on-ice off-ice

氷上のスポーツ、カーリングをやっています!カーリング以外のことも書くのでon-ice off-iceです!

大つごもり2022

2022-12-31 10:16:07 | 日記
 コロナ騒動の中で開けた2022年、年賀状には、エルモア(サミット)、札幌雪まつり、北京オリンピック、カタールサッカーワールドカップなどなど、イベントが無理なく開催できますようにの願いを込めて描きました。スケール大きすぎ(^_^;)


 で、どうだったのか?何事にも「3年ぶりの○○」が枕詞のように付けられていたし、“無理なく”ではなかったけど、動き出したかなという印象でした。

 カーリングは選手同士の接触を減らすため連戦して退出するパターンが定着しつつあり、連戦を戦える体力が求められています。
 舞台や映画は、チケット完売といわれていたのに空席が目立ち、まだまだ不安を抱えながら行動している人が多いことを窺わせていました。

 まだまだ模索が続きそうですが、そんな状況であっても一歩一歩進んで行きたいと思います。
 それでは、よいお年をお迎えください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新薬師寺・・・父が賞賛した古刹を訪ねて

2022-12-19 21:07:29 | 学問
 法隆寺に行った翌日、奈良国立博物館で開催されている正倉院展に行こうとしたら、「前日までに時間を指定した予約が必要」とのこと。平日だったので何とかなると事前に調べなかった私が悪いのですが、Bプランはどうしよう・・・。

 奈良公園は最近でも数回行っているけど、行っていないスポットを中心に回ることにしました。20年に一度の式年造代が一週間前にされたばかりの若宮神社、金色に輝く千手観音像が特別公開されている戒壇院、中身が見られないけど外側も公開されていた正倉院を見て回り、ふと、新薬師寺が近くにあることを思い出して、行ってみることにしました。

 父は2000年に他界してしまっていますが、一度だけ父と奈良を訪ねたことがありました。そのとき、新薬師寺に宿泊するはずだったのですが予約がいっぱいで行かれず、それっきりになっていました。父はその後母と数回宿泊しており、本堂に安置されている十二神将の話を聞いていました。

 新薬師寺は奈良公園の敷地を少し外れた住宅街にあり、若草山にハイキングに来た時に近くを通っていました。薬師寺の別院のような名前がついていますが、薬師寺とは直接の関係はなく、「新たかな薬師如来様が祀られているお寺」とのことです。


 戒壇院から大仏殿の脇をかすめ、鹿が闊歩する脇を横切り、鬱蒼とした林を通ると、新薬師寺のある住宅街に出ます。奈良公園がこんなに広かったのかと、あらためて驚きました。その住宅街に土塀が続いています。最近修復されたようで小綺麗な感じの土塀です。その土塀を半周して奈良公園とは反対側に新薬師寺の山門がありました。柵が閉じていて「鹿が入るので閉めてください」の木札がついています。柵を開けて中へと進むと、境内は意外にも狭く、こじんまりとした本堂が正面にあります。元は多くの伽藍を配した大きなお寺さんだったそうですが、今は本堂や地蔵堂などが残されています。




 本堂に入ると薬師如来像を囲むように十二神将像が車座に並んでいます。それぞれが干支の守護神になっているのですが、十二支の順番には並んでいません。その中で一つだけ、記憶にあるのが伐折羅大将像(バサラたいしょうぞう)で、学生の時に学園祭で観光ポスターを展示する際に入手したのですが、これを家に持ち帰り父に見せたのがこの伐折羅大将像のポスターだったのです。

 本堂を出るとお寺の方がいらっしゃったのでお話を伺うと、今は宿坊はやっていないとのことでした。宿坊だった建物は2005年に火災で焼失、建て替えられた建物がビデオ上映室として公開されていたので覗いてきました。おそらく元のように建て替えられたと思われる建物は、縁側に渡り廊下があってよく手入れされた庭が立派でした。

 正倉院展が見られなかったことで訪ねることができた新薬師寺、もう増えないはずの父との思い出が1つ増えたような気がしました。
 帰り道、ハイキングの時にも立ち寄った「空気ケーキ」のお店でクッキーをお土産に買って帰りました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウクライナ事情を伺いました

2022-12-15 07:25:06 | 社会・経済
 アナウンサーから学ぶ講座のときの受講生でウクライナ人のIさんのお話を伺うことが出来ました。
 Iさんは日本に来られて20年程になり、日本人と結婚されていますが、Iさんのご両親と妹さんの家族は戦争勃発時ウクライナのキーウに住んでおられました。
 まず、ロシアとの戦争が起こったときは不意を突かれたような感じだったようで、ロシア軍は確かにウクライナとの国境付近に集結してはいましたが、脅かしのためであって攻撃はしてこないと思っていたので、まさか攻撃してくるとは思っていなかったそうです。
  Iさんのご家族の方々は、Iさんのお父様と妹さんのご主人さんを除いては現在日本に避難しています。ウクライナに残留しているお父様と妹さんのご主人さんですが、徴兵の可能性は低いとのことです。軍の機器を扱える人材でないと戦力にならないので、その心配はないと仰っていました。避難できたご家族の方々も、日本がコロナ騒動ですぐに入国ができないため一旦エジプトに行き、2週間を経てようやく日本に入国できたそうです。それでも、妹さん一家が住んでいた家は半壊、Iさんの実家は無事でしたがお友達には家を壊された方もいらっしゃるそうで、ウクライナ人にとっては知り合いレベルで何らかの被害に遭われているようです。
  アナウンサーから学ぶ講座を日本語教室と勘違いしたという不思議な偶然からIさんと知り合いましたが、無事を確認出来て安堵するとともに、戦争の影響を直接受けていない私はもっと頑張れるはずだとあらためて思いました。
 ホントに、戦争が一日でも早く終わることを強く望みます。。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする