新・空と鷹と鉄の間に

ヒコーキ、ホークス、鉄道好きのブログです。

流山本町江戸回廊

2021-05-18 19:55:16 | 旅行

流鉄流山駅の周辺は古くからの流山の中心地で、流山街道の旧道には古い建物などが残っています。

駅前にはちゃんと地図もあり、ちょっと雨が降りそうですが、平和台駅まで歩いてみることにします。

この流山本町の町には地元市民有志により店先や軒先に切り絵行灯が飾られており、暗くなるとあかりが灯るそうです。流鉄流山駅にも置かれていました。この切り絵行灯の切り絵は置かれているお店や場所にちなんだものになっているそうです。

流山駅から県道を超えて旧街道へ出ると、土蔵造りの呉服店が現れます。1890年(明治23)に建てられた老舗呉服屋新川屋です。国登録有形文化財にも指定されています。屋根の鬼瓦が恵比寿様と大黒様になっているのが特徴になっています。

その並びにあるのが丁子屋。1923年(大正12)建築の町家造りの建物で、フレンチレストランとなっています。屋号はこの建物で営業をしていた足袋屋さんの屋号そのままだとか。町屋でフレンチとはなかなか粋な感じがします。

振り返ると丁子屋と新川屋の建物が並びでみられ、なかなかいい景色です。

旧街道からちょっと脇道へそれたところにあるのが「近藤勇陣屋跡」。1864年に甲府で敗走をした新選組が会津へ向かうために屯集したのがここ、流山。1864年4月2日に近藤勇・土方歳三以下新選組の残党が集まりますが、翌3日には新政府軍に囲まれてしまいます。流山を戦火に巻き込みたくないと考えた近藤勇はこの地で新政府軍に出頭し捕らえられてしまいます。一方の土方歳三こののち箱館へと向かい、両雄はこの地で永遠の別れとなってしまいます。その時に近藤勇が陣屋とした醸造家の土蔵があったところと言われています。

旧街道へ戻って歩いてゆくと、1903年(明治35)創業の和菓子店清水屋本店が現れます。こちらの建物も国登録有形文化財に指定されています。清水屋さんでは流山の白みりんを使ったお菓子などが販売されています。

清水屋さんの対面にあるのが旧寺田園茶舗の見世蔵を利用した万華鏡ギャラリー寺田園茶舗見世蔵です。流山在住の万華鏡作家の作品をはじめとした万華鏡を展示、販売しているそうです。

そして、やはり流山といえば忘れてはならない、みりん。1814年に従来の赤みりんから、色が淡く澄んだ白みりんの製造が開始され、甘く飲みやすいことから江戸のみならず京、上方までとどろいた流山の白みりん。現在でもキッコーマンの子会社流山キッコーマンの工場があり、マンジョウ本みりんが製造されています。


その流山キッコーマン工場の壁面に流山本町まちなかミュージアムと称し、流山白みりんの歴史を学べるようになっています。工場の見学はできませんが白みりんの歴史がわかるようになっています。

鉄的にきになるのは、工場から緩いカーブを描いている道路。この道路は廃線跡で、流山駅から工場までの貨物専用線で、1968年まで貨車によりみりんの原料の入荷と、みりん製品の出荷に利用されていました。現在はその道路の形状に面影をとどめているのみです。

平和台駅の方へ歩いているうちに雨が降ってきましたが、傘をさすほどでもないので気にせずに歩いていきます。こちらは一茶双樹記念館。俳人小林一茶が折に触れて流山の酒造家秋元家に寄寓したとのことから、その秋元家の跡地にできたのが一茶双樹記念館です。旧秋元家邸宅などが移築保存されているようです。お庭を見ながら一句捻るのもまた一興かと。
次第に雨がひどくなってきたので、平和台駅へ向かいます。ケーズデンキの裏手のこんもりした丘は流山の地名のもとともなった、赤城神社。その昔、赤城山が山体崩壊をした時にその一部の流れ山がこの地にたどり着いたと言われており、その流れ山の丘に赤城神社が建立されています。
雨が降ってきたのと、時節柄じっくりとみるのが憚られる状況だったので、早足での流山散歩になってしまいましたが、今度はじっくりと歩きたいと思う街でした。