さだまさしさんは中学生の時、バイオリンを学ぶために単身で故郷の長崎を離れて東京に暮らしており、長崎行きの急行雲仙号で22時間掛けて帰省したと、コンサートで聞いたことがありました。その際にさださんは「今じゃ22時間掛かるところっていったら東京からブエノスアイレスですよ!」とも付け加えていました。
ブエノスアイレスじゃなくても今の日本国内で22時間の旅ができる「トワイライトエクスプレス」に乗りました。
「トワイライトエクスプレス」といえば豪華な個室寝台で有名ですが、乗ったのはBコンパートメントというリーズナブルな寝台でした。それでも、カーペットが敷かれた床に夜はベッドになる座席は奥行きがあって応接間に座っているような感じでした。広さがあるので同じ姿勢で座っているのに疲れたら荷物を背もたれ代わりにしたり、靴を脱いで横座りしたりできるので楽でした。
長時間乗っていても飽きさせないように施設も充実しています。さっそくパブリックスペースのロビーカー「サロンデュノール」に行ってみると、ソファーはみんな人が座っていました。ただ、先を争って場所取りをしているような雰囲気ではなく、どこかゆったりした感じなのです。まもなく食堂車がオープンすると多くの人がそちらに吸い込まれてスペースが空いてゆっくり座ることができました。スイスの氷河特急を思わせる天井近くまで大きく取られた窓と日本海側に向けて配置されたソファーが旅気分を盛り立ててくれました。そして、車掌さんたち手作りの記念スタンプ。北海道の四季を描いてあって、四季を通して北海道に行きたくなるようなデザインでした。
食堂車ダイナープレアデスはディナータイムのフランス料理フルコースは事前予約制ですが、ランチタイムは予約せずにいただくことができます。オープン直後は混雑するけど、時間が経てばそれほど混雑しないのではとランチタイム終了30分前に行くと、思った通り待つことなく中に案内されました。
入り口のステンドグラスや照明が素敵でした。
以前、食堂車は新幹線や特急列車にもありましたが、列車のスピードアップや長距離の客が飛行機にシフトするなどして列車に長時間乗る機会が減り、一方で自由席に座れなかった客がコーヒー1杯で延々粘ったりして採算が厳しくなって次々と姿を消していき、今ではこの「トワイライトエクスプレス」と「カシオペア」と「北斗星」だけになってしまいました。
そのうち、ランチが頂けるのは「トワイライトエクスプレス」だけです。その貴重なランチにビーフシチューを頂きました。運ばれてきたビーフシチューを手元に寄せようとお皿に触れるとほんのり暖かい。ビーフシチューの暖かさではなく、お皿をあらかじめ温めてある暖かさでした。甘めのソースが口いっぱいに広がって、とっても美味しかったです♪
列車の方は来春開業する北陸新幹線の車両基地を横目に金沢に到着。金沢には学生時代と社会人になった直後に訪ねていましたが、駅もすっかりリニューアルされて当時の面影はありません。金沢だけでなく、福井も富山も新幹線の駅のような高架駅になっていて時の流れを感じさせられましたが、金沢の先の海側に広がる平野の風景や夜行列車を降りて眠い目をこすりながら能登方面の列車を待った津幡駅などの見覚えのある景色にも出会えました。
「トワイライトエクスプレス」の名は日本海に沈む夕日に由来しているそうですが、この冬の日没が早い季節には日本海ではなくて列車が走る後方の山に夕日が沈みます。もっと日が長い季節に乗ってみたいと思いますが、残念ながらこの「トワイライトエクスプレス」は来年3月で姿を消してしまいます。利用客が減ったわけではなく、車両の老朽化が引退の理由とのことですが、確かにカーペットや寝台のモケットはリニューアルされて綺麗になっていても隣の車両との仕切りのドアなどは古い車両のそれで何となく納得しました。
冬の夕日が沈み夜の入り口に差し掛かったころ、列車は新潟県に入ります。新潟県は冬のスキー・スノボに夏の海など、私にとっては馴染み深い県です。その新潟に入って最初に停まる駅が直江津で、10分停車します。ほかの駅では長くても3分程度しか停まっていないので、多くの乗客たちはホームに降りて体を伸ばしたり、列車の先頭に行って写真を撮ったりしていました。私も撮ってみましたが、暖かい車内から寒い外に出たのでたちまちレンズが曇ってしまい、綺麗に撮れたのは2枚ほどでした。
学生時代の友人が住む柏崎はあっという間に通過しました。その友人を訪ねたとき偶然に通過する「トワイライトエクスプレス」を見かけたのですが、季節が5月だったので明るい時間帯でしたが、今日はすでに夜の暗さになっています。それでも泊まったグリーンホテルの明かりは車窓から確認できました。あれから、中越地震、中越沖地震と2度の震災を経ており、メールで無事は確認したものの実際に高層のホテルが無事だったのを確かめられてよかったです。
新潟県の新津を過ぎると北海道の洞爺まで列車の乗降はできなくなります。日本有数の穀倉地帯でコシヒカリの田圃が広がっているはずですが、すでに外は闇で何も見えません。そんな中を私は目を凝らして車窓を見ていました。街の明かりが増えてくると駅があり、白鳥の湖「瓢湖」がある水原、画家の蕗谷虹児を生んだ新発田、ふる里会に入っている関川村への入り口の坂町、粟島へ行くのに立ち寄った村上と懐かしいスポットを列車は甲高い汽笛を響かせながら通過して行きました。
鶴岡を過ぎるあたりで「夜も更けてまいりました。お休みの時間帯に入りますので明日の朝、洞爺到着までアナウンスは行いません。」のアナウンスが入ったのを機に寝台に入って眠ることにしました。朝食は6時から予約しているけど、アナウンスは7時近くまでないので自力で起きなければならないので眠気がきた勢いで寝ようとしましたが、起きているときはさほど気にならなかった列車の揺れが気になり、深夜でも青函トンネルの前後での機関車の付け替えなどがあって、そのたびにガクンと衝撃があるので何度か目を覚ましました。
人が通路を通る気配がして、時計を見ると5時半を回っていました。途中で何度も目覚めた割にはすっきりしていたので、ある程度は眠れたようです。身支度を整えて食堂車へ向かいました。外はまだ暗いです。6時になる15分ほど前に食堂車の隣のロビーカーに行くと、一般のお客さんから「6時から予約の方ですか。もう入れますよ。」と言われました。食堂車に入るとスタッフさんは前日と同じ顔触れで、私の名前で呼ばれて前日のオリジナルグッズ販売のことで問い合わせたことについて「買えましたか」と尋ねてくださったのでびっくりしました。車掌さんは青森で交代と聞いていましたが、食堂車のスタッフさんは通し勤務のようです。
「トワイライトエクスプレス」の定員は140人ほど、それを調理場にいる人も含めて4~5人のスタッフで担当、食堂車での食事の手配がランチ、ディナー、パブタイム、モーニングの4回、ディナーの席の確認、モーニングの席の予約、予約したお弁当の配達、グッズ販売などを揺れる車内でそつなくこなさなければならず、本当に大変な仕事だと思います。
朝食は洋食にしましたが、カットフルーツが入った食前のドリンクに始まり、胡麻和えサラダに温野菜、中華粥の小鉢、チキンなど高級ホテルの朝食のようなメニューでそれらが初めから並べてあるのではなく、食事の進行に合わせて運ばれてくるので朝から大満足でした♪
朝食が済むと、外はだいぶ明るくなってきて内浦湾の朝日を見ることができました。屋根に煙突がある家が立ち並び、とうとう北海道に来たんだなぁという実感が湧いてきました。
列車は順調に走り、北海道最初の停車駅洞爺に停まります。駅名板の下に袋に入った紙の束のようなものが下がっているのが見えました。「あれは何だろう」と思いながら見ていると、スタッフさんが小走りで列車から飛び出すと、それを取って戻ってきました。袋の中身は朝刊でした。案内のアナウンスも再開され、左側に見える有珠山と昭和新山を紹介していました。昭和新山は畑から突然噴煙が上がって地面が隆起して僅か2~3年で山になってしまったというものすごい話なのに最近は有珠山や御嶽山が噴火してもさして話題にされることもなく、「自然災害の風化ってこんなことなのかなぁ」と考えさせられました。今、右手に見えている内浦湾も噴火湾という別の呼び名がありますが、名前とは裏腹に波もなく穏やかな海が続いていました。
室蘭の市内に入るとのどかな海岸風景が一転して工業地帯に変わり、列車は東室蘭に停まります。本家の室蘭はここから手前方向に枝分かれした室蘭半島の先端近くにあって、本土との間をショートカットするように架けられた室蘭大橋の一部も見えました。
再びのどかな景色に戻って、サラブレッドの聖地の社台、アイヌ集落の白老と北海道らしいエリアを走ります。白老は数か月前に大雨の被害を受けたところで、川を渡る橋の橋脚には木の枝や葦などが絡みついていました。
列車はもっと乗っていたいと願う私の気持ちをよそに着実に札幌を目指します。苫小牧で海と分かれて北へ向かい、千歳空港に近い南千歳を過ぎると大きな建物が増えはじめます。「いい日旅立ち」のメロディーが流れて、札幌到着のアナウンス。静かに流れる豊平川を渡るとゆっくりと札幌駅に到着しました。
重い荷物を持って、一歩一歩大切に踏みしめるように列車から降りました。
車窓やサロンデュノールから流れる景色を眺め、ランチとモーニングを堪能し、夕日と朝日を拝み、大満足の札幌行きでした♪