・ナチはユダヤをユダヤはパレスチナをひしぐなり弱きをひしぐ歴史は絶えず・
「人間旦暮・秋冬篇」所収。
ナチスは「ユダヤ人問題の解決」と称して、ホロコーストを実行した。祖国をもたぬユダヤ人は「シオニズム運動」を唱えてパレスチナにイスラエルを建国した。
パレスチナ地域の住んでいたアラブ人は「入植」したユダヤ人によって、家・土地など財産を奪われ追い出された。四次にわたる中東戦争の原因となり、日本に2次にわたる石油危機をもたらした。
この問題を叙述した書物は多い。僕の家にも何冊かあり、読んだが問題が複雑に絡んでいる。
冒頭の一首は「社会詠」にはいるものだが、一首をささえているのは勧善懲悪ではなく、ナチ・ユダヤ・パレスチナの問題を「強い者が弱い者を抑圧する」と単純化、一般化し、細かい事象を捨象しているところにある。
坪野哲久は「アララギ」に入会し、島木赤彦に師事した。「単純化」は佐太郎のいう「表現の限定」だが、この坪野哲久の表現方法は「アララギ」で培われたものだろう。
坪野哲久が大塚金之助を高く評価したのも、「アララギで培った単純化の表現法」に着目したのはすでにのべた。大塚もまた島木赤彦門下であり「プロレタリア短歌」の担い手であった。
僕はここに「アララギ」が蓄積してきた表現方法のひとつの分岐を見るのである。
戦後、坪野哲久が生活に困窮したときに、「坪野君支援基金」の発起人の一人に佐藤佐太郎が名を連ねているのには、そうした親近感があったのかも知れない。
「お互い、アララギから分かれた身だから」という親近感である。
もちろん戦前の「新風十人」に名を連ねたという事情もあるだろうが、山本司著「評伝・坪野哲久」や坪野哲久著「昭和秀歌」を読むとそういった感慨を抱くのである。
そしてここが肝心なのだが、斎藤茂吉がヒットラーにシンパシーを感じたのとは正反対の考えを見るのである。それは感情・主観・直観だけに頼るのでなく、歴史に対する洞察のなせる技であろう。(ただそのシンパシーは当時の標準的日本人の感情だったことも事実だ。)
茂吉には次のような作品がある。佐太郎も哲久も決して詠まないであろう作品である。(なおこの問題については、岡井隆・小池光・永田和宏「斎藤茂吉・その迷宮に遊ぶ」に詳しい。ヒットラーと斎藤茂吉の共通性をことさら強調するのは小池光の発言で、根拠は挙げられていない。岡井隆・永田和宏は聞き役というおももちである。)
・行進の歌ごゑきこゆHitlerの演説すでに果てたるころか・(「遍歴」)
・ヒットラのこゑ聞きしとき何か悲し前行したりし樂も悲しも・(「白桃」)
岩波文庫「斎藤茂吉歌集」より抄出した。
付記:参考文献・内山敏訳「ナチスの時代」、広河隆一著「パレスチナ・新版」、三島憲一著「戦後ドイツ」、村瀬興雄ほか著「世界の歴史15・ファシズムと第二次大戦」、藤村真著「中東現代史」