今日も雨、昨日もちょっと雨、明日も雨。
部屋に居っぱなしだと、
屁理屈ばかり、こねてしまう!
明後日「晴れ」に10両!張った!張った!
浜島庄兵衛、ニックネーム日本左衛門。
東海から江戸を荒らしまわった、「盗賊」極悪非道のしっぱなし。
なのに「問われて名乗るもおこがましいが・・・盗みはすれど、非道はせず・・・・」
小粋なセリフは後世、芝居で使われた名ゼリフ。
庄兵衛1718年静岡生まれ。
23歳で20人の手下を率いて、
代官など警察権力が手薄の近郊の豪農、商家を襲い、
まんまと、盗賊集団の親分を張る。
盗んでは、2~3年、休憩。
ほとぼり醒めて、近江、美濃、尾張・三河と長期出張で、荒稼ぎ。
20人だった盗人は、5~60人になり、庄兵衛は、腕を組んで、
指示を出すだけの大物になる。
道筋には土地物の番人を置き、ターゲットを偵察、
「押し入りの、攻めどころ」を綿密に調べさせ、
押し入り時には周辺の門口に白刀を手にした手下5~6人の見張らせる。
まんまと、莫大な金子を奪い、運搬には「御用札」のレプリカで、
「宮家の提灯」で、役人の前を堂々と運こんでしまう。
「盗人集団」公儀に知られることになったのは5年後。
被害にあった掛川藩の訴えで。江戸北町奉行所が動いたが、
庄兵衛、四国辺りまで逃げた。
が、前代未聞の「指名手配書」が配布され、
伊勢の馴染みの遊女に囲まれていたが、さすが観念。
京都東山奉行所に堂々、腕を組み乍ら自首。
護送駕籠に揺られ、江戸、小伝馬町の牢舎へ移され、
10両盗むと、死罪の時代、打ち首獄門。首は磐田の三本松で天日に晒される。
1000両、3000両の破格の金を見事に略奪するなど、
鼠小僧の大名屋敷を狙う理由と同様、
監視の甘さを突いた、なかなかの悪知恵。
鼠小僧の映画、日本左衛門の歌舞伎「白波5人男」
事実をだいぶ茶化して「痛快」だけど・・・・、
それにしても、6千何百億の中の「ムダ金」使った東京の役人、
庄兵衛ですら、用意周到に手配して成功するから「痛快」「ようよう」の拍手。
結局、俺たち、不手際で「財布」盗まれっぱなしになるってこと?
ここまでくれば、女、長谷川平蔵の一網打尽の技が見たい!
明日から、ストレスのテレビニュースの半分は、
「果報は寝てマテ」の、ゴールデンタイムだ!
あぁ~長かった。
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