融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

明日は礼拝です

2021年03月06日 | 礼拝のご案内

 明日3月7日(日)は、世界祈祷日と併せて礼拝を守ります。午前9時からの教会学校については、コロナのこともあり引き続きお休みしています。10時30分から礼拝が始まります。メッセージの題は「強固な土台の上に建てなさい」、賛美歌は「十字架のもとに」、「心に愛を」です。礼拝中は、窓を空けて換気をしていますので、寒さ対策をされてお越しください。状況によっては中止しますが、礼拝後にお茶の一時があります。ご興味のある方は、感染症対策の上、どなたでもご出席ください。その後、3月の定例役員会があります。

 日々、驚き怪しむような出来事ばかりが続いているように思います。政治家の不正は、目に余るものがあります。また、その不正が野放しで、糾されることがないのも目に余ります。その政治と無関係ではない、沖縄辺野古への新基地建設について、埋め立ての土を南部戦跡から掘り出して使用するというニュースが飛び込んでいます。ご存じの通り、沖縄県南部一帯は、沖縄戦最後の地として多くの人々が凄惨な死を遂げた場所で、ひめゆりの塔について聞いたことのある人も多いのではないかと思います。そのような経緯もあって、沖縄県南部には平和祈念公園が建てられ、毎年6月23日には沖縄全戦没者慰霊式が行われています。

 沖縄中に戦争で亡くなった人の遺骨や不発弾が埋もれていますが、特に南部は沖縄戦最後の地でもあり、鎮魂の場所として人々から受け止められています。考えてみていただきたいのは、おそらく遺骨の埋もれているであろう南部の土を掘り出し、辺野古の新基地建設のためにジュゴンのいる海を埋め立てるなどという行為が、戦争で殺された人々の魂を冒涜するだけでなく、今生きている己の人間性を蝕んでしまうような行為であるということです。もう、人間やめますか、というレベルの問題なのです。そのことを一番分かっている沖縄の人たちが、ハンストをして抗議しているのです。

 沖縄から遠く離れている人たちは、ピンとこないだろうと思いますが、このことを是認している所謂「本土」の人たちにとっても、これは己の精神を蝕んでしまう恐ろしい「呪い」に関係する問題ですので、話題にしてみました。何言ってるか分からないって? 多分、想像すれば分かってもらえると思うのですが、戦争で無残に殺された人の遺骨が含む土の上に軍事基地を建て、それによって自分たちが守られようとしている考えが邪気であり、そのような邪気によってやがて自らの魂が蝕まれ、呪われ、果たして天国なんて行けるんですかという話ではないかと思うのです。

 

 


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「結ぶ実で分かる」

2021年03月06日 | 聖書のお話

「結ぶ実で分かる」 マタイによる福音書 12章22~37節

 イエスさんが病気の人たちを癒やすのは、その人たちが病気の故に「罪人」と呼ばれて信仰共同体から閉め出されていたからです。病気の癒やしとは、「罪人」と呼ばれる原因がなくなることでもあり、信仰共同体への復帰、すなわち「失われた羊」を見つけ出し、神の国に連れ帰るという働きに他なりません。しかし、ファリサイ派の人たちは、イエスさんが病気の人たちを癒やすのを見て、「悪霊の頭ベルゼブルの力によらなければ、この者は悪霊を追い出せはしない」と言いました。そう考えたのは、自分たちが信仰共同体から追い出した人たちは「罪人」のままであり、イエスさんも「罪人」であると考えていたからです。

 イエスさんは、「まず強い人を縛り上げなければ、どうしてその家に押し入って、家財道具を奪い取ることができるのだろうか。」と言いました。その譬えは、物事の急所を押さえることの大切さを教えています。ユダヤ社会の急所とは、「罪人」を「失われた羊」として放置していることです。イエスさんは、そのことを改めなければ神の国入ることはできないと教えているのです。イエスさんの癒やしの働きは、「霊」の働きによって行われています。神さまの愛は、「失われた羊」を見つけ出し、連れ帰るというイエスさんの働きによって示されているのです。「霊」の働きによって神さまの愛が表されているのですから、それを冒涜することは決して赦されないと教えられています。

 


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