新笠通信 奄美電信版

 Copyright (C) 2010 shinkasatsushin All Rights Reserved.

つきみだんご

2007-09-24 20:26:35 | B6
フィクションの世界でのみ許される自由
創作物上で展開されている世界観、キャラクターの言動そのものや主義・思想などに現実世界上で実効されている規制がそのまま反映されてしまうと表現の幅が狭まってしまいますね
国家が主義や思想を管理するということはあってはならないことですね
集団運営上都合の悪い思想を排除し続けているうちに他国の思想信条にまで影響力を及ぼし始めてしまうことは時間の問題と考えられます
法律で処罰されるような悪事を仮想体験したいのであれば小説の中で人殺しを行なう人物を描写しましょうということです
小説に出てくるキャラクターに実行させるのであれば戦争をひき起こさせたり人身売買させたり麻薬の濫用を行なわさせたりするとしても何も問題がおこらないわけです
空想上の人物が仮想の事件をさんざんひきおこしたとしても現実社会にはなんら実害が及び得ないということがわかりきった上で空想作品を鑑賞するという娯楽として楽しんでいるからです

思想信条のくくりでは宗教の存在を問題視することができます
オウム真理教の世界にどっぷりつかってしまえる心理状態にある人が多かった時代というのが存在するということです
オウム真理教を信じることができたというのはたいしたことです
一般的に命の次に何が大事かと考えたとして宗教が主張している思想信条が優先されるものとしてかなり上位に位置していた人々が多かった時代があったということです
思想信条の自由の限界というものを丁寧に考えなければならないわけです
宗教団体が現実世界で殺人を行なったという事実を伝えていかなければならないわけです
特定の思想信条が他者の生命に優先されることなどありえないということが正しいわけです

インターネットの世界はグレーゾーン社会であるといえます
フィクションとノンフィクションとが密接に融合してしまっているからです
ホームページやブログに記載されている内容は空想上の産物だとしてひとくくりにした上であらためて別途事実に適合する内容のものを振り分けていく作業が必要になってくるわけです
大勢の人が日記を公開したりしていますが日記は自己完結です
実際に発生していないことでもその日にそのようなことが起こったとして本人が記載してしまったら本人の中では永遠に事実であるということにすることもできます
客観的に誰が見てもその日にそのようなことなど発生していないということが明らかであったとしても自己完結している日記に対しては修正の余地などないわけです
その日にそのようなことが起きればよかったのになあと反実仮想の願望を記述していようが本人の勝手であったりするわけです

表現の自由と青少年
がキーワードになるわけです
世の中は成人だけで構成されている社会ではないということです

規制をかけたものは関心を集めてしまうからめんどうなのです
だからここでいちいち列挙しません

推薦図書とそうでないものとその反対のものがあるわけです
推薦図書だけを選んで鑑賞し続けることができる人生とはどのようなものでしょう

規制対象の作品という物はいずれ閲覧することが許される時がくるということがわかっているわけです

何かを今日は言いたかったのですが
地方と都市では親が機能していない環境というものを同一のものとしてとらえることは絶対にできないということです
青少年の時点で何かが確実に終わっていると予見されるのは都市のほうであると考えられます
地方の青少年の場合は少なくとも将来の可能性というものが硬直的に確定しているものであるとはいえないということです
地方の人は都市部に存在する凄まじい実生活のパターンというものをほとんど知らないわけです
地方の人はそこまでの不遇と考えられる青少年生活環境を垣間見た経験がまったくないわけです

悲惨な環境のパターンを知るにはアウトロー系の小説的なものを多く読むことでしか認知していくことはできないのです
変わった世界は出版物の作品の中でしか見ることはできないのです

人の不幸をノンフィクション作品にして出版してしまう人もいるのです
青少年の犯罪記録を小説にしてしまう作家もいるわけです
犯罪記録が手に入り続ける限り現金化してしまうのでしょう
今日はこれを言いたかったのかもしれません
人の不幸で飯を食っている人は目立たせておいたほうがよいのでしょう

もうひとつは武装している集団内で発生してはいけないことというのが突然の錯乱です
武器を扱っている者が精神的に不安定になることほど恐ろしいことはありません
武装している人が突発的に感情的に行動すると修学旅行の枕投げではすまない事態に発展してしまいます
武装集団の一員が能動的になってしまうといたるところで同士討ちが始まってしまいます
退役するまでは個としての感情が封印されるべきなのでしょう

もひとつは国家が管理している武装集団
国家が管理していれば武装していることを認められる
暴力能力を有する防衛団体は国が管理しているものだけに限られる
よって暴力能力を有する団体というものは一団体しか存在が認められないはずなのだけど

世界が滅びるまで解釈を続けていたいから9条2項というものが存在するのかもしれません
一言で明文化できる時などやってこないということです
それが日本という国の本質だといえます


最新の画像もっと見る

コメントを投稿