・煙草くさき国語教師が言うときに明日という語は最もかなし・
「空には本」1958年(昭和33年)刊。「寺山修司青春歌集」164ページ。
まともに読めば、国語教師の耳に痛く響く作品だろう。だから国語の教科書には絶対掲載されない作品だ。
思春期の青年にとって、「明日」は希望に満ちているはずだ。いや「明日の希望を探し出す」のが、青年期だと言ってもいい。
ところが「煙草くさ」い国語教師がいうときに「明日という語」は「最も悲しいもの」、夢や希望とは正反対のものになってしまう。
すべての国語教師ではなく、「煙草くさき」がミソだ。一時期言われた「でもしか先生」だろうか。日本が高度成長に向かっているとき、つまり経済が右肩上がりのとき、「先生『でも』やるか。先生『しか』やるものがない」これを「でもしか先生」と言った。
無気力教師とも言えるが、一方の生徒の「三無主義」が問題になり始めた時期にさしかかる頃だった。「無気力、無関心、無感動」。高校はハイスクールだが、「灰スクール」などと洒落にならない洒落を、他ならぬ国語教師から聞いたこともある。
そのような問題を寺山修司は突きつける。寺山修司の短歌には「人間とは何か」という根本的な問いがあると言われている。だからこその「前衛短歌」なのだが、「前衛短歌が終焉した」と言われる今、変わらぬ感動をもたらす作品だと僕は思う。ちなみに岡井隆の短歌は「国家・思想とは何か」、塚本邦雄の短歌は「権威とは何か」を突きつける。
国家・思想・人間というテーマは交錯しているし、三人の作品にもこの3つが濃淡があるもののそれぞれ表現されている。
この3つのうち、「国家・思想とは」というテーマが若い世代の歌人の作品からは感じられない。前衛短歌が終焉したと言われるのも、「技術だけを残してしまった」「魂がはいっていない」と岡井隆が言うのもこのためだ。(「私の戦後短歌史」「角川短歌・2011年2月号『大特集・歌人岡井隆』」)
寺山修司の短歌は難解な言葉はひとつもない。それでいて奥が深い。そして感覚が瑞々しい。
単なる「新しさ」「既視感がない」だけでなく、「瑞々しさ」が魅力の源泉なのだろう。それは今なお輝きに満ちている。特に斎藤茂吉以降の短壇で暗喩に頼ることなく異彩を放つものだった。
だが寺山修司にとって短歌という表現方法は、彼にとって十分満足するものではなかったようだ。
だから寺山修司の短歌が、「おでん屋地獄」「畳屋地獄」「発狂詩集」といった言葉を用いる世界となって乱調気味になったあと、寺山修司は演劇や映像の世界へと去っていく。