土屋文明は斎藤茂吉の弟弟子にして、伊藤左千夫・島木赤彦・斎藤茂吉・とリレーしてきた「アララギ」のアンカーだった。その意味で「茂吉以降の歌人」である。
その土屋文明について、岡井隆監修「岩波現代短歌辞典」には次のような記述がある。
「土屋文明:マルクス主義の洗礼を受けていない世代としては、文明は最大限に進歩的、自由主義的であった。」(山田富士郎)
また岩波文庫「土屋文明歌集」の帯文には次のようにある。
「左千夫門下の抒情詩人として出発した文明は、昭和初年、茂吉らと< アララギ >の編集を担う頃から厳しいリアリズムの作風に変り、時代に対する鋭い批評眼と現実把握の確かさを以て、歌壇の第一線を歩んできた。」
つまり進歩的・自由主義的「リアリズム歌人」ということになろうが、その作風を顕著にあらわしているのが、「山谷集」「青南集」のふたつの歌集だと僕は思う。
(歌集の刊行年月日、収録歌数は岩波文庫「土屋文明歌集・後記」によった。)
1・「山谷集」:1935年(昭和10年)5月岩波書店刊。852首収録。
満州事変の結果満州国という日本の傀儡国家が誕生し、それがさらに日中戦争へと拡大する直前の歌集である。まず3首抄出する。
・小工場に酸素溶接のひらめき立ち砂町四十町夜ならむとす・
・罪ありて吾はゆかなくに海原にかがやく雪の蝦夷島を見よ・
・枯葦の中に直ちに入り来たリ汽船はいまし速力おとす・
一首目・三首目は骨格のしっかりした都市詠であり、特に一首目は労働者への共感のようなものが窺える。二首目。文明の祖父は博打で身をもちくずし、はては強盗団に身を投じ、北海道の監獄に収監されたのち、獄死した。はるか時間が経って、それを心に秘めつつ北海道に渡る。現実直視の作品である。文明流の「リアリズム写生」である。
「山谷集」には戦争を前にそれを危惧した作品群(「鶴見臨港鉄道」22首)もある。戦争と、それによる多くの人の死を予感し、おそれるような作品である。一首だけ抄出する。
・無産派の理論より感情表白より現前の機械力専制は恐怖せしむ・
大胆な破調は切迫感を余すところなく表現している。この戦争の予感とおそれは、次の「六月風」の作品に続く。
・高き世をただめざす少女等ここに伊藤千代子がことぞかなしき・「六月風」
伊藤千代子は、文明が諏訪高女で教鞭をとっていた際とくに優秀な生徒だったが、戦前非合法だった共産党の活動中、治安維持法により逮捕され病を得て獄死している。逮捕監禁のため「精神を病んだ」末のことで、今、詳しい研究が進められ、伊藤千代子の故郷には、この作品の歌碑が建立された。戦前の共産党は「政党としては」唯一戦争に反対したので、激しい思想弾圧を受けた。だから作品発表時には「某日某学園」と題されているのみだが、戦後さまざまなことが明らかになりつつある。
2・「青南集」:1967年(昭和42年)11月、白玉書房刊。1358首収録。
抒情歌とともに、戦後の昭和20年代末から30年代前半までの日本社会が詠まれている。その抒情歌も骨格がしっかりとしているのが特徴。3首抄出する。
・五萬分一圖右下の四半分わが恋かかる道に流れに・
・かの時に憎みし面どもはやく亡び新たなる面新たににくむ・
・人間の恐るる雨の中にして見る見る殖え逝く蝸牛幾百・
一首目。少年期の回想。上の句の漢語の連なりと「句またがり」が文明らしい切迫感を出している。二首目は「60年安保」の歌。三首目は「ビキニ水爆実験」の歌である。
「60年安保」「ビキニ事件」については次のような作品もある。
・旗を立て愚かに道に伏すといふ若くあらば我も或は行かむ・
・暗殺反乱戦争デモ四つの時代をあそび来しみじかうた・
・一ついのち億のいのちに代るとも涙はながる我も親なれば・(以上「60年安保」)
デモのさま、歴史、デモ隊と警官隊の衝突によって死亡した東大女子学生のことが詠われている。「山谷集」の「機械力専制」、「六月風」の「伊藤千代子」とのつながりを見るのは、さほど難しくないだろう。
・白き人間まづ自らが滅びなば蝸牛幾億這ひゆくらむか・(以上「ビキニ事件」)
斎藤茂吉は「人間におののいた」が、この作品は「核の恐怖におののいて」いる。今日的問題でもある。これらの作品群から近藤芳美・岡井隆への系譜があるのは説明は不要だろう。
これが土屋文明の「リアリズム」である。同じリアリズムでも宮柊二との違いが面白い。