★真夜中のひとりごと★

二児の母「たっちー」のひとりごとです。

ドラマ「アイシテル-海容-」

2009年06月18日 | ★道をひらく
日本テレビ「アイシテル-海容-」公式サイト

昨日で最終回を迎えました。
なかなか寝付いてくれない息子Kと格闘していましたが(笑)、ドラマが始まる直前でやっとKは寝付いてくれて、無事にゆっくり観ることができました。

一度、ブログに記事を書こうと思い、書いたのですが最後まで観てから書こうと思い直し、今、改めて書きました。
ドラマだけでなく、ドラマと少し内容が違うという原作も、ドラマを最後まで観てから、読みました。

感想ですが、涙なしではドラマも、原作も、観たり、読んだりできませんでした。自然と涙が溢れてきます。

「母親は万能じゃない」

私もそれは痛感しています。自分のことを優先したくて、自分の子をうっとおしいと感じてしまう自分がいる。そんな自分を自分で、なんて母親だろうと責めたりして…。
原作と同じ、ドラマでもつかわれていた被害者の母親からの手紙にもあったけれど、母親とは本当に割りの合わない立場だとそれは毎日感じています。

ドラマの智也、原作の裕一、以前、実際におこった事件を参考に作られた話だと思います。
私は少年少女が起こす、殺人事件のニュースを聞くたびに思っていました。
どうしてその子が殺人を犯すまでにいたってしまったのか。
その原因がぜったいあるはずだ。
と…。
子どもだけじゃない。
記憶に新しい、土浦や秋葉原の無差別殺傷事件もそう。

殺人は許されることではないということを前提に私は話していますので、誤解のないようにお願いします。

それでもなお、これらの事件はこの今の日本社会だから、起こるべきして起こったんだと私は感じます。

そして…。

私だって、一歩間違えば殺人を犯していたかもしれなかった…。
どうしてか。








それは私も殺してやりたいと殺意を抱いていたことがあったから。

そう思うようにさせたのは、命や、子ども、人を大切に扱わない、この日本社会の構造や慣習、そして、考え方に問題があるためだと私は幼い頃から感じているからです。

小学生の私は、毎日憎しみを抱きながら生きていました。
周りの大人や、同級生が私を受け入れてくれている感じがしないし、私なんかいてもいなくてもいいような扱いをうけて育ったから。特に学校がそうだった。

憎かった…
殺してやりたかった…
私をいじめて苦しい思いをさせるアイツを消してやりたかった。
そして、世の中すべてが憎かった。

でも、私が殺人を犯さなかったのは、智也や裕一と違い、母親の愛情を感じ取っていたから。
私の母は、私のSOSをキャッチしてくれていたから。
でも、もし、気がついてくれなかったら…。

きっと殺していたと思う。
アイツか、自分のどちらかを。

サークルのハハ友が長い時間子どもと一緒の時間を母親が取った方がいいと考えて、そういう活動をしようとしているけど、私はその考えに真っ向から否定した。
原作の裕一が言った言葉そのものと同じ言葉。
「長い時間一緒にいればいいってものじゃないよ。」
と。
そう。長い時間一緒にいたからって、子どものSOSに気がつけないんじゃ、意味がないってこと。それはそこにいないのと一緒。一緒にいる時間が少なくったって、いざというときに力になってくれる人がいるっていうのは子どもにとってはとても大きなこと。

私の母は私が小学生の時、とても忙しかった。
私と過ごせる時間など、ほとんどなかった。
父も、住み込みで母と一緒に働いていたが、もともとヒモのような生活をしていた人なので、仕事はみんな母親任せで、自分は遊んでいた。
私は母が忙しいのを毎日目の前で見ていたので、時間がとれないのも重々承知していた。でも、そこは小学生。やっぱり母親に構って欲しい。あまりに構ってもらえない日々に寂しさを募らせ、学校でも居場所がなくて、「私なんかいなくてもいいんだ…」とまで思うようになったときがあった。私は死んでしまおうかと思い、坂の上の道路に座り込んで、車に引かれて死んでしまおうとした。母は、私に気がついてくれた。私はその時感じた。「ああ、忙しくても気にかけてくれているんだ。」って。このとき、私は母を試していた。気がついてくれるかどうかを。

でも、きっとこれが一番大切なことなんだって思っています。

殺人をしてしまった子ども。
無差別殺人をしてしまった人。

どちらも今の日本社会が作り出した殺人鬼だと私は感じます。

加害者になってしまった彼らに、誰でもいい、誰か一人でも殺人まで行く前に愛情を彼らに分けてあげられていたら、心がすさむ前に誰かが愛情を注いであげていれば…
きっと殺人を犯さなかったと私は確信しています。

育児は母親だけでするものではないと私は思います。
母親だって人間。そう。万能じゃない。なのにどうしてそんな万能じゃない人間一人だけにすべての責任を負わせ、人を育てさせるのでしょうか?それが間違っていると思います。

子どもは母親だけで育つのではない。
父親、祖父母、近所の大人、友達、先生…
色んな人と関わって、育っていくものなのではないでしょうか?

よく昔の育児の方法を持ち出す方がいますが、その頃と現在とでは時代背景がまったく違います。だから、その当時の育児方法では通用しないことがたくさんあると思うのです。なのに持ち出しては、母親たちを逆に苦しめたりして。

このドラマは「全ての母親たちに捧げる。」とありますが、
私は「全ての大人たちに捧げる。」とした方がいいなと思いました。

もっと子どもや人を大切に扱って欲しい。
政府や企業に対して、そう願っています。

父親を家庭に返してください。
儲けにばかり走らずに、人や命を大切に扱ってください。
これからの子どもたちに、私のようにすさんだ気持ちを持たせない社会にしてください。このすさんだ気持ちは一生、私をことあるごとに苦しめるから、そんな悲しい大人に育てないでください。

悲しく辛く重たい話ですが、とてもいい問題提起をしてくれたドラマとマンガだと思います。
こういうドラマやマンガをまた観たいと思います。

そして、私も万能じゃない母親だけど、子どもの気持ちに寄り添って、いつもできるだけちゃんと見守ってあげられる母親になりたいと思います。そして、この社会が人と人とのつながりが深い温かな社会になることを私は心から望んでいます。