日本にハマってしまった「哈日(ハールー)族」たち
* 2007年10月31日 水曜日 遠藤 誉
さて、今度は日本動漫ブームが生んだ、中国若者世界のとあるムーブメントを紹介しておこう。
中国ではここ数年、中学生くらいの年齢の女の子を中心として、すっかり「日本にハマってしまった」現象が進行している。
普通の「はまり方」ではない。
服装は日本と提携して中国で発行されているファッション雑誌も参考にしながら、ネットでダウンロードした日本の若者ファッションを同時進行で取り入れたスタイルで決める。原宿や渋谷で見かける日本の女の子たちと見まがうばかりだ。
*原宿・渋谷の「カワイイ」が中国に
ヘアスタイルだって負けていない。ファッション雑誌やネットで気に入ったスタイルの画像を持ち込んで、日本流の技術を標榜する美容院に駆け込み、これもバッチリ決めてもらう。アクセサリーや靴あるいはバッグなどには特に事細かに気を配る。ここで仲間と差がつけられるからだ。
昨今の日本の女の子たちは――いや男の子でさえ――身の回りのファッションやグッズに対して「かわいいか、かわいくないか」を基準として選び、何かにつけて「キャーッ、カワイイッ!」とか「ね、これ、カワイくない?」といった言葉を連発するが、この「カワイイ文化」が、なんと中国にもそのまま取り入れられ、中国語で「(カ)哇依」(ka-wa-yi)という表音表現で流行しているのである(編注:カは漢字の「力(ちから)」ではなく、中国語読みを表記した、カタカナのカです。この中国文字は「上」と「下」という文字を上下に重ね、間の横棒を一本にした文字です)。
中国語の検索サイトで「(カ)哇依」と入れると、「(カ)哇依(カ)通(カトゥーン)飾品」「(カ)哇依加盟連鎖(チェーン店)」「(カ)哇依新聞」「(カ)哇依天使」「(カ)哇依形象設計」など、数十万項目が出てくる。このうち「飾品」は「装飾品」のことである。
面白いのが「形象設計」。
これは中国独特の現象かもしれない。自分の写真を撮ってもらって、それを好きなファッション画像の中にはめ込んでパソコンで加工し、その画像の主人公に仕立て上げた写真をプリントアウトしてくれるのだ。
*モデルやアニメの顔に、自分をコラージュする授業がある
ファッション雑誌のモデルの顔だけを自分の顔にすげ替えたり、アニメの主人公の顔に自分の顔をはめ込んだり、あるいはテキパキと働くスチュワーデスになりすましたり、どんなシチュエーションにでも置き換えてくれる。顔の輪郭も目鼻立ちも修整してくれる。自分の理想や幻想を写真の中で現実化できるわけだ。
そんなわけで上昇志向に燃える中国の若者の間ではことのほか人気がある。どのくらい人気があるかというと、この「形象設計」、学校のカリキュラムに組まれているほどだ。
中国では、高等教育の中に「専科」というのがあり、ちょうど日本の専門学校に相当したような教育機関がある。そこでは早くからこの「形象設計(デザイン)」専攻が設置されている。
このような「(カ)哇依形象設計」は、日本の「カワイイ文化」の中に自分の顔をはめ込む「デザイン」ワークなわけである。中国で今猛烈に流行っているコスプレの原型と言ってもよいだろう。
そんな自分の写真をはじめ、部屋の壁に日本のアニメや漫画やタレントの写真を貼りまくり、「(カ)哇依加盟連鎖(チェーン店)」で購入した「カワイイ・グッズ」で部屋中を埋め尽くし、枕にも布団カバーにも日本のアニメの夢見る顔を施し、日本のヒットソングを聞きながら日本の漫画やアニメを鑑賞し、任天堂などのゲームに興じる。
*畳を敷いて、浜崎あゆみに熱狂する
さらに高じてくると、部屋に「タタミ」までセットする場合もあるから、もう尋常ではない。「タタミ」もすでに中国語化されており、「榻榻米」(ta-ta-mi-)と書く。
日本のタレントに対する熱狂ぶりもすさまじい。浜崎あゆみに関して例を取るなら、たとえば中華人民共和国という、中国にとってはもっとも神聖な文字である「共和国」を用いて、「浜崎共和国」というファンクラブを結成したり、浜崎あゆみを「東洋妖姫」と呼んだりなど、その加熱ぶりは増すばかりである。
こういう若者群像を中国では、「哈日(ハールー)族」と呼ぶ。
主として中学生くらいの女の子に多い(男の子ももちろんいる)。(主として)彼女たちは、もう「泣きたくなるくらい」日本が好きなのだ。極端な場合は、自分の前世は日本人だったと言う者もいるくらいだから、その熱狂ぶりが想像できよう。
「哈日」は中国語で<ha-ri>という発音記号で表現され、日本語の音では「ハールー」に近い読み方をする。もともとはびん南(なん)語で「太陽の毒気にやられる」という意味。台湾が発祥地だ。「哈」という文字自身は、「何かに満足する」時の音を表現する際に使われ、「ワッハッハ……」と大笑いする時の「ハ」の音などに使われる。「毒気にやられて、いかれるほど好きになってしまった」という意味では、実にみごとな文字を当てはめたものである。
哈日現象は、哈韓(韓国かぶれ)現象とペアで表現されることが多く、「哈日哈韓」という一群でとらえられている。この現象はあまりに否定しがたい勢いで猛威を振るっているので、親たちは顔をしかめ、中国政府は強い警戒感を示している。
*「Ray」の中国提携誌が大人気
もっとも両親のうち、母親の方は娘に引きずられていく傾向がないわけではない。たとえば中国で最高の発行部数を誇るファッション誌「瑞麗」(ルイ・リー、rui-li)(日本の主婦の友社刊「Ray」との提携)の虜になっている働く女性もまた非常に多いので、娘と一緒になって日本のテレビドラマを見てファッション感覚に磨きをかけたり化粧方法を盗み取ったりする若い母親もいるからだ。こういったファッション誌の種類は多く、値段はおおむね20元(約350円)。紙質も良く印刷もきれいで、どのページにも女心を惹きつけてやまないファッションが満載。発売と同時に飛ぶように売れてゆく。
言っておくが、彼女たちは決して最初にまず「日本が好き」だから哈日になったのではない。あくまで若い女の子らしく「美しいものが好き」で、その美しいものが日本のさまざまなグッズだったわけ。その結果、哈日になったのである。
「美しいもの」への憧れ、「美しくなりたい」という思い。
改革開放までは罪悪でしかなかったこうした美への憧れの感情が、今は自由に求めることを許され、しかも実現のための手段を手にできる。程度の差はあれ、女性は誰でも美しくなりたいと思うだろう。その渇望と夢がようやく中国の若い女性たちに放たれた。その時彼女たちの前にあったのが、日本の「美しかったり」「カワイかったり」するグッズやファッションだった。
*やはりダブルスタンダードに悩む
中国の、そして中国人にとっての問題は、こうした中国で流行っている「美しさ」の基準が現在「日本」という国から発信されているということにある。しかもその情報は、日本政府が意図的に発信しているのではなく、中国の若者たちがインターネットや雑誌を通じ、自らの意思で選んだものを入手しているのだ。一方で彼女らは、90年代以降の愛国教育を受けているから、かつての日本の行為に対して強い批判心を持っている。何といっても抗日戦争に建国の礎を置く国なのだ。当然、「日本への批判」と「日本のファッション大好き」という例のダブルスタンダードのような、心の葛藤も顔を出す。
「私は自分の好きなものを選んだだけ。それが結果として日本製だったからと言って、私を漢奸(売国奴)と呼ばないで。食べ物だって、自分の好きなものを選んで食べるでしょ。それと同じよ。もしあなたが四川省の人で、それでも辛いものが嫌いだから麻婆豆腐を食べずに淡白な味の豆腐を日本流に食べたとしたら、それでも売国奴呼ばわりされるのかしら。何で好きなものを好きと言うのに、愛国かどうかを言わなきゃならないの?」
そんな悲痛な叫びを、中国のネットの書き込みで見かけた。書き込んだのは中国の若い女の子のようである。どうやら、日本のファッションが好きだというだけで、周囲から批判を受けたらしい。
政府もこうした若者たちの動きには警戒心を強めている。哈日哈韓症候群を退治するために、中学生を対象として小論文を募集して「思想汚染」を牽制する方法も講じられているようだ。
*政府も苦い顔。だが対策は?
2003年12月、南の方にある浙江省中学生政治小論文コンテストで1等賞を獲った寧波市仁愛中学の中学2年生の鄭蕾さんが書いた小論文がネットに載っているが、そのタイトルは「哈韓哈日 Yes or No」。
彼女はこう記す。
「現在の青少年たちは日本や韓国の影響を深く受けた者が増えすぎている。その人たちの中には中華民族が受け継いできた伝統的な美徳や青少年が持っているべき青春の気概を見いだすことができず、ただ単に退廃的な印象を与える。(中略)50年前、私たちはようやく日本鬼子を中国から追い出したのに、今また招き入れてしまっている。これは一種の消極的な文化侵入だ。水道水を濾過するように、濾過した文化だけを入れるようにしなければならない」
とはいうものの、あらゆる情報が縦横無尽に飛び交うインターネットの時代。「濾過」はいったい誰がするのだろう。
確かに「哈日哈韓」という言葉は、中国社会の中では一種の「軽蔑語」として使われており、「国の誇りと自尊心」を捨ててしまったとして揶揄されることが多い。中国国内では、どちらかといえばマイナーな存在である。その点、日本動漫が大好きでも、決して中国に対する「愛国心」は捨てていない多くの若者たちとは区別される。だから、いろいろな大学にある日本動漫サークルの学生たちに「哈日なのか」と聞いたりすると、ひどく不機嫌になる。「とんでもない! 私は哈日ではありませんよ!」と強く否定し、取材の雰囲気も悪くなってしまうのが常だ。
こうした取材を繰り返すうちに中国の若者の多くのスタンスも見えてくる。彼らは「盲目的に」日本動漫が好きなのではない。さまざまなサブカルチャーの中から本当に自分たちが好きなものを選び続けた結果残ったのが、日本動漫だったのだ。
その点、全面的にあるいは無条件に日本の「美」と「カワイイ」が好きな「哈日現象」の女の子たちとはずいぶん趣きが異なる。
*日本動漫と異なるもの
それにこの現象、日本動漫ブームと異なり、私はあまり長続きしないのでは、と思っている。
確かに今のところ、中国では、日本から入ってくるファッションや身の回りの情報の方が洗練されておりモダンである。
けれどもその一方で、北京の長安街を西に行った西ダン(シーダン)の商店街には「U-NEED」というファッション店があるのだが、そこに陳列してある服やバッグのモダンさといったら、青山か原宿あたりのお店に入ったのかと思うほど、おしゃれであり、洗練されている。しかも製品の一つひとつは、すべて北京にある工場で設計され製造されたものばかりである。
中国発の洗練されたファッショングッズが増え始めれば、何も日本に憧れる必要はなくなる。そうなれば「哈日現象」は自然に消滅していくだろう。「哈韓」のほとんどはファッションや、流行歌手、韓流ドラマに限られているので、このジャンルで「内外格差」が縮まれば、「哈」現象は消えるだろう。それまでに何年かかるかは何とも言えない。少なくとも今のところ、哈日族はまだ消えそうにない。
一方、動漫に関しては、まだまだ日本のソフトが圧倒的に質においても量においても勝っている。「哈日現象」は流行であり、「日本動漫ブーム」は文化になりつつある、というのが私の印象である。
保守記事.103-5 サブカルチャーかカルチャーか?