融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

明日は礼拝です

2024年11月16日 | 礼拝のご案内

 明日11月17日(日)は、主日礼拝です。午前10時から礼拝が始まります。メッセージは「完全は愛」、賛美歌は「花彩る春を」、「いつくしみ深い」です。礼拝後は、祈りの一時があります。ご興味のある方は、どなたでもご出席ください。

 日本や世界各地で選挙が行われていますが、アメリカの大統領選挙に注目してみると、そこから感じられるのは、少数の超富豪と呼ばれている人たちがお金を沢山出して候補者を支援しているということです。そうすると、当選後にはお金を沢山出した者たちの影響を受けることが容易に想像できます。選挙という民主主義の手続きを踏んでいますが、実態は少数の超富豪の意向が大きく反映されるようになっています。これは、どこの国の選挙でも類似性があるのではないでしょうか。

 日本の選挙では、約半数の有権者が投票を放棄しています。政治不信などの様々な理由があると思いますが、想像するに、少数の超富豪はお金を出して自分たちの押す候補者を応援していると思います。そうすると、日本の政治もまた、少数の超富豪の意向が反映されたものになるというのが道理です。しかも、選挙で投票を放棄している約半数の「一般庶民」は、黙って従うばかりという状況です。これをもって、「一般庶民の奴隷根性」と評されたりもしています。なぜなら、権利を放棄して従うばかりが奴隷の姿のようだからです。

 総じて民主主義とは、全体の意見が満遍なく反映されるようにすることが理想です。そのためには、有権者全員が選挙で投票して意思を示すことが求められます。国民皆が関心を持つような情報発信がなされ、興味を持ち続ける胆力も必要です。受け身的な姿勢ではなく、自ら知ろうとし、常に考えて行動し、加えて自らの考えを円滑に人と共有するスキルも求められます。

 改めて、民主主義とは全員参加が原則なんだなぁと考えさせられています。だからこそ、なぜ約半数の有権者が選挙での投票を放棄するとかを検証し、全員が選挙で投票するように持って行くことが大事なんだなぁ、と考えさせられる今日この頃です。それと、つくづくちゃんと勉強しておけば良かったと後悔しています。少年老い易く学成り難しです。

 

 

 

 

 


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「石ころも愛」

2024年11月16日 | 聖書のお話

「石ころも愛」 マタイによる福音書 3章7~12節

 バプテスマのヨハネは、罪を悔い改めて互いに愛し合って生きるように人々に教え、ヨルダン川で水による洗礼(バプテスマ)を授けました。その教えを受け入れて洗礼を受けに来た人々の中に、ファリサイ派とサドカイ派の人たちがいました。ヨハネは、彼らに向かって「『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。」と言いました。

 ファリサイ派とサドカイ派の人たちは、『信仰の父』と呼ばれていたアブラハムの権威を笠に着て、律法を守れない人たちのことを見下していました。バプテスマのヨハネは、権威があるのは神さまであり、石ころと同じように神の民に権威などなく、威張ったりせずに互いに愛し合って生きるようにと教えているのです。律法の中で最も重要な教えは、神を愛し、隣人を自分のように愛することなのです。

 水での洗礼(バプテスマ)が悔い改めて互いに愛し合って生きようとする者を励ます力があったとしても、私たちはそれでも人を愛せない弱さを自覚するばかりです。バプテスマのヨハネは、「わたしの後から来る方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。」と言いました。聖霊とは、人間に愛し合う力を与える神の息です。イエスさんの聖霊と火による洗礼は、私たちが互いに愛し合って生きるための希望です。

 


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