5500人ばかりが住む、小さな入江の松崎町、
朝陽に跳ねるボラのしぶきに、久しぶりにのんびりした朝。
この町のキャッチフレーズは『花とロマンの里』
桜餅に使われる桜葉漬けは、
全国の約7割がここ松崎町で生産していて、
種類も豊富・・道明寺好みで、
病みでなければ5~6種類は、ぺろりしていた。
歩いて判る平穏な町で、顕彰されている、
種類も豊富・・道明寺好みで、
病みでなければ5~6種類は、ぺろりしていた。
歩いて判る平穏な町で、顕彰されている、
漆喰で絵を描いた鏝職人、入江長八の記念館の母体、
浄感寺の本堂が。(敬称を略します)
浄感寺の本堂が。(敬称を略します)
浄感寺の近くで生まれた長八の生活は苦しく、
6歳まで寺に住み込み修行し、
6歳まで寺に住み込み修行し、
12歳からは、左官業の関仁助の弟子になって、
父平助、母てご、ら家族の生活を支えると同時に、
長八の後年、漆喰細工の基礎技術をみっちりと学び、
15歳、駿府の仕事では、村の繁栄ぶりに驚き、
日々の中から、絵に対する関心を深めていく。
長八の後年、漆喰細工の基礎技術をみっちりと学び、
15歳、駿府の仕事では、村の繁栄ぶりに驚き、
日々の中から、絵に対する関心を深めていく。
👇長八の道具(一部)
19歳、棟梁仁助の元を離れて、江戸深川へ。
その日暮らしの日銭の生活は、荒み始めた矢先、
1835年、火元、神田町琴師の家から出た、
4000人の死者を出した甲午の大火。
その日暮らしの日銭の生活は、荒み始めた矢先、
1835年、火元、神田町琴師の家から出た、
4000人の死者を出した甲午の大火。
その再興に建築業が立ち上がつて、
長八も本業の左官業で、生活が落ち着きを出す。
長八も本業の左官業で、生活が落ち着きを出す。
長八にふつふつと、絵心に蘇り、
絵の師匠を求めて、谷文晁の弟子、喜多武清の弟子に。
充実した長八の生活は、
女との葛藤、絵の習得、故郷との決別が、
長八の鏝絵の礎となる。
絵の師匠を求めて、谷文晁の弟子、喜多武清の弟子に。
充実した長八の生活は、
女との葛藤、絵の習得、故郷との決別が、
長八の鏝絵の礎となる。
300年続いた浄感寺が焼失して、
再建の時(1845年)幼いころの恩師正観上人への恩を、
江戸から弟子2名を連れて本堂内陣に、
再建の時(1845年)幼いころの恩師正観上人への恩を、
江戸から弟子2名を連れて本堂内陣に、
漆喰絵で腕を振るってる。
👇飛天の像
江戸の末期、明治に作成した、
漆喰鏝絵を集めて20点ばかり、
漆喰鏝絵を集めて20点ばかり、
👆の右下を拡大👇
松崎町に行ったら
伊豆の長八(本名入江長八)を
何処かで口にして散策
ここには、伊豆に名跡を残した
彫り物師
石田半兵衛親子の向拝に彫刻が
何処かで口にして散策
ここには、伊豆に名跡を残した
彫り物師
石田半兵衛親子の向拝に彫刻が
今日は、案内くださった館長に感謝して
‼
‼
伊豆旅行は、病み上がりのトヨ様には美しい海の色と、素晴らしい漆喰絵をご覧になって、すこし元気が出ましたね。
私も、あまりの美しい飛天像に朝から癒されています。立派な長八記念館には絶対に訪問したいですね。
難しい漆喰絵も素晴らしく初めての体験です。
とよ様の気高い知性とと感性に脱帽です。
でも、くれぐれもお大事にされてお過ごしくださいね。
是非訪れください。
のんびりして、対応する人たちのもてなしが、
心を洗わせてくれます。
鏝絵の天女、絵心あればの技ですね。
そう思います。