・照る月の冷えさだかなるあかり戸に眼は凝らしつつ盲ひてゆくなり・
「黒檜」所収。1938年(昭和13年)作。
白秋はこの二年前、眼底出血のために入院。以後も視力を回復しなかった。1941年(昭和15年)に視力おぼろのまま、この世を去った。
しんしんと冷えてゆく夜。月の光に目を凝らしつつ、視力を失っていく自分の境涯を凝視している。
最晩年の作、いわば辞世の歌であるが、
斎藤茂吉の「茫々としたるこころの中にゐてゆくへも知らぬ遠のこがらし」や、
佐藤佐太郎の「杖ひきて日々遊歩道ゆきし人このごろ見ずと何時人は言ふ」
のようなある種の厚みや重みがない。
がそれは欠点ではなく、「新幽玄体」と呼ばれる白秋独自の作風である。弟子の宮柊二が原稿を口述筆記することが多くなったころであり、宮柊二が白秋のもとを去ったのはこの作品が詠まれた翌年である。
白秋にとっては孤独感きわまる時期といえるが、悲槍感はない。これが白秋の到達した境涯である。ちなみに宮柊二は、度重なる出征もあり、徐々にリアリズムに傾斜してゆく。これを高野公彦は「宮柊二の白秋離れ」という。(高野公彦著「鑑賞・現代短歌 宮柊二」)