春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

波の伊八、伊豆の祭りに海を越えて。②-② 湯河原・素鵞神社。

2022-04-06 07:48:21 | 房総の彫り物師
4月5日、神奈川県平塚市、木村植物園の苧環

👇霞んで見える半島は、伊豆・相模湾の、
網代あたりの半島でしょうか、
湯河原・
素鵞神社、茨城県鹿嶋地区から
石材や木材を運ぶ人たちが、
広めた
鹿島踊り
毎年8月1日に行われるといいます。

千葉県には江戸で評判をとった
後藤家の彫り物師、後藤三治郎橘恒俊さん、
波の伊八と異名をとどろかせた、
武志伊八郎信由さんがいて・・。
1792年、
二人は二つの屋台の彫り物で、技を競った。

伊八さんの作品は、伊豆の伊豆山神社とここ、
素鵞神社だけという・・
これからの検証で、まだあるかもしれない期待を・・。




👇境内には狛犬がたくさんいて、
つい、ひとつひとつ頭を撫でてしまいます。




👇伊八さんの彫り物は、
向拝にもあって、彼の彫り物の得意なモチーフ、
波の構図はなかった。





👆の龍の背面に、
彫工
 房州長狭郡
  下打墨住
   武志伊八郎
      信由
の刻銘があって、このような証を見ると、
肩を揉みほぐされたように、ヘナヘナとなります。


👇関東大震災で破損した部位を展示している
伊豆山神社の資料館で見た、伊八さんの龍、


👇この龍の図で見えない左眼は、つむってるように、
丸く彫っていて、
👇パンフ資料からです。


👇素鵞神社の龍も、左眼は潰れてるように彫ってました。
口元はやや上向きに・・。
歯や爪、角部分に欠損がありますが、
これからの保存、気を遣うところですね。
欅材とはいっても、海風の長い年月・・。


👇👇も伊八さんの手の彫り物でした。







ここでの仕事は、石工さんや、運搬の担い手で、
賑わった湯河原・吉浜地区、
祭りの神輿にも,
繊細な彫刻を施した伊八さん。

神輿は、機会が来たら訪れることにして、
波を彫るのに、馬で波の中に飛び込んだという、
豪気な気性、
どうして、伊豆へ足を運んだのか49歳・・
そのことだけが胸で・・・もやもや

まっ、いぃっ ‼

木村植物園で
👇

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伊八貴重な伊豆の龍。素鵞 すが 神社。

2022-04-04 08:40:09 | 房総の彫り物師


👆苧環を見てると、なんでこんな姿で咲くのかと、
いつも不思議で、眺める時間は、いっぱい。
季節、早いけど、箱根湿地花園で鉢に咲いてました。

今日の雨は関東広域に、
午後の高齢者講習は、車。
いやですね、年取ると規則で、
年齢を感じなければならなくて・・・。
規則がなければ、いつまでも若いと思えるのに、
突然、鼻をへし折られる現実。



👇、伊豆湯河原、吉浜地区、
江戸時代、石切り場が多く賑わってた、
その700年ばかり前は、
頼朝さんが、小田原石橋山の戦いに歩いた海岸線。

安房国・江戸、宮彫りで名をはせた、
後藤三治郎橘恒俊さんと、
波を彫らせたら天下一と言われ始めた
武志伊八郎信由さんがコラボして、
掘っ立て小屋で彫った、龍、
波の伊八さんの、刻銘がある龍、






























👇 ここから小田原石橋山の戦いまで歩いて、
3時間30分ばかり、頼朝さんもこんな橋があれば、
体力も擦り減らなかったに違いない・・と、


👇振り向いて
1620年に創建された、
素鵞神社
1792年、49歳の

彫物師、伊八さんの向拝の龍に・・
紅梅が咲いてた頃のファイル
大きくした絵は、のちほど
講習を受けに出かけま・・す





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必勝祈願の護摩は、伊豆湯河原・五所神社。

2022-04-01 08:57:22 | 散歩

月曜日からハチマキ、裾をはしょって、
上州新田、神奈川湊、夜明け前から子の刻まで、
4度行って来いの飛脚。
ドライブインでの野菜蕎麦、
すする河童の甲羅が、ずれかかってた。
開けずの、ブログのラブレター、
北岳の山のごと、
今日は掌にとんがった口からペッ、ペッと、
気負いのハチマキは、
休日のルーティーン。

戦いは気負いだけでは勝てなくて、
関八州、平家の支配を打倒に、
頼朝さん立ち上がった、わずか300の兵と、
敗れるとは思わなかった、

石橋山の戦いに気勢を挙げたのが、
ここ伊豆湯河原、五所神社境内。
相手は3000の平家族の兵だったし・・。

史実は専門家に下駄を預けて、
私は、そのほんのひと節、つまんで、
境内に・・。














































相模、伊豆の武将、土肥実平産がいなければ、
今の鎌倉あたり、伊豆辺り、どんな景色になってたか・・
想像しながら鞄から、
香ばし・金ごま餅をガブリ ‼

土肥実平さん、山伏修験の心得があり、
敵方に館を焼かれた炎を、
燈護摩 の火と慌てず、
艱難辛苦、修行成就の浄化として、

舞いをする
何事にもぶれない軸、逞しい武将
見習いたい・・ウン ‼





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