新笠通信 奄美電信版

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9.11

2007-09-10 23:10:49 | B6
歴史認識に乏しい人物との意見調整は困難を極めます
はるか昔の出来事が現在まで知られているのは原因があるからです
何事も起こるべくして起きてきたというわけです
日本史を知らずに日本を語れるか?
世界史を知らずに世界を語れるか?ということです
史実をふまえなくても支障が生じない業務というものもあるでしょう
先を見越して計画を立てないといけない人物に歴史観というものが欠如していたらその人物の計画方針に沿ってミッションを遂行していかなければならない立場にあるほとんどの人物が先行きに心もとなさを感じてしまうでしょう
昔起きた事実には原因があるのです
計画を立てなければならない立場におかれていた人物が行なった決定の結果が歴史事実として残されてきたわけです

16世紀の日本では侵攻してくるような部族が発生しない限り平穏な農村社会を継続することができたのです
他国でも侵攻が発生しない限り穏やかな農村社会を運営していたわけです
ひとたび戦闘が始まってしまうと平時の農業従事者を戦闘要員として交え部族総動員で抗戦を行なってきたのです

抵抗しないという意思表示は植民地国への転落を意味する時代が長く続いたわけです
対抗しようにも西側先進国の武力に匹敵するような国家的集団規模での成長段階にあった国はアジアにもアフリカにも南アメリカにも存在していなかったわけです

幕末から現在まで日本が歩んできた道を振り返るとそこには西側先進国と対等に張り合うという明確な目的が存在し続けていたことになります

白人に未来の計画を立ててもらうか自分達で将来のことを決めるかという二択のうち後者を選ぶことにしてきたわけです

自分達で決めるということをやめた時にそれでは私たちのほうで決めさせてもらいますと他国が集団運営の監督に乗り出してくるわけです

戦時を経験した高齢者は国の本性というものを知っています

非常事態時にはこうしかならないということを体得しているわけです

苦しいときこそ集団の本性というものが露骨に表れてしまうわけです

苦しいときに協力を得られそうにない人物を分離し非国民としてのレッテルを貼ることで多数派は集団帰属性を確認しあうような段階にあるのが日本国民といえます

日本人に現在があるのは過去に犬死にしてきた多数派の人命があったからこそだといえます

非常事態時には多くの人が犬死にするような状況にみまわれるというのが結論です

人の命を粗末にしないためにも戦闘の要因を生じさせないということが重要です

侵略してくる集団にはそれなりの口実が揃っているいるといえます

ブレーン的な立場にある人物の先見性の低さという要因があっただけでも侵攻は起こりえます

食い物にすら困っているような状態の人々の集まりの中に武器を提供したら武力を交渉材料として恐喝してくることは自然なことといえます

貧困層を従えているリーダーは他集団の資源を略奪し分配することでヒーローとなります

アメリカは他国の運営に積極的です

イラクの民主化プログラムというものを実行しているのでしょう

本当に貧困層を抱えている国というのは経済大国とよばれているアメリカそのものなのかもしれません

物質的な貧困ではなくスピリチュアル的な貧困に支配された国から人類滅亡の危機が忍び寄ってくるのかもしれません

これでは満足できないという人が多数となった時に満足させるべく集団の舵がきられてくるものです

多くの人に満足を与えるにはより多くの人から満足を奪う必要が生じます

日本に復帰したい

終戦直後にアメリカの統治下に置かれたわけだから戦後の日本の状況をつぶさに知ることができてはいないわけです

生まれ変わった日本に復帰したいのかそれとも国家総動員の状況にあった日本を思い出して復帰したいといっているのかよくわかりません

国家総動員の事態に再度直面したとしてもそれを喜んで受け入れるであろうという選択結果が含まれた上での復帰願望だったのかがよくわからないのです

1930年代の日本と1950年代の日本の違いをよく知った上での復帰運動だったのであろうか定かではないということです

復帰運動を指導した人物たちがクリアにしておかなければならないことは昭和10年代の日本国民の精神に戻って復興を開始したとされる可能性が少しでもあるのかどうかということです

国民の精神というのは1945年を境にまったく異なったものとなっています

歴史を学習すればするほど文部科学省の認めた歴史事実を吸収してゆくことができます

検定を通過した教科書だけが出版されるわけだから教科書をよく読めば読むほど国がどういった史実を事実として認めているかわかるのです

1945年を境とした前後10数年の間というのは日本の歴史の中でも最も日本国的な事実が凝縮されている時代であったといえます

教育する立場にある人物の歴史観というものが問われやすいということです

日本人としての精神を育む立場におかれているならばもっとも重要視している年代をいつごろとして据えているのだろうかということです

大衆に日本人としての精神を説くのであればどの時代のスピリッツを意識して説いているのであろうかということです

全体主義的な思想を持つ者が精神を説くことは危険であると考えられます

国粋主義的な信条はお騒がせなものだといえます

選民思想はよくありません

集団の外にいる者との接触をできるかぎり排除して仲間内だけで精神性の共有の一致を確認しあうことはよいことではありません


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