★真夜中のひとりごと★

二児の母「たっちー」のひとりごとです。

感情の抑圧から生まれたもの

2005年07月13日 | ★失恋から立ち直ろう
「寂しい」という気持ちを抑えつけた幼い私。

いつしかその感情は麻痺するようになっていきました。「寂しい」はずなのに、寂しいと感じなくなってしまったのです。テレビで悲しい物語をみても、なんだか遠いところの出来事のように感じ、私には関係ないことだと感じるようになり、まったく同情も同感もできませんでした。

両親が私に寂しい思いをさせていたからといって、両親は私を愛していないわけではありませんでした。私もそれは十分に分かっていました。しかし、忙しすぎる仕事は私から両親とふれあう時間をすべて奪っていきました。愛情を実感できる時間を作れませんでした。だけどその仕事は私のためでもあることを私は分かっていたので、「寂しい」「ずっと側にいて欲しい」「話を聞いて欲しい」「かまってほしい」という感情を全部我慢しました。

埼玉から茨城に出てきたのは、私が言った
「二階建てのお家に住みたい。」
ということからでした。

でも今思えば、こんなことを言うと何ですが、家なんていりませんでした。両親と話したり、抱きしめられる時間や友達と遊べる時間がもう少し欲しかったと思います。
でも、もう過ぎたことですから、いまさらどうにもならないし、当時はそうならざるを得なかったし、仕方がなかったと思っています。今は別に恨んだりはしていません。

こう考えると、私が「寂しさ」を麻痺させるほど感情をなくしていった原因を作ったのは両親自身になるのですが、私は両親が大好きだったので憎めるはずもなく、その代わりに、幼い頃の私を受け入れてくれない先生、友達、学校、社会である茨城という地域性を憎んだり、恨んだりするようになっていきました…。

私が受け入れてもらえなかったのは、そもそもは私の態度がいけなかったのだと思いますが、幼い子どもがそんな難しいことを自分で理解できるはずもなく、それを正してくれたり、根気よく最後まで付き合って直したり、教えてくれるような先生にも友達にも、私は残念ながらその頃には会えませんでした。もちろん両親は仕事で忙しいし、私は大好きな両親に心配をかけたくなかったので、懸命にいい子になろう、早く自立しようとしました。そして、そんな「寂しい」という感覚が麻痺したギリギリの自分を保つためにはもう「憎しみ」に逃げ込むしかなかったんだろうと思います。

私が保育園や小学校時代の思い出として覚えているのは、先生や友達や先輩のありとあらゆる否定的な言葉と態度ばかりです。私はみんなをよそに、窓の外ばかり見て、空想にふけっていました。現実の苦しみ、寂しさ、辛さから逃れる為に、ノートに落書きをし、色々な想像の世界に引きこもりました。幼少時代の大半、思い出すのはいつも心にぽっかりと穴の空いたままのひとりぼっちの私。仕方なく学校に行っている私。そんな光景ばかりです。だから、世間でよく言う、「子ども時代の楽しい思い出は色鮮やかに…。」なんていいますけど、私にはそういう苦しい思い出しかよみがえってきません。

私はそのとき、悪循環のスパイラルにはまり、どんどん落ちていきました。
唯一、私のそんな心をかろうじて救ってくれていたのは「マンガ」でした。
特に「ドラえもん」が私の力になってくれていました。

そんな思いをしていた小学3年生の時、自分のような思いをしている人をマンガで助けられたらいいなと思ったのが、漫画家になろうとした最初の動機でした。

先日、母親が抱きしめてくれました。母はちょっとふざけ半分でしたけど。
そうしたら、そんなことくらいで泣かなかった私が涙をいっぱい流してしまいました。幼い頃、たくさんそうして欲しかったなぁって言う、抱きしめられて嬉しいなって言う自分の本当の素直な感情が解放されてきたのかなぁって思いました。
コメント (9)
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