久しぶりのブログ更新です。昨日、いつも一緒に働いている勤務先の上司と同僚に、妊娠していることを報告しました。私の所属はちょっと複雑で、勤務先の上司と所属先の上司がいます。まず、先週の金曜日に所属先の上司に先に報告しました。そして、昨日、勤務先の上司にも報告しました。
タイトルどおり、ただいま妊娠3ヶ月(11週2日目)です。
出産予定日は、2007年5月14日。
最初に判明したのは、9月21日(木)でした。妊娠検査薬で分かりました。
新潟の小千谷に花火を見に向かう途中、高速のパーキングエリアでの休憩で、トイレに入りました。その時、生理の始まりのような茶色い血がパンティーライナーについていました。しかし、その後、生理は来る様子をまったくみせませんでした。その上、眠くて眠くて仕方がなくて、新潟では寝てばかりいました。相棒(夫)は、その私の様子をみていて、「もしかしたら妊娠しているかも。」と思っていたらしいです。
基礎体温を9月に入ってからつけ始めていました。つけはじめからずっと基礎体温が高温期らしい「36.7度」くらいを行ったり来たりしていて、低温期の「36.3度」に落ちることもなく、そして生理もくることもなく生理予定日の9月11日から10日くらいたった頃の9月21日、思い切って妊娠検査薬で検査してみると陽性反応が出ました。
9月の下旬になると、ちょっとのことでも疲れやすく、階段を3階まで上ると息切れをおこし、運転中でも普段でもやたら眠気が襲い、食べ物も、肉、魚、油物が食べられなくなっていきました。一番ひどかったのは、「けんちん汁」を食べた時。中に入っていた肉で胃がもたれてしまい、強い吐き気に襲われました。結局吐きませんでしたけど。結婚式の前で色々やることがあったのに、立ち上がることができなくなるくらいでした。でも、その後なんとかおさまったので、ちゃんと準備にとりかかりました。
9月30日(土)
地元の産婦人科へ受診に行きました。そこでちゃんと妊娠していることが判明しました。胎児になる前の胎芽(たいが)と呼ばれる状態の赤ちゃんが超音波画像に映し出されていました。大きさは「1cm」。人ごとのように興味津々で画面を見ちゃいました。私のおなかの中にいるのがなんだか不思議な感じ。画面を見ながら、ちょっと理科の観察気分になっていました。
先生に、旅行に行っても大丈夫か聞いてみたら、「行って良いとは言えません。行くなら自己責任で行ってください。」と言われました。キャンセルはもうできないし、無理しないように行こうと決行することにしました。
10月7日(土)結婚式・披露宴当日。
妊娠していることを担当の方に告げておいたので、白無垢の帯をゆるめに締めてもらい、三三九度の杯の時のお酒も水に変えてもらいました。その日は、緊張のためか、結構強さを増していたつわりがおさまっていました。
10月9日(月)~13日(金)
新婚旅行中は沖縄の暑さのせいで、つわりが増長。しかも妊娠3ヶ月の初期である9週目。いちばんつわりがひどくなる時期が重なってしまいました。坂や階段で息切れ、ホテルでは寝てばかり、食べるものは野菜とヨーグルトと牛乳。それでも1日1箇所は観光できたのでよかったです。相棒(夫)は私が寝てばかりいるので、その間つまらないから私の寝顔をたくさん写真におさめていました(笑)
10月14日(土)二度目の受診。
超音波でみてみると、ちゃんと無事育っていました。体長「2.4cm」。頭、胴体、手足がまぁるく、ドラえもんを逆さまにしたような形に映っていました。那覇←→羽田、那覇←→宮古の往復で合計4回のフライトを見事耐え抜きました。「すげー!人の形になった!」と、また理科の観察気分で超音波画像を見る私でした。
私の苗字を選択した結婚、そして、妊娠。
願ったり叶ったりで本当に嬉しいです。
結婚式・披露宴で私は、「ジュピター」を唄いました。友達や母方の叔母さんが感動して涙が自然とあふれ出てきたそうです。人を感動させる歌を歌えて私も嬉しく思いました。そんな歌を歌いたい、そう思って気持ちを込めて歌っていたので、その想いが届いて嬉しいです。「ジュピター」の歌詞にあるようにこれからも「望むように生きて輝く未来を」つかみたいと思います。
生まれてくる私の子ども達は、精神的に強く、賢く、ひだまりのような温かい心をもった人間に育てていきたいと思います。自分の持てる能力を社会で存分に発揮して、自分の力や素晴らしい仲間たちとの協力のもと、生き抜いていけるように精神的、肉体的、社会的基盤を作ってあげたいと思います。
今、盛んに問題になっているいじめをするような汚い人間、汚い学校、汚い会社、汚い政治家、不安定な世界情勢、将来不安など不平不満はたくさんあるけれど、野生動物の母を見習って、どんな社会情勢になろうともそれを生き抜く力を子どもに授けてあげたいと思います。私はそれが親の役目だと思っています。
私はこれまで社会が慣習的に考えていたような「長男だから、女だから」という価値観は子ども達には植えないつもりです。
子どもは親の愛玩動物でもないし、親の所有物でもない。
一人の別の人格を持った尊重すべき人間だと考えています。
私が考えているような人間にうまく育てられるかどうか、私も親として新米なのでわからないけれど、志は持った方が良いし、私の持てる力で出来る限り、子ども達を一人の人間として力強く生きていけるよう育てていきたいと思います。
まず、一人目。
無事、健康に生まれてきて欲しいと思います。
タイトルどおり、ただいま妊娠3ヶ月(11週2日目)です。
出産予定日は、2007年5月14日。
最初に判明したのは、9月21日(木)でした。妊娠検査薬で分かりました。
新潟の小千谷に花火を見に向かう途中、高速のパーキングエリアでの休憩で、トイレに入りました。その時、生理の始まりのような茶色い血がパンティーライナーについていました。しかし、その後、生理は来る様子をまったくみせませんでした。その上、眠くて眠くて仕方がなくて、新潟では寝てばかりいました。相棒(夫)は、その私の様子をみていて、「もしかしたら妊娠しているかも。」と思っていたらしいです。
基礎体温を9月に入ってからつけ始めていました。つけはじめからずっと基礎体温が高温期らしい「36.7度」くらいを行ったり来たりしていて、低温期の「36.3度」に落ちることもなく、そして生理もくることもなく生理予定日の9月11日から10日くらいたった頃の9月21日、思い切って妊娠検査薬で検査してみると陽性反応が出ました。
9月の下旬になると、ちょっとのことでも疲れやすく、階段を3階まで上ると息切れをおこし、運転中でも普段でもやたら眠気が襲い、食べ物も、肉、魚、油物が食べられなくなっていきました。一番ひどかったのは、「けんちん汁」を食べた時。中に入っていた肉で胃がもたれてしまい、強い吐き気に襲われました。結局吐きませんでしたけど。結婚式の前で色々やることがあったのに、立ち上がることができなくなるくらいでした。でも、その後なんとかおさまったので、ちゃんと準備にとりかかりました。
9月30日(土)
地元の産婦人科へ受診に行きました。そこでちゃんと妊娠していることが判明しました。胎児になる前の胎芽(たいが)と呼ばれる状態の赤ちゃんが超音波画像に映し出されていました。大きさは「1cm」。人ごとのように興味津々で画面を見ちゃいました。私のおなかの中にいるのがなんだか不思議な感じ。画面を見ながら、ちょっと理科の観察気分になっていました。
先生に、旅行に行っても大丈夫か聞いてみたら、「行って良いとは言えません。行くなら自己責任で行ってください。」と言われました。キャンセルはもうできないし、無理しないように行こうと決行することにしました。
10月7日(土)結婚式・披露宴当日。
妊娠していることを担当の方に告げておいたので、白無垢の帯をゆるめに締めてもらい、三三九度の杯の時のお酒も水に変えてもらいました。その日は、緊張のためか、結構強さを増していたつわりがおさまっていました。
10月9日(月)~13日(金)
新婚旅行中は沖縄の暑さのせいで、つわりが増長。しかも妊娠3ヶ月の初期である9週目。いちばんつわりがひどくなる時期が重なってしまいました。坂や階段で息切れ、ホテルでは寝てばかり、食べるものは野菜とヨーグルトと牛乳。それでも1日1箇所は観光できたのでよかったです。相棒(夫)は私が寝てばかりいるので、その間つまらないから私の寝顔をたくさん写真におさめていました(笑)
10月14日(土)二度目の受診。
超音波でみてみると、ちゃんと無事育っていました。体長「2.4cm」。頭、胴体、手足がまぁるく、ドラえもんを逆さまにしたような形に映っていました。那覇←→羽田、那覇←→宮古の往復で合計4回のフライトを見事耐え抜きました。「すげー!人の形になった!」と、また理科の観察気分で超音波画像を見る私でした。
私の苗字を選択した結婚、そして、妊娠。
願ったり叶ったりで本当に嬉しいです。
結婚式・披露宴で私は、「ジュピター」を唄いました。友達や母方の叔母さんが感動して涙が自然とあふれ出てきたそうです。人を感動させる歌を歌えて私も嬉しく思いました。そんな歌を歌いたい、そう思って気持ちを込めて歌っていたので、その想いが届いて嬉しいです。「ジュピター」の歌詞にあるようにこれからも「望むように生きて輝く未来を」つかみたいと思います。
生まれてくる私の子ども達は、精神的に強く、賢く、ひだまりのような温かい心をもった人間に育てていきたいと思います。自分の持てる能力を社会で存分に発揮して、自分の力や素晴らしい仲間たちとの協力のもと、生き抜いていけるように精神的、肉体的、社会的基盤を作ってあげたいと思います。
今、盛んに問題になっているいじめをするような汚い人間、汚い学校、汚い会社、汚い政治家、不安定な世界情勢、将来不安など不平不満はたくさんあるけれど、野生動物の母を見習って、どんな社会情勢になろうともそれを生き抜く力を子どもに授けてあげたいと思います。私はそれが親の役目だと思っています。
私はこれまで社会が慣習的に考えていたような「長男だから、女だから」という価値観は子ども達には植えないつもりです。
子どもは親の愛玩動物でもないし、親の所有物でもない。
一人の別の人格を持った尊重すべき人間だと考えています。
私が考えているような人間にうまく育てられるかどうか、私も親として新米なのでわからないけれど、志は持った方が良いし、私の持てる力で出来る限り、子ども達を一人の人間として力強く生きていけるよう育てていきたいと思います。
まず、一人目。
無事、健康に生まれてきて欲しいと思います。