融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

「石ころも愛」

2024年11月16日 | 聖書のお話

「石ころも愛」 マタイによる福音書 3章7~12節

 バプテスマのヨハネは、罪を悔い改めて互いに愛し合って生きるように人々に教え、ヨルダン川で水による洗礼(バプテスマ)を授けました。その教えを受け入れて洗礼を受けに来た人々の中に、ファリサイ派とサドカイ派の人たちがいました。ヨハネは、彼らに向かって「『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。」と言いました。

 ファリサイ派とサドカイ派の人たちは、『信仰の父』と呼ばれていたアブラハムの権威を笠に着て、律法を守れない人たちのことを見下していました。バプテスマのヨハネは、権威があるのは神さまであり、石ころと同じように神の民に権威などなく、威張ったりせずに互いに愛し合って生きるようにと教えているのです。律法の中で最も重要な教えは、神を愛し、隣人を自分のように愛することなのです。

 水での洗礼(バプテスマ)が悔い改めて互いに愛し合って生きようとする者を励ます力があったとしても、私たちはそれでも人を愛せない弱さを自覚するばかりです。バプテスマのヨハネは、「わたしの後から来る方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。」と言いました。聖霊とは、人間に愛し合う力を与える神の息です。イエスさんの聖霊と火による洗礼は、私たちが互いに愛し合って生きるための希望です。

 


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明日は礼拝です

2024年11月09日 | 礼拝のご案内

 明日11月10日(日)は、主日礼拝です。午前10時から礼拝が始まります。メッセージは「石ころも愛」、賛美歌は「花彩る春を」、「いつくしみ深い」です。礼拝後は、祈りの一時があります。ご興味のある方は、どなたでもご出席ください。

 浜坂でもカニ漁が解禁になり、多くの人たちが港で出港を見送りました。夜の出港なので、舟から見えるようにペンライトを光らせて振りました。冬の日本海は荒れますので、何より漁の安全を祈念いたします。

 経済活動も平和であることが大前提になります。いつまでも平和であって欲しいという願いは、誰も同じです。けれども、世界を見渡せば、あちこちで戦争が起こり、一般の人たちが殺される戦争犯罪が横行しています。自分たちのところは平和で安心だと思っていると、知らないうちに戦争が始まってしまうことでしょう。事実、日本でも戦争の準備は着々と進められています。

 何も感じないのだとしたら、以前の記事でもご紹介したメッセージ動画が伝えているように、あまりにも大量の人たちが殺されているのを傍観した結果、心が殺されて生きる屍のようになってしまったのかも知れません。まるで、ハロウィーンのゾンビパレードのようなパロディーです。生き方を根本的に問い直すことが求められているのではないかと自問自答している今日この頃です。

 


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「自分が変わる」

2024年11月08日 | 聖書のお話

「自分が変わる」 マタイによる福音書 7章15~20節

 イエスさんは、「偽預言者を警戒しなさい。」と言いました。偽預言者とは、預言者が神さまから預けられた言葉をその通りに人々に語らず、違った内容の言葉を語る人のことです。それは、神さまの信頼を裏切り、人を騙すことに他なりません。しかし、現実は、貪欲と保身のために偽預言者になることを選んだ人の方が多かったようです。

 イエスさんはまた、「あなたがたは、その実で彼らを見分ける。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。」と言いました。さらに、「すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。」と言い、自然の理を例に出しました。トドメは、「良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」と言いました。イエスさんの教えは、潔いほどに勧善懲悪です。

 しかし、イエスさんは、「このように、あなたがたはその実で彼らを見分ける。」とも言いました。イエスさんの教えは、潔いほどに勧善懲悪なのですが、「その実で彼らを見分ける。」という言葉は、実に逆説的でもあります。なぜならば、良い実を結びさえすれば、元の木を問わず全て良い木であると認める発想だからです。これは、過ちを犯してしまった者、悔い改めて立ち直ろうとする者にとっての光明です。

 地方で生きるキリスト者は、イエスさんの教えと地域にある従来の価値観との間で板挟みになり、悩んだり葛藤したりするものです。けれども、イエスさんの福音宣教とは、地域で愛という実(良い実)を結び、人々からそれは良い教え(良い木)であると認められることです。キリスト者として地域を変えることが福音ではなく、自分がイエスさんの愛によって変わることが地方で福音を宣べ伝えることなのです。

 


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明日は礼拝です

2024年11月02日 | 礼拝のご案内

 明日11月3日(日)は、召天者記念礼拝です。午前10時から礼拝が始まります。メッセージは「自分が変わる」、賛美歌は「花彩る春を」、「いつくしみ深い」です。礼拝後は、霊堂前祈祷会があります。ご興味のある方は、どなたでもご出席ください。

 選挙も終わり、任命された議員が働き始めたところです。地方に地盤を持つ首相は、防災庁の設置に力を入れているようです。今、能登半島地震の救援について、れいわ新選組が政府に要望書を出しています。それ以外の目立った動きは知りません。以前も記事にしたのですが、1月1日に地方の象徴のような能登半島で発生した激甚災害に対し、地方ならではの問題を抱えながら生活している被災者の救援を、選挙後の最初の取り組みとして、政治に頑張って欲しいと願っています。明確な目標を立て、実行に当たっては期限を切り、結果として具体的な復興の成果を示す、そんな政治的な取り組みをして欲しいです。そのような取り組みは、きっと他の地方にも良い影響を与えるに違いありません。政治家の「やっている感」は、いい加減ウンザリです。首相は、軍事オタクらしいので、空母とか大型ヘリコプターを使って、人や重機を運搬するとかどうでしょうか。首相なら、やる気があれば何でもできます。やる気がないなら、いつまで経っても何もできません。よろしくお願いいたします。

 

 

 


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「公正は愛」

2024年11月01日 | 聖書のお話

「公正は愛」 ルカによる福音書 16章1~13節

 イエスさんは、弟子たちにもたとえを話されました。ある金持ちの主人に仕える管理人が嫌疑をかけられ、仕事を辞めさせられそうになりました。困った管理人は、色々と考えた末に、自分が感謝され、無職になったときに人から助けてもらえるようにしようと考えました。そして、主人に借りのある人たちを呼び寄せ、油100バトス借りていた人には50バトス借りたことに、小麦100コロス借りていた人には80コロス借りたことにするよう、それぞれ証文を書き換えさせて不正を働きました。そのことを知った主人は、怒るどころかこの管理人の抜け目のないやり方を褒めました。

 油100バトス借りていた人を50バトスに、小麦100コロス借りていた人を80コロスに証文を書き換えさせたのは、もしかすると油100バトス借りていた人が小麦100コロス借りていた人より商売が上手くいかず、生活が苦しかったのかも知れません。真面目な人ほど、借りたなら同額を返すべきであり、差をつけないのが平等であると考えるものです。しかし、この管理人は、借りたことによる負担がより苦しくなっている人のことを考慮し、負担を公平に減らしているのかも知れません。そうであるなら、誰からも感謝される行為であり、互いに恵みを得ることへとつながります。主人が褒めたのは、そのことだったのでしょう。

 不正の反対は、公正です。例えば、お金であれば同じ金額を平等に配ったとしても、貧しい人ほど多く必要なのです。それぞれの必要度に応じて、金額を変えて配ることの方が公平なのです。更に、お金の回し方を考えて、社会で生きる人々が皆、困ったりすることなく暮らせるようにすることが公正です。不正な管理人のたとえ話は、金持ちの主人のお金で世の中を回し、社会に公正をもたらした管理人のお話なのです。公正とは、愛です。イエスさんは、愛によって世の中を回し、互いの恵みを求め合う社会へと変革を促すことが弟子たる者のやり方であり、福音宣教であると教えているのです。

 


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