FPと文学・エッセイ 〜是れ日々なり〜

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漱石 『こころ』 ~ 新聞小説の味わい

2014-05-04 02:40:29 | 文学・絵画・芸術

 新聞小説というものは、これまで新聞を購読して何十年来(?)、読んだことがありませんでした。小説というのは、一冊の本というページの塊りの中にある文字をある程度まとめて読んでいくものだと思っていたからです。

 一気に何十ページ、気が乗れば100ページ、200ページくらいの文庫本ならぶっ続けで読んでしまいたいという欲求がいつもあります。残念ながら、そういうふうにして読み通せる作品はめったにありません。たいがいは名作とか好評と言われているものを、数ページ読んでは残りのページ数を気にかけつつ、読み始めたからには最後まで読まずには気が済まさないという意地みたいなもので読むのが常でした。

 それが、先月から朝日新聞に100年ぶりに、なんと夏目漱石の『こころ』が再連載されたのです。なんで今さら、と思いますが、いろいろ新聞社の思惑があるのかもしれません。100年前の同じ日付の新聞に連載を再現すること自体に意味があるようです。まだ10回くらいしか載っていませんが、新聞小説など目もくれなかった自分が、今では毎日楽しみながら読んでいる次第です。

 新聞連載はその日の分量しか文字が載っていませんから、それでかえって一語一語かみしめながら、じっくりと読む楽しみが出てきます。これほど落ち着いた読み方ができるのも、すでに一度読んだ小説であることと、夏目漱石という国民作家が書いた、近代小説の名作ということがあるのでしょう。本だと、後ろに未読のページがたっぷりあると、早く読了感を味わいたくて先へ先へと、つい粗っぽく読み進んでいってしまいます。文章を味わうとか読み返すなど、よほど気に入った作品でないとしません。

 『こころ』を読んだのは、30代前半の頃だったと思います。読むこと自体に苦労はなかったのですが、「先生」の生き方(死に方?)の理由がいまひとつ納得いかなかったように覚えています。細かいストーリーは覚えていませんが、あれから長い年月がたち、すっかりいい歳になった(?)自分が、一日の限られた小説の文章をじっくり味わいながら、あの時わからなかった人物の生き方の意味を読み返しています。

 考えてみると、僕が漱石の作品で理解しながら読めたのは『坊ちゃん』くらいかもしれません。中学入学したての時、こんなに面白い小説があるのかと一気に読んだ記憶があります。『坊ちゃん』は、読む楽しさと同時に書く楽しさを教えてくれました。あの時は痛快に感じましたが、中年になって読んでみると、あんなに活気があったように思えた「坊ちゃん」が、なんだか元気のない青年に思えてきました。疲れた「坊ちゃん」がそこにいました(「元気がなくなった『坊ちゃん』 ― 漱石ふたたび、みたび」)。純粋に読めば楽しい小説ですが、いろいろ世間の波をかぶっている時に読むと、ちょっと切ないところがところどころありました。そういえば、漱石自身もかなり神経を病んでいた時期が長かったのを思い出しました。

 良い作品は、読む年齢によって読み方も変わるのでしょう。『こころ』もまた、今の年齢になると一文ずつが、じわりじわりと僕の内に浸み込んできます。それにしても、100年前の小説、文章の力はまだまだ衰えているとは思えません。小説の言葉は、あなどれないものです。




 



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