明日は12月3日、「1・2・3・ダー」でアントニオイノキの日??そんなわけないでしょう(^_^;)
で、先週「アントキノイノチ」を見てきました。亡くなった人の遺品を遺族に代わって整理する「遺品整理業」で働く若者の姿を描いた映画です。これからご覧になる方もいらっしゃると思いますのでネタばれにならない程度に書いておきます。
最近増えてきた隙間産業の「遺品整理業」、幹線道路沿いに「遺品整理します」と書いた看板を見かけたことがあるし、その業者らしき人たちが「きょうの現場はこんなだった。」と会話しているのを耳にしたこともあるので、そういう仕事があることは認識していました。遺族なら躊躇して捨てられないものを「これも仕事ですから」と感情を入れずに捨ててしまう様子を想像していましたが、作業の前には合掌して、婦夫茶碗や人形のように「ご供養」するものと、捨ててしまう「ご不要」品とに丁寧に分けていました。遺品を見るとその人の職業や性格などがみえてくるそうです。遺品は故人が生きた痕跡を語っているのです。
こんなシーンを見て遠い昔、私が9歳のときに他界した伯母のことを思い出しました。伯母は病院でこの世とお別れしてしまったのですが、団地に一人暮らしだったので一番近くに住む私の父と母が必然的に遺品の整理をすることになったようです。もちろん、この頃には「遺品整理業」なんてありませんでした。9歳だった私も大して戦力にならなかったでしょうが、手伝っていました。
給食の調理師だった伯母が業者から入手したのか、給食の大きな容器の縁に引っ掛かるように柄にかえしがついた“おたま”とか、大柄な体には可愛いすぎるエプロンといった仕事にかかわるもの、お気に入りの宿だったのか同じ温泉旅館のタオルが何種類か、相当ファンだったのでしょう今も現役の五木ひろしのLPが十数枚・・・私が知らなかった伯母の姿が浮かんできました。まさに遺品は故人が生きた証だったのです。
人間関係が希薄な世の中ゆえに成り立っている「遺品整理業」ですが、亡くなった人との思い出はもう増えないのです。身寄りのない人ならともかく、気付かなかった故人の一面を見つけてあげるためにも遺品整理はできれば身内の人がやってあげるのがいいのかもしれません。