FPと文学・エッセイ 〜是れ日々なり〜

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『ノルウェイの森』 ~ 村上春樹 性と狂気の彷徨

2012-05-03 23:37:10 | 文学・絵画・芸術

これまでずいぶん、小説『ノルウェイの森』については書かれていて、今さらと思うけれど、書いておきたいと思います。

まず、映画については、やはりイメージが少し違う気がします。 「ワタナベ君」の松山ケンイチはまあ、ありうる。「緑」の水原希子も、それぞれ人によりイメージが違うかもしれないけど、これもありうる。個人的には、水原希子は最近気になる女優です。ひと化けするかもしれないし、このまましぼんでしまうかもしれない、投資で言えば将来のボラティティリティ(変動率)が非常に大きな女優に思えます。「レイコさん」も、イメージしたよりは綺麗だけど、ありうる雰囲気です。

だけど、「直子」の菊池凜子は「ちがうなあ~」と思います。第一、年齢がいってます(小説の直子に比べてですけど)。20歳という生のみずみずしさがない(凜子には失礼だけど)。役者としての演技については、国際的にも評価されている女優なのでどうこう言うつもりはありません。しかし、菊池凜子を起用したことで、この映画は『ノルウェイの森』というたまたま同じタイトルのまったく違う映画ということになってしまったような気がします。原作を読まずにこの映画を見た人は、どんな感想をもつだろうと考えてしまいました。

だいたい、小説の原作を映画化すると、同じタイトルで同じ登場人物名で、同じようなストーリーだけど、中身は別物というのがよくあります。だから、文学作品の映画化といった場合は、あまり期待しない方がいいと思っています。映画作品が売れるために監督が安易に著名な原作を下敷きにして話題作りをしているとしか思えないようなものもあります。

話がとんでしまったけれど、直子は、若くて美しくなければならない。顔も身体も美しい女性、おそらく白く透き通るような肌をもった、青春期の、あの世俗化していない透明さが精神の内部からにじみ出てくるような感じでしょう。そこに見えるのは不思議さ、不可解さに包まれた美のような気がします。

静かに抑えこまれた内省的な意識がある。自分の心の底から聞こえてくるかすかな声を自分の心の耳で聞き、拾おうとしている静かさがある。哲学者にも似た行為です。違うのは、自己意識が論理的な言語として体系づけられていないところ、情緒の力がそれに過剰に優っているところでしょう。情緒力が優ったとして、その勢いがもっともっと強ければ、芸術家となります。

内面的な透明さは、精神に傷を負いやすい。内向する心は、外部の世界になじめず、外部の力にあがらえない弱さともろさがある。それは不安であり、叫びである。そのことが、人から見れば「気がおかしい」となり、「精神に異常をきたしている」となります。 

若い時に、こうした人と接することはつらいことです。特にこうした人を愛してしまうことは。こういう人は意外と身近にいたものです。一緒に接していると、それはただ、ちょっとした、誰にでもある心の風邪のような病気なのだけれど、知らない人はそれを理解できません。本人はつらく苦しい。苦しいから、外界の現実についていけない。 

美しい人が、愛する人が、その生の朽ちることはどうしても納得できない(美しくなければいいのか、という問題ではない)。青春期特有の強い生命力が、逆に生を乱し、逝く姿が耐えられないのです。― 直子とは、そういう女でした。 

作者は、生の象徴として、性(セックス)を描き、そのメタファーとして緑を存在させています。村上春樹はセックスの描写、会話がうまい作家です。音楽の話も豊富ですが、これは作者自身が一時レコード喫茶を営んでいたくらいなので知識で書けるのでしょう。けれど、セックス描写というのは、経験がたくさんあるからといって、そうそう書けるものではありません。何人もの女と付き合ったからといって、女そのものを描けるかという問題でもあります。ヘタに描くと、エロ小説になるものです。ただ、『ノルウェイの森』では、性の会話がちょっと多く、またか、と思うところもなくはないですが。 

村上春樹の作品は、すごいすごいと思いつつ読む本ではありません。なぜか、すっすっと読んでいってしまいます。最初はそれが軽く、かえって読むのに抵抗がありましたが、どうしてか読後も心に残ります。毎年ノーベル賞候補だとか、世界的なベストセラー作家だとか言われなければ、おそらく私は今の段階で読んではいなかったでしょう。これだけ世界に影響力のある作家の作品とはどんなものなのだろうかというのが最初のきっかけです。 

音楽や映像が溢れ流れる時代に、これだけのベストセラーを生む小説があるというのは、文学もまだまだ捨てたものではありません。コミックや映画にしても、表現は違えども、想像力の産物です。想像力が源である作品は、想像力と表現力が優れていれば、やはりジャンルを超えて人の心をとらえるのでしょう。

最後に、この作品のキーワード。十数年後にワタナベがつぶやく、「直子は僕を愛してさえいなかった」。この言葉は、重い。では、直子はワタナベに何を求めていたのだろう。緑と直子のはざま、性と狂気のはざま、そこに生と死のはざまがある。そこに、「僕」がいた―。

 

 



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