気味とか思いながらも、なぜだか引きつけられたものです。「コワイもの見たさのなんとか・・・」というやつです。野球や戦争ものの多い中で、水木しげるの漫画はあんまりにも異色だったので、見たくないけどつい見てしまう。ほかの漫画をひととおり見終わったあと、最後になって、わざと読みとばしておいた「鬼太郎」を読んでしまう。絵のタッチも、初期の頃は「カサカサ」した、かわいた妖気というのでしょうか。おどろおどろした、湿っぽい感じの気味悪さではなかったのが、少年たちにも読まれた要因ではなかったでしょうか。
その後、自分の子どもが小学生になった時は、私の頃よりも少しかわいくてユーモアっぽい、絵もきれいになった『ゲゲゲの鬼太郎』がテレビや映画で見られるようになったのでした。民話や仏教、民族信仰、神話、昔話の中から独自の創作世界で妖怪たちを蘇らせ、子どもも大人も、時代を超えて心の奥に残っていく「異界」を、水木しげる氏はつくリだしたのです。
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