「石ころも愛」 マタイによる福音書 3章7~12節
バプテスマのヨハネは、罪を悔い改めて互いに愛し合って生きるように人々に教え、ヨルダン川で水による洗礼(バプテスマ)を授けました。その教えを受け入れて洗礼を受けに来た人々の中に、ファリサイ派とサドカイ派の人たちがいました。ヨハネは、彼らに向かって「『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。」と言いました。
ファリサイ派とサドカイ派の人たちは、『信仰の父』と呼ばれていたアブラハムの権威を笠に着て、律法を守れない人たちのことを見下していました。バプテスマのヨハネは、権威があるのは神さまであり、石ころと同じように神の民に権威などなく、威張ったりせずに互いに愛し合って生きるようにと教えているのです。律法の中で最も重要な教えは、神を愛し、隣人を自分のように愛することなのです。
水での洗礼(バプテスマ)が悔い改めて互いに愛し合って生きようとする者を励ます力があったとしても、私たちはそれでも人を愛せない弱さを自覚するばかりです。バプテスマのヨハネは、「わたしの後から来る方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。」と言いました。聖霊とは、人間に愛し合う力を与える神の息です。イエスさんの聖霊と火による洗礼は、私たちが互いに愛し合って生きるための希望です。