
蜂子皇子。
562年生まれ。崇峻天皇の第三皇子。
592年11月3日、曽我馬子に父が暗殺される。
蜂子皇子30歳の時。
馬子の追っ手からから、
従兄の正徳太子に匿われて宮中を脱出し、
丹後国由良(京都府宮津市由良)から、
海を北へと向い、山形県鶴岡市由良にたどり着いたとき、
舞台岩と呼ばれる岩の上で、
八人の乙女が笛の音に合わせて、
神楽を舞っているのを見て、
皇子はその美しさにひかれて、
近くの海岸に上陸してしまった(スケベェ〜・・・)
今の由良地区、八乙女浦。
船を降りた蜂子皇子を、
待っていたのが道案内、三本足の烏(八咫烏)で、
導いた場所が、羽黒山。
生来まじめ?女性に眼をくれず、
羽黒権現を感得し、
月山に登り、湯殿山に登り、
出羽三山を開いたといいます。
旧暦641年10月20日(11月28日)
皇族のお墓では最北の地、三神祭殿の近くに、
生前、人々の苦悩を取り除いた肖像画を観れば、
怪奇な容貌の、皇子が眠っていると云います。
562年生まれ。崇峻天皇の第三皇子。
592年11月3日、曽我馬子に父が暗殺される。
蜂子皇子30歳の時。
馬子の追っ手からから、
従兄の正徳太子に匿われて宮中を脱出し、
丹後国由良(京都府宮津市由良)から、
海を北へと向い、山形県鶴岡市由良にたどり着いたとき、
舞台岩と呼ばれる岩の上で、
八人の乙女が笛の音に合わせて、
神楽を舞っているのを見て、
皇子はその美しさにひかれて、
近くの海岸に上陸してしまった(スケベェ〜・・・)
今の由良地区、八乙女浦。
船を降りた蜂子皇子を、
待っていたのが道案内、三本足の烏(八咫烏)で、
導いた場所が、羽黒山。
生来まじめ?女性に眼をくれず、
羽黒権現を感得し、
月山に登り、湯殿山に登り、
出羽三山を開いたといいます。
旧暦641年10月20日(11月28日)
皇族のお墓では最北の地、三神祭殿の近くに、
生前、人々の苦悩を取り除いた肖像画を観れば、
怪奇な容貌の、皇子が眠っていると云います。
👇右が、蜂子社。左は厳島神社です。




👇厳島神社。海の神、航海の神様。
昇り龍に下り龍。(彫師 不明)
上野東照唐門に施された、左甚五郎の作より、
鋭い彫りは、ダイナミック、胸がざわめきます。
鋭い彫りは、ダイナミック、胸がざわめきます。




予期しない雨に、月山の登山を断念し、
深い知識もなく見学した羽黒山。
深い知識もなく見学した羽黒山。
密教が、政治に弾圧され、
ささやかなこころの拠り所を、
もぎ取られても、今は、
世界に類を見ない、宗教の数が多い日本。
ささやかなこころの拠り所を、
もぎ取られても、今は、
世界に類を見ない、宗教の数が多い日本。
この不思議な世界、雨が降れば、尚更、
飛鳥の時代から、仏像を焼き払った近代まで、
少しばかり、沈痛な面持ちになります、が、
飛鳥の時代から、仏像を焼き払った近代まで、
少しばかり、沈痛な面持ちになります、が、
宗教とは無縁でも、寺社を巡れば、
どこか、こころの奥底が、
穏やかになります。
どこか、こころの奥底が、
穏やかになります。
八王子夜更け、窓打つ大風に土砂降りの雨。
夜明けの木綿綿のような灰色の稜線が、
くっきり、青みがかって来ました。
※ 出羽三山の記録も今日で終わりました。










