「子どもが主体で、それぞれのペースで自立的に学んでいく。できる子だけが勝ち残るのではなく、一人ひとりを取り残さない。そんな教育は、公立校にこそ必要なものと言えるだろう。」
私もそう思う。
でも茨城県がやっていることは
これと逆行していると思う。
次男が金曜日にもらったプリントの中に、茨城県立下妻第一高等学校附属中学校の受験案内が入ってきた。
次男は受験すらできないので、案内は速攻リサイクル行き。内容を読む必要もない。だって、学校にすら毎日行けてなくて、勉強も適当な状態の子ども。漢字も九九もたいしてできないのに、そもそも中学受験なんてできますか?
茨城県は不登校の子どもたちを見ないようにして、たくさんの中高一貫校を作り、中学受験をあおってる感じがする。時代と逆行している。
中学受験のためにをきっと塾が儲かるだろうな。受験に受かるために親は塾に行かせるだろうから。
中学受験でいい学校に行かせるための競争が始まる。
できる子を中学受験で選別して受験を制し、勝ち残った子どもは勝ち組と言われ、不登校の子どもたちは負け組とひそかに言われるんだろう。
茨城県はマウンティングしてくる人が本当に多くて、嫌気が差す。茨城県をディスってるわけではない。事実そうなんだから。
県民はそれを見ようとはしないからね。
私は他県生まれだからよく見える。
特に県西地区はそれが顕著。
うちの子は○○大学に行ってるとか、学校の先生なんだとか、公務員なんだとか自慢してくる。
なんてみすぼらしい思考だろうと私は逆に軽蔑する。それはわざわざ言う必要があることですか?
こぼれ落ちていく不登校の子どもたちには何もない。
学びの保障すらされない子どもたち。
そこにはお金をかけようともしていない。
この日本と言う国と県と市。
すべての子どもを大切にしようとせず、もう流行らない選別試験を公教育にいれてくるような県に住む価値はあるのだろうか?なんて考えてしまう。
かなりネガティブになってしまう、今日この頃。
もう究極引っ越したいなと思ってしまう。
でも、ここで逃げ出したら、いけない気がする。
不登校ではない子どもたちも大変な思いをしてるし、すべての子どもたちが楽しく自分らしく学べるように、大人が声を大きく、荒げてでも訴えていかないといけないと私は思う。
不登校の子どもたちは、大人たちに教育を変えて欲しい、学校を変えて欲しいとうったえているんだろうな、やっぱり。