今年に入って、近代短歌に学ぼうという機運が歌壇に現れる様になった。また現代短歌のうち、前衛短歌やライトヴァース・ニューウェーヴ以外の歌人の業績に焦点があてられる様にもなってきた。
今年は斎藤茂吉の生誕130年だったが、石川啄木の没後100年でもあった。宮柊二の生誕100年も実は今年2012年であるのだった。
そこで角川「短歌」10月号は「宮柊二・生誕100年」が特集2だった。その内容を紹介しよう。全体の構成は、総論を高野公彦が書き、全歌集のレヴューを栗木京子、草田照子、藤原龍一郎、大辻隆弘、柳宣宏、内藤明が書いている。また「人間、宮柊二」というエッセイを宮柊二の長女の片柳草生が書いている。また影山一男が「宮柊二 百首抄」を担当している。
1、「宮柊二が短歌史に残した功績」:「励ましの文学」:高野公彦:
「宮柊二は長岡中学時代に初めて短歌を作り、相馬御風主宰の歌誌「木蔭歌集」に投稿した。のち上京して北原白秋門下となった。昭和10年、歌誌「多磨」に出詠し白秋のもとで歌を磨いていった。」
「白秋の影響で歌は浪漫性を帯びたものが多かったが、昭和14年に白秋のもとを辞去し、作品の上でも新境地を目指した。」
「(その新境地は)写実的要素の強い歌によって、柊二は白秋的な美の世界から脱皮した。巨視的に見ると、新詩社系の浪漫的な作品に、現実の手触りを力強く刻印したのである。白秋に学んだ歌と、そこから脱皮した歌とがともに『群鶏』(=柊二の第一歌集)の中で息づいてゐる。」
「昭和14年、宮柊二は一兵卒として大陸に出征した。所属部隊は中国・山西省で行動した。八路軍の勢力の強い山地乾燥地帯であった。その地で体験した戦争の実態をリアルに詠んでいった。『群鶏』時代に獲得した写実的方法がここで生きた。」
「無名の兵卒として戦闘に直接参加し、過酷な体験を詠んだなまなましい『山西省』の作品群は、多くの人々の胸を打つ戦争文学となった。」
「戦後、新しい時代の思想に便乗する文学者が相次いだけれど、柊二は、戦場で一兵卒の立場を貫いたやうに、戦後は一庶民の立場に立って歌を詠んだ。」
「戦後まもなく、いはゆる第二芸術論の嵐が吹き荒れた。短歌・俳句の、作品における発想の古さ、抒情の湿潤性、知性の希薄さ、などが批判された。柊二は論を立てるよりも、実作で批判に応へようとした。」
「昭和28年、柊二は『コスモス』を創刊した。創刊号に書いた『みづからの生の証明を』といふ短い文章で、作歌の理念を簡潔に述べてゐる。」
「晩年は、老いと病苦から来る悲調と、童子のやうな無邪気とを含む、自在で広やかな歌境を見せた。」
「柊二は、大和言葉(和語)を使った秀歌も多数あるが、本質的には漢語の好きな歌人だつたと思ふ。・・・漢詩から摂取した力強いリズム感が宮柊二の歌の骨格になってゐるかもしれない、と今ごろになって思ふ。」
(=この様な特集では普通、年譜が付けられるものだが高野公彦の「総論」が簡潔かつ的を得ているので、必要なかったのだろう。)
2、全歌集レビュー:
Ⅰ、『群鶏』『山西省』
:「リアリズムの奥行」:栗木京子:
「ひたすらに凝視し、克明にデッサンしている。リアリズムへの接近、白秋的世界からの離脱、と評される傾向であるが・・・・白秋から摂取した空間把握の方法がうかがえる。(『群鶏』)
「見方の兵の死を詠んだ歌も少なくない。激しい慟哭と悲哀が込められているのだが、歌のたたずまいは静謐。そして自然描写の的確さが強く印象に残る。・・・時代を越えて読み継がれるべき一冊(=戦争文学)である。」(『山西省』)
(=耽美派、浪漫派からリアリズムへの方向転換にあたっては、戦争体験が大きく影響しているものだと僕は考える。)
Ⅱ、『小紺珠』
:「老成の魅力」:草田照子:
「詠み続けた歌には清くありたいと願う心と誠実さがあって、青年期を少し過ぎたばかりで老成した宮柊二の魅力となっている。」
(=誠実さが宮柊二のリアリズムの原点ではないかと僕は思う。やはり戦争体験を「リアルに詠む」ことが、宮の戦後の出発点だったのだろう。)
Ⅲ、『挽歌』:
「戦争・生活・文学」:藤原龍一郎:
「過去は戦争の記憶である。戦争が終わってから、まだ5年も経っていない。それだけに、戦場体験、その時の悲惨な記憶は歌人の精神と肉体になまなましく残っている。」
「製鋼会社の社員ということであれば、毎月の給料は安定していたにしても、決して余裕のある生活ではなかったのだろう。」
「現在を内省することで、明日以降を見据えていこうという意思が底流する歌。・・・文学としての短歌の屹立を渇望する歌人の試行錯誤があらわれているように思える。」
(=リアリズムだからこそ、戦争・生活などについて嘘のない詠み方が可能になったのだと思う。)
Ⅳ、『日本挽歌』
:「生命の凝視」:大辻隆弘:
「日常の時間から離れ、詩の世界に心を遊ばせる瞬間なのだろう。勤め人・宮肇が、詩人・宮柊二に変わる瞬間なのだ。」
「主情的な感傷や肉体的な感覚を通して、目の前の情景を捉えようとする柊二の歌の作り方がよく現れている」
「動物の無心の生を凝視することで、柊二は人間が作りだし、それに束縛されている『時間』の概念の賢しらを、見事に暴き出している。」
(=このような宮柊二の作歌姿勢に「調べ」の要素が加われば、佐藤佐太郎との共通点が出て来ると僕は思う。)
Ⅴ、『多くの夜の歌』『獨石馬』『藤棚の下の小室』
:「『離々たる泪』、そのあとさき」:柳宣宏:
「自らの生活の狭さや古臭さ、そして老い。そのような弱さを肯定した時に、ささやかなことへの感謝や漏瓶、水虫の薬といった卑俗な素材への着目が歌にあらわれてきた。50歳代に新しい歌の方向が開けたように思われる。」
Ⅵ、『忘瓦亭の歌』『緑金の森』『純黄』『白秋陶像』
:「嘆きと明るみと」:内藤明:
「(この四歌集は)病気と闘いながら、命と人生とに触れる歌を多く見る。」
「ここには老いを自覚しながらも、絶望とは違った何かが感じられる。」
「1980年代、日本は経済的に豊かになっていくが、宮の中の戦争体験は消え去るものでなく、その芯に貫かれているものは鋭く、強い。」
(=結局、後半の九歌集は宮柊二のリアリズムの行き着くところだったのだろう。)
3、エッセイ「人間、宮柊二」
:「古い絵本」:片柳草生(宮柊二長女)
(=割愛します。面白い一文なので実際に読まれることをお勧めします。)
4、宮柊二 百首抄 影山一男 抄出
5首採り上げる。
・つき放されし貨車が夕光に走りつつ寂しきまでにとどまらずけり・『群鶏』
・たたかひの最中静もる時ありて庭鳥啼けりおそろしく寂し・『山西省』
・おそらくは知らるるなけむ一兵の生きの有様をまつぶさに遂げむ・
・ねむりをる体の上を夜の獣穢れてとほれり通らしめつつ・
・たたかひを終わりたる身を遊ばせて石群れる谷川を越ゆ・『小紺珠』
尚、もう一つの特集「口語歌のすべて」も読みごたえがあった。