on-ice off-ice

氷上のスポーツ、カーリングをやっています!カーリング以外のことも書くのでon-ice off-iceです!

こんなところにも震災の影響が…

2011-03-30 23:09:30 | ニュース

「まだ、始めて二年ですがよろしくお願いします。」

「ユニホームを用意してあるので、これを着てください。」

「え?」

出されたユニホームは青いジャージ、胸には地元の中学校の校章、そしてゼッケン。さらに北国の中学生らしく頬に紅を塗って・・・。

「中三っていうデパートのチームなので、中学三年生をイメージした恰好なんですよ~。」

これ、三年前に青森で開かれたオープン大会「春のお花見カーリング」に出場したときのことでした。シーズン納めのイベント色が濃い大会で、各チームはさまざまな仮装で出場するのでこんな姿でカーリングすることになったのですが、そのとき私が混ぜてもらったチームが中三デパートのチームでした。

その「中三デパート」が民事再生法を申請したと夕刊が報じていました。創業1896年というから115年の歴史があり、北東北の方には馴染みあるデパートなのです。今回の震災の数日後に盛岡店の地下でガス爆発事故が起きていて、このニュースにも驚いたのですが、追い打ちをかけるような事態に更に驚かされました。

オープン大会とはいえ初めての青森の氷に緊張気味の私に「みよた(長野のカーリングホール)でやってるつもりで気楽にやろうよ。」と声を掛けてくれたお陰ですっかりリラックスできて、チームの足を引っ張ることなく総合4位の好成績を残すことができて楽しくすごすことができたのでした。

大会二日間のチームメイトだったみなさんのデパートが、この難局を乗り越えてくれることをお祈りします。

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原発のしくみ…

2011-03-21 16:59:12 | ニュース

『原子力発電といっても、蒸気の力で蒸気タービンを回して発電するという点では、従来の火力発電とまったく変わりありません。ただ、違うのは石炭や石油の代わりに、原子炉の中でウランを核分裂させて発生する熱で蒸気をつくるところです。

原子炉の中には燃料棒と制御棒が入っています。そして制御棒を徐々に抜き出すとウランが核分裂を起こして熱を発生します。燃料棒の熱はまわりを流れている水に伝わり、沸騰して蒸気となり、タービン発電機をまわして電気を起こします。この時使い終わった蒸気は、復水器で再び水に戻され、原子炉へ送り返されます。』

と、かなり前に見学させてもらった静岡県の中部電力浜岡原子力発電所のパンフに書いてありました。こんな仕組みで原子力で発電しているのだそうです。

Photo

復水器には蒸気を冷却するための水が常時流れています。原子炉は止まってもしばらく熱は発生し続けるのですが、蒸気を冷却するための水を送るポンプも止まってしまったので蒸気を冷やすことができなくなって空焚きの状態になって水蒸気爆発を起こした・・・ということらしいと、パンフを見て頭の中で整理して何となく解った気になりましたが、冷やす必要があることも解りました。

手をこまねいていないで被曝の危険を最小限に抑えた方法を検討し、身を挺して被害の拡大を防ぐべく対応してくれた皆様には感謝してもしきれません。復興へ向かっての大きな力です。

私も先週は仕事場の復興作業や何やらで疲れましたが、明日からも頑張ろうと思えた昨日のニュースでした。

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皆様、ご無事でしょうか。

2011-03-12 20:38:29 | ニュース

東北太平洋沖地震から丸一日が過ぎました。

被害に遭われた方々には、心よりお見舞い申し上げます。

地震発生のとき、私は千葉県船橋市の会社の工場の事務所にいました。鉄筋ですが、地盤沈下で入口の階段はかさ上げしてあったり、ドアは傾いでピタッと閉まらない年代物の建物でした。

ゆるい横揺れが始まった瞬間、「横揺れは震源が遠いはず、慌てる必要はない。」と思い、比較的落ち着いていました。ところが、揺れはだんだん大きくなる。「ドア開けて!」と誰かが叫ぶ。」叫ぶだけで誰も動かない。私はドアの近くにはいなかったけど、ドアを開けに向かった。ドアを開ける。まだ歪んでいないらしく、素直に開いた。と、思う間もなく、室内の書類棚や机が暴れ出した。「このまま、この部屋にいたら危ない。」と咄嗟に思って、外へ出た。向かいに平屋の建物はあるがその隣は広場なので、そこを目指して走ろうとしたら、激しい揺れで立っていることもままならない。荒波にもまれている船の甲板にいるような感じだった。私はしゃがみ込みながらも建物から一歩でも離れようと前に進んだ。駐車してある車がゆらゆらと揺れている。隣接する廃工場からカン、カン、ゴーン、ドスンという鈍い金属音を立てて何かが次々と倒れる音が響いた。ガスボンベがいくつも置いてあったから、おそらくそれが倒れたのだろう。一番近くの工場の立て屋はスチームの配管が破壊したのか、シューという空気が漏れる音がして中が霧で真っ白になっているのが見えた。中にいる人達は大丈夫だろうか?そうこうしているうちに、私が逃げ出した建物はさらに大きく揺れ出した。今はいったものなのか、もともとあったものなのかはわからなかったが壁にひびが入っていた。次の瞬間、土台部分のコンクリートがボロボロと壊れ始めた。建築材の耐震実験の映像のようである。そう思っている間に、今度は建物と地面の間から泥水が勢いよく噴き出してきた。「これが、液状化現象か。」と呆気にとられて見ていると、事務所は何かが折れるような音を立ててガタンと一気に数十センチも落ち込んだ。

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揺れは小さくなっていったが、体に揺れた感覚が残っているので揺れが完全におさまったかどうかはわからなかった。とにかく、立ちあがって広場の真ん中まで避難した。

事務所や工場の立て屋から次々と広場に人が出てきた。幸い怪我人や不明者はいなかった。

大きな揺れはおさまったが余震が何回も来るので、広場で待機していた。すると、再び大きな揺れ、事務所が歪むように揺れているのがはっきり見て取れた。「それ以上歪んだら、ガラス窓が割れるっ」と思った頃、揺れはおさまった。

周りにいた人は携帯電話で家に電話を掛けようとしていたが、通じないようである。そんな様子を見ながら、私は携帯電話も財布も事務所の中に置き忘れていることに気付いた。まあ命の方が大事ですから、それは二の次なんですが、それだけ慌てていたということでしょう。

ようやく落ち着き、荷物を取りに怖々事務所へ入る。入り口の金属製の階段がひしゃげている。

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中へ入ると、二本吊りの蛍光灯がみんな片方が天井から外れてぶら下がっているのが見えた。書類棚の一部は倒れ、机上のパソコンも軒並み倒れている。歩くとはっきり分かるほどに床が傾いていた。自分の荷物だけ持って、周りの人に「あんまり長くここにいないで早く出た方がいいよ。」と言いながら外へ出た。

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そして、とりあえず帰ることにした。電車は全て止まっているようなので、徒歩2時間は覚悟しなきゃならない距離だけど、半壊した建物には留まっていられない。そして、心配事がもうひとつあった。

広場にいるときから気になっていたのだが、周囲にガスの臭いが漂っていたのだ。この辺はプロパンガスらしいので、量は少なそうだが危険なことにかわりはない。それに家も気になる。

私はこの辺に土地カンが全くないので、同じ方向に向かう人達と一緒に歩いた。ただ、方向は一緒でも皆さん近い方ばかり、途中からは覚悟を決めてひとりで歩いた。国道へ出れば何とかなりそうと思ったけど、この町の道はやたらにくねくね曲がっていて、自分がどの方向に向かっているのかわからなくなる。人に聞きもしたが、頼りにしたのが“お日様!”。西遊記ではないが西に向かえば帰れるのはわかっているので、分かれ道があったら西に傾いたお日様の方向へ曲がった。何とも原始的な方法で自宅を目指したのです。

歩いていて不思議に思ったのが、事務所があんな状態なのに壊れた建物がほとんどないこと。そして、お店もふつーに営業していること。そういえば、広場に避難していたときも周囲のマンションから人が避難していた様子はなかったし、自転車でスーッと走っていた人もいた。「ひょっとして、壊れたのって事務所だけ?ニュージーランドのキングスエデュケーションのビルのように一手に被害をこうむったのだろうか?」そんな疑問がふつふつと湧いてきた。よっぽど地盤が悪い所に建っていたのだろうか?建物の老朽化だろうか?この様子だと家も大したことはなさそうだ。ちょっと安心した。

従妹の家がこの辺にあるはずなのだが、携帯電話は使えないし住所を控えていないので探しようがない。新築のかわいらしい家を見る度に表札を見たけど違う名前ばかりでした。それでも周囲の家が目立った被害を受けていないのがわかったので、安心した。

歩きながら何度も電話を掛けようとしたが、掛からなかった。メールは使えたのですが、母はメールをやらないので連絡のしようがなかった。何人かの友達にメール。こちらは帰宅するまでに、みんな無事とわかりひと安心。

頼りないくねくね道を抜けて国道に出た。あとは、ひたすら東京方面を目指すだけ!国道は歩いている人も多いので心強かった。もっとも、東京から下ってくる人の方が多かったので歩きづらいけど、車道と歩道の区別もないくねくね道よりはずっとよかった。

やっと、江戸川を越えて都内に入った時はさすがに嬉しかった!スカイツリーも無事だったようだ。

自宅近くのコンビニに寄って食料の調達。菓子パンは品切れだったけど、食パンはいくつかあったのでそれとクッキーを買った。

自宅も無事だった。本棚から本が散乱していたので、それを片づけるのに夜中の2時近くまで掛かってしまいましたが、家に帰れなかった人たちを思うと申し訳ない気持ちでした。

こんな調子で無事でいられたわけですが、ホントに日頃の備えがされていなかったこと、反省しています。もちろん命が一番大切ですが財布と携帯電話ぐらいは身につけていないと、いざというときに全く役に立ちません。それから、出先の近くの親戚の家ぐらい把握しておくべきでした。もっと大きな被害が出ていたら、助けになるし自分も助けられたかも知れません。そして自宅の本棚、危ないと思いつつたまり放題だった本。この機会に整理します。

被害に遭われた皆様にあらためてお見舞い申し上げるとともに、一刻も早い復興をお祈りします。

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