・アジア史に人間の罪誌(しる)しつつわれが裡(うち)なる兵士老いたり
「青夏」
小高賢 編著 『現代短歌の鑑賞』から、作者の特性を抜粋しよう。
「兄を戦争で亡くし、みずからも江田島海軍兵学校在校中に広島の原爆を目撃し、敗戦という現実に出会う。・・・人生の横軸にそったこのようなテーマを島田修二はくりかえし歌う。しかも沈鬱さに満ちた色調が、つねに一首のまわりに塗り込められている。」
このように、主題の鮮明でテーマ性のある作品を島田修二は残した。
上の句の「アジア史に人間の罪誌しつつ」がなんとも切実である。「村山談話」を待つまでもなく、アジア太平洋戦争は、日本による侵略戦争だった。海軍兵学校にいた作者は、軍国少年であったことだろう。
しかし在校中に、広島の原爆を目撃する。そして敗戦。今まで大本営発表だけを信じていた日本人に、侵略の事実が初めて公にされた。
この事実は、作者にとって「コペルニクス的転回」であったことだろう。それを作者は「アジア史に誌す罪」と表現したのだ。島田は直接戦場へは行かなかった。だが戦争がもう少し長引けば、戦場へ行き、敵兵、民間人を殺傷したことだろう。
作者はすんでのところで「人間の罪」を負うところだった。この一首は、昭和44年に刊行された歌集に収録されている。戦後四半世紀を経ていた時期だ。
作者は昭和3年生まれだから、41歳ということになる。「初老」というにははやいが、自分の人生を振り返る年齢だ。これが「われが裡なる兵士老いたり」なのだろう。
先に紹介した、川島喜代詩の短歌が「戦争世代の『兵士の記憶』の歌」としすれば、この島田の短歌は「戦中世代の『兵士の記憶』の歌」と言っていいだろう。
僕は島田とは面識がない。だが一度だけ話を直接聞いたことがある。「8・15を語る歌人の集い」の会場でのことだ。当時は小泉内閣のときで、小泉純一郎が、靖国神社に参拝すると発表し、社会問題となっていた。
島田は横須賀出身で、旧制横須賀中学を卒業した。小泉純一郎の先輩にあたる。島田は「小泉とは学縁がある。」と言った。
だが同時に「小泉は(靖国参拝などを)一人で決めるのは良くない。」と靖国参拝には批判的だった。
そして最後に次のように発言した。
「これからは作品に於いても、選歌に於いても、もう少し勇気を出したい」と。
右翼的流れが強まっている今、島田が存命なら、どんな作品を作り、どんな選歌をしただろうか。