日本の「三大ミステリー」とか「三大奇書」と言われる作品を、これで一応全部読んでみたことになる。どれも推理小説とかいう枠内に入れて読むと、読み切るのが困難だと思う。僕の場合は、文章(文体)が読むに耐えられるかが大きな要素だ。いくら推理小説として面白そうな展開でも、文章が読むに堪えないと続きを読むのが苦痛になる。
■『虚無への供物』
『虚無への供物』(中井英夫)は、3作のうちでは最も惹かれる文章だった。ストーリーにもぐいぐい引かれるが、1つ1つの文章は魅惑的で、この作者の他の作品にもつい手が出てしまった。もうずいぶん前に読んだので、内容は全く覚えていないが、この3作のうちでは一番楽しく一気に読んだのを覚えている。なにしろ、これはミステリーとか奇書という以前に面白い文学、面白い小説と読めた。
■『ドグラ・マグラ』
『ドグラ・マグラ』(夢野久作)は、当初これを読むと「精神に異常をきたす」とか「頭が狂う」とかここかしこで書かれていたので、まさかそれを本気にしていたわけではないが、遠ざけていたのも事実だ。というのも、しばらく仕事でストレスを抱えていた時期があって、気晴らしにミステリーでも読もうかという気になってこの本にぶつかったのだが、ストレスで落ち込んでいるときに、このうえ気がおかしくなったらたまったものじゃない、と思ったからだ。というより、元気になりたいのに、「精神がおかしくなるぞ」と言われたら、そんなものは遠ざけるのが普通だろう。
その後、普通並みくらいに活力が戻り読んでみた。読んでみれば、精神病理や異常心理などをテーマとしているとはいえ、すごくまっとうな小説で、途中読むのに疲れるところがあったが、作者の文学的思惟(思想とまではいかないが)に支えられた文体も、めくるめく堂々巡り(「ドグラ・マグラ」というのはそういう意味らしい)で、結構読みごたえがあった。精神社会への、1つの内的告発と言えるかもしれない。
■『黒死館殺人事件』
3作目が、この『黒死館殺人事件』(小栗虫太郎)である。正直言って、なんだかよくわからないで読み終わった小説である。やたらペダンチックで、いろんな分野の引用や注釈が出てきて、読むのを断念させるとよく書かれているが、僕にとっては、それはほとんど問題にならなかった。というのも、その文体がきちんと知識と学に裏付けされたものなので、むしろその文章そのものを楽しむことさえできたからだ。ただ、それゆえに文に装飾がありすぎて話の進行がちっともわからないところがあった。
そもそも誰が殺されていて、誰が疑われ、どういう手口であったのか、何が謎になっているのか、読んでいるうちに忘れ去られてしまうほどなのだ。こういうことだから、結局誰が真犯人だったか、殺害動機は何か、どういうトリックがあったのかなどどうでもよくなってしまう。つまり、作者が殺人事件をネタにどれだけの小説という伽藍を築きたかったのか、そこに落ち着いてしまう。だからと言って、駄作とは言わない。その伽藍が、どういう仕組みでどういう風に築かれているのか、それを楽しみたくてもう一度読んで確かめてみたいと思うのである。
結論を言うと、3つの作品とも、1回読んだだけではよくわからない。できれば1回目はさわりとして大方のあらすじをつかんで、2回目にじっくり確認しながら読むと面白いのだろう。そうすると、どれも結構夢中になれる作品なんだと思う。
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