on-ice off-ice

氷上のスポーツ、カーリングをやっています!カーリング以外のことも書くのでon-ice off-iceです!

天龍川の花火と天竜峡

2023-09-17 13:26:46 | 旅行記
 なかなか涼しくならないので、夏の話題の続編です。

 木曾駒ケ岳から下山すると、ロープウェイは2時間半待ち、整理券配布だったのでお土産売り場などを見ながら待つことができました。列に2時間並ぶという苦行は免れましたが、駒ヶ根駅に着いた時には信号機の灯りが明るく感じるほどに暮れ堕ちていました。昨日は休業していた駅近くの食堂が開いていたので、夕食用にソースかつ丼をテイクアウトして電車に乗り込みました。既に花火が揚がり始めている時間ですが、終わりの40分ぐらいは見られそうです。はやる気持ちをよそにプラットフォームのベンチあたりに簡単な屋根を掛けただけの小さな駅にいくつも止まりながら電車は進んで行きます。降りる駅の2駅手前で遠くに打ちあがる花火が見えました。間に合った。

 駅を降りて、電車の前の踏切を渡ろうとしたら、目の前で大輪の花火がどーんと揚がり、一緒に降りた乗客たちは元より運転士さんも「おーっ」と言わんばかりに見上げていました。
 旅館に荷物を置いて、揚がる花火の音を聞きながら、夜店が並ぶ道を天龍川にかかる橋へ急ぎます。以前にも来たことがあるのですが、その時とは比べ物にならないくらいの人でごった返しています。コロナ騒動を明けて4年振りの開催なので、みんな心待ちにしていたのでしょう。橋の上は縁石に腰かけて花火を見ている人は多くいましたが、混雑はそれほどでもなく、我々も空いている縁石に座って見ることが出来ました。





 打ち上げ場所が近いので大輪の花が音とともに間近に拡がって凄い迫力です。燈篭流しも行われているはずですが、既に終わっていて、川面を流れる灯りと花火との共演は見られませんでしたが、久しぶりに目の前に揚がる花火を見ることができて、大満足でした。

 翌朝、再び電車で天竜峡へ向かいました。天龍川に沿って川下に向かって走っていますが、辺りは平地で川幅も広くゆったりとしていて、ホントにこの先に天竜峡という峡谷があるのかと、思うような地形です。
天竜峡の駅は洋風のおしゃれな感じの駅舎でした。踏切を渡り、天龍川に掛かる橋に差し掛かると川が深く谷の下を流れており、まさに渓谷です。




 舟下りの船着き場がありますが、船は半分浅瀬に乗り上げたような格好で留まっています。水量が減って、この場所からは乗れないようです。確かに、川は悠々と流れていますが、手前側の岸辺は石がゴロゴロした河原も広がっています。





 遊歩道はつり橋が通行止めになっていたので一周できずに途中で引き返さなければならなかったのが残念でしたが、つり橋を通らなかったおかげで見ることができたのが桜の標準木。



 駅からすぐで手軽に名立たる天竜峡を楽しめてよかったです。

遊歩道沿いに焼き物のカップがたくさん置かれた喫茶店があったので、そこでお茶して駅に戻ろうとすると、雲行きが怪しくなってきました。駅に戻って待合室に入るやいなや雷を伴った凄い雨が降り出してきました。全開にしてあった待合室の窓から雨が吹き込んできて、周囲の人たちと一緒に慌てて窓を閉めました。豊橋までの特急券を窓口で買い、あとは電車の時間まで待つだけ・・・のはずでしたが、発車10分前に改札を入ろうとすると、「まだ入らないでください。電車が飯田を出ていないので」と、止められました。飯田と天竜峡の間ではもっと激しい雨が降っているようです。これから向かう方向ではないのですが、特急はそちらから来るので乗ることができません。次の普通列車の時間が近くなってきましたが、その普通列車も同じ方向から来るのでいつ乗れるかわからなくなってきました。天竜峡での1泊を覚悟し掛けたころ、普通列車の案内のアナウンスがありました。止めてあった車両を使って運転してくれるようです。電車は天竜峡を出ると、山岳地帯を流れる天龍川に寄り添うように走ります。舟下りの終点の時又、秘境駅で有名な小和田など丁寧に停まりながら進みますが、とにかく動いてくれることに有難さ感じていました。すっかり夜になっていましたが、車窓はだんだん都会の景色に変わって眩い照明の豊橋駅に到着しました。
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夏目漱石没後百年 坊っちゃんの舞台松山を訪ねて

2016-11-20 00:34:46 | 旅行記
 タイトルを見て、純文学について書かれていると思われた方がいらっしゃいましたら、ゴメンナサイ(^_^;)
 今年の旅仲間との旅行の行き先が愛媛県の松山だったのです。

 2016年11月11日、冷たい雨降る東京を飛行機で飛び立ち、一路松山へと向かいます。厚かった雲のじゅうたんが、静岡あたりからだんだん薄くなって青い海と緑の陸地、その間に広がった街が見えてきました。


名古屋付近


大阪付近


小豆島


しまなみ海道


瀬戸内の島々はどこもきれいな砂浜があります


飛行機の影、もうすぐ着陸です


松山空港に到着すると、迎えてくれたのは大きな愛媛みかんジュースタワー


愛媛国体のキャラ「みきゃんちゃん」


みかんのステンドグラス

そして、「お遍路さん更衣室」や「投句ポスト」もあって、四国に来たんだなぁという実感が湧いてきました。





 空港からは送迎車でホテルへ。だんだん大きな建物が増えてきて、市街地から道後温泉の一角をかすめ、ちょっと急な坂を上った坂の上の雲…ならぬ坂の上のホテル「湯快リゾート 道後彩朝楽」に着きました。



 通された部屋は床の間付き12畳半にソファーのある廊下があって、5人泊まるには丁度良いサイズです。ベランダからは松山市内が一望でき、ちょっと遠目ですが松山城もみえます。昼と夜を見比べてご覧ください♪










 早速、道後温泉界隈の散歩に出かけました。循環バスを降りると、路面電車の駅とは思えないほど立派な「道後温泉駅」が迎えてくれました。小説「坊っちゃん」に書かれた「マッチ箱のような汽車」を再現した「坊っちゃん列車」、吾輩は猫であるを連想させる猫(これは松山が舞台じゃないけど…)、街頭で念仏を唱えるお遍路さん、松山らしさを堪能しました。
 夕食は盛り付けのセンスが問われるバイキング形式、並べられたおかずの種類が多くて9分割のお皿では取りきれませんでした(^_^;)











 このあとは宴会?温泉?と思いきや、私は別行動して市内の「イヨテツスポーツセンター」を目指します。たまたま、愛媛県カーリング協会の練習日が旅行と重なっていて、お邪魔することが出来たのです\(^o^)/





 愛媛県唯一のアイススケート場のサブリンクには、しっかりとハウス(カーリングの的の円)が描かれています。翌日に「西日本オープン」があるため、練習参加者は私を含めて3人で、しかも一人は車で2時間半もかかる高知からいらしていました。
 まず、ストーンを倉庫から台車で運び出し、整氷車が入ったあと、氷上の水をスクレーパーで掻きだし、ペブル(水)を撒き、ハック(蹴り台)を貼り付けたりなどの整備をしますが、それにリンクの貸し切り時間の半分近くを費やします。東京の場合は、これにハウス描きが加わりますが、人海戦術が使える分だけ楽です。
 サブリンクなので長さはかなり短いですが、一般にスケートリンクはカーリング専用シートよりもストーンの滑りが悪く、感覚的には普通よりもちょっと強めに投げると届く感じでした。むしろ、東京のリンクよりも傾斜が少なく、ストーンが傾斜に流されることがないのはよかったです。3人しかいないので、投げる順番がすぐに回ってきて、短い時間の中で効率よい練習が出来ました。来年の愛媛国体では、デモンストレーション競技でカーリングも行われます。機会があれば、来てみたくなりました。
 ホテルまで車で送ってもらうと、23時。。ここで初めて温泉に浸かりましたが、氷上で冷えた身体にお湯が沁みないように掛け湯を何杯もかけて入りました。


 翌日はまず松山城へ、姫路城や松本城のように創建当時の天守が残っているお城です。築城したのは加藤嘉明氏、私と同じ姓ではないか!こんなことも知らずに松山を訪れたのが恥ずかしい(^_^;)



 この松山城、市内にある勝山という標高132メートル程の山にあり、麓と山の間にロープウェイとリフトが通っていて、私たちはロープウェイで登りました。山頂駅から緩い坂を上ると、広々とした平地が広がり、その先に小天守が聳えています。標高132メートルでも眺めはよく、松山の市街地が手に取るように見えました。





 門をいくつもくぐり、お城独特の鉤の手に曲がった通路を進み、小天守のある建物に入ると、昔の建物らしく超急な階段が待ち構えていました。万が一、上から人が落ちてきても大怪我しないように、手すりをしっかり握りながら上りました。小天守からの眺めはこんな感じ・・・、泊まっている道後温泉方面の景色もよく見えました。





 愛媛では、蛇口から水じゃなくてミカンジュースが出ると言われていますが、小天守から下りた広場にありました!



 昼食は出雲屋さん(うなぎにひょうたん弁当のいづもやじゃないです)で、鯛のアラ煮定食をいただきました。甘く煮込んであって美味しかったです!



 道後温泉本館、「千と千尋の神隠し」の温泉施設のモデルといわれている風格ある建物には夏目漱石も訪れていて、神の湯には「坊っちゃんは泳ぐべからず」の看板、3階には「漱石の間」があります。入浴後は、休憩室でお茶と瓦せんべいでのんびりしました。










 道後温泉界隈でみつけた、坊っちゃんにまつわるお店・・・。

坊っちゃんゆかりの宿



喫茶「赤シャツ」



喫茶「ニューマドンナ」



 「坊っちゃん」には、松山のことは決してよく書かれていません。松山の中学校の数学教師を辞めるはめになった坊っちゃんは、彼を陥れた教頭の赤シャツとその取り巻きの野太鼓を殴って松山を後にしているし、船で松山を離れるシーンでは「不浄の地を離れた。船が岸を去れば去るほど、いい心持ちがした」と、散々な書かれようなのです。それでも、松山で坊っちゃんが愛されているのは、何故なんでしょう?「吾輩は猫である」のように長編で全文読んでいる人が少ないのだろうか、いや「坊っちゃん」それほど長くはない。作品の内容をも凌駕する威光が夏目漱石にあったのか、その答えは、小説の中の坊っちゃんの正義感、真っ直ぐな姿勢にあると、とある資料に書かれていて納得しました。



 松山はもうひと方、日本を代表する文人「正岡子規」の出身地です。最後に行ったのが「子規記念館」。俳人として有名ですが、新聞記者でもあり、ベースボールを野球(自身の本名が“のぼる”だったことから野ボールと洒落た)と訳し、更に一塁手などの野球用語の和訳もされたという多彩な才能を発揮していました。そして、子規は政治家を目指して東京帝国大学在学中に夏目漱石と親友になったそうですが、夏目漱石は親友の出身地を“不浄の地”と書くほど子規と親しかったのか、はたまた自らの名を「枕流漱石」(流れを枕に、石で口を漱ぐ)に由来して付けた偏屈な面があった故なのか、新たな疑問が湧いてきたのでした。

 最終日、飛行機の便が早くて、観光はせずに空港へ向かい、何となく物足りなさを感じながら機内に乗り込みました。不浄の地ならぬ清浄の地を離れ、飛行機が空港を去れば去るほど寂しさを感じていました。でも、昼間の飛行機ならではの光景、富士山をしっかり見ることができてラッキーでした。次に愛媛に行くのは、愛媛国体かな???
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忙しい人のための奈良♪

2016-10-18 17:00:00 | 旅行記
 関西で思いがけず時間が空いてしまったというときに、奈良がお勧めです。奈良市内の見どころは、1つのエリアにかたまっているので、効率よく回ることができます!中学校の同窓会直後で、当時の記憶に残る場所も訪ねてみました。

 スタートは近鉄奈良駅。大阪や京都から1時間と掛かりませんが、そこは古都奈良です。地下鉄の駅みたいですが、地上に上がると奈良公園の端に出ます。
 まず、向かったのが春日大社、20年ごとに本殿の立て替えを行う式年造替(遷宮とは異なり、場所は移さずに本殿を立て替える)を来月に控えて、神様は仮本殿に祀られていました。

奈良公園といえば鹿。。


東大寺大仏殿

初めてここを訪れた中学校の修学旅行のとき、大仏殿は昭和大修理落慶の直前でしたが、その落慶法要の写真がありました。


二月堂


大仏池

修学旅行のときに池の中を歩く鹿をみつけて撮影したのがここ!警備の方に夕日が沈む方向を聞いたりして見比べてみるも、池の畔には最近できたような段差があったり、樹木の感じも違っていて・・・
これが、そのときの写真。。


興福寺


このあと、興福寺国宝館で父が好きだった「阿修羅像」を拝むと、夕方に。。いろいろ巡った割には慌ただしさもなく、とっても濃縮された一日でした(*^_^*)
 思ったよりも気軽に巡れる奈良市内、機会があったら如何ですか!
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リフレッシュ at 遠刈田温泉

2015-11-30 21:51:38 | 旅行記
 勤労感謝の日を含む3日間、旅仲間4人で宮城県の遠刈田温泉(とおがったおんせん)に行って来ました。。



 東北新幹線の仙台駅から、七福神が湯浴みしているラッピングかわいらしいマイクロバスで、市街地を通り、郊外へ出て、更に山道を揺られ1時間20分ほど、固いシートでお尻が痛くなってきた頃、山間の盆地に開けた遠刈田温泉に着きました。宿泊先は「さんさ亭」。三畳、八畳、四畳の3部屋にソファーがある広縁と、4人でこんなにスペースを使っちゃっていいの?というくらい広々とした部屋で、luckyでした。
 お風呂は内湯と露天が男女それぞれ1ケ所ずつでしたが、こちらも広々していて気持ちよかったです♪

 食事も適量で、東北にしては薄味で美味しかったです。
 夕食はこんな感じ・・・













 遠刈田温泉は仙台と蔵王の間にあるのですが、蔵王への道は既に冬の通行止め期間にはいっていたので、温泉街周辺の散策。。


 歴史を感じさせる「豆腐屋さん」


 外湯「神の湯」


 変わった形の生け垣


 神社への道には熊に注意の看板が・・・。


 カニと鰻が戦った伝説があります


 神社の下には源泉がこんこんと湧きでていました。


 松川の流れ


 橋のたもとには大きなこけし


 こけし館(東北といえばこけし)


 昨年は電車が運休になるトラブルがあったのですが、今回は昼食を求めてハプニングがありました。。
ホテル周辺は商店や飲食店が多く、お食事処には事欠かない感じでした。昼食を食べようと、新しい感じの食堂の扉を開けて中に入ると、店員さんの姿が見えません。奥に進むと、席は3分の1ぐらい埋まっており、空席には食べ終わった食器が置かれたままになっています。どうしようかと思っていると、店員さんがやって来て、「時間掛かりますけど、よろしいですか。」と仰るので、「お一人でされているのですか?」と尋ねると、「そうです」とのこと。これ以上、忙しい思いをさせるのも気の毒なので、店をあとにしました。
 次に入ったお店は、手打ちそばと中華そばの看板を掲げており、「温泉に来たら日本そばでしょ!」と、暖簾をくぐると、おじさんが出て来て「すみません。中華そばだけになるんですけど、いいですか?」と言うではないか。手打ちそばの看板を見た瞬間に、「日本そばを食べたい!」という気になっていたので、ここでも「すみません。」と、退散しました。
 そのあと、2件ほど覗いたのですが満席でした。野菜や魚などの生鮮食料品から日用品まで扱っている小さなスーパーのようなお店で、メンバーのひとりが山芋をお土産に買い、近くのお勧めの飲食店を聞いたところ、ホテル近くに良心的なお店があると教えて頂き、そこへ行くと、夜は居酒屋になるお店で、雰囲気は居酒屋な感じでしたが、日本そばに香の物、冷や奴やデザートが付いてボリュームがあって、美味しかったです。





 この日の夕食は鍋しゃぶでした。

 最終日は松島へ行く予定だったのですが、残念なことに雨でした。雨の松島の悪くないと思いますが、同じ宮城県内でも遠刈田温泉からは3時間もかかるし、傘をさしながらの観光もしんどいと、中止することにしました。
 雨の時の予定を考えていなかったので、仙台では時間を持て余してうろつくことになりましたが、最近は休日も忙しく動き回ることが多かったので、久し振りにのんびりとリフレッシュできた旅でした。。

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走る応接間で北の大地へ♪

2014-12-23 10:31:49 | 旅行記
 さだまさしさんは中学生の時、バイオリンを学ぶために単身で故郷の長崎を離れて東京に暮らしており、長崎行きの急行雲仙号で22時間掛けて帰省したと、コンサートで聞いたことがありました。その際にさださんは「今じゃ22時間掛かるところっていったら東京からブエノスアイレスですよ!」とも付け加えていました。

ブエノスアイレスじゃなくても今の日本国内で22時間の旅ができる「トワイライトエクスプレス」に乗りました。

「トワイライトエクスプレス」といえば豪華な個室寝台で有名ですが、乗ったのはBコンパートメントというリーズナブルな寝台でした。それでも、カーペットが敷かれた床に夜はベッドになる座席は奥行きがあって応接間に座っているような感じでした。広さがあるので同じ姿勢で座っているのに疲れたら荷物を背もたれ代わりにしたり、靴を脱いで横座りしたりできるので楽でした。

 長時間乗っていても飽きさせないように施設も充実しています。さっそくパブリックスペースのロビーカー「サロンデュノール」に行ってみると、ソファーはみんな人が座っていました。ただ、先を争って場所取りをしているような雰囲気ではなく、どこかゆったりした感じなのです。まもなく食堂車がオープンすると多くの人がそちらに吸い込まれてスペースが空いてゆっくり座ることができました。スイスの氷河特急を思わせる天井近くまで大きく取られた窓と日本海側に向けて配置されたソファーが旅気分を盛り立ててくれました。そして、車掌さんたち手作りの記念スタンプ。北海道の四季を描いてあって、四季を通して北海道に行きたくなるようなデザインでした。

 食堂車ダイナープレアデスはディナータイムのフランス料理フルコースは事前予約制ですが、ランチタイムは予約せずにいただくことができます。オープン直後は混雑するけど、時間が経てばそれほど混雑しないのではとランチタイム終了30分前に行くと、思った通り待つことなく中に案内されました。

入り口のステンドグラスや照明が素敵でした。

以前、食堂車は新幹線や特急列車にもありましたが、列車のスピードアップや長距離の客が飛行機にシフトするなどして列車に長時間乗る機会が減り、一方で自由席に座れなかった客がコーヒー1杯で延々粘ったりして採算が厳しくなって次々と姿を消していき、今ではこの「トワイライトエクスプレス」と「カシオペア」と「北斗星」だけになってしまいました。そのうち、ランチが頂けるのは「トワイライトエクスプレス」だけです。その貴重なランチにビーフシチューを頂きました。運ばれてきたビーフシチューを手元に寄せようとお皿に触れるとほんのり暖かい。ビーフシチューの暖かさではなく、お皿をあらかじめ温めてある暖かさでした。甘めのソースが口いっぱいに広がって、とっても美味しかったです♪


 列車の方は来春開業する北陸新幹線の車両基地を横目に金沢に到着。金沢には学生時代と社会人になった直後に訪ねていましたが、駅もすっかりリニューアルされて当時の面影はありません。金沢だけでなく、福井も富山も新幹線の駅のような高架駅になっていて時の流れを感じさせられましたが、金沢の先の海側に広がる平野の風景や夜行列車を降りて眠い目をこすりながら能登方面の列車を待った津幡駅などの見覚えのある景色にも出会えました。

 「トワイライトエクスプレス」の名は日本海に沈む夕日に由来しているそうですが、この冬の日没が早い季節には日本海ではなくて列車が走る後方の山に夕日が沈みます。もっと日が長い季節に乗ってみたいと思いますが、残念ながらこの「トワイライトエクスプレス」は来年3月で姿を消してしまいます。利用客が減ったわけではなく、車両の老朽化が引退の理由とのことですが、確かにカーペットや寝台のモケットはリニューアルされて綺麗になっていても隣の車両との仕切りのドアなどは古い車両のそれで何となく納得しました。

 冬の夕日が沈み夜の入り口に差し掛かったころ、列車は新潟県に入ります。新潟県は冬のスキー・スノボに夏の海など、私にとっては馴染み深い県です。その新潟に入って最初に停まる駅が直江津で、10分停車します。ほかの駅では長くても3分程度しか停まっていないので、多くの乗客たちはホームに降りて体を伸ばしたり、列車の先頭に行って写真を撮ったりしていました。私も撮ってみましたが、暖かい車内から寒い外に出たのでたちまちレンズが曇ってしまい、綺麗に撮れたのは2枚ほどでした。




 学生時代の友人が住む柏崎はあっという間に通過しました。その友人を訪ねたとき偶然に通過する「トワイライトエクスプレス」を見かけたのですが、季節が5月だったので明るい時間帯でしたが、今日はすでに夜の暗さになっています。それでも泊まったグリーンホテルの明かりは車窓から確認できました。あれから、中越地震、中越沖地震と2度の震災を経ており、メールで無事は確認したものの実際に高層のホテルが無事だったのを確かめられてよかったです。

 新潟県の新津を過ぎると北海道の洞爺まで列車の乗降はできなくなります。日本有数の穀倉地帯でコシヒカリの田圃が広がっているはずですが、すでに外は闇で何も見えません。そんな中を私は目を凝らして車窓を見ていました。街の明かりが増えてくると駅があり、白鳥の湖「瓢湖」がある水原、画家の蕗谷虹児を生んだ新発田、ふる里会に入っている関川村への入り口の坂町、粟島へ行くのに立ち寄った村上と懐かしいスポットを列車は甲高い汽笛を響かせながら通過して行きました。

 鶴岡を過ぎるあたりで「夜も更けてまいりました。お休みの時間帯に入りますので明日の朝、洞爺到着までアナウンスは行いません。」のアナウンスが入ったのを機に寝台に入って眠ることにしました。朝食は6時から予約しているけど、アナウンスは7時近くまでないので自力で起きなければならないので眠気がきた勢いで寝ようとしましたが、起きているときはさほど気にならなかった列車の揺れが気になり、深夜でも青函トンネルの前後での機関車の付け替えなどがあって、そのたびにガクンと衝撃があるので何度か目を覚ましました。
人が通路を通る気配がして、時計を見ると5時半を回っていました。途中で何度も目覚めた割にはすっきりしていたので、ある程度は眠れたようです。身支度を整えて食堂車へ向かいました。外はまだ暗いです。6時になる15分ほど前に食堂車の隣のロビーカーに行くと、一般のお客さんから「6時から予約の方ですか。もう入れますよ。」と言われました。食堂車に入るとスタッフさんは前日と同じ顔触れで、私の名前で呼ばれて前日のオリジナルグッズ販売のことで問い合わせたことについて「買えましたか」と尋ねてくださったのでびっくりしました。車掌さんは青森で交代と聞いていましたが、食堂車のスタッフさんは通し勤務のようです。

「トワイライトエクスプレス」の定員は140人ほど、それを調理場にいる人も含めて4~5人のスタッフで担当、食堂車での食事の手配がランチ、ディナー、パブタイム、モーニングの4回、ディナーの席の確認、モーニングの席の予約、予約したお弁当の配達、グッズ販売などを揺れる車内でそつなくこなさなければならず、本当に大変な仕事だと思います。

 朝食は洋食にしましたが、カットフルーツが入った食前のドリンクに始まり、胡麻和えサラダに温野菜、中華粥の小鉢、チキンなど高級ホテルの朝食のようなメニューでそれらが初めから並べてあるのではなく、食事の進行に合わせて運ばれてくるので朝から大満足でした♪
朝食が済むと、外はだいぶ明るくなってきて内浦湾の朝日を見ることができました。屋根に煙突がある家が立ち並び、とうとう北海道に来たんだなぁという実感が湧いてきました。


 列車は順調に走り、北海道最初の停車駅洞爺に停まります。駅名板の下に袋に入った紙の束のようなものが下がっているのが見えました。「あれは何だろう」と思いながら見ていると、スタッフさんが小走りで列車から飛び出すと、それを取って戻ってきました。袋の中身は朝刊でした。案内のアナウンスも再開され、左側に見える有珠山と昭和新山を紹介していました。昭和新山は畑から突然噴煙が上がって地面が隆起して僅か2~3年で山になってしまったというものすごい話なのに最近は有珠山や御嶽山が噴火してもさして話題にされることもなく、「自然災害の風化ってこんなことなのかなぁ」と考えさせられました。今、右手に見えている内浦湾も噴火湾という別の呼び名がありますが、名前とは裏腹に波もなく穏やかな海が続いていました。

 室蘭の市内に入るとのどかな海岸風景が一転して工業地帯に変わり、列車は東室蘭に停まります。本家の室蘭はここから手前方向に枝分かれした室蘭半島の先端近くにあって、本土との間をショートカットするように架けられた室蘭大橋の一部も見えました。
再びのどかな景色に戻って、サラブレッドの聖地の社台、アイヌ集落の白老と北海道らしいエリアを走ります。白老は数か月前に大雨の被害を受けたところで、川を渡る橋の橋脚には木の枝や葦などが絡みついていました。
列車はもっと乗っていたいと願う私の気持ちをよそに着実に札幌を目指します。苫小牧で海と分かれて北へ向かい、千歳空港に近い南千歳を過ぎると大きな建物が増えはじめます。「いい日旅立ち」のメロディーが流れて、札幌到着のアナウンス。静かに流れる豊平川を渡るとゆっくりと札幌駅に到着しました。

 重い荷物を持って、一歩一歩大切に踏みしめるように列車から降りました。



車窓やサロンデュノールから流れる景色を眺め、ランチとモーニングを堪能し、夕日と朝日を拝み、大満足の札幌行きでした♪

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