on-ice off-ice

氷上のスポーツ、カーリングをやっています!カーリング以外のことも書くのでon-ice off-iceです!

始まったばかりのドラマの聖地めぐり

2024-10-19 21:10:47 | 日記・エッセイ・コラム
 由布岳に行くことになったけど、どうやって行こうか。私以外は関西や三重からで、夜行バスや新幹線で向かうというのですが、夜行バスに乗るには東京を昼過ぎに出なければならないし、とりあえず新幹線でと言うと片道3万円超えてしまいます。これでは飛行機の安い便の方がよいのではと料金を調べると、3連休の初日なので高い、高い。どれくらい高いかというと、前の日の安い飛行機で行って1泊してもお釣りがくるくらい。ならば、はるばる九州まで行くのだし、前入りしてしまえ~。と、残り少ない早割りの飛行機と福岡市内の宿を押さえました。
 これで行きの足は決まったけど、別府でみんなと合流するまではどうしよう。別府は行ったことがあるので除外するとして、国東半島は1日あっても回り切れない、耶馬渓なら福岡を朝に出て集合時間に間に合いそうなのですが、時間的な余裕が全くない。レトロタウンの門司港も行ったことがあるし、未踏の地でよさげなとこは、中途の地よりも朝倉、糸島半島、能古島など福岡市近辺の方がありそうです。これらをネットで調べると、糸島半島は9月末に始まった朝の連続テレビ小説「おむすび」の舞台ではないか!始まったばかりでは、まだ人が押し寄せてはいないだろうし、聖地になる前に聖地巡りも悪くなさそう、魏志倭人伝の伊都国の地でもある糸島半島に行くことにしました。

 で、その「おむすび」ってどんな話なんだろう。始まったばかりでわからないことだらけですが、主人公は米田結、まさか結をむすびと呼ぶのではと思ったけど、「よねだゆい」とカナが付いています。(ドラマでは“むすび”というニックネームになっていた)平成元年生まれで、阪神淡路大震災を経験しており、育ったのは糸島とあります。阪神淡路大震災は1995年(平成7年)なので、小学校までは神戸育ちでその後に糸島に越してきたようです。7つ上のお姉さんが博多で伝説のギャル、主人公の通う高校の野球部は強豪校に敗れる。福岡県では糸島のほかに天神の商業施設や公園もドラマの舞台になっている。このくらいの予備知識を持って糸島へ向かいました。



 そして、迎えた当日、飛行機は海の中道とそれに続く志賀島を右に眺めながら、建物に触れそうな低空飛行で福岡空港に着陸しました。福岡空港は便利がよくて、地下鉄に2駅乗れば博多、4駅で市の中心地の天神に行くことが出来ます。

 福岡の地下鉄は駅ごとにピクトグラムが付けられていて、福岡空港は雲をバックに飛行機が飛び立つ絵が描かれています。


陸上競技場のある「赤坂」は、カタカナのアの字で走る人を表しています。

大濠公園、舞鶴公園、西公園といった桜の名所を控えた「大濠公園」は、桜の花。

「西新」は、アルファベットのNの先端がペンと鉛筆で学生の街を連想させますが、実際にミッション系の西南学院大学と藩校に由来する修猷館高校があります。

 終点の「姪浜」は、近くにヨットハーバーがあるのでヨットの絵。

 「博多」は献上品の博多織。

 勇壮な祇園山笠が開催される「祇園」は、水法被を着て走る人。

 「天神」は、天神様の梅の花ですが、後からできた七隈線の「天神南」は、通りゃんせをする子供で、デザイナーの苦労が垣間見えます。


 その地下鉄は、JR筑肥線に乗り入れているので、糸島半島の付け根にある筑前前原には電車1本40分程で行くことができます。
 筑前前原、九州地方らしく“ちくぜんまえばる”と読みますが、駅にはショッピングセンターが併設されていて、商店街もあって賑わっています。主人公が利用する駅は、筑前前原より先の一貴山ですが、半島めぐりをするには前原が便利です。。

 駅前からバスに乗り、半島の集落の1つの芥屋(けや)へ向かいます。バス停を降りると、「な、なにもない・・・。」googleマップを頼りに庭先にカヌーや釣り具が置かれた夏季限定の民宿、閉店中の魚介類を扱う食堂、海岸の駐車場などに混じって民家も多く見られます。生垣に囲まれて小さな庭があって車が1台か2台置かれている家で、おそらく結はこんな家に住んでいるのでしょう。さらに進むと、白い砂浜に透き通った海が目の前に広がりました。砂浜でこんなに透き通った海は珍しく、それが福岡の中心部から1時間程度のところであることにも驚きました。



 海岸は変化に富んでいて、砂浜とは対照的に波が岩を削ってできた「芥屋の大門」が近くにあるのですが、それを見る船は“欠航”の看板が出ています。波は立っていますがそんなに厳しいい状況なのかと思っていると、地元の人たちが「今日は大荒れだ」「これはひどい」と言っているのを聞いて納得しました。芥屋の大門は諦めて、近くにある「トトロの森」と呼ばれるところを目指して歩くと、映えスポットの天使の羽が描かれた壁がありました。


 「トトロの森」がある大門公園に着くと、海に向かった大鳥居があり、そこをくぐって海岸を覗くと黒い岩がごろごろする海岸に大波が打ち寄せています。外海なのか、先ほどの砂浜とはえらい違いで、「今日は大荒れ」が嘘でないことを再認識しました。



 「トトロの森」は、大門公園の森を切り開いて作った展望台へと続く道で、いかにもトトロが出てきそうな森ということで名付けられたそうで、トトロのオブジェはないですが、映画のシーンを思わせる雰囲気はありました。学校の朝礼台をひと回り小さくしたような展望台に上がると、下からは見えなかった海が左右に広がり岬の先端近くにいることを認識できます。遠くの水平線まで見渡せ、しつこいようですが、ホントに福岡の中心から1時間の場所にいるのかと思わせる風景でした。
展望台
正面
東側

西側

 夕方16時過ぎに筑前前原を出ましたが、17時には天神に着いていました。ローカルチックな糸島からとっても近い天神界隈、遊べる場所が近い故にいろいろなドラマが生まれそうな予感がします。ドラマが始まったばかりで聖地巡りをしてしまいましたが、逆に検証するためにも見れるときは見ていこうと思いました。

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由布岳に登りました!

2024-10-19 17:37:04 | 日記・エッセイ・コラム
 ハイキング仲間の一人が大分に転勤になって数年が経ちました。転勤当初に「大分にいる間に1回は行きましょう」とは言ったものの、コロナ騒動に翻弄されて延び延びになったいましたが、ようやく実現することになりました。

 今回のメンバーは現地の1名を含めて8名、それぞれ夜行バス、新幹線、飛行機などの色々な手段で別府に向かいました。私以外は近畿関西圏からで、東京からの私は飛行機で福岡入りし、福岡に前泊して、新幹線組が乗る特急で別府入りしました。

血の池地獄

地獄蒸しプリンの店舗


地獄蒸しプリン

温泉卵もありました

 別府で新幹線組と現地の方と合流して、血の池地獄を見て、明礬温泉で地獄蒸しプリンを頂き、夜は夜行バス組と前入りして高千穂を回ってきたメンバーと全員そろっての会食で、積もる話の花を咲かせていました。


竹瓦温泉

 翌朝、天気は予報通りよさそうです。6時起きで朝食、7時過ぎのバスでやまなみハイウェイ、城島高原を経て由布岳登山口に到着しました。



 草原の先に目指す由布岳が聳えています。山頂付近に少し雲が掛かっていますが、今まで麓から見てこういう状態でも山頂に着いてガスが掛かっていたことはないので、この経験工学?によればなんとかなりそうです。トイレに行き、登る準備をしていると、登山パンフレットを補充に来た職員さんに「気を付けてくださいね。3年前に亡くなった人がいますので」と言われ、気を引き締めます。登山者名簿に名前を書き入れ、緩やかな草原を歩き始めました。坂が緩いので快調に進みますが高度を稼げないもどかしさも感じます。草原が終わり、樹林帯に入るとやや急な上りになって登山道らしくなってきます。途中までは道が広めでしたが、つづら折れになる辺りからは狭くなり、すれ違いや追い越し、追い越させで難儀するシーンが出てきます。家族連れや犬を連れた方もいらっしゃいます。麓の景色はあまり見えないのですが、谷寄りの草木が途切れて見晴らしがよくなったあたりでは、登山口で由布岳の左に見えていた飯盛ヶ城のすり鉢を伏せたような形のピークを見下ろすようになっていて、時間的にはまだまだ先は長いはずですが登ってきた感があって励みになりました。



 やや急な坂道を進んで行くと、前の方で休憩している人たちがざわついています。聞くと、休憩していたら人と人の間に石が転げ落ちてきたと言います。「もうちょっとこっちで休憩していたら直撃していた」と不安気でしたが、とにかく無事でよかったです。とはいうものの、そこからは山側の茂みで石の落ちる音がしないかと耳を傾けるようになりました。
 このメンバーでは、ここ数年はスキー場のリフトから上って行く感じの登りやすい山に行くことが多く、本格的な山は久し振りでしたが、みんな元気に登っています。それでも疲れは徐々に出ているようで「もう少しかなぁ」と言うと、何度も登っている大分在住の方が「まだ分岐まできてないから、結構あるよ」、「えーっ!」といった感じでした。



 その分岐は、下から見ると頂上のように見えていたあたりにありました。由布岳の山頂は東岳と西岳に分かれていて、その分かれ道のことです。西岳は鎖場の続く険しいコース、東岳はやや急になるとはいえ比較的登りやすいコースになっています。更に東西の山頂をぐるりと結ぶコースもあって、そこは地図にも危険と書かれていて、今朝聞いた死亡事故が起きたのはこのコースです。我々が目指すのは緩やかな東岳ですが、ここでエネルギー補給(昼食)をすることにしました。昼食で元気が復活したのか、東岳に続く道は急でしたがさほど辛くなく、山頂に到着しました。ガスはかかっていません。天気が良ければ遠く熊本の方まで見えるそうですが、今日はそのあたりが雲にかすんでいるものの、登山口から谷あいに拡がる由布院の町が見えていて、よい眺めです。山頂は狭い割に人が多く、分岐点で昼食をとっておいたのは正解でした。



 下山は、今来た道を引き返しますが、上りでは気付かなかった植物を見つけたり、上りの時にあった忘れ物の手袋、「きっと下山のときに持って帰るために置いてあるんだよ」といったけど、そのまま置いてあったりして、同じ道を通るなりの発見?があるようです。上りの時は励みになった飯盛ヶ城のピークを見下ろす地点を過ぎ、麓が近くなって樹林が濃くなってくると、左右からか細い動物の声が聞こえてきました。声の主は鹿で「奈良と違って野生なので鹿せんべいはあげないで」と、メンバーのひとりが言う。鹿は1頭や2頭ではなく、間隔を置いて数頭います。伊吹山では、下草がなくなった一帯があって鹿がみんな食べてしまったというように鹿はかわいらしくみえるけど害獣とされているのです。
 草原地帯まで戻って、あとは登山口目指して一直線。全員無事に下山しました。

 この日の宿泊は、やまなみハイウェイで由布院の町の手前にある「ゆふいん 七色の風」でした。温泉は内湯、露天ともに泳げるほどに広く、山の疲れをとってくれました。料理も素晴らしく、大満足でした。

ゆふいん 七色の風

夕食


朝食

 翌日は、バスで由布院の町に降りてお土産屋さんを回り、帰りの指定席はメンバーがまとめてとってくれているので由布院駅で東京までの乗車券を購入しました。乗り換えの大分でお弁当などを調達し、ここで現地メンバーとお別れ、小倉へ出て新幹線に乗り込みました。昼近くまで九州の真ん中にいて、飛行機を使わなくても夕餉時には東京に帰れるのはありがたいです。

由布院駅

今回は行かなかったけど湯気を上げる金鱗湖

 まとまった人数でわいわいやりながら過ごせて、とっても楽しい由布院行きでした。
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東京都選手権・・氷の外で大失敗(^_^;)

2024-06-01 19:32:18 | 日記・エッセイ・コラム
 軽井沢で年間通してカーリングが出来るようになったのは2012年からで、それ以前は秋から春にかけてがシーズンでした。つまり、軽井沢が賑わう時期にカーリングで軽井沢に行くことはなかったのです。

 コロナ騒動が5類に落ち着き、円安も進んで、インバウンドマーケティングが拡大されて外国人観光客が押し寄せる中、2024年5月に軽井沢アイスパークで開催されたカーリング東京都選手権は、軽井沢でのハーフマラソン開催とも重なって、宿泊先の確保が難しい状態に陥りました。
 軽井沢は元より隣接する佐久や小諸でも宿泊施設が取りづらい状況の中、「東京都の区の施設は余裕があるらしい、その区に住んでいなくても泊まれる」という話が流れてきました。
 ネットで検索すると、まず宿泊施設のページ、なかなかよさそうです。予約をしようとすると別のページに飛びます。確認すると、1つ目の施設は満室ですした。次に表示されている「武石本館」をクリックすると空室があったので、予約してひと安心。

 当日、1回戦に敗れて午後の試合がなくなったので、他の試合を見たりして過ごしていました。公営の宿泊施設で事前に宿泊者名簿を記入しておく必要があったので、みんなに名前等を書いてもらおうと取り出したとき、予約番号の記入が必要だったので確認しようとして予約メールをあらためて見て、「あれ?これもしかしたら軽井沢ではない?!」あらためて、その施設のWebを見ると長野県上田市になっているではないか!!
 上田市は軽井沢と長野の間にあって、確か新幹線でも軽井沢から2駅だったはず、車で1時間も走れば行けるはずと、メンバーにことの経緯を説明してお詫びして、地図情報を調べると現在地から50キロメートル、1.5時間もかかるようです。それでも、今から行けば、日が落ちる前に着けそうで、翌日の試合も遅めなので普通に朝食食べて出れば充分間に合うことはわかりました。

 いざ出発すると、道は渋滞しています。長野から軽井沢観光に来た人たちが帰るタイミングとぶつかったようです。国道を外れ、林や畑の中にたまにレストランが現れる県道を進み、ある程度行くと街があるような景色の繰り返し、ナビの示す目的地までの距離がなかなか減ってくれません。残り10キロを切る頃、県道からも外れて人家もまばらになった農道のような道になり、その先にダートになった道が見えてきた頃、「目的地です」とナビがいう。「いや、何もないんですけど。」辺りを見回しても人家がぽつりぽつりあるだけで、間違っても大きな宿泊施設があるとは思えないようなところなんです。地図を少し縮小して施設名を発見すると、目的地を再設定。農道から丘の方に向かって進路を取ります。いきなり数台の車とすれ違い、道を譲ったり譲られたり、そうこうしているうちに丘の中腹に造られた宿泊施設に到着しました。

 チェックインを済ませて部屋に入る。のんびりした温泉旅館の雰囲気である。数時間前にカーリングの試合をガチで行っていたことが夢のようである。でも、みんなには「すんません。こんなところまで来させちゃって。」と、謝るしかない。。
 少年サッカーチームの合宿で来ている子供たちが多少賑わっていますが、全体的には空室が目立ち、静かである。とにかく、これで今夜の宿泊は確保できたので、ゆっくり休みます!

 こんな風に、ある意味大きな影響はなかったとはいえ、これが試合終了が19時だったり、もっと遠い場所だったりしたら、当日キャンセルして高崎あたりに泊まったりしなければならなかったかも知れなかったと思うと、ぞっとします。
 あらためて、Webを見ると確かに軽井沢の施設から予約のページに行くと、その区の宿泊施設を一括した予約のページになっています。軽井沢はメジャーな地名ですが、他の施設はマイナーな地名だったので、その地区の字か何かで同じ敷地にある施設だろうと勝手に思い込んで予約してしまったのが間違いだったとわかります。

 飛行機も新幹線も宿泊もWeb予約の時代、旅行会社の窓口のように相槌を打って確認してくれる店員さんはいません。

 気を付けます!!

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奥伊勢にて・・・

2024-05-25 15:32:20 | 日記・エッセイ・コラム
 2024年の大型連休は、ハイキング仲間と一緒に、メンバーが定年後に住んでいる実家がある三重県奥伊勢に行きました。伊勢神宮の南、宮川という大きな川が緩やかに流れる景色のよいところです。

 道の駅と列車の駅が一緒になったところに集合し、川沿いの緩やかな上りになった道を行くこと数分、ゆるい傾斜地に田畑が広がる集落の一角に実家はありました。

 周囲を散歩すると、田植えがすんだばかりで新緑の山々を水面に映した田んぼ、耕作前で草花が植えられている畑など、私にとっては目新しい景色が次々と入ってきます。田畑はどこも周りにソーラー電源を使った電気柵があります。案山子や目玉風船は見当たりません。イノシシによる被害が多いそうです。それにしても、こんなところを集団で歩いているのは珍しいのでしょう。畑の脇に車を停めて作業している方が挨拶してくれて、採れたてのいちごをくれました。その場で頂きましたが、とっても甘くて今までに食べたいちごの中でもトップクラスの美味しさでした。元は農家だった実家が田畑を貸している近所の農家さんで、放置するよりも無償で貸して手を入れてもらった方がよいようです。ごちそうさまでした。




 夜は庭でバーベキュー、松阪牛の産地が近いだけに柔らかくてとっても美味しく、私がリクエストしたホタテとイカも美味でした。


 翌日は、宮川沿いの公園に寄ってから、宮川の支流をさかのぼるコースを散歩しました。家が数十メートルおきにある集落で、畑のほかに観賞用の花を咲かした花壇のある家もあって、活気を感じました。集落を抜けると川は道路のはるか下に見えました。ちょっと登っただけなのに川は違った表情を見せてくれます。美しい渓流の景色ですが、降りて行くのは容易ではなさそうなので、上から楽しみました。



 4月に入って忙しい日々が続いていたので、のんびりしたよい休日を過ごさせて頂きました。秋には栗拾いもできるそうで、また秋に来たくなりました。
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星降る里から富士見台高原へ

2023-10-07 17:33:29 | 日記・エッセイ・コラム
 中央自動車道は名古屋から木曽谷を通り途中から伊那谷に沿って諏訪方面へ向かいます。木曽谷と伊那谷との間は日本アルプスが横たわっているので、その下を恵那山トンネルが通っています。その恵那山トンネルの長野県側に位置するのが昼神温泉で、ここから富士見台高原まで登るのが今回の目的です。

 今回のメンバーは7人、名古屋駅に集合し、高速バスに乗っておよそ2時間で山合にある昼神温泉に到着しました。昼神温泉は開湯1973年の比較的新しい温泉で、近年は星空がきれいな温泉としても知られ、道の両側には燈篭、朝市広場、私設の天文台、星空の描かれた郵便ポストなど、明るいイメージの温泉です。




 宿泊先は「尾張あさひ苑」。愛知県の尾張旭市の保養施設ですが、尾張旭市民でなくても宿泊することができます。温泉は無色透明で浸かると肌がすべすべしました。食事も種類が多く、なかなかのものでした。






 翌朝、目が覚めると空気がひんやりしています。夜のうちに秋の空気に入れ替わったようです。空は曇っていますが、青空が広がりつつあります。バスでヘブンス園原スキー場まで送って頂き、そこからゴンドラとリフトでヘブンス園原展望台まで上がります。当初は、ゴンドラを降りたところから歩く予定でしたが、富士見台高原まで往復5時間かかりゴンドラやバスの送迎時間を考えるとタイトなので、展望台まで文明の利器のお世話になることにしました。




 展望台を出ると、いきなり急登できつそうと思ったのは束の間で、そこからは連絡バスも通る舗道で緩い下り坂になります。展望台よりも富士見台高原の標高が高いので下った分以上に登らないといけないので、下るほどに不安になります。途中でバスに追い越されましたがほとんど人が乗っておらず、「大丈夫か、このバスの採算」などと余計なことを考えてしまいます。大きな道との合流点から恵那山への分岐がありますが、途中に崖崩れが発生した箇所があるようです。バス道が終わるとログハウス風の山小屋がありますが、富士見台高原までは1時間弱で登れるので、恵那山を目指す登山者用に建てられたもののようです。立派な炊事場もあって、泊まってみたくなるような山小屋でした。
 そこを出ると富士見台高原への上りになりますが、綺麗に舗装された遊歩道のような舗道が暫く続きます。やがて、土の道になりましたが、坂は緩やかで登りやすいです。両側は熊笹に覆われていて高木がないので見晴らしはよいです。途中に神坂小屋という避難小屋がありますが、おそらく雷対策であろうと思われます。石を積み上げたケルンを右に見ながら進むと程なくして富士見台高原に着きました。









 富士山が見えたらという願いから富士見台高原と名付けられたとのことで、富士山は見えませんが、先月登った木曾駒ケ岳、数年前に登った焼岳が見えることを案内板で確認しました。そう、雲が微妙にかかっていて見えなかったのです。それでも、緑濃い手前の山々は手に取るように見え、風も涼しくて爽快でした。

 下山した夜、星空ウオッチングツアーに出かけましたが、夏の大三角にカシオペア座など明るい☆だけは見ることができましたが、薄雲がかかっていて星が降るような夜空を眺めることは出来ず、また一つ課題を残したハイキングになりました。
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