法隆寺の金堂は昭和大修理の最中の昭和24年(1949年)1月26日、修理中に暖をとるための電気ストーブの漏電と思われる火災に遭いました。修理中ということで、金堂に元々置かれていた釈迦三尊像をはじめとする仏像と建物上部の壁画は搬出中で難を逃れたものの、外陣壁画は極彩色が失われて、内部の柱も焼損してしまいました。
現在の金堂には複製したものが置かれていますが、クラファンの寄付のリターンで焼損した壁画を見ることができるという情報をネットでたまたま見つけ、飛び石連休の11月3日なら取りやすいだろうと思い付きで申し込みました。
JR法隆寺駅から徒歩で向かいます。法隆寺には、中学校の修学旅行以来、3回拝観していますが、最後に行ったのが昭和最後の大晦日なので実に34年振りです。以前にもこの法隆寺駅から徒歩で行ったことがあり、法隆寺の五重塔を見ながら歩いた記憶があるのですが、今回は見えません。違う道だったのか、建物が増えて見えなくなったのか・・・。帰った後に奈良好きな父にそのことを話したので記憶違いではないと思うのですが、疑問が消えないまま立派な土塀に囲まれた法隆寺に到着しました。
金堂の壁画を見学する時間は指定されているので、まず夢違観音や玉虫厨子などが置かれている大宝蔵院へ入りました。最初の部屋にあったのが背丈ほどもある液晶の大画面、法隆寺の建物や仏像が映し出されるのですが、これがタッチパネルになっていて手で広げると拡大したりずらしたりして見ることが出来るのです。展示の仕方も時代とともに変わっていくのですね。
続いて、八角形の夢殿のある西院伽藍。聖徳太子の一万円札の透かしに描かれていた建物です。なんと、秋の特別拝観の期間中で秘仏といわれる救世観音菩薩立像が公開されており、逆光の中に金色に輝く救世観音菩薩立像を拝見することができました。ちなみに特別拝観は春と秋の2回(4月11日~5月18日、10月22日~11月22日)、設定されています。
そして、いよいよ金堂の焼損壁画の収蔵庫見学に向かいます。保存のために厳重に温度と湿度管理された収蔵庫見学は1回に5人限定で、バックヤードに入っていくような感じです。外気の影響を受けないように前室が設けられ、保存環境を調整するための装置も見られます。そこで荷物を預けて靴カバーを付けて、特別感満載の雰囲気での入場です。
手前の部屋には被災時には修理中のために取り外されていて難を逃れた金堂上部にあった飛天図が置かれています。柵越しとはいえ、実際に建物に収まっていた時よりも近い位置で見ることが出来て感激!
大きな扉をくぐると、組み直された金堂の焦げた柱に12面の壁画が収められています。本来なら釈迦三尊像や薬師如来像が安置されている位置から周囲の壁画を見ていると考えると不思議な印象です。事務的に1号壁、2号壁と名付けられ無粋な感じもしますが、それが文化財と同時に研究材料であることも物語っています。壁画は色がネガフィルムのように反転した感じになっている箇所はありますが、線ははっきりしています。仏様の顔部分がなくなっているのは、そこから消防のホースを入れたためだそうで、懸命の消火活動の様子が窺えます。柱は表面が炭化していますが、外側にあたる部分はしっかりと残っています。柱や壁画の残った状態を見ると木造の建物でありながら、よくここまでで消し止められたと思えます。
将来的には公開も見据えているとのことですが、5年後か10年後か、公開されたらまた来たいと思います。
拝観の締めくくりは、五重塔や金堂のある東院伽藍。法隆寺の建物は細かい装飾が見どころと父が言っていました。
五重塔の九輪の下には鎌
重そうに柱を支える邪鬼
金堂の柱の龍
金堂に入ると先ほど見た壁画が釈迦三尊像や薬師如来像を周囲から見つめるように再現されていました。
大講堂の後ろ側にある上御堂、これが特別開扉されています。しかも、開扉されるのは11月1日から3日の3日間だけ、素晴らしい巡り合わせではないか!堂内には平安時代の釈迦三尊像と室町時代の四天王像が安置されていました。
クラファンでみつけて、思いつきでクリックした日が、2つの特別開扉と重なっていて、何ともluckyな文化の日でした。